この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

オレゴン魂

飲んだくれのすご腕老保安官ルースター・コグバーンが再登場。今回もうるさい女性がついてきた!
ジョン・ウェインキャサリン・ヘップバーンのシルバーカップルによる『勇気ある追跡』の続編。

 

  製作:1975年
  製作国:アメリ
  日本公開:1976年
  監督:スチュアート・ミラー
  出演:ジョン・ウェインキャサリン・ヘップバーン、アンソニー・ザーブ、
     リチャード・ジョーダン、ストロー
ザー・マーティン、他
  レイティング:一般

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    中国人リーの飼い猫
  名前:プライス将軍
  色柄:茶トラ


◆変わらない男

 今年2025年の1月にご紹介した『勇気ある追跡』(1969年/監督:ヘンリー・ハサウェイ)の主人公、ジョン・ウェインが演じるルースター・コグバーンに再びスポットライトを当てた続編です。原題はまさに『Rooster Cogburn』。前作の主人公のキャラクターや背景をわかっているものとして作られた仕立てですので、『勇気ある追跡』を見ていないと少々置いてきぼり感があるかもしれません。
 簡単に『勇気ある追跡』をおさらいすると、ならず者に父を殺されたマティという少女が、父の仇を討つために飲んだくれで荒っぽい老保安官ルースター・コグバーンを雇い、共に仇を探して旅をする映画です。詳しくは記事末尾のリンクから過去記事にアクセスしていただければと思います。
 11歳くらいのマティは大人顔負けの頭の切れで、こまっしゃくれた口をききます。巨漢の老保安官が女の子にやり込められたり心を通わせたりするところが『勇気ある追跡』の味なのですが、この『オレゴン魂』では、それがキャサリン・ヘップバーン演じるコグバーンと同年代の口やかましい年配女性・ユーラに変わります。
 アメリカを代表する俳優、ジョン・ウェインキャサリン・ヘップバーンは同年齢。1907年5月26日生まれのジョン・ウェインに対し、キャサリン・ヘップバーンは同じ年の5月12日生まれ。二人とも長いキャリアでこれが初共演だとか。
 キャサリン・ヘップバーンについても今年2025年7月に代表作『旅情』(1955年/監督:デヴィッド・リーン)を紹介し、堅物の主人公ジェーンのキャラクターを浮き彫りにしましたが、この『オレゴン魂』のユーラという役も、牧師の娘らしくキリスト教の道徳に基づく清く正しい生き方をコグバーンに求めます。
 豪快な男くささのジョン・ウェインと、知的な演技派としてこのときまでに3回アカデミー主演女優賞を受賞していたキャサリン・ヘップバーンという二人が、60代後半にしてぶつかり合った本作には、男がリードし、女は従うという旧来の性別意識の変化をも見ることができるでしょう。

◆あらすじ

 1880年代中期のアメリカ、アーカンソー州西部で騎兵隊が運ぶニトログリセリンの荷馬車が、案内役のブリード(アンソニー・ザーブ)という男の手引きによって無法者のホーク(リチャード・ジョーダン)一味に強奪される事件が起きる。
 時代遅れの荒っぽさをとがめられ保安官バッジを取り上げられていた老ルースター・コグバーン(ジョン・ウェイン)は、ホークを捕えろと特別に認められ、バッジを胸に返り咲く。
 ホーク一味はフォートルビーの教会の広場で狼藉を働き、コグバーンが駆け付けたときには牧師や何人もの先住民たちが射殺されていた。後を追うコグバーンは、牧師の娘でコグバーンと同年代のユーラ(キャサリン・ヘップバーン)を途中の交易所に避難させるが、ユーラはここでライフルや銃弾を買い、先住民の若者ウルフ(リチャード・ロマンシート)を連れてついて来る。コグバーンは邪魔だと言うが、ユーラは聖書にもとづき酒飲みで俺さま流のコグバーンに説教、意に介さない。
 ならず者たちは途中の山道でニトロを積んだ荷車が壊れたため、一部が修理のためとどまり、ホークとブリードらが先にニトロの買い手の様子を見に行く。残った方の一味を見つけてコグバーンはユーラとウルフに手伝わせ、応援の保安隊が包囲したと芝居を打って撃ち合いの末ニトロの奪還に成功する。その最中にユーラはコグバーンを銃で狙った男を仕留め、コグバーンに一目置かれるようになる。
 コグバーンはユーラを守りつつウルフと3人で野宿する。ホークは生き残りの一味と合流し、眠っていた3人を襲ってニトロを奪い返そうとする。コグバーンは荷馬車に積んであったガトリング銃をユーラに撃たせて一味を追い払う。3人は渡し場でいかだを借りて川を下る。
 ホークたちは川の中流でロープを張っていかだをひっかけようとするが、かつてコグバーンの偵察員として3年も働いていたことのあるブリードがコグバーンたちを先に行かせ、ブリードはホークに撃ち殺される。
 いかだの行く手の峡谷の崖の上や川にはホークたちが待ち伏せしていた。下流にホークたちの姿を見て、コグバーンはニトロが入った木箱を川に流す。木箱は川の中で馬に乗っていかだを待ち構えるホークらの方へ流れて行くが・・・。

