この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

ある映画監督の生涯

日本映画の巨星・溝口健二監督の生涯に迫った新藤兼人監督による渾身のドキュメンタリー。
100歳で没した新藤兼人の映画人生にも触れる。

 

  製作:1975年
  製作国:日本
  日本公開:1975年
  監督:新藤兼人
  出演(インタビュー):依田義賢、成沢昌茂、田中絹代入江たか子増村保造、他
  レイティング:一般

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    インタビューの背景に写っている猫
  名前:不明
  色柄:白


◆その映画監督

 日本映画の三大巨匠と呼ばれる監督と言えば、黒澤明小津安二郎溝口健二とされています。私見ですが、その三人のうち、若い人にいちばんなじみがないのが溝口健二ではないかと思います。女性を縛る古い日本社会の因習、その中で屈辱と忍耐にあえぐ女性の姿を美的に昇華させた作品群は、他に類を見ない芸術性を誇っています。
 そんな溝口監督に人生を賭けて修行するきっかけとなる苦言を浴びせられ、のち彼の映画に2本のシナリオ(『女性の勝利』(1946年/野田高梧と共同)『わが恋は燃えぬ』(1949年/依田義賢(よだよしかた)と共同)を書いたのが脚本家・映画監督の新藤兼人
 このドキュメンタリーは、彼が60代前半のときに恩人と言える溝口監督の記録を残そうと、関係者の生の証言を集めた大変貴重な史料です。インタビューを受けた39名のうち、私が調べた中で現在も存命が確認できたのは俳優の香川京子若尾文子だけです。溝口監督自身の動く映像は残念ながらありません。
 大正から昭和30年代初め頃までの日本映画の歩みを概括的に知ることができるという意味でも、このドキュメンタリーはぜひ見ておきたいものです。まだ溝口作品を見たことのない方には、以下の「あらすじ」の中で触れる作品を、できれば古い順にいくつか見ていただければと思います。

◆あらすじ

 1956年8月24日、映画監督の溝口健二は満58歳で骨髄性白血病で亡くなった。彼の終焉の地である京都から、彼が生まれた東京・湯島に飛んで、監督の新藤兼人は、彼を知る関係者39人へのインタビューと自身のナレーションを合わせ、彼の映画監督としての姿と私生活をあぶり出し、その生涯に迫っていく。
 1898年生まれの溝口の幼い頃、父が事業に失敗し、生活に困窮したため溝口の姉が芸者になり、華族の妾となって溝口を支えた。
 1920年、溝口は当時の日活向島撮影所に俳優志望で入社、スタッフに回され、1923年に監督デビューするが、関東大震災で撮影所が壊滅すると、日活の京都大将軍撮影所に移って関西の文化を吸収していく。作品は出来不出来の差が激しく、私生活では女性がらみのスキャンダルなどもあった。サイレント時代に人気俳優の入江たか子出演の『瀧の白糸』(1933年)などが評判になるが、1936年に発表した『浪華悲歌(エレジー)』『祇園の姉妹(きょうだい)』、1939年の『残菊物語』、1940年の『浪花女』(現存せず)など、女性を主人公としたリアリズム作品で高い評価を得る。
 戦時中、新藤兼人が建築監督として原寸大の松の廊下をオープンセットに建てた『元禄忠臣蔵 前・後篇』(1941、42年)のほかには見るべき作品がなく、戦後も民主主義化の流れの中でスランプが続く。1952年の田中絹代主演の『西鶴一代女』でようやく復活を遂げ、以後1953年の『雨月物語』、1954年の『山椒大夫』でベネツィア国際映画祭に3年連続で入賞、続く1954年の『近松物語』とともに溝口芸術は頂点を極めるが、初のカラー作品で失敗作と言われる『楊貴妃』(1955年)の撮影時に俳優の入江たか子降板騒ぎを起こす。
 最後の作品、1956年の『赤線地帯』の撮影中から体調不良を訴え、次作の『大阪物語』の準備中に帰らぬ人となった。
 彼がプラトニックな愛を抱き続けたという田中絹代が、溝口に対する思いを赤裸々に語ったインタビューは、このドキュメンタリーのクライマックスである。
 溝口が死の前日に記した乱れた文字のメモが残っている。
「もう新涼だ
 早く撮影所の諸君と
 楽しく仕事がしたい」

