この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

ノーカントリー

偶然大金の入った鞄を拾った男を異常な殺し屋が追う。
強烈な個性の悪役を観客の目に焼き付けた衝撃のサスペンス。

 

  製作:2007年
  製作国:アメリ
  日本公開:2008年
  監督:コーエン兄弟ジョエル・コーエンイーサン・コーエン
  出演:トミー・リー・ジョーンズハビエル・バルデムジョシュ・ブローリン
     ウディ・ハレルソンケリー・マクドナルド、他

  レイティング:R-15(15歳以上の方がご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    ①ホテルの猫 ②元保安官の家の猫7、8匹
  名前:不明
  色柄:①茶トラ ②茶トラ、キジトラなど


◆おかっぱの怖い奴

 ホラーより怖いおじさんが出てくる映画の第2弾は、アカデミー作品賞、監督賞ほかカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)など多数の賞を受賞したコーエン兄弟監督の『ノーカントリー』。特筆すべきはハビエル・バルデムの演じる殺し屋アントン・シガーの、得体のしれない不気味さ・怖さ。ハビエル・バルデムもまたこの役でアカデミー助演男優賞など数々の賞に輝きました。
 怖さの中心は人間らしさの欠けた彼のキャラクターなのですが、独特の髪型もまた怖い。ギリギリノーマルと思えなくもないけれど、やっぱり普通ではないシガーの人格を視覚化したような、内巻きのおかっぱヘア(予告編のイラスト参照)。この髪型も映画のヒットに多大な貢献をしたはずです。
 まだ見たことのない人は以下のあらすじを読んでも普通の殺し屋映画とどう違うのかよくわからないかと思いますので、ぜひその目でハビエル・バルデムの怪演を見てください。おそらくこれも前回の怖いおじさん映画『狩人の夜』(1955年/監督:チャールズ・ロートン)と同じく、一生忘れられない映画になるでしょう。
 なお、流血や暴力的な殺人の場面がかなり出てきますので、どうぞご注意ください。15歳未満は不可の映画です。

◆あらすじ

 1980年のアメリカ、テキサス州ベトナム帰還兵のルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)は、猟銃で動物を追っているうちに数台の車とその周辺で死んでいる人や犬を発見する。麻薬の取引がらみで何かあったらしく、木陰で死んでいる男のそばにはぎっしりと札束の詰まった鞄があった。ルウェリンは鞄を持ち帰り、夜、現場で虫の息で水を求めていた男に車で水を持って行ってやる。そこにやって来た1台の車に発砲されたルウェリンは、身一つで家に逃げ帰り、妻(ケリー・マクドナルド)を実家へ向かわせ、自分は拾った鞄を持ってモーテルに行く。
 麻薬の売人たちは、大柄でおかっぱ頭の不気味な殺し屋アントン・シガー(ハビエル・バルデム)を現場に連れて行き、ルウェリンが乗り捨てた車を見せて鞄を取り戻すように言う。シガーは彼らを射殺してルウェリンの追跡を始める。
 保安官エドトミー・リー・ジョーンズ)は現場に放置されたルウェリンの車から彼と妻に危険が迫っていると察し、先に保安官補を殺害する事件を起こしていたシガーの関与を疑い腰を上げる。シガーは酸素ボンベを使った特異な武器で、家の錠や人の額を撃ち抜くという手口を用いていた。
 鞄の中の札束には発信機が仕掛けられていた。その信号をもとにシガーはルウェリンの寄ったモーテルやホテルを執拗に追い、ついに対面し撃ち合いになった二人は共に重傷を負う。ルウェリンはメキシコ国境で鞄を河原に放り投げ、メキシコの病院に入院する。一方、自分で傷を治療したシガーはルウェリンの妻に標的を移す。
 麻薬売買の親玉はシガーを雇ったのに金も麻薬も行方不明だと不服を覚え、別の殺し屋カーソン(ウディ・ハレルソン)を雇う。カーソンはルウェリンの病院に来て、金を渡せば守ってやると持ち掛けるが、カーソンの泊まるホテルにシガーが現れ、彼もシガーに殺されてしまう。カーソンの部屋にルウェリンが電話すると、出たのはシガーだった。シガーは金を返せば女房は見逃すが、さもないと二人に責任を取らせると言う。
 保安官エドの警戒も甲斐なく、病院を抜け出して鞄を取り戻したルウェリンはメキシコ人に鞄を奪われて殺され、妻はルウェリンが金を返せなかったため、シガーの言った通り殺害されてしまう。シガーは何事もなかったかのように車を走らせる・・・。

