この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

予告編 次回3月29日(日)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

『グリード』(1924年/アメリカ/
    監督:エリッヒ・フォン・シュトロハイム)

富くじで高額の賞金を当てた女はその金にびた一文手を付けず、結婚生活は破綻する。朴訥だが粗暴な夫は・・・。
映画史にその名を刻むシュトロハイム監督の悪夢のような名作。

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かもめ食堂

日本人女性がヘルシンキで開いた食堂は開店休業状態。そこへ日本かぶれの地元の青年、目的のない旅の日本女性などが集まって来て・・・。

 

  製作:2005年
  製作国:日本
  日本公開:2006年
  監督:荻上直子
  出演:小林聡美、片桐はいり、もたいまさこ、ヤルッコ・ニエミ、他
  レイティング::一般

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    散歩する老人が抱いている猫
  名前:不明
  色柄:黒に少しの白


◆ruokala lokki

 昨2025年の秋、「かもめ食堂」の舞台となった店が閉店するというニュースをどこかでお聞きになりましたか? この映画を見たことがある方ならば、えっと思われたでしょうし、約20年前の作品であるこの映画の存在自体を知らなかった方もいるかと思います。
 わたくし、知らずにこの記事をこの時期に予定していたのですが、公開20周年を記念して4月10日から2週間限定で全国でリバイバル上映されるそうです。なるべくネタバレにならないよう気を付けていますが、気にされる方は映画を見てから残りの文章を読んでいただければと思います。そうでない人はこの記事を読むだけでなく、ぜひとも映画館に足を運んでください。映画館で見たくなるように書いたつもりです。
 このブログがきっかけで驚異的な観客動員・・・なんて、ないか。

 群ようこの原作に荻上直子の脚本・監督。実際にフィンランドのヘルシンキにあるレストランを借りてロケしました。ガラス張りの外観に、北欧風の木のぬくもりを感じさせる装飾を排したシンプルな内装。「コーヒーを飲みながら読書する私」を思い浮かべてみたくなる空間です。
 朝日新聞の連載記事「そよかぜ」2025年10月25日の森岡みづほ氏の記事によると、ロケに店を提供したレストラン「カハビラ・スオミ」に2004年夏、数人の日本人グループが訪れ、うち一人の女性が数ケ月後訪れて店の隅々を見渡し、翌2005年にここで映画を撮らせてもらえないかと打診があったとのこと。その女性が荻上監督だったそうです。
 同記事によれば、映画の公開後「カハビラ・スオミ」は日本人観光客でにぎわったそうですが、経営者の二人の体力の限界から2015年に閉店。その後を継いだ料理店は外観の面影を残していたそうですが、そこが2025年に閉店してしまったとのこと。

 はっきりと何かを求めない人々が、低いところに水が溜まるかのように「かもめ食堂」に自然に集まります。そこに流れる20年前のゆるりとした時間をあなたも楽しめるでしょうか。
 フィンランド語のruokalaは食堂、lokkiはかもめです。

◆あらすじ

 フィンランドのヘルシンキで日本人女性サチエ(小林聡美)が和食のかもめ食堂を開店した。誰も客が来なかったが、ある日ニャロメ(注)のイラストのTシャツを着たトンミ・ヒルトネン(ヤルッコ・ニエミ)という若い男性が最初の客として訪れる。日本かぶれのトンミは日本のTVアニメ「ガッチャマン」の主題歌の歌詞を教えてくれとサチエに頼むが、サチエは思い出せなかった。
 そんなある日、サチエは町で旅行客らしい日本人女性(片桐はいり)を見かける。「ガッチャマン」の歌詞を知らないかと聞くと、彼女はすらすらとノートに書いた。彼女の名はミドリ。予定のないミドリは閑古鳥が鳴くかもめ食堂を手伝うようになる。
 おにぎりメインの和食にこだわるサチエに、ミドリはフィンランド人が好む食材を使ったおにぎりを提案するが、ミスマッチに終わる。ところがそれをきっかけにサチエがシナモンロールを焼いてみると、客がだんだん来て賑やかになる。
 その頃、人相の悪いフィンランド人の中年女性(タリア・マルクス)が店内をにらみつけているのにミドリとサチエは気づく。そうこうするうちに店内をじっと見つめる地味な日本女性も加わった。マサコ(もたいまさこ)という名の彼女は店に入り、旅行中飛行機の乗り換え時に荷物が行方不明になって足止めを食っていると語った。
 人相の悪い女性リーサが酒を飲んで倒れたのをマサコが介抱したことをきっかけに、年の近い二人は言葉を超えて仲良くなる。マサコもかもめ食堂を手伝うようになる。