◆猫がいます

 『浪華悲歌』以後、溝口健二の脚本の多くを書いた依田義賢や、最後の作品『赤線地帯』のシナリオの成沢昌茂など、溝口健二を語るうえで欠かせないスタッフや俳優ほか、総勢39名に新藤監督が直接インタビューして回ったこの映画には、スターの自宅を訪問した映像も混じっています。
 『雪夫人絵図』(1950年)や『赤線地帯』などに出演した俳優の木暮実千代の自宅テラスでインタビューしたとき、木暮実千代の背後の室内の椅子で白い猫がくつろいでいます。居眠りしながらインタビューに耳を澄ませているようで、時々目を向けたりします。大スターの飼い猫ですし、木暮実千代自身がグラマーでゴージャスなタイプですからペルシャ猫などを想像するかもしれませんが、普通の白い雑種の日本猫のようです。この対比はちょっと意外な気がします。彼女は保護司を務めるなど社会福祉に多大な貢献をしたそうなので、この白猫はそんな彼女がどこかで保護した猫なのかもしれません。

 新藤兼人も猫好き。自宅マンションの庭に居ついたノラ猫との交流を物語風にしたためた『ボケ老人と野良ネコチャー君の対話』という本を1996年に出版しています。挿絵も著者自身。猫をモデルに人間の老後をシナリオ化しようとしていたようです。チャー君は妹のブチ子と一緒に毎朝ネコ缶をもらい、時には近所の猫も連れてきたりします。妻の俳優・乙羽信子も登場、彼女が肝臓がんになって入院し、家に戻って夫婦でお墓を求め、チャー君がおとなになるところで物語は終わります。あとがきには、それからまもなく乙羽信子が亡くなって、チャー君の足がしだいに遠のいたと、少ししんみりとした暮らしの変化が記されています。

 木暮実千代の猫が登場するのは、88分30秒頃からおよそ75秒間です。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆暴君

 溝口健二は、昭和初め頃までインテリは見向きもせず、くだらないとされていた日本映画を芸術の域にまで高めた最大の功労者です。けれども、彼は模範的紳士ではありませんでした。仕事では自分の納得できる表現を求めて周囲に無理難題を要求し、暴言を吐き、私生活ではケチで名誉欲が強く、プロの女性と危険な関係にはまる一方で、愛する女性には少年のように純情だったという、きわめて生臭い人物像をこの映画は伝えています。

 映画は、溝口監督のデスマスクの映像から始まります。監督の映画で何度も美術・美術監督を務めた水谷浩が作ったものです。仏像のようなほほ笑みを浮かべているようにも見える死に顔。今だったらパワハラモラハラの主人公と言われかねない人物とは思えないような穏やかさです。
 新藤監督からインタビューを受けた39人のほとんどは、極端な言い方をすればそんな溝口健二の被害者です。脚本の依田義賢は、撮影現場で俳優がセリフを言ってみて不自然なときは溝口監督から呼び出され、その場でセリフの書き直しを命じられています。俳優は俳優で、前日覚えてきたセリフが急に変わり、スタジオの黒板に書かれている新しいセリフを見て演技する羽目に陥ったりします。演技指導なども具体的に行われず「反射してください」とだけ言われ途方に暮れる俳優も。
 俳優の中で、化け猫映画出演を人前でののしられ、降板の屈辱を味わわされたのは入江たか子。このことは『怪談佐賀屋敷』の記事で記しましたが、溝口監督に抗議した仲間もいます。
 乙羽信子の証言では、スタジオで撮影が始まると監督は一切休憩を取らない、トイレなどどうしているのかと思っていたら尿瓶(しびん)を持ち込んでスタジオの隅で済ませていたといいます。
 『西鶴一代女』のとき、助監督の内川清一郎は、公道でのロケで警察の許可を取って時間制限のある中でセットを組んだら監督は気に入らず、翌日撮り直すと言うので再び徹夜で指示通りセットを組むとまたも直せと言われ、キレて帰ってしまいます。
 そんな中で『楊貴妃』でセカンド助監督についた増村保造は、溝口は中国や忠臣蔵の武士の世界など、自分の理解できない分野ではどうしていいかわからなくなり、俳優やスタッフなどをどうでもいいことで罵倒していたと溝口を辛辣に分析。
 若尾文子は1953年の『祇園囃子』、溝口遺作の『赤線地帯』に出演し、いわゆる「新人類」と呼べるキャラクターを演じています。溝口が至極の日本美を表現する傍らで、増村、若尾に象徴される新世代が登場してくる1950年代。映画が斜陽化し、日本が高度成長で経済一辺倒に変貌していく直前にこの世を去ったことは、溝口健二にとってはある意味幸せだったのではないかと思います。