◆猫が住む場所で

 プロの殺し屋と言うより、異常な殺人鬼と呼んだ方がいいアントン・シガー。最初から最後まで彼の妖気が満ちているこの映画では2箇所に猫が出てきます。
 最初は、ルウェリンがチェックインしたホテル。少しレトロな内装のフロントの前で、茶トラの猫が赤いカップからミルクを飲んでいます。ちらりとそれを見たルウェリンは受付の男に、イヤな奴に追われているので誰か来たら教えてくれと金を渡します。部屋で鞄をさぐったルウェリンは発信機を発見。やがてドアの下のすき間に人影が見えます。ドアの錠を撃ち抜かれ、ルウェリンが窓から鞄を外に放り投げてフロントに行くと、さっきの猫が倒れたカップからこぼれたミルクをなめています。受付の男はルウェリンに知らせる間もなくシガーに殺されてしまったのです。殺人には無関心にミルクをなめる猫。かわいらしさより戦慄を覚える場面です。
 次に猫が出てくるのはトミー・リー・ジョーンズ演じる保安官のエドが一人暮らしの元保安官エリスを訪ねる場面。荒野の中にぽつんと立つ家にエドが入ると、4匹ほどの猫が中にいます。エリスの「奥にいるぞ」という声で進むと、またそこに3、4匹の猫が。何匹いるのかと聞くと、エリスはほんの数匹だと言い、何匹かは半ノラで、何匹かは野生だ、と答えます。あっちに行ったりこっちに行ったりしているので正確な数はわかりませんが、7、8匹と見える猫たち。一人暮らしの高齢者によくあるように、最初は1、2匹にエサをやったりしていたところにほかの猫が集まって、こんな数になってしまったのだと思います。
 車椅子のエリスは性格も猫型で、一人で気ままに暮らすのが好きなのでしょう。とは言ってもこんな野中の一軒家、猫の世話も大変でしょうし、誰か定期的に見守りの人は来ているのかしら。
 ホテルの猫が出てくるのは開始から55分を過ぎた頃、エリスの猫が出てくるのは81分頃です。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆居場所をなくした男

 『ノーカントリー』の原題は『No Country For Old Men』。ストーリーはシガーとルウェリンの大金の入った鞄を巡る追跡劇と、それと並行して老いた保安官のエドの心境を浮き彫りにしつつ進みます。エドはラストで保安官を辞職し、妻と隠居生活に入るのですが、そのエドが関わったこの事件や保安官人生を回顧するかのような語り口で映画は始まります。
 エドの父も祖父もかつては保安官。エドは父親が現役の間に保安官補になったということですから、その職務に憧れと尊敬の念を抱いていたのでしょう。
 そんなエドの辞職は最近の犯罪が理解できなくなったから。犯罪や社会が自分の経験を超えて変質してしまっている、その象徴がシガーのような殺人者であり、自分の積み重ねが役に立たないという無力感に襲われた様子です。老境に差し掛かり、そこそこの達成感を胸に勇退し、余生を過ごす自分を思い描いていたエド。反対に自覚したのは、変化に力及ばず居場所をなくした古い男となったおのれです。父やエリスらも逮捕した相手からの報復で死んだり傷ついたりしています。エドは理解できない相手のために命を賭すのは割に合わないという心境に陥っています。
 保安官やFBIなどが果敢に悪に立ち向かい、BGMが盛り上げ、正義が勝利し英雄を讃えて終わる、という典型的なハリウッド映画の流れには立たず、変質的な確信犯、悪に手をこまぬく保安官、BGMはなく、悪も最後にはどうなったのかわからない、という反ハリウッド的な空気がこの映画を占めています。

