この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

予告編 次回2月22日(日)公開予定 + 記事関連映画のTV放映予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

黒猫・白猫
 (1998年/フランス・ドイツ・ユーゴスラビア
  監督:エミール・クストリッツァ

借金の返済を免れようと、息子を借金相手の妹とむりやり結婚させようとした男のまわりに
ユニークなキャラクターがわんさと集合する、突飛で毒のあるコメディ。

そしてこの黒猫・白猫は、

2月18日(水)13:00~NHK BS で放映予定です。

今年の猫の日の映画として予定していた『黒猫・白猫』。たまたま記事公開と放送予定が同時期となりました。ぜひ合わせてお楽しみください。

 

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記事関連映画のTV放映予定

2月14日(土) 21:00~NHK BS4K

で、当ブログで以前ご紹介した

フランケンシュタイン
  (1931年/監督:ジェームズ・ホエール

が放映予定です。

 

死体を集めて作られたおぞましい「怪物」。けれどもその内面は人間らしい感情のあふれるものだった…。
映画化の過程で、メアリ・シェリーによる原作のそんな怪物の人間らしさは薄れ、破壊的で残虐な部分が強調されてしまいました。
けれども、映画を丁寧に見れば科学や人間の傲慢さを読み解くことができるでしょう。人間とはどんな存在かを問う名作です。

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◆映画『フランケンシュタイン』を見た少女が空想にとらわれる物語

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愛は静けさの中に

ろう学校教師のジェームズとろうあの女性サラは恋に落ちる。ジェームズは二人のコミュニケーションがもっと自由になることを望むが・・・。

 

  製作:1986年
  製作国:アメリ
  日本公開:1987年
  監督:ランダ・ヘインズ
  出演:ウィリアム・ハート、マーリー・マトリン、フィリップ・ボスコ、
     パイパー・ローリー、他

  レイティング:一般

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    主人公の飼い猫
  名前:キャット?(名前かどうか不明)
  色柄:茶トラ


◆神様のせい

 2022年3月にアカデミー賞作品賞ほかを受賞した感動作『コーダ あいのうた』(2021年/監督:シアン・ヘダー)。自分以外の家族全員が聴覚障がい者である女子高校生が、持ち前の歌の才能を本格的に開花させるために遠方の音楽大学に進学するか、家族の手話通訳を務めるために進学をあきらめ地元にとどまるかの板挟みで悩む姿を描いた映画です。人生の分かれ道で思いつめる娘をよそに、ちょっとお気楽な両親がイチャイチャしたりして先の心配をしてなさそうなのが笑えたのですが、その母親役が『愛は静けさの中に』のろうあの主人公・サラを演じたマーリー・マトリン。私は『コーダ あいのうた』よりも後に『愛は静けさの中に』を見たのですが、スピーディーでキレのいいマーリーの手話は昔からだったのか、と感心しました。マーリー・マトリンは実際にほとんど耳が聞こえず、このサラの役で聴覚障がい者初のアカデミー賞主演女優賞を受賞しています。
 サラを愛した男性ジェームズはろう学校の教師。正統派二枚目のウィリアム・ハートが演じます。ウィリアム・ハートも、この映画の前年の『蜘蛛女のキス』(1985年/監督:エクトール・バベンコ)でゲイの男性を演じ、アカデミー賞主演男優賞を受賞。これも心に沁みる映画でした。
 『愛は静けさの中に』の原題は『Children of a Lesser God』。直訳すれば「二流の神様の子どもたち」でしょうか。ある人間を神様がおつくりになったときミスをしてしまった、障がいのある人たちはそんな神様に当たってしまった人たちなのだ――そんな意味なのではないかと思います。
 まだ多様性という言葉が一般的になる前の映画。二人の恋は障がいの有無以上に普遍的な男女のあり方を示しています。