 ある日、リーサとかもめ食堂の3人が遊びに行って店に戻ってきたとき、店の奥に泥棒がいた。サチエが合気道の技で泥棒をねじ伏せると、それはトンミ以外客が来ない頃、ふらりと来ておいしいコーヒーの淹れ方を教えてくれた男(マルック・ペルトラ)だった…。

◆カモメより猫

 タイトルにふさわしく、この映画で最初に登場する動物はカモメ。港の岸壁にたくさんのカモメが集まっています。
 サチエの「フィンランドのカモメはでかい」というナレーション。けれども話はすぐサチエが小学生の頃に飼っていたナナオという10.2キロもある太った三毛猫の話に転じてしまいます。10.2キロというと標準的なおとな猫の2倍以上。おいしそうにご飯を食べる太った生き物に弱いというサチエですが、ナナオをかわいがっていたからこそ、太っていてたくさん食べる生き物を愛おしいと思うようになったのでしょう。彼女が食堂を開店したのも、人が食べる姿を見ると幸せな気持ちになれたからに違いありません。
 三毛猫のナナオはナレーションの中でしか登場しませんが、実物の猫はヘルシンキの港に現れます。荷物の行方について日々マサコが携帯で問い合わせをしていると、猫を抱いて散歩する男性の老人が近くを通りかかるのです。マサコと男性は視線を合わせることも言葉を交わすこともありませんが、こうしょっちゅう居合わせるところを見ると、何か見えないものでつながっているかのよう。
 マサコは何日たっても荷物が出てこないので、着替えに色彩やデザインの鮮やかな北欧テキスタイルの服を買い求めます。そのとき選んだ服が三毛猫カラーだったのがオツですね。
 行方不明の荷物が見つかったとき、ある出来事がマサコと老人の間に起こります。
 猫が画面に登場するのは、実はマサコの登場よりずっと早く、開始から18分45秒頃のミドリが港を観光しているとき。ここは猫老人の散歩コースなんですね。彼はいつもシーンの途中からフレームの中に入って来るので、見つけやすいと思います。出て来る箇所はお教えしませんので探してみてください。
 猫はエンドクレジットにも2度静止画で登場します。「SPECIAL THANKS ビー」とクレジットにあるのは、この猫に対する謝辞ではないでしょうか。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆ソウルフード

 私が昔から不思議だと思うことのひとつに、人間はなぜ動物を見ると食べ物をやろうとし、食べてもらえるとなぜ幸せな気持ちになるのか、というものがあります。もちろん害獣は別ですが、かわいいと思う生き物には食べ物を通じて近づこうとするのを見ると、食べ物は愛を媒介するのか、と、食べ物と愛の関係について哲学的な思いを巡らさざるを得ません。
 サチエがおにぎりにこだわったのは、母を早く亡くし自分が家事をやっていた子どもの頃、年に2回だけ、父親が運動会と遠足の日におにぎりを作ってくれたという原体験にあります。「おにぎりは人が作った方がうまいんだ」という父の言葉通り、それはとてもおいしかったとか。それが誰かが作ったご飯はおいしいはずだと、人に料理を作って提供するというサチエの仕事のバックボーンになっているのではないでしょうか。
 そんなサチエですが、経営者として客のこない状況をなんとかしなければと焦るそぶりを見せません。梅、シャケ、おかかのおにぎりをメインでやっていくというこだわりを持ちつつも、集客のためのキャンペーンをするなどの施策を練ることもなく「おにぎりは日本のソウルフードだから」と、おにぎり・日本というポジションを変えないのです。
 ミドリは目的もなくこの地にやって来た女性。そんな旅に出ることになった背景をミドリも語りませんし、サチエも詮索しません。そんなミドリですら、かもめ食堂の先行きを心配してフィンランド風おにぎりをメニューにすることを提案します。トンミも試食しますが、どれもイマイチ。
 けれども、サチエが特に北欧で親しまれているという、フィンランドのソウルフードとも言うべきシナモンロールを焼いたときから、香りに誘われ人々がかもめ食堂にやって来ます。
 ここで「サチエ、すごいわ、お客さんがどんどん入って来るじゃない!」「ミドリ、やったわ、あなたのお陰ヨ」というハリウッド的な盛り上がりを思い浮かべてはいけません。荻上監督の描くところは平常心。アドレナリンがあふれるような興奮はないのです。この映画はサクセスストーリーの流れにのっとってはいるのですが、描こうとしているのは成功ではありません。知らず知らず人は人と支え合い、そうやって世の中は循環している、そんなことがかもめ食堂を巡って描かれています。