◆これがシガーだ

 200万ドルの入った鞄を取り戻すミッションを背負ったシガーお手製の武器は、肺気腫の患者がチューブで鼻から酸素を吸入するために使う携帯用の酸素ボンベらしきものから空気を圧縮して送り出し、ドアの錠や人の頭を一発で撃ち抜いたりできる恐ろしいもの。銃のように音を立てず、弾も残りません。
 普通に呼吸用に使うだけでもボンベは割と早く空に近づくので新しいのと取り換えなければならないのですが、映画のように派手に使っていればすぐ空になってしまうはず。それにしては一度もシガーが残りの空気を気にしている様子がないので、よほど圧縮性能が優れているのでしょう。
 そんな心配はともかく、シガーは常に冷静。冷静というより人間らしさが欠けていて感情が動かないのです。
 シガーが寄ったガソリンスタンドの店主は、天気に関するちょっとした世間話にからんできたシガーに危険を覚えます。「もう店を閉める」と言うと「あとでまた来る」と言われ、店主の恐怖はマックス。さすがのシガーも相手を殺すのに多少の躊躇があるときは、コイントスで相手にその運命を選ばせます。何を賭けるか教えてもらえないまま店主が勝つと、「幸運のコインだ」と何もせずに立ち去ります。負けていたら圧縮空気でバシュンとやられていたのでしょう。
 ルウェリンとの撃ち合いで太ももに重傷を負ったときもシガーは冷静。駐車中の車を爆発させて人の注意がそちらに向いている間に薬局に侵入し、治療に必要な薬剤などを盗んで自分で直してしまいます。薬品や治療法の知識もあり、てきぱきと処置。彼はいったい何者?

◆影の関係

 一方、大金に目がくらんで鞄を持ち逃げしたり、水を求めていた男に水を持って行ってやったりというルウェリンの人間臭さが、彼を窮地に陥れます。ルウェリンもまた、シガーが追ってくるとパイプなどの材料を買い集めて手製の銃を作ります。
 不思議なことにルウェリンとシガーは、鏡合わせのように行動したり、どこか共通することをしたりするのです。
 シガーとの撃ち合いで負傷したルウェリンがメキシコ国境に逃げると、反対側から3人の若者がやってきます。検問所で不審がられないよう、出血を隠すためルウェリンは一人の若者の上着をもらい、札を渡します。
 シガーは、ルウェリンの妻を殺して車で去るとき、自転車に乗る2人の少年をバックミラーで見た次の瞬間、横合いから来た車と衝突して腕を骨折してしまいます。少年たちが駆け付けると、シガーは腕を吊るために少年の一人からシャツをもらい、やはり血の付いた札を渡します。
 ベトナム帰還兵で、溶接工をしていたルウェリンに対し、シガーが以前何をしていたのかは映画の中では何も語られていません。
 ルウェリンとシガーは影の関係にあり、お互い宿命的に呼応しあったのではないでしょうか。シガーもまたベトナム帰還兵で、あの治療技術は戦場で身につけたものではないのかとも思えます。自分で武器を作るという二人の発想も、普通の人間にはない経験を思わせます。
 帰還後、豊かではないにしても家庭を持ったルウェリン。対するシガーは最終的にルウェリンの家庭を破壊。
 敵対する相手を殲滅する殺人マシンのようなシガーを生んだのは、命令によって感情を殺し任務を遂行する戦争体験ではないか。エドが理解できない犯罪はその頃を境に増加して来たのではないか・・・。わたしはそんな風に見てしまいました。
 一気に見せる映画ですが、肝心のルウェリンの死の前後、誰に殺されたのか、鞄はどうなったのかがわかりにくく不親切。これも、わかりやすさが身上のハリウッド式演出に反しようという試みでしょうか。