◆溝口と女性

 もう一つ、彼の人生を語るうえでは女性問題が避けて通れません。溝口監督の描いた、男や社会構造に虐げられた女性像の原型は生活のため芸者になった姉にあると言われています。そんな彼の描く女性像を見ていると、彼は哀れな女性の味方なのか、それとも女性を突き放し、これでもかと責め続けるサディストなのか、わからなくなるときがあります。
 プロの女性と遊ぶことが好きだった溝口監督は、1925年にヤトナ(三味線や踊りなどの芸もできる臨時雇いの仲居。時には体も売った)の女性から背中を切りつけられるというスキャンダルに見舞われます。溝口は、これでなきゃ女は描けないと言ったとか。
 また、のちの大映社長の永田雅一が間に入って元の夫と別れさせ、溝口監督と一緒になった智恵子夫人が、『元禄忠臣蔵』の撮影中に精神に異常をきたしてしまいます。溝口監督は自分が性病にかかっていて、それが夫人に感染し、脳を侵したのではないかと信じていたようです。実際は、溝口監督は検査ではシロだったそうですが、そんな思い込みの陰には女性を遊びの相手とすることへのやましさがあったのではないでしょうか。
 一方、彼の映画芸術のよきパートナーであった俳優の田中絹代にはプラトニックな愛を抱き続けていたそうです。これについても『西鶴一代女』の記事の中で触れていますが、田中絹代は、よくぞこの話をする機会を与えてくれたとばかりに二人の関係を語ります。この映画の中で最も多くの時間を割き、肉薄したインタビューですが、試写のあと新藤監督が田中絹代に声をかけようとしたのにぱっぱと帰ってしまったそうです。素顔の田中絹代が丸出しで出ていて、なんと言っていいのかわからなかったのではないかと、新藤監督はこの映画のDVDのオーディオコメンタリーで話しています。

 精神を病んだ夫人は、このドキュメンタリーが撮影されたときも病院に入ったままでした。溝口はその後、腰を痛めたときに介護に当たった女性と内縁関係となり、最期のとき、その女性が献身的に身の回りの世話をしていたそうです。