◆将軍ふたたび

 大酒飲みで荒くれ者のコグバーン。妻子に逃げられ、中国人の老人チェン・リーが営む雑貨店に住んでいるという状況は『勇気ある追跡』のときと同じ。そしてリーが飼っている茶トラの猫のプライス将軍も健在です。とは言っても、『勇気ある追跡』から6年経ったこの映画では、老人のリーはどう見てもジョン・ウェインより若い俳優に変わっていますし、将軍を演じる猫も代替わりして、前の猫の貫禄にはちょっと劣る感じです。
 いつもの荒っぽいやり方で容疑者4人を撃ち殺し、裁判所に出廷したコグバーンは、この8年で64人の容疑者を殺したと裁判長にとがめられ、保安官バッジを剥奪されます。『勇気ある追跡』のときは死なせたのは過去4年で23人だったので、より過激になっていたわけです。
 失業したコグバーンはリーの家でカードをしながら愚痴をこぼし、カンザスのビールは嫌いだと言って器にあけて猫の将軍に飲ませようとします。将軍はテーブルに乗って器に鼻を近づけたものの口をつけず、「まずいだろ、将軍」というコグバーンの問いかけは無視。
 そこへコグバーンをクビにした裁判長が、ホークを捕まえてほしいと直々に訪れます。ニトロを取り返したら500ドル、ホークを捕まえたら1500ドルの賞金を出す、ただし生かして連れて来ること、という条件でコグバーンを再雇用。人材不足は今の日本に限らないようですね。
 裁判長は帰り際、床にはいつくばっていた将軍のしっぽを踏みつけてしまい、将軍がウギャーッと抗議。将軍が叫び続けた時間はおよそ3秒半。裁判長、踏みすぎです! 裁判長は将軍にあやまるどころか「酔っぱらい猫め!」と捨てゼリフを。クビにしておきながら結局コグバーンに頭を下げざるを得なかったため、悔し紛れの八つ当たり。
 と言うわけで、8分45秒頃に将軍の鳴き声がして、ビールを飲みにテーブルに上がるのが8分55秒頃。しっぽを踏まれるのが11分55秒頃。その間、裁判長とコグバーンが話し合う背後で、将軍はテーブルの上の裁判長の帽子に顔を突っ込んだりしています。将軍の出番はここまでです。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

オレゴンの追跡

 『勇気ある追跡』がよほどアメリカ人の心に沁みたのか、この『オレゴン魂』はその雰囲気をなるべく崩さず、自然美やアクション描写を増やすことに神経を注いでいます。それにしても『オレゴン魂』とはなんともつかみどころのない邦題です。もう少し続編とわかるような題の付け方はなかったのかと思います。
 ロケはオレゴン州のデシューツ国有林やローグ川周辺で行われ、その広大な景観、峡谷美もこの映画の楽しみのひとつです。
 ストーリーの骨格は『勇気ある追跡』と同様ですが、今回は父の仇を追う娘と言ってもコグバーンと同年代の独身女性。先ほども言ったように、映画のジャンルとしてこれまで交わることのなかったジョン・ウェインキャサリン・ヘップバーンというアメリカを代表する俳優の顔合わせは大いに注目を集めたことでしょう。それゆえ二人の演じるキャラクターはそれまでお互いの演じてきたタイプから外れることなく、観客も共有できる同窓会感覚を大切にしていると言えます。
 先住民が多く居住する地域で、牧師の父と共に小さな教会で教師や看護師として働き、独身を貫いたユーラ。家庭婦人を目指すことなく神の仕事に生き、潔癖なユーラは『旅情』の主人公ジェーンを思い出させます。彼女に銃の扱い方を教えたのは最初の恋人で、その男性はユーラが信心深過ぎるゆえ彼女のもとを去ったのだとか。