◆今を生きる

 事業の成功とか金メダルとか、ゴールを目指すことは尊いことですが、特に目標を定めず普通の日常を「いま ここ」に専心しながら誠実に生きていくということも尊いことです。
 マサコは両親を20年介護し、看取ったあとフィンランドに来ます。フィンランドに来たのは、毎年フィンランドで行われているエアギター選手権のニュースをテレビで見たから、と言うのです。こんなことを一生懸命やる人たちっていいな~と思ったのだそうです。フィンランドの人たちはゆったりのんびりしているように見えるという彼女の言葉は、日本はそれとは程遠い、ということの裏返しでもあります。
 そもそもサチエがわざわざフィンランドでかもめ食堂を開店した理由は綿密な計画によるものでも、破れかぶれなものでもありません。「やりたいことをやれていいわね」と言うマサコに「やりたくないことをやらないだけです」と答えるサチエ。父直伝の合気道の膝行(しっこう)という技を毎晩欠かさず日本を捨てないサチエ。かもめ食堂が立ちゆかなくなったらその時はその時、やめてしまうと言うサチエ。彼女の頭にあるのは未来ではなく、いま、そして流れです。
 あくせくせず、状況に合わせていれば物事は自然と落ち着くところに落ち着くという、幾分東洋哲学的なものがサチエの根元にはあります。
 勝利か敗北か、女性だから~、女性なのに~、という視点が男性優位社会の中ではどうしても混ざってしまいがち。自分を持ち、日々のルーティンを真面目にこなす、結果は追わない、そんな人を描く・演じるというのは、簡単なことではなく、下手をすれば映画として全く面白くありません。そんな主人公をさらりと宙に浮かべ嫌味なく見せた荻上直子監督と小林聡美は絶妙のコンビです。

◆コピ・ルアック

 実際はフィンランド人もそうのんびりゆったりでもないというサンプルとして、夫との関係で荒れて人相が険しくなっていたリーサとか、サチエにコーヒーの淹れ方を教えたあと泥棒に入った男も登場します。フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの『過去のない男』(2002年)の主役、マルック・ペルトラがこの男を演じています。
 彼はかもめ食堂が開店する前、この場所でレストランを開いていたのです。彼も家族に離反されてしまったのだとか。
 この男がサチエにコーヒーがおいしくなるおまじないとして「コピ・ルアック」と言ってドリッパーに入れたコーヒーの粉の中心に指を差し込みます。「コピ・ルアック」は、ジャコウネコの糞から採った未消化のコーヒー豆のことで、最高級品として珍重されているもの。
 私が以前、さるカフェのマスターからコーヒーの淹れ方を教わったとき、焙煎し立ての新鮮なコーヒーは、最初に蒸らしで少量の湯を注いだときドーム型に膨らむので、指先であらかじめ粉を少しくぼませておくのだ、と説明を受けました。ドームの頂からお湯が粉の縁に回ってしまうとおいしくなくなるのだそうです。マスターはおまじないは唱えていませんでしたけれどね。

(注)漫画家赤塚不二夫氏の作品に出て来る猫キャラクター。

 

◆関連する過去記事

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予告編 次回3月18日(水)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

『かもめ食堂』(2005年/日本/監督:荻上直子)

ヘルシンキに日本女性が開いた和食のかもめ食堂は開店休業状態。そこにぽつりぽつりと客ではない人が集まって・・・。
人と人とのゆるやかな距離感が心地よいほのぼのムービー。

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続・夕陽のガンマン 地獄の決斗

20万ドルの金貨を巡り、3人のガンマンが墓場で決闘する!
マカロニ・ウェスタンの金字塔。

 

  製作:1966年
  製作国:イタリア、西ドイツ、スペイン、アメリカ
  日本公開:1967年
  監督:セルジオ・レオーネ
  出演:クリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフ、イーライ・ウォラック、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    主人公が抱いている猫
  名前:不明
  色柄:キジ白

 

