第二次大戦時、ナチスドイツに敢然と立ちはだかった英首相チャーチル。イギリスを率い戦いに燃えた男の、最も輝いた時。
製作:2017年
製作国:イギリス
日本公開:2018年
監督:ジョー・ライト
出演:ゲイリー・オールドマン、ロナルド・ピックアップ、スティーヴン・ディレイン、
ベン・メンデルソーン、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆(ほんのチョイ役)
チャーチルの飼い猫
名前:不明
色柄: 茶トラ
◆愛される政治家
今年2025年は第二次世界大戦終結から80年。イギリスでは5月5日にロンドンでナチスドイツに対する戦勝80年記念パレードが行われ、バッキンガム宮殿まで行進したとのことです。
1944年、ヨーロッパ戦線ではヒトラー率いるナチスドイツに対し、劣勢に置かれた連合国軍がノルマンディー上陸作戦を決行、形勢を逆転させるきっかけとなりました。作戦が行われた6月6日はD-デイと呼ばれています。
今回の映画の主人公・イギリスの首相ウィンストン・チャーチルはノルマンデイー上陸作戦に反対していました。この映画で描かれるのはそれより前の1940年、チャーチルが首相に就任し、巧みな演説でイギリスをナチスに対する徹底抗戦へと鼓舞したときのエピソードです。
この映画と同時に、チャーチルを描いたもう1本の映画『チャーチル ノルマンディーの決断』(2017年/監督:ジョナサン・テプリツキー)が公開され、ノルマンディー上陸作戦時には過去の人と見なされつつあったチャーチルが描かれています。
今回は、イギリスで今も人気の高い政治家・チャーチルと、第二次大戦時のイギリスを描いた他の映画も合わせ、当時に思いを馳せてみようと思います。
◆あらすじ
1940年5月、東欧・北欧を占領したヒトラーがベルギー侵攻を目論み、イギリスではヒトラーの動向を見誤ったチェンバレン首相(ロナルド・ピックアップ)の後任選びが白熱化していた。国王ジョージ6世(ベン・メンデルソーン)によって新首相に任命されたのはこれまでに数々の失策を重ねてきた65歳のウィンストン・チャーチル(ゲイリー・オールドマン)。5月13日、就任演説で挙国一致体制を宣言し、徹底抗戦と勝利を訴えるが、閣僚に選任した前首相チェンバレンや外相ハリファックス(スティーヴン・ディレイン)は和平を唱え、彼に反目した。
5月19日、チャーチルはラジオ演説で、どんな犠牲や痛みを伴っても勝たねばならぬ、と国民に呼びかけるが、それは連合国側が劣勢に立たされていることを隠しての演説だった。
5月25日には、30万の英陸軍はフランスの海岸ダンケルクに追い詰められ、全滅を待つばかりとなっていた。チャーチルはハリファックスが勧める和平交渉をはねつけ、フランスのカレーにいた守備隊にドイツ軍を引きつけて、その間に兵士を民間の小型船舶を使って脱出させる作戦を指示する。脱出は辛くも成功するがカレーの守備隊は全滅、イギリス本土へのドイツの侵攻は目前に迫った。強気のチャーチルも和平交渉を視野に入れ、準備を始めさせる。
そんな折、国王ジョージ6世がチャーチルの自宅を訪れる。王は、ヒトラーに対抗できるのはチャーチルだけだと語り、本土決戦を覚悟するなら民衆の意識を探れと言う。地下鉄に乗ったチャーチルは乗客たちに、戦うかヒトラーに頭を下げて和平を望むかを問う。彼らの答えを聞いてチャーチルの迷いは消える。
6月4日、チャーチルは下院で、我々は決して降伏しないと力強く演説する・・・。
◆猫とチャーチル
太った体に薄い髪、トレードマークの葉巻に山高帽、ちょっとお茶目で憎めないおじさんという印象のチャーチル。ヤルタ会談でアメリカのルーズベルト大統領やソ連のスターリン書記長と共に写った写真は、いまもおそらく歴史の教科書に載っているのではないでしょうか。
何を隠そうチャーチルは大の猫好き。
動物はみな好きだったようで、映画の中でも国王と食事中にテーブルの下にいる犬に食べ物を分けてやっている場面があります。飼っている茶トラの猫とは一緒にベッドにいたり、ベッドの下から出てこないのを心配してのぞきこんだりしています。