オレゴン珍道中

 ならず者のホークらが教会前の広場にやって来て先住民を相手に酒や銃を売ろうとしたとき、ユーラは銃で威嚇されても少しも恐れず、それらのものを先住民に売るなと諭します。勤勉の敵である酒や争いのもとになる銃を退け、先住民にキリスト教を布教しようと長年努力を続けてきたこの地で父がホークによって命を落とすと、腕に覚えがあった彼女は、ホークをコグバーンと一緒に捕えようと決意します。
 けれども、コグバーンはユーラが戒めて来た酒と銃にどっぷり浸かった男。この男に彼女がかたきの追跡を頼るというのは、彼女の生きる筋道とは一致しないように感じますが、ユーラ自身の割り切った気性や、コグバーンの酒と不信心をユーラがやかましく説教することで、その点をぼかしています。
 そこで繰り広げられるのが二人の掛け合い漫才のようなやり取り。酒のことをユーラが注意すれば、よく酒も飲まずにいられる、とコグバーン。不潔で酒臭いと言えば、酒の代わりに石鹸を渡し銃の代わりに聖書を渡す、と二人の舌戦は止まりません。

◆連れ合い?

 アクション俳優としてのジョン・ウェインの最後の花道的な作品だった『勇気ある追跡』の6年もあとに作られたこの映画では、ルースター・コグバーンの老い、すなわちジョン・ウェインの老いがより鮮明になります。
 『勇気ある追跡』で悪党のネッド・ペッパー一味と対決したとき、コグバーンは馬の手綱を口にくわえ、右手にライフル、左手に拳銃を持って撃ちまくります。けれども『オレゴン魂』では空中に放らせたパンを地面に立って撃つと、コグバーンは反動で倒れてしまいます。酒のせいもあるでしょうが、助け起こされてもフラフラ。
 さすがに手綱を離して撃ちまくるというアクションはこの映画では見られませんが、代わりに登場するのがガトリング銃。複数の銃身が束になって連射する銃で、ニトロと一緒に騎兵隊が運んでいたもの。これをユーラもコグバーンも撃つのです。勇ましいことは勇ましいですが、ジョン・ウェインファンには往年のクルッとやるガンさばきが見られず、寂しかったのでは。
 ユーラもすぐに疲れて横になりたがります。コグバーンは彼女の肩をもんだり、眠ろうとする彼女にヘビ除けのまじないをしたり、憎まれ口をききながらも長年の夫婦のようになってきた二人がどうなるか、ラストが見ものです。

◆あつまれ西部の森へ!

 コグバーン対ネッド・ペッパーという宿命の対決へ物語が収斂していった『勇気ある追跡』に対し、『オレゴン魂』ではアクションシーンが分散し、ホークとの勝負の機運が今一つです。それより、ホークについていたブリードがホークを裏切り、昔の縁でコグバーンに味方するというのはあまりにも安直で、対決を前にかなり興ざめ。
 川の渡し守・上海マッコイにコグバーンたちがいかだを借りるシークエンスはやけに丁寧だと思いませんか。これは渡し守役のストローザー・マーティンが『勇気ある追跡』で馬の売買人ストーンヒル役で出演していたからでしょう。とかくの評判があってもコグバーンは真の勇者=True Grit(『勇気ある追跡』の原題)だと認めるいい脇役でした。
 こうした『勇気ある追跡』ファンへのサービスも盛り込みつつ、アメリカ映画ではおなじみの急流川下りも登場、いよいよ映画はクライマックスへ。コグバーンは生きたままホークを捕えることができるのか・・・?