 得体のしれない相手に追い詰められる恐怖、映画史指折りの悪役としてくっきりとその足跡を印したアントン・シガーとハビエル・バルデム。1969年生まれのハビエル・バルデムはこんな悪役を演じる反面、出身国のスペインを中心に文芸作品・ヒューマンドラマでの内面的な演技が高く評価され、私は未見ですが、2010年のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の『BIUTIFUL ビューティフル』では、スペインのゴヤ賞主演男優賞やカンヌ国際映画祭男優賞他を受賞しています。監督のコーエン兄弟ともども今後の活躍に注目していきたいです。

 

◆関連する過去記事

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記事関連映画のTV放映予定

8月27日(水)13:00~NHK BS

で、当ブログで以前ご紹介した

『めし』(1951年/監督:成瀬巳喜男

が、放映予定です。

 

 3月19日にも放映されましたが、8月20日の成瀬監督生誕120年に合わせての再放映でしょう。
 妻と夫のすれ違いをまだ豊かではなかった戦後を背景に描いた名作です。
「ユリ」という名前の子猫がとてもかわいい。

 前回の放映予定をお知らせしたときに令和の米騒動について触れましたが、そろそろ新米が出始める時期となりました。備蓄米は予定通りの8月末日までには売り切れない見通しとなり、販売期間延長。一方、銘柄米の値段は再び上昇傾向にあり、米騒動は一向に落ち着く気配を見せません。
 先日テレビのインタビューで、備蓄米を買うのは3回目ですと答えている方がいらっしゃいましたが、私は備蓄米らしき値段のお米が売られているのを見かけたことがありません。お米を扱う店に行ったときはだいたいいつも眺めているのですが・・・。
 ネットでは予約販売も受け付けているようですが、いつものお店に行けば手に入るという供給態勢がなければ大臣が何を言ってもないのと同じだと、夢か幻を見たような気持ちになっています。

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予告編 次回8月28日(木)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

ノーカントリー』(2007年/アメリカ/
             
監督:コーエン兄弟

犯罪がらみの大金を拾った男を追う不気味な殺し屋シガー。シガーは金の奪還以上にその男に執着する・・・。
特異なキャラクター・シガーを生み出し多数の賞に輝いた戦慄のサスペンス。

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狩人の夜

亡き父から託された大金を守る子どもたちをニセ伝道師が追い詰める。35年の眠りの後に日本公開された恐怖のおとぎ話。

 

  製作:1955年
  製作国:アメリ
  日本公開:1990年
  監督:チャールズ・ロートン
  出演:ロバート・ミッチャムシェリー・ウィンタースリリアン・ギッシュ
     ビリー・チャピン、ピーター・グレイヴス、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    みなしごたちが暮らす家の猫
  名前:不明
  色柄:茶トラ(モノクロのため推定)