◆あらすじ

 映画製作年当時のアメリカ。ある寄宿制の聾(ろう)学校にジェームズ・リーズ(ウィリアム・ハート)という教師が着任する。ジェームズは生徒が手話以外に声を使ってのコミュニケーションができるよう、型破りな方法で指導を始める。
 昼食時、食堂に行くと、厨房でろうあの若い女性(マーリー・マトリン)がかんしゃくを起こし鍋を投げつけていた。校長(フィリップ・ボスコ)は彼女は5歳からここにいた卒業生のサラで、ここで清掃員として働いている、賢い生徒だったけれど問題児だと話す。ジェームズは彼女にも話し方を学ぶよう誘ってみるが、きっぱり断られる。サラはいつも何かに怒っているように見えた。
 ある日、ジェームズは海岸で偶然サラに出会い、夕食に誘うことに成功する。サラはレストランのフロアでダンスを踊ろうと言い、身体で内面を表現することがうまかった。教師としてサラの力になりたいと言うジェームズに、サラはいつものように拒否的な態度を示すが、幾分心を開くようになる。
 ジェームズはサラが8年も疎遠にしている母親(パイパー・ローリー)のもとを訪ね、サラが話す訓練を途中で放棄したことを知る。十代の頃、サラの姉は男友達にいい顔をしようと、サラに男の子の性的な遊び相手をさせていたという。ジェームズが母親に会ったとサラに話すと、サラは「男と寝るのは得意だ。姉の男友だちは私が話そうとすると笑い、私を傷つけた」と過去を語る。ジェームズはそんなサラに愛を告白する。二人はプールの水の中で愛し合う。
 保護者参観日にジェームズは生徒たちに音楽を感じて身体で表現するダンスを指導し発表、生き生きとした彼らを見たサラは殻を破れない自分に苛立ち、鏡を割ってけがをしてしまう。二人の関係を知っていた校長にとがめられ、ジェームズはサラに仕事をやめさせ、自分の住まいで同棲を始める。
 二人で暮らし始めると、ジェームズは互いのコミュニケーション方法の違いに疲れを覚えるようになる。一方、サラはジェームズがサラの障がいに介入して何かと従わせようとするのに反発し、衝突の末、出て行ってしまう。
 サラは母親のもとを訪れる。ジェームズも母親のところに行くが、母親はサラと会わせようとしなかった。サラは貯金をして大学に行こうと働き始めていた・・・。

◆猫にバッハ

 ジェームズは口の周りがちょっと白い茶トラの猫を飼っています。ジェームズが自室でレコードを聴こうとしたときに猫は初めて登場します。
 ジェームズは壊れたレコードプレーヤーを修理し、ためしにかけたバッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」の第2楽章が流れ出すと、「バッハ君」とうれしそうにタクトを振る真似をします。
 ジェームズのように第2楽章から聴こうとするときは、レコード盤の音の溝が刻まれていないつるつるの曲間の部分を狙って針を落とすのですが、その幅はわずか数ミリ。回っているレコードのそこをめがけて針を落とすのはなかなか難しかったものです。
 ジェームズがこの曲のレコードを聴くシーンは何回か出て来ますが、聴くのはいつも第2楽章。回るレコードに針を置こうと集中する様子も見せず、すっときれいに頭から曲が始まるのがどうも私には納得できません。そこまでリアリズムを追求する必要はないと言えば、まあそうなんですけど・・・。
 おっと、ここはこの映画に出て来る猫について語る章でした。猫はバッハに耳を傾けることもなく、毛づくろい中です。猫が音楽を聴くのかどうか? AIによれば猫にとって心地よい音楽というものがあるようで、YouTubeでも猫用の曲が公開されています(眠くなっちゃう)。ジェームズの好きなバッハのこの曲が猫の好みに合うのかどうか、猫を飼っている方、試しに聴かせてみてください。
 ジェームズの留守中にサラが家を訪ねて来たとき、サラは猫を抱きながらジェームズの帰りを待っています。海を見ながらくつろいでいるとき、家の中で過ごしているとき、猫はさりげなく人のそばにいます。この映画の人間と猫の距離感――なんとなくふわりとそばにいる――それがとても心地よく感じられます。
 猫が映るのは開始から13分過ぎ頃、54分頃、66分17秒頃、100分42秒頃です。ジェームズは猫をキャットと呼んでいます。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆理想家肌の教師

 嵐が吹き荒れ、窓がバタバタし、カーテンが風にあおられているのに気づかずぐっすりと眠っている女性。開始早々、サラの障がいはこんな形で暗示されます。
 かたやろう学校に着任したジェームズは、校長に名門校で教鞭をとって来たほか、聴覚障がい者のための音楽番組のDJを仕事としてきたこともアピール。自分のやり方への自信と、ろう者教育への情熱のほどを示します。
 けれども校長はろう者への教育によって卒業後社会人として活躍してもらうことより、学校経営のことで頭がいっぱい。裕福な父兄が学校を訪れると、補修の必要な設備などに話題を振りたがってぴったりくっついています。通り一遍の教育でお茶を濁し、ジェームズには適当に働いていてもらえればいいという態度です。
 そんな学校の雰囲気の中で過ごし、卒業後も言葉のいらない清掃員として黙々と働くサラ。ジェームズはサラの聡明さを見抜き、狭い世界に閉じこもっていてはもったいないと声をかけるのです。人としゃべらないで済むこの仕事がいいと、サラはジェームズを拒絶します。
 一昔前だったら、サラの頑なな心が次第に解け、ジェームズからの指導でついに声を使ってのコミュニケーションを会得、二人は永遠の愛を声に出して誓い、結ばれるというハッピーエンドがこうした映画の最高の展開だったろうと思います。けれども『愛は静けさの中に』は、基本的にはそうしたシンデレラ的な流れをベースとしながらも、少し違った色合いを見せます。