 さて、知性的演技派・キャサリン・ヘップバーンは、この映画を楽しめたでしょうか。この年頃の女性が年老いた親を殺されたにしては、ちょっとユーラは元気すぎると分析していたかもしれません。

 

◆関連する過去作品

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予告編 次回10月24日(金)公開予定 + 記事関連映画のTV放映予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

オレゴン魂』(1975年/アメリカ/
 監督:スチュアート・ミラー)

2025年1月に紹介した、父の仇を追う少女とジョン・ウェイン演じる荒くれ保安官とが旅する『勇気ある追跡』の続編。
今度は同じ父の仇を追う女性でも保安官と同年配の口やかましい女性との旅となり・・・。

そしてこのオレゴン魂』は、同じく

10月24日(金)13:00~NHK BS で放映予定です。

ネタバレにならないよう、記事は放送終了後に公開する予定です。ぜひ、記事と映画を合わせてお楽しみください。

 

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僕のワンダフル・ライフ

イーサン少年の家にやって来た犬のベイリーは、年老いて死んだあと何頭かの犬に生まれ変わり、イーサンとの再会を果たす。
人と犬との絆を描くハートウォーミング・ストーリー。

 

  製作:2017年
  製作国:アメリ
  日本公開:2017年
  監督:ラッセ・ハルストレム
  出演:デニス・クエイドペギー・リプトン、K.J.アパ、ブリット・ロバートソン
     ジョシュ・ギャッド(声)、他

  レイティング:一般

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    主人公の家の飼い猫
  名前:スモーキー
  色柄:長毛のキジトラ


◆また会いたい

 亡くなったペットがよみがえる映画の第2弾。今回はよみがえると言っても前回の『ペット・セメタリー』(1989年/監督:メアリー・ランバート)のように死体が復活するというおどろおどろしいものではなく、死んだ犬の魂が別々の犬に転生する、心が洗われるような物語です。
 監督は『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(1985年)や『HACHI 約束の犬』(2008年)などのラッセ・ハルストレム。このブログでも『ショコラ』(2000年)を紹介しましたが、映画の話が犬のことに及ぶとき、何度もその名を引き合いに出してきた犬好きの監督です。
 原作はW・ブルース・キャメロンの『A Dog’s Purpose』。このブログで紹介した映画『ベラのワンダフル・ホーム』(2019年/監督:チャールズ・マーティン・スミス)の原作と脚本を担当した犬の物語のベストセラー作家です。『僕のワンダフル・ライフ』の続編『僕のワンダフル・ジャーニー』(2019年/監督:ゲイル・マンキューソ)と『ベラのワンダフル・ホーム』が彼の原作の3本セットの姉妹編。犬が人間との交流の中で経験するあれこれを犬流に解釈するモノローグの面白さも、それぞれの映画に共通しています。
 9回生まれ変わるとか、○年生きると化けるなどと言われ謎めく猫と、まっすぐで二心のない犬という、対照的な性格の動物が人間に最も近いところにいるというのも、人類の精神文化を考える上で興味深いことだと思います。この映画の犬はある目的をもって人間のそばにいるらしいですよ。原題は原作と同じく『A Dog’s Purpose』。大人から子どもまで一緒に楽しめる感動の1本です。ハンカチ、タオル、ティッシュの類をお忘れなく。

◆あらすじ

 1960年代初頭のアメリカ。とあるところで子犬が生まれる。お乳を飲み、きょうだいと遊んでいるうちに野犬捕獲業の人に捕らえられ、短い一生を終える。これがこの犬の転生の始まりである。
 次に彼はレッドのレトリーバーに生まれ変わる。ブリーダーの小屋から脱走し、売って金にしようとする男たちにつかまって車に閉じ込められ、ぐったりしているところを8歳のイーサン少年(ブライス・ガイザー)とママに助けられ、イーサンの家の犬になる。
 子犬はベイリーと名付けられイーサンと一心同体で成長する。ベイリーは自分のしっぽを追いかけてグルグル回ったり、イーサンの投げた空気の抜けたフットボールの球を、イーサンの背中を踏切台にしてジャンプし、空中でキャッチしたりするのが得意だった。イーサンは自分がこの家の主人だと威張るパパに対抗して、ベイリーを「ボス犬」と呼んだ。
 高校生のイーサン(K.J.アパ)はベイリーと遊園地を散歩中、ベイリーがスカートの中に潜り込んだ同い年の女の子・ハンナ(ブリット・ロバートソン)と恋人同士になる。二人とベイリーはいつも一緒にデートする。
 イーサンはアメフトの有望選手で名門大学から奨学金が出ることになるが、ねたんだチームメイトに家に放火され、逃げるときに足を負傷して選手生命を絶たれてしまう。変わらずイーサンを支えようとするハンナに、いじけたイーサンは別れを切り出す。イーサンは進路を変更し、祖父の農場の経営を学ぶため遠くの農業学校に行くことになりベイリーと別れる。寂しく老いたベイリーは病気になり、駆け付けたイーサンに看取られながら安楽死する。
 次にベイリーはメスのシェパードに生まれ変わる。エリーと名付けられ、警察犬としてカルロスという警官(ジョン・オーティス)とコンビを組んで活躍し、孤独なカルロスを慰めるが、事件のときに犯人に撃たれ殉職してしまう。
 次に生まれ変わったのはウェルシュコーギー。人付き合いが苦手でジャンクフードばかり食べている大学生のマヤのペットになってティノと呼ばれる。マヤが一度振った同級生のアルも犬を飼っていると知って、二人の距離が近づき、結婚する。そのティノも年老いて生涯を閉じる。
 セントバーナードに生まれ変わったベイリーは生活の不安定な喧嘩ばかりの夫婦の家に飼われ、虐待を受ける。ベイリーは捨てられ、放浪の末、風の中に懐かしいにおいをかぎ当てる。その先にいたのはイーサンだ! ベイリーは一目散に駆け付ける。
 老いに近づきつつあるイーサン(デニス・クエイド)は独身で祖父の家で一人で暮らしていた。イーサンは飛びついてきたこの犬がベイリーの生まれ変わりだとはわからず、エサをやって、翌日保護施設に連れて行ってしまう・・・。