◆怖いおじさん

 毎年夏にはホラー映画を取り上げてまいりましたが、この8月はある意味ホラーよりもっと謎めいた、怖いおじさんが出てくる映画を2本ご紹介します。
 1本目の今回は『狩人の夜』。
 1955年のアメリカでの公開当時は興行的にも批評的にも芳しくなかったそうなのですが、その後じわじわと注目が集まり出し、未公開だった日本では1990年と実に35年後に初公開されるはこびになったのだそうです。
 ちょっと眠そうな顔のロバート・ミッチャムが演じる主人公のハリー・パウエルは、キリスト教の伝道師を自称しながら殺人を重ねるシリアルキラー。デイヴィス・グラッブの原作小説は発売後すぐにアメリカ全土でベストセラーになったそうですが、それにもかかわらず映画が振るわなかったとなると、初めて監督に挑戦したイギリスの名優チャールズ・ロートンの内心はいかばかりだったか。二度と監督の椅子に座らなかったということから、その落胆ぶりがわかろうというものです。
 けれどもフィルム・ノワールとしての陰鬱でコントラストの強い映像、残酷で風刺的なおとぎ話のような趣、それに何より主人公の強烈な個性が、じわじわと見た者を侵食し、静かな熱狂の熾火(おきび)となったのではないでしょうか。
 一度見ると忘れられないトラウマ映画。原題は原作小説そのまま『The Night of the Hunter』です。

◆あらすじ

 大恐慌直後のアメリカ。オハイオ川沿いの町クリーサップ。銀行強盗を働き二人を殺したベン・ハーパー(ピーター・グレイヴス)が自宅へ逃げ帰る。ベンは息子のジョン(ビリー・チャピン)とその妹の幼いパールに奪った1万ドルを託し、誰にも隠し場所を言うなと誓わせる。すぐに捕まったベンは、刑務所に入れられ死刑が確定する。
 同じ房に、窃盗で捕まったニセ伝道師のハリー・パウエル(ロバート・ミッチャム)がいた。子どもについてのベンの寝言を、盗んだ金の隠し場所のヒントだとにらんだハリーは、ベンの死刑執行後、出所してベンの家に向かう。
 ベンの妻のウィラ(シェリー・ウィンタース)に、ハリーはベンのいた刑務所の牧師だったと偽って近づく。ウィラと末っ子のパールや町の人々はすぐにハリーと親しくなったが、兄のジョンは警戒心をあらわにした。実はハリーは未亡人に接近し、金を奪って殺すという犯罪を20人以上に対して重ねていた。
 ハリーはウィラと結婚したが、初夜にも指一本触れず、女性の肉体を嫌悪する。ウィラは彼に洗脳されていく。
 ウィラが仕事で遅くなった夜、ハリーはジョンとパールに金のありかを問いただす。口を割らない兄妹に怒りを覚えたハリーは帰宅したウィラを責めてナイフで殺し、子どもたちが寝ている間に車ごと川に沈めてしまう。ハリーはウィラが車で出て行ってしまったと周囲に嘘をつく。
 三人だけになった家でハリーは兄妹をナイフで追い詰める。やむを得ず金はパールがいつも抱いている人形に隠してあると言ったとき、人形を奪おうとしたハリーをジョンが地下室に閉じ込めて、パールと一緒に小舟で川に逃げる。追ってきたハリーは舟を取り逃がすが、農夫を殺して奪った馬で川沿いに二人を追い続ける。
 ジョンとパールは、とある岸辺でクーパー(リリアン・ギッシュ)という初老の女性に拾われる。クーパーはみなしごたちを引き取って自宅で養っている勝ち気な未亡人だった。
 その家に、ハリーがジョンたちの父だと訪ねてくる。クーパーはハリーの怪しさを見抜き、ショットガンを突き付けて追い払う。夜、クーパーと子どもたちが警戒して立てこもる家にハリーが再びやって来る・・・。

◆猫は何を?