◆マカロニ・ウェスタン

 「マカロニ・ウェスタン」とはイタリア製西部劇映画のこと。日本独自の造語だそうです。
 1960年代、本場アメリカでは西部劇の製作数が減少していた一方で、中近東、南米、ヨーロッパなどでは需要があり、それらに向けてイタリアで作られ始めたということ。特に黒澤明監督の『用心棒』(1961年)を下敷きとした(と言うよりパクった)『荒野の用心棒』(1964年)が日本でヒットし、イタリア製西部劇のブームが巻き起こります。
 『荒野の用心棒』の監督だったのがセルジオ・レオーネ。ボブ・ロバートソンでは? と思われた方もいらっしゃると思いますが、これはアメリカ映画として売り出すことを企図してつけたセルジオ・レオーネ監督の別名。
 『荒野の用心棒』の主役としてたくさんのハリウッドスターに出演オファーをしたものの次々と断られ、引き受けたのがクリント・イーストウッド。90代半ばのいま、枯れ枝のように痩せた姿となって映画監督・俳優として現役でますます活躍していますが、当時は日本でも人気を博したTV西部劇『ローハイド』(アメリカで1959~1965年に放送)でようやく名が売れた頃。『荒野の用心棒』のヒットでイーストウッドは一躍映画界でも脚光を浴びる存在となり、この初タッグ以来セルジオ・レオーネ監督とは名コンビとなります。『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』(以後『続・夕陽のガンマン』と表記)は二人が組んで3本目の映画。その前に『夕陽のガンマン』(1965年)がありますが、続編としての直接的なつながりはありません。
 マカロニ・ウェスタンは本場アメリカの西部劇のヒーローに比べ、ダーティーヒーローにスポットを当てたと言われています。この『続・夕陽のガンマン』はまさにそうした作品。善玉・悪玉・無頼漢の3人が織りなす虚々実々の駆け引きを楽しんでいると、3時間近い上映時間があっという間に過ぎてしまいますよ。(注)

◆あらすじ

 南北戦争中のアメリカ。
 南軍が北軍に奇襲された際、護送中の20万ドルもの金貨がなくなる事件があった。エンジェル・アイ(リー・ヴァン・クリーフ)は人から雇われて金貨を持ち逃げした犯人を捜していたが、いつしか20万ドルを自分の懐に入れようと考えていた。持ち逃げした男は南軍兵士のビル・カーソンだということをエンジェル・アイはつきとめる。
 その頃、別の場所でお尋ね者のトゥコ(イーライ・ウォラック)という男がつかまり、縛り首の公開処刑が執行される。ところがトゥコの首にかかった縄を銃弾で断ち切り、逃がす男がいた。その男の名はブロンディ(クリント・イーストウッド)。二人はぐるで、賞金首のトゥコをブロンディがしょっ引いて賞金をもらったあと、ブロンディが首吊りの縄を銃で撃ち、二人で逃げて賞金を分け合うという筋書きだった。同じ手口を繰り返したが、取り分を巡って喧嘩し、ブロンディは手を縛られたままのトゥコを砂漠に置き去りにする。
 生き延びたトゥコはブロンディを追跡し、復讐として砂漠を飲まず食わずで歩かせる。そのとき、南軍の馬車が現れ、二人は金貨を横取りしたビル・カーソンと出会う。金貨を隠した墓がある墓地の名前を聞いたのはトゥコ、墓の名前を聞いたのはブロンディ。カーソンは死に、トゥコは暑さで瀕死のブロンディから墓の名前を聞き出そうと修道院に連れて行って治療を受けさせる。
 回復したブロンディとトゥコはカーソンから聞いた墓のことを教え合うことなく墓地を目指すが、途中で北軍の捕虜となり、トゥコはビル・カーソンの名を名乗る。その名を聞いて北軍の軍曹におさまっていたエンジェル・アイが反応する。エンジェル・アイはトゥコに暴行を加えて墓地の名前を聞き出し、ブロンディには5人の仲間と共に墓の名前を言うよう脅しをかける。トゥコは列車で護送される途中で逃げ出し、ブロンディと合流して墓地を目指す。ブロンディとトゥコに仲間をやられたエンジェル・アイは姿を消す。
 ブロンディとトゥコは南北軍が対峙する橋の北軍側の陣地に入って行く。墓地は橋の向こうにあるのだが…。