◆犬猫の溝

 犬の魅力がキラキラと輝いているこの映画、猫は子ども時代のイーサンの家に登場します。
 リメイク版の『ペット・セメタリー』(2019年/監督:ケヴィン・コルシュ、デニス・ウィドマイヤー)に出て来る猫とよく似たふわっとした長毛のキジトラ。その毛でかすんだように見えるからか、名前はスモーキー。遊びたい盛りのベイリーは、猫たる動物がどんな動物かを理解することなく、犬流で接します。走るの大好き、追いかけっこ大好きなベイリーは猫には迷惑でうるさいガキでしかなく、絶対に遊んでくれないどころかシャーと威嚇されてしまいます。
 最近はネットなどで犬と猫が仲良く同居している写真や動画を目にしますが、あの平和はエサの奪い合いという生存競争がないがゆえに生まれるものでしょう。犬も猫も外飼いが普通だった昔は、常に身の回りに敵がいないかと犬も猫も緊張していましたし、犬小屋の前の食べ残しのエサを狙ってノラ猫が決死の突入を試みることも。それに気づいた犬の鎖がチャラリと鳴る音。犬と猫は今よりもっとギラギラ、一触即発状態だったものです。

 ある日、ベイリーはイーサンとママが不審な行動をするのを窓から目にします。スモーキーが亡くなり、亡きがらを家の入口の脇に埋めていたのです。スモーキーが最近姿を消したと思っていたベイリーはそこを掘り返し、スモーキーを見つけたよ、とくわえてママのところに・・・。ママは絶叫!
 『ペット・セメタリー』のようにスモーキーをよみがえらせようと掘り返したわけではないでしょうけれど、犬ならではの勘違いをベイリーはこんな風に鮮やかにやらかしてくれます。
 猫のスモーキーが出て来るのは8分頃、14分40秒頃、永遠の眠りについたのにベイリーに掘り起こされてしまうのは34分頃です。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆イヌ 人に会う

 犬と飼い主の絆を描く、犬の映画の王道です。色々な事情で離れ離れになった犬と飼い主が再会を果たすという最も一般的なパターンを離れ、ベイリーという魂を保ちながら次々と別の犬に生まれ変わるというのがこの映画の面白いところ。色々な犬種が登場するのが犬好きには嬉しいでしょう。けれども、どの犬もベイリーの性格をベースにしているので、しつけても覚えないとか、凶暴だとか、遠吠えをして近所迷惑だとかのダメな子がいないところが少々物足りないと申しましょうか。
 「ダメな子」部分は、先ほどの墓掘りのようなベイリーの失敗として描かれます。
 イーサンのパパの上司夫妻が家にディナーに来ることになり、その直前、ベイリーはスモーキーを追いかけて部屋中を散らかしてしまいます。そして、これはベイリーが悪いわけではないのですが、イーサンのパパが上司に見せようと出してきた自慢の古いコインのコレクションをイーサンが眺めていたとき、うっかり転がしたコインがベイリーの口の中に飛び込み、ベイリーが呑み込んでしまうのです。あせったイーサンはベイリーを外に連れて行き、しろ、しろ、と排泄を催促。やっと出たコインをイーサンがパパや上司の目を盗んでコレクションボックスに戻そうとするところでまた大騒ぎが起きるのですが、これは見てのお楽しみ。犬は普段からなんとなく困った顔に見えます。こういった失敗のときは、すまなそうにして見えるから得ですよね。
 『ショコラ』の記事で、スウェーデン出身のラッセ・ハルストレム監督の映画はアメリカに渡ってからソツがない優等生風になったと書きましたが、この大騒ぎの場面ではスウェーデン時代の20世紀風ドタバタが復活。
 イーサンが農業学校に進学するために祖父の家を出て車を走らせると、たわわに実った麦畑の中をベイリーが追いかけていく感動のショットは、映画的で、言葉を必要としません。
 麦畑の中の走りは、セントバーナードに生まれ変わったベイリーが、放浪の末おじさんになったイーサンを見つけるところで逆回しのように繰り返されます。ここはレトリーバーやセントバーナードなどの体の大きな犬の見せどころ。短足コーギーでは麦の中に隠れてしまいますからね。