『エイリアン』(1979年/監督:リドリー・スコット)のときに、船でネズミを捕えたりする船乗り猫の話をしましたが、チャーチルには第二次大戦中、イギリスの戦艦で船乗り猫をなでている写真があります。ウィキペディアによれば、チャーチルが戦艦プリンス・オブ・ウェールズでアメリカにルーズベルト大統領を訪ねたとき、戦艦の猫ブラッキーは下船するチャーチルと別れの挨拶をし、その後チャーチルと改名され、日本軍に沈められたときにも生き残ったとあります(注1)。
また、NHKで放送された『ヨーロッパ黒猫紀行』では、チャーチルとゆかりの猫の彫刻の話が紹介されています。
ロンドンの超高級ホテルサヴォイの2階のゲストルームに飾ってある、黒猫のカスパーという木彫りの彫刻。19世紀にここで13人で会食したグループの一人が3週間後に拳銃で撃たれて死んでしまったことがあり、以後魔除けとしてカスパーを作って13人での会食には客として席に着かせることにしたというのです。常連のチャーチルはこのカスパーが大好きで、会食の後もカスパーを一緒に連れて行きたがったのだとか(注2)。
猫がチャーチルのベッドの足元にいる場面は開始から6分18秒頃。チャーチルが脚つきのトレーでベッドで朝食をとっているところがイギリスらしいですね。ベッドの下から出てこない猫を呼んでいる場面は10分17秒頃です。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆戦いに燃える男
同時期にチャーチルの映画が公開されたとあって、この映画のゲイリー・オールドマンと、『チャーチル ノルマンディーの決断』のブライアン・コックスの、どちらが本物に似ているかということも話題になりました。ゲイリー・オールドマンはアカデミー主演男優賞を受賞。細い顔の彼を丸顔のチャーチルに特殊メイクで変身させたのは、日本人メイクアップアーティストの辻一弘です。彼もアカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイル賞を受賞する運びとなりました。一方、ブライアン・コックスは自前の顔だそうです。
この2作を比べると、『ヒトラーを世界から救った男』の方は、チャーチルの戦時の英雄的リーダー像を浮き彫りにしているのに対し、『ノルマンディーの決断』は人間的な弱さと苦悩にあえぐ姿を描き出しています。
首相となってからついた若い女性秘書を怒鳴り散らし、国王もビクビクする頑固親父ぶりが強調されるのは本作。一方、チャーチルは気分の浮き沈みが激しく、酒を手放さなかったと言われていますが、そんなチャーチルを子どものようになだめ、時には厳しく賢夫人のクレメンティーンが支える姿は『ノルマンディーの決断』の方により具体的に描かれています。
貴族の生まれで子どもの頃から愛国心が強く、政界に進出して第一次大戦前には海軍大臣に就任、イギリスの参戦を強力に主張し、また戦車を生み出すなど、好戦的で引かない性格。ガリポリの戦いを指揮して多くの犠牲者を出し失脚したのち、自ら西部戦線に身を投じ、水を得た魚のように生き生きしたそうです。挫折すると引きこもり、よく絵を描いていたということ。彼の描いた絵をアンジェリーナ・ジョリーが2021年のオークションに出品、12億円で落札されたのだとか(注3)。
◆言葉の力
映画の中では、1940年5月の首相就任後、3回にわたってチャーチルの演説が出てきます。
最初は5月13日の議会での就任演説、2回目は国民に向けての5月19日のラジオ演説、そして6月4日の下院での演説です。いずれも精神論と言っていい内容ですが、人々が不安と動揺にさいなまれるとき、リーダーの力強い言葉は勇気を奮い立たせ、意識を合わせるためのよりどころとなるもの。一方で、同じく演説の名手ヒトラーが国民を熱狂の渦に巻き込んだように、危険な面も併せ持ちます。