◆掃除するシンデレラ

 主人公の女性には幸福に欠けた状態があり、それを男性が解決に導くというシンデレラ型のストーリー、女性の幸せのカギを握っているのは男性です。女性側の幸福に欠けた状態というのは、貧しさだったり、サラのような性格の問題だったり、過去の過ちだったり。けれども男性は多くの物語の中で、優れた見識と勇気でそうした女性の問題を打破するヒーローです。映画で言えば『愛と青春の旅だち』(1982年/監督:テイラー・ハックフォード)などがその典型です。女性は男性より劣っている、男性が助けなければならない存在である、劣っている者(女性)は優れた者(男性)に従うべし、という男性優位型の意識がそうした物語の底にあります。
 サラとジェームズの場合、サラはろう者であり、ジェームズはろう者の教育者という立場。男女という意識に加えて、ジェームズはサラには声を出すための教育が必要だと、自然にサラより一段高いところに立っています。
 いつの間にかサラはジェームズに自己決定権を奪われています。自立できていた清掃員の仕事もやめさせられ、一緒に住むんだとさっさとサラの荷造りをして引っ越させ、声で話してと言われ、ポーカーの集まりに引っ張り出され・・・、サラは爆発します。私を普通の人のように変えて支配しようとしている、あなたはありのままの私を受け入れない、と。
 それに対しジェームズは、君はろう者でよかったとは思っていないくせに自分を変えようとしない、助けなしには生きられないのに、と返します。そんな上から目線のジェームズに言葉にならない叫び声を上げ逆らうサラ。こんな場面で声によるコミュニケーションが生まれてしまうとはなんとも皮肉です。
 ジェームズとサラのいさかいは、障がいの有無とは関係なく普遍的な男女間の問題をはらんでいるのではないでしょうか。ジェームズは優しい。サラもいままで会った中で一番いい人、と言っています。それは踏まえたうえでサラは、あなたにとって良いことが私にも良いことなの? それは違うんじゃない? と言いたかったのです。サラは対等であることを求めています。

◆2つのヴァイオリン

 とはいえ、このカップルは相手の言うことに耳を傾けるだけの理性があったため、喧嘩で起きた化学変化を受け入れます。
 サラは自分の劣等感に向き合い、大学で学ぼうと、働き口を見つけて貯金を始めようとします。しかも、人と接するネイリストの仕事によって。
 ジェームズはサラがよく泳いでいたプールに潜ってみます。彼女の音のない世界、声を出して人としゃべれない世界を味わおうとして。
 最後は、雨降って地固まると申しましょうか、お互いを反省した二人。かと言って、シンデレラのようなハッピーエンドが待っているわけではありません。これからも色々なことが待ち受けているだろうけれど、再びスタートラインに立ちました、といったところでしょうか。バッハの曲のように、2つのヴァイオリンのどちらが上・下というのではなく、協調することで美しいハーモニーが生まれます。
 サラが頑なに自分の殻に閉じこもったのは、十代の頃の性体験でしゃべれないことをバカにされたのがきっかけとか、8年も他人同然だった母親が少女時代のサラを受け入れられなかった理由を聞いて、サラがすんなり母と和解してしまうなど、説得力を欠く部分がありますが、男と女が出会ってどうなるかが主眼の恋愛映画、無理にまとめようとしなくてもよかったように思えます。

 ジェームズは手話も指文字もできるので、サラたちとの会話をいちいち声に出す必要がないのですが、それでは観客にわからないため、ほとんどのろう者側の手話のセリフをウィリアム・ハートが声で通訳しています。自分のセリフもおぼえ、相手のセリフもおぼえ、手話や指文字もおぼえ・・・役に対する役者の根性には本当に頭が下がります。
 
◆関連する過去作品

口のきけない女性が「男性」を救う物語。マイノリティーの描き方について時代の変化を見比べてみてはいかがでしょうか。

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予告編 次回2月10日(火)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

『愛は静けさの中に』
 (1986年/アメリカ/監督:ランダ・ヘインズ)

ろう学校の教師ジェームズはろうあの女性サラと恋に落ち、声を出させようとするが反発したサラと離れ離れになってしまう。
『コーダ あいのうた』の母親役マーリー・マトリンがアカデミー主演女優賞を受賞した名作。

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