◆愛妻物語

 極端な逸話も芸術の神に愛された者の業を伝えるものと言えましょう。溝口の映画に関係者は賞賛を捧げ魂を震わせます。新藤兼人もその一人。1940年に脚本家デビューし、2011年の最後の監督作品『一枚のハガキ』まで、日本映画に70年以上にわたる貢献をした功労者です。その功績により新藤兼人賞という映画賞が設けられています(※)。このブログでも監督作品として『縮図』(1953年)、シナリオ作品では『銀座の女』(1955年)『ハチ公物語』(1987年)『姉妹』(1955年)を取り上げました。
 その新藤兼人溝口健二の接点は『愛怨峡(あいえんきょう)』(1937年)と『元禄忠臣蔵』で新藤が美術に関わったとき。新藤は、完成した映画を見て感服し、溝口に師事します。何か一本書いてみろと言われ、書き下ろしを溝口に提出しますが「これは脚本ではありませんね。ストーリーです」と突き返され、どん底に落ち込みます。そこから一念発起し、世界中の戯曲を読み漁り、一から勉強しなおすのです。この過程は、自身をモデルにし初めて監督した映画『愛妻物語』(1951年)に描かれています。妻は新藤が働いていた新興キネマスクリプターをしていた孝子夫人。収入が乏しく無理を重ねた妻は結核になり、亡くなってしまいます。映画で主人公を演じたのは宇野重吉、溝口監督がモデルの坂口監督は滝沢修。夫人を演じたのは今年2024年に生誕百年の乙羽信子乙羽信子はこのあと1994年に亡くなるまで、新藤兼人が監督するすべての作品に出演します。新藤兼人には孝子夫人のあとに妻がいたのですが、乙羽信子と愛し合い、その後新藤監督の離婚を経て正式に結婚。
 戦後、本当に作りたい映画を作るという意思のもと、インディペンデントの道を選び、社会派作品や実験的作品に挑戦を続け、70年という年月を映画に捧げた新藤監督。背も高くないしイケメンでもありませんが、女性に愛され、情熱的な人生を送っています。私生活でも新藤監督は乙羽信子のことを「乙羽君」と呼び続け、乙羽信子は新藤監督を「センセイ」と呼んでいたそうです。

 2時間半のこの映画に対し、撮影したフィルムは40時間にも及び、映画では伝えきれないことを、新藤兼人は『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(映人社/1975年)『ある映画監督 溝口健二と日本映画』の2冊の本に収めています。また、自身の半生、溝口健二との交流、『愛妻物語』のもとになった頃や戦争体験などを書いた『シナリオ人生』も、戦前戦後の映画界や溝口健二の姿を生き生きと伝える好著です。

 

(参考)
『ボケ老人と野良ネコチャー君の対話』(新藤兼人/新潮社/1996年)
『ある映画監督 溝口健二と日本映画』(新藤兼人岩波新書岩波書店/1976年)
『シナリオ人生』(新藤兼人岩波新書岩波書店/2004年)
溝口健二の人と芸術』(依田義賢/現代教養文庫社会思想社/1996年)

(※)新藤兼人賞・金賞を2019年に受賞した、ドキュメンタリー映画の村上浩康監督作品『東京干潟』をこのブログで紹介しています。またこの9月に村上監督の新作『あなたのおみとり』が公開予定です。

◆関連する過去作品

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eigatoneko.com※ 新藤兼人賞を受賞した村上浩康監督の作品

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予告編 次回8月15日(木)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

『ある映画監督の生涯』
 (1975年/日本/監督:新藤兼人

自らの美意識を貫き、狂おしいほどの熱情を傾けた日本映画の巨匠・溝口健二監督の実像を、彼を知る人々の証言で追った新藤兼人監督執念のドキュメンタリー。

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記事関連映画のTV放映予定

8月8日(木)20:00~BS松竹東急

で、当ブログで以前ご紹介した

まあだだよ』(1993年/監督:黒澤明

が放映予定です。

文筆家の内田百閒(ひゃっけん)をモデルに、大学で教えていた先生と教え子たちの交流を描いた黒澤監督最後の作品です。
百閒の随筆『ノラや』をもとにした愛猫の失踪のエピソードが、先生のデリケートな人柄を映し出しています。

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かくも長き不在

戦争中に行方不明になった夫にそっくりなホームレスの男。女は夫だと信じるが、男は記憶を失っていた・・・。

 

  製作:1960年
  製作国:フランス
  日本公開:1964年
  監督:アンリ・コルピ
  出演:アリダ・ヴァリ、ジョルジュ・ウィルソン、ジャック・アルダン、他
  レイティング:一般

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    カフェの近くをうろつく子猫
  名前:不明
  色柄:黒