 いままで取り上げた作品の中でも、これはトップクラスの瞬猫映画
 終盤近く、クーパーの家にハリーが忍び寄ると、クーパーは子どもたちに階段に隠れなさい、と指示します。その子どもたちと入れ替わるように2階からまだ若い茶トラ猫が階段を駈け下りてきます。スマホのストップウォッチで計測すると0.88秒。猫が出るのはここだけですからまばたき厳禁ですよ。
 この猫の登場のあと、以下のようにわかりにくい部分が続きます。
 階段を上がる子どもたちの足が猫とすれ違う映像にハリーの「子どもをよこせ」というセリフが重なります。
 映像は「なぜ?」とショットガンを構えるクーパーのアップに切り替わり、すぐに食堂のテーブルや飾り棚を映した引きの映像に変わって、「あんたには関係ない」と言うハリーと「3つ数える間に出て行きなさい」と言うクーパーの声が飛び交います。
 直後、突然フギャーッという猫の怒り狂った声が聞こえ、画面手前に恐怖にこわばった顔のハリーの上半身がびっくり箱の人形のように下から飛び出します。
 すぐさまショットガンを発砲し、当たったのかしらという顔をするクーパー。するとおびえた獣のようなハリーの奇妙な悲鳴が聞こえ、脱兎のごとく向かいの納屋に逃げ込む彼の後ろ姿が映ります。
 このときの猫の叫びとハリーが顔を出すことの間にどんな関係があるのかがよくわからないのです。
 部屋に忍び込んでテーブルの脚のあたりに身を低くしていたハリーが、闇で目が利かなかったところに猫が来て知らずに踏んづけ、怒った猫に驚いて思わず顔を上げたのか?
 極度の猫嫌いだったハリーが猫に出くわし、恐怖ですくんでしまって顔を上げたのか?
 私としては、ハリー猫嫌い説を取りたいと思っています。

 猫嫌いの人の中には、蛇蝎(だかつ/ヘビとサソリのこと)の如く猫を怖がる人がいます。思い出していただきたいのはこのブログで紹介した『黒猫』(1934年/監督:エドガー・G・ウルマー)でベラ・ルゴシが演じたヴィトス。彼は極端な猫恐怖症のため、友人が飼っている黒猫が現れたとき体を硬直させ、反射的にナイフを投げて殺してしまいます。
 私の解釈はこうです。
 ハリーも極度の猫嫌いという設定。そこで猫とハリーがバッタリ出会い、ハリーが猫を見ただけで金縛りにあってしまうという映像を撮ろうとした。けれども猫の方がどうしてもその場に合った芝居をしてくれない。そこで映像はあきらめ怒った猫の音声を使用し、猫と何かあったと想像させることにした。クーパーに発砲されたあとハリーが異様な悲鳴をあげて逃げるのは、猫に対する恐怖で頭が真っ白になったところに発砲され、完全にパニックになったから・・・。
 原作を読めば、このときの猫とハリーの状況はきちんと説明されているのかもしれません。けれどもここでは、監督が四苦八苦して工夫した部分から何を表現しようとしていたのかを想像する方が楽しいと思えます。100人の観客が見れば100通りの解釈が生まれるかもしれません。そして猫とロバート・ミッチャムのNG映像を想像するのもまた一興。画面にはわずか0.88秒しか映らなかった猫がこれだけ波紋を呼ぶというのも面白いではありませんか。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆HATE

 映画の始まり、星空をバックに聖書に基づくクーパーの説教を聞く子供たちの顔。そしてクーパーが「羊の皮をまとった偽預言者に気を付けよ。中身は貪欲な狼である」と説くと、ヘリコプターによる空中撮影で、かくれんぼをしている別の子どもたちが映ります。そのとき隠れようとした一人が死んでいる女性を発見します。
 再びクーパーの説教が聞こえると、川沿いを走る自動車を空中撮影が追い、お金を貯めた未亡人を次々手にかけたことについて、運転しながら神と対話する牧師姿のハリーが映ります。彼はその殺人を神の命令と言っています。
 ハリーは殺人そのものを快楽として楽しむのではなく、また女性に性的暴行をしたりはしません。彼は女性が男性を意識して身を飾ったり媚びを売ったりすることが許せないのです。その彼はわざわざストリップ劇場に行って、舞台で妖しく踊る女性を見ながら、指一本一本にHATE(憎悪)と入れ墨した左手の拳を力いっぱい握りしめ、飛び出しナイフの刃を突き出します。彼は知恵の木の実を食べるようアダムをそそのかしたイヴを憎むが如く、女性の男性に対する誘惑的なふるまいを憎悪し、神の名のもとに懲罰として殺害する恐ろしい殺人鬼であることが明かされます。