アメリカのジョン・F・ケネディとニクソンの大統領選に当たってのテレビ討論では、話の内容より二人の候補者の見た目の印象が勝敗を左右したと言われています。ナチスはたいまつや鉤十字の旗、行進といった視覚効果を用い、まるで古代の宗教儀式のような眩惑的な陶酔に国民を陥れました。チャーチルは視覚に邪魔されないラジオによって人々の心に語りかけます。
ロシアによるウクライナ侵攻により、ゼレンスキー大統領が引用したチャーチルの感動的な6月の下院演説の一部を映画から抜粋しましょう。
「我々はいかなる犠牲を払っても祖国を守り抜く。我々は海岸で戦う。敵の上陸地点で戦う。野原で 街中で戦う。丘で戦う。
断じて降伏はしない!」
◆主役交代
この演説の前、ダンケルクで、イギリスは奇跡的に包囲された兵士たちのほとんどを救出することができました。漁船や遊覧船などあらゆる小型の民間船が協力し、ピストン輸送で兵士たちを沖まで運んだそうですが、なぜかドイツ軍は本格的な攻撃を仕掛けなかったそうです。ドイツ軍の失策とも言える行動はD-デイの際にも見られ、ノルマンディー上陸をみすみす許してしまったと言われています。
ヒトラーはイギリスとは良い関係でいたかったようで和平交渉を打診しますが、この映画にも見られるように、イギリスは大英帝国のプライドをどこの馬の骨ともわからぬヒトラーごときに汚されるのは我慢ならなかったのでしょう。
『チャーチル ノルマンディーの決断』では、アメリカからのちに大統領となるアイゼンハワー将軍がやって来て最新式の周到な上陸作戦を準備し、チャーチルの意見は聞き入れられません。兵士を勇気づけようと戦場に出向くと言い出したチャーチルは迷惑老人といった扱いです。第一次大戦のガリポリの戦いで海岸からの上陸に失敗、何万もの兵士を死なせてしまったチャーチルは、ノルマンディー上陸作戦に悪夢の再現を予感し反対を唱えますが、苦渋の末に承諾します。
ロンドンが空襲を受けると市中に出向いて市民を励まし、戦争中は絶大な支持を得たチャーチルは、戦後すぐの選挙で惨敗、戦時の指導者は役目を終えます。
◆あの頃名画
かつて戦争映画と言えば、シネマスコープの大画面を生かしオールスターで巨額の製作費をかけた大作が花盛りでした。ノルマンディー上陸作戦を描いた『史上最大の作戦』(1962年/監督:ケン・アナキン、アンドリュー・マルトン、ベルンハルト・ヴィッキ)や日本軍の捕虜による鉄橋建設をめぐる『戦場にかける橋』(1957年/監督:デヴィッド・リーン)など、戦勝国の立場から兵士たちを讃える勇ましい集団劇が多かったのですが、近年は兵士や市民個人などに焦点を当てたヒューマンドラマやナチスものが多くなりました。ダンケルクの救出劇は『ダンケルク』(1964年/監督:アンリ・ヴェルヌイユ、2017年/監督:クリストファー・ノーラン)など、何度か映画化されています。
『英国王のスピーチ』(2010年/監督:トム・フーパー)では、吃音のジョージ6世がナチスドイツとの開戦に当たり、言語聴覚士の指導のもと国民に演説をするシーンがクライマックスとなっています。ティモシー・スポールが怖い顔のチャーチルを演じています。
『ミニヴァー夫人』(1941年/監督:ウィリアム・ワイラー)は、銃後のイギリス市民を描いた戦意高揚映画。そこにはチャーチルの演説の精神がそっくり反映されています(アメリカ映画なのですが)。猫が出てくるのでいずれ取り上げましょう。
ちなみにチャーチルは、映画ではローレンス・オリヴィエとヴィヴィアン・リーが主演した不倫の恋の物語『美女ありき』(1940年/監督:アレクサンダー・コルダ)がお気に入りだったのだとか。
(注1)Wikipedia「船乗り猫」より
(注2)NHK「ヨーロッパ黒猫紀行」(2021年6月23日放送)より
(注3)NHK「映像の世紀バタフライエフェクト『チャーチルVSヒトラー』」(2025年4月10日放送)より
※ チャーチルについての記述はこれらのほかWikipedia「ウィンストン・チャーチル」を参考にしました。
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