◆作品の誕生

 一年前、フランスを代表する女性作家マルグリット・デュラスの原作・脚本の『二十四時間の情事ヒロシマ・モナムール)』(1959年/監督:アラン・レネ/以下『二十四時間の情事』と表記)を取り上げましたが、今回の『かくも長き不在』も、フランスであった実話をヒントに、マルグリット・デュラスがジェラール・ジャルロと共同で脚本を書いています(注1)。
 『かくも長き不在』のアンリ・コルピ監督は、『二十四時間の情事』の編集も行っていますが、個人的な心的体験を断片的に散りばめたような『二十四時間の情事』の難解さからは距離を置き、この映画を普遍的な人間ドラマに仕上げています。1961年のカンヌ国際映画祭最高賞パルム・ドールを受賞。
 ただし、マルグリット・デュラスとジェラール・ジャルロは、シナリオのまえがきの中で、アンリ・コルピ監督や、やはりコルピと共に『二十四時間の情事』の編集を行った、共同演出・編集のジャスミーヌ・シャスネーによって、シナリオが加筆されたり、一部が削除されたりしたと、少し不満そうに書いています。シナリオは、映画化で付け加えられた部分はできるだけ尊重しながらも削除したり、反対にシナリオにあって映画では描かれなかった部分を残したりして出版されています(注2)。
 音楽はフランソワ・トリュフォー監督とのコンビで有名な、フランス映画を代表する作曲家ジョルジュ・ドルリュー。ドルリューも『二十四時間の情事』で音楽を担当していて、情景の場面などでこれと類似した前衛的な表現を用いています。対照的に軽快な、タイトルバックとダンスの場面に流れるシャンソン『三つの小さな音符』もドルリューの作曲。歌詞はアンリ・コルピ監督によるものです。

◆あらすじ

 1960年のパリ郊外のピュトー。革命記念日のパレードが行われ、バカンスシーズンに入る頃である。セーヌ川近くの古い教会のそばの庶民的なカフェでは、女主人のテレーズ・ラングロワ(アリダ・ヴァリ)が特別な仲のトラック運転手ピエール(ジャック・アルダン)からバカンスに誘われている。その店の前を通りかかった中年のホームレスの男(ジョルジュ・ウィルソン)にテレーズの眼は釘付けになる。戦争中に行方不明になった夫のアルベールにそっくりなのだ。
 テレーズは従業員の女の子に男を店に連れて来させ、こっそり様子をうかがう。男は自分は記憶喪失だと言い、身分証明書の名前はアルベールではなかった。テレーズが男の後を追うと、男は河畔に小さい小屋を建てて住んでいた。男は、朝、テレーズの店の前を通ってゴミ捨て場で古紙などを拾い集め、午後に小屋に戻ると拾った雑誌などから気に入った写真を切り抜き、箱に収めているのだった。
 テレーズはアルベールの伯母と甥を店に呼び寄せ、男がアルベールかどうか観察してもらう。伯母の見解は否定的だったが、テレーズは耳を貸さなかった。
 テレーズは男を食事に招待する。アルベールが好きだったチーズを出し、男がいつも口ずさんでいるオペラの歌を聴き、ダンスを踊る。そのとき彼の後頭部に大きな傷があることにテレーズは気付く。
 テレーズがホームレスの男をアルベールだと思って接していることは、トラック運転手のピエールや近所の人たちも知っていた。テレーズの店を出た男は、テレーズや近所の人々の「アルベール・ラングロワ!」という背後からの呼びかけに立ちすくむ。そして両手を上げると、逃げるように走り出した・・・。