◆目的を持った犬

 もともとベイリーをあんなにかわいがっていた犬好きのイーサンが、迷い込んで来たセントバーナードにひと晩エサをやっただけで保護施設に連れて行ってしまうというのは少々冷たすぎやしないかと思った方、ご心配なく、イーサンはやっぱり思い直します。
 セントバーナードに生まれ変わったベイリーは、そんなイーサンになんとしても自分がベイリーだと気づいてもらうために、そして寂しいイーサンのために、知恵を絞った作戦を実行します。その後の展開はぜひ映画を見てください。ただ、イーサンとベイリーのその後がそうしてたっぷり描かれる一方で、イーサンのパパや放火した友人のその後は描かれず、そういうものかと思いつつそれでいいのかという気も少々。
 原題である『A Dog’s Purpose』(ある犬の目的)とは、困っている人を探し救うこと、過去をいつまでも悲しまず、未来を憂いもしない、ただ今を一緒に生きることだと、ベイリーは誇らかに宣言します。
 ところがこの映画の中にはそんなベイリーの力の恩恵にあずかれなかった人もいます。
 イーサンの子ども時代は外回りのセールスで優秀な成績をおさめていたイーサンのパパは、それゆえ内勤の希望が通らず、イーサンの高校時代には仕事がうまくいかなくなって酒浸りで荒れています。ちょうど猫のスモーキーが死んだ頃、イーサンのパパは家を出て行ってしまいます。10年も前の例の上司とのディナーでの大騒ぎで怒ってしまったパパとベイリーとの関係はその後も縮まらなかったのでしょう。パパがベイリーと心を通わせていたら、時にはベイリーに慰められ、家を出て行くほどまで心がすさんでしまうことはなかったかもしれません。ただそこにいるだけで心を和らげてくれる、それが動物が人間にもたらしてくれる最大の恩恵だと思います。

◆人の心得

 ペットを描くということは家族を描くということでもあります。そしてペットのことを考えるということは、飼い主や、家族の人生、生と死を考えるということでもあるでしょう。ペットはたいてい人間より早く年を取り、寿命を迎えます。人間はペットを看取らなければならないのです。自分も含め生き物は、何のために生まれて来たのかということを、そのとき人は自分に問いかけます。ペットとの別れのとき何を自分はその子に与えることができたのか、振り返って胸を張れるようにしておく、それがペットに対する人間の使命ではないかと思います。
 『ペット・セメタリー』のパパは、猫のチャーチが車にはねられて死んだとき、猫をかわいがっていた娘が悲しむからとその現実を捻じ曲げようとしました。悲しい現実をどうやって心に納めていくのかを教えるのが親の役目でしょう。
 『ペット・セメタリー』でも『僕のワンダフル・ライフ』でも、霊や動物、死、子ども、会社の人事といった思い通りにならないものを前にあがき、自滅してしまうのは父親。ベイリーのように流れに身を任せることができないところが人間の男の悲しさでしょうか。

◆関連する過去作品

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予告編 次回10月12日(日)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

僕のワンダフル・ライフ  (2017年/アメリカ/
 監督:ラッセ・ハルストレム

イーサン少年の愛犬のベイリーは死後別の犬に転生を繰り返す。ベイリーとイーサンは再会できるのか?
犬と人との絆を描く感動のドラマ。

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