◆愚かな存在

 普通ならこうした設定ではハリーは100%悪で、彼と出会う女性や子どもは完全な被害者として描かれるはずです。けれども、この映画で女性は全く悪くないとされているかというとそうとも言えず、女性を愚かな者とするハリー的視点を内包しているように思えます。
 初夜のベッドでウィラは、ハリーに子を産むため以外の快楽を求める行為は神に禁じられていると言われ、もう子どもがほしくないならと拒まれ、ハリーに洗脳されるまま自分を罪深い女だと伝道集会で演説したりするようになってしまいます。ハリーを愛してしまったウィラにはハリーの正体を見抜くことができません。殺害され川に沈められた映像は実にショッキングです。
 クーパーの養っている子どもたちの中でお年頃のルビーは町でハリーと出会い、きれいだとおだてられてポーっとなって、ジョンたち兄妹がクーパーの家にいることを明かしたり、ハリーが逮捕されてもなお彼に対するのぼせた気持ちを捨てようとしません。
 ハリーにだまされない女性がクーパー。彼女は聖書を精読し神の言葉から学び、衝動や感情に流されない合理的な精神をもっています。男性としてハリーを見ようとすることなく人間としての本質を見抜く目が、自分と子どもたちを守ります。
 ハリーは愚かで欲深な存在である女性を殺します。けれどもその反対のクーパーと無垢の象徴である子どもを殺すことはできません。その物語の構図は、殺されるのはその者が悪いからだ、というハリーの考え方をなぞっているようにも思えます。それがこの映画を二重に怖いものにしています。

◆愛と憎しみ

 ウィラが川の中で物言わぬ姿となったのと並び、おそれを伴う神秘的な美しさを感じさせるのは、幼いジョンとパールの川下りの光景です。疲れて眠る子どもたちを運ぶ舟が行く沿岸に、ヒキガエル、ミミズク、ウサギやキツネといった動物たちが現れます。そこに子守歌が重なり、マザーグースの絵本のような幻想的な映像が静かに繰り広げられます。その彼方に月をバックに馬に乗ったハリーのシルエットが浮かぶ恐怖・・・。
 ハリーは逮捕されます。そのとき見せた兄のジョンの反応は意外なものです。ジョンを真に苦しめていたものは、ハリーではなかったのではないかと思わせる示唆に富んだ展開。

 監督のイギリス出身のチャールズ・ロートンは1962年に亡くなっているので、知らない方も多いかもしれませんね。俳優として1930年代からハリウッドで活躍し、演劇の本場イギリスでは舞台俳優として活動していたそうです。ちょっと鈍重そうに見える唇の突き出た個性的な顔で、『運命の饗宴』(1942年/監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ)の指揮者や『情婦』(1957年/監督:ビリー・ワイルダー)の弁護士、『スパルタカス』(1960年/監督:スタンリー・キューブリック)のグラッカスなどの味わいある演技に「イギリス俳優」を感じることができるでしょう。

 アメリカではテレビ(それ以前はラジオ)を使ってキリスト教を伝道する伝道師がいて、今も熱狂的な支持者を集めているそうです。裏で政治に影響を与えているのもこれらキリスト教福音派の人たちだというのは昨今の大統領選でよく言われるようになりましたね。
 言い忘れましたが、ハリーの右手の指にはLOVEの入れ墨があり、これと左手のHATEが取っ組み合いをしてLOVEが勝つというパフォーマンスでハリーは伝道師として人気を集めていました。それを見て「何それ」という顔をしたのはクーパーさん。神よ、羊の皮をかぶって舌なめずりしている狼を見抜く彼女の如き賢さを、どうぞお授けくださいませ。


◆関連する過去作品

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