◆朝の歩道

 テレーズは、セーヌ川岸の小屋に男が住んでいることをつきとめ、そのまま小屋の近くで眠りにつきます。朝、男は目覚めると洗面器で川の水を汲んで顔を洗い、おもむろに小屋の中から一抱えもある木箱を持って出て、箱にかかった麻紐の結び目をほどき始めます。それを見ていたテレーズは、切れば? と言い、男と目を合わせます。男は答えず、少し難儀しながら紐を解きます。
 テレーズと男が顔を合わせ、言葉を交わすのはこのときが初めて。男はテレーズを見ても少しも関心を示しません。木箱の蓋を開け、雑誌から切り取った写真を取り出して眺め、また別の雑誌の写真を首から提げたハサミで切り取り始めます。それは写真のフレームに沿って四角く切り抜くのではなく、人の体なら体、手なら手と、写っているものの輪郭に沿って細かく切り取る作業。それだけにしか関心のない、壊れてしまっている彼の精神。
 男は箱をしまうと、いつものルーティンで、かばんを提げ、テレーズのカフェの前を通ってゴミ捨て場に向かいます。男から少し遅れてテレーズが歩いて行くと、テレーズの店の脇に小さい黒猫がチョロチョロしています。前日テレーズが男を追って出て行ってしまったため、そのまま店で夜を明かした従業員の女の子が朝にした打ち水が、歩道に光っています。店から顔を出した女の子を制止するテレーズ。子猫は男とテレーズが通り過ぎ、反対側から来た自転車に追われるように小走りになったあと、画面から切れます。
 心の動きが止まっているような男、彼の後をついて歩くテレーズの動揺、急におかしな行動をとり始めた主人をいぶかる女の子。黒い子猫が登場するのは41分35秒くらいから42分4秒くらいまでの約30秒間です。無言のロングショットに、三人の鼓動が聞こえてくるかのような張り詰めた空気の中、猫だけがいつも通りの朝を過ごしています。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆歌う男

 『二十四時間の情事』でもテーマとなった、戦争をめぐる愛と記憶の物語です。
 映画は、きしむような男の歌声から始まります。黒い画面は大写しになった男の背中になり、野原を歩く男のロングショットに切り替わります。
 男が歌っている歌はロッシーニのオペラ『セビリアの理髪師』のアリア「夜明けの光」。夜明け前、恋しい女性を誘い出すために女性の部屋の窓の下で歌われるセレナーデです。この歌は、テレーズが男を食事に招待し、二人がジュークボックスを前にオペラの聴衆のようにかしこまってレコードに聴き入る場面で全曲を聴くことができます。
 テレーズは2週間も、毎朝カフェの2階の寝室で、窓の下を通る男の歌声で目を覚ましていました。男が口ずさむこの歌が、テレーズへのセレナーデであるかのように。
 そして男は、同じく『セビリアの理髪師』の中の「陰口はそよ風のように」を歌いながらカフェの前を通って小屋に戻っていきます。カフェの従業員の女の子は、いつも歌いながら店の前を通る男のことを「歌手」と呼んでいます。「陰口はそよ風のように」は、貴族の身分を隠して女性を口説きに町に現れたセレナーデの男の陰口を恋敵が女性の耳に入れ、男を追い払おうとする歌だそうです。ここでもまた『セビリアの理髪師』の歌は、ホームレスの男と重なっています。正体のわからない男が現れ、トラック運転手のピエールの恋の邪魔になる、と・・・。

◆迷い

 テレーズの夫のアルベールは、1944年の6月に逮捕されゲシュタポの手によって強制収容所に送られます。それはナチスに抵抗する英雄的な行為の故で、彼がその後行方不明になってしまったため、戦後、彼に代わってテレーズが勲章を授与されます。
 その話は、カフェにアルベールの伯母と甥を呼び寄せたとき、テレーズがそばにいるホームレスの男に聞こえるように、わざと声高に始めた会話の中で語られます。この男がアルベールなら何かを思い出すかもしれないと、伯母も甥も親類の名前や住んでいた場所などを芝居がかった口調で話します。けれども、男は全く無反応で、テレーズが用意した雑誌を眺めるのみです。
 男の顔、背格好などを見た伯母は、アルベールではない、オペラなどどこで覚えた、とテレーズに話します。けれども、テレーズは伯母の否定的な発言をすべて打ち消します。伯母は、テレーズは恋心ゆえ目が曇っていると言いますが、実のところ、伯母自身もアルベールかそうでないか、確信が持てないのです。そしてテレーズもまた男がアルベールだと言い切ることができません。テレーズはこの男がアルベールだと自分に信じ込ませようとしているようにも見えます。
 伯母が甥と二人きりになったときに言った言葉は、この出来事がはらむ現実的な側面を示しています。
「もしアルベールだったら困ったことね」
確信が持てないのならば、波風を立てずそっとしておいた方がいい、と考えているのです。

◆過去の人

 男が夕食をごちそうになったあと、ダンスを踊っているときにテレーズは男の頭の傷を発見し、甘美な夢が破られたような苦悩の表情を浮かべます。
 戦争中、アルベールがフランスの警察に捕まり、ナチスに引き渡され、強制収容所に送られるという一連の事件の間に拷問によってつけられた傷なのか、記憶を失っている間に何らかの事故や医療的行為によってついた痕なのか、この男がアルベールであるということを裏付ける証拠となるような傷なのか、記憶喪失になった原因はこの傷にあるのか。
 男が狭い部屋を嫌がるところ、警官の姿を見ておびえるところ、近所の人たちに後ろから「アルベール・ラングロワ」と名を呼ばれ手を上げて立ち止まったところなどから、この男はアルベールであり、戦争中の逮捕や強制収容所での拷問によって心を病み、記憶をなくしてしまった、と推定することに矛盾はありません。頭の傷痕がそのどこかに関連したと考えることも。
 けれども、この男がアルベールであると、この映画は明確に言い切ってはいません。
 この男がアルベールだったかどうか。そのことより、男の頭の傷こそが答えを示しています。テレーズは男の傷に手が触れたとき、この男がアルベールであっても、記憶を取り戻す望みはないと悟ったのです。テレーズが味わった絶望。生物学的に同じ人間であっても、今は別の人・・・。
 甘い夢のわずかなかけらを手に、彼女が店を出て行った男の後ろ姿にかけた「アルベール・ラングロワ!」という叫びは、死にゆく者の魂を呼び戻そうとする最後のあがきのようです。
 男はその夜から姿を消してしまいます。

◆存在の証明

 言うまでもなくこの映画は戦争の悲惨さを訴える鋭いメッセージ性を持っています。開始早々、革命記念日の軍の祝賀飛行やパレードが映し出され、戦争とこの物語が関連を持つことが暗示されます。が、我々という存在の不確かさへの不安、アイデンティティとは何か、記憶とは何か、愛とは何か、という戦争以外の問題もこの映画は突き付けてきます。
 自分以外の誰も自分を知らないとき、自分は自分であることをどうやって証明できるのか、自分が自分であるという同一性は過去の記憶の蓄積の中にしかないのか、たとえ科学的に個人が特定できても、この映画のホームレスの男のように記憶が分断されているとき、同じ人と言いうるのだろうか、と。
 そして、テレーズもまた、16年というアルベールの不在の間に変化しています。彼がいないという前提の上に立脚した生活。たとえ、精神が健康なままアルベールがテレーズと再会しても、二人の間に愛は、もとの生活は、復活するのでしょうか。歳月の持つ容赦ない力に打ち勝つ愛は存在するのでしょうか。
 
 このブログで最初に取り上げた映画『第三の男』(1949年/監督:キャロル・リード)の製作から11年、アリダ・ヴァリは、犯罪者に共依存的な愛を捧げ、彼の親友が恋心を覚える女優という、『第三の男』のロマンチックな役柄から、首も太く、がっしりと逞しく、険しい表情が目立つ、生活にどっぷり浸かった中年女性という役柄に変化しています。
 そんな下町のカフェのおかみが、夫らしき男を見かけ、忘れていた愛を燃え上がらせる。男を食事に招待したときの、襟ぐりの開いた柄物のワンピースに表れた彼女の「女」。
 テレーズの空しさを反映したようなバカンスで人気のないピュトーの寂しい風景。情緒に流さないコルピ監督の演出。この映画が提示した問いかけは永遠に色あせることはないでしょう。
 記憶喪失の男を演じたジョルジュ・ウィルソンは、これ以後2010年に亡くなるまで、あまり目立つ役はなかったようです。それもまたこの男を演じた役者の人生として、似合いだったように思えます。

(注1)「マルグリット・デュラスという女性作家」菅野昭正(『かくも長き不在』マルグリット・デュラス、ジェラール・ジャルロ著/阪上脩訳/ちくま文庫筑摩書房/1993年/所収)より
(注2)前掲書「まえがき」より

 

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