◆男だらけ

 戦争映画やアクション映画では出演者の圧倒的多数が男性になるのは必然ですが、本場アメリカ生まれの西部劇となると、主役の男性と清純な女性の恋、あるいは酒場の女との駆け引きなど、ロマンスの要素で楽しませてくれるものです。しかし、この『続・夕陽のガンマン』では、主役の3人とも色恋のかけらも生まれません。
 そういう潤いのないこの映画で、わずかに和みを感じるのがクリント・イーストウッドのブロンディが子猫を抱いている6~7秒ほどのカット。遠からぬ場所で無頼漢トゥコが恨みを持つ男から入浴中に狙われて銃を放つと、その早撃ちの銃声を耳にしたブロンディが、トゥコが近くにいるはずだと察する場面です。ブロンディはこのときエンジェル・アイと彼の5人の仲間に見張られている状況で、南北戦争の戦闘で住民が逃げ出したとみられる壊れかかった家の中にいます。子猫はこの家の住民が置き去りにして逃げたのではないでしょうか。連れて行こうと思っても猫は危険を察知すると姿を隠して見つからないことも多いので、住民もやむなく逃げてしまったのかもしれません。
 このキジ白の猫、キジの毛の部分はアメリカン・ショートヘアのはっきりしたきれいな縞模様。ブロンディがあおむけに寝そべりながら胸に乗せているのでそのシマシマの背中がこちらを向いています。その猫がちょっとだけ振り向いたとき、いわゆる「前髪パッツン」でセンターに分け目のあるような面白い横顔がちらりと見えます。もっとよく顔を見たいのですが、ブロンディはすぐに猫をおろし、銃声のした方を見に行ってしまいます。まだ小さい猫ちゃん、その後またひとりぼっちになってしまったのでしょうか?
 エンジェル・アイは北軍の軍曹なので持ち場を離れていいはずないのですが、こんなところで20万ドルのありかを聞き出そうとブロンディにつきっきりになっています。エンジェル・アイは二度と軍服姿で画面に登場することはありません。このへんのシナリオ、どうなっているのでしょうね。
 前髪パッツンの猫が登場するのはこの映画の3分の2を過ぎた122分50秒頃です。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆3人の流れ者

 私が初めてこの映画を見たときにまず感心したのが、クリント・イーストウッドのブロンディ、リー・ヴァン・クリーフのエンジェル・アイ、イーライ・ウォラックのトゥコの3人がそれぞれ初めて登場するとき、どんな人物かの説明が一言、文字で出たこと。
 英語版によると、登場順から言えば、イーライ・ウォラックのトゥコは「無頼漢(the ugly)」、リー・ヴァン・クリーフのエンジェル・アイは「悪玉(the bad)」、クリント・イーストウッドのブロンディは「善玉(the good)」。初登場時、それぞれがその人らしい行動をしたあと、締めくくりにこの言葉がスクリーンに表示されるのです。そのとき、コヨーテの遠吠えをモチーフとしたエンニオ・モリコーネの音楽がすかさず挿入されます。
 英語版の原題は『The Good, The Bad and The Ugly』。タイトルのThe Goodとはこういう人、と各自を紹介するかたちになっているわけですが、はじめに一言で言い表されているので、映画を見ながらこの人はどういう人だろうと頭を使う必要がありません。悪だったら悪と思って見ていればいいので、いかにもといった顔立ちのリー・ヴァン・クリーフが悪そうなことをすればするほど、おお、さすがは悪だ、と安心して楽しめるのです。
 娯楽作としてらくちんなシステムですが、ブロンディが善玉というのはどうでしょう。トゥコのがめつさにブロンディはカチンと来て手ひどいお仕置きをするのですが、それは命を奪いかねないほど意地悪なもの。しかも2度繰り返すのです。これでも善玉か、と言いたくなるようなブロンディの仕打ちですが、トゥコは盗みや放火などあらゆる犯罪に手を染めたこすっからい悪党。市民の敵を懲らしめるという意味ではやはり善玉にふさわしいかもしれません。ユーモアたっぷりのお仕置きはお見事!

◆自信作

 178分という上映時間を生んでいるのは特有の「間(ま)」です。
 たとえば冒頭、ある男の顔がクローズアップで映ると、遠景に切り替わり、建物と道を横切る犬などが見えます。そして再び男の顔に戻り、先ほどと同じアングルの遠景に再度切り替わると、何かが近寄って来るのが見えます。馬に乗った二人組です。冒頭のアップの男が二人組と合流し、建物に銃を構えて入って行くと、3人は撃たれ、トゥコがガラスを突き破って飛び出してきます。そのとき映像はストップモーションに。トゥコに対し「無頼漢(the ugly)」という説明が画面に表示され、ここまでおよそ2分50秒。
 続いて悪玉エンジェル・アイの登場。金貨の持ち逃げについて断片的なことしか知らない男の家を訪ねるシーンです。ここも、この家の息子が庭で働いているところにエンジェル・アイが遠くから馬で近づき、家に入って男と会話を始めるまで、息子、食事の支度をする妻の表情、エンジェル・アイと男のアップなどをかわるがわる、たっぷりと間をとりながら映し出します。
 ストーリー展開に直接影響のない「絵」が雰囲気を盛り上げる。たとえば銃に手を伸ばそうとしている指先、眼だったら眼など、パーツを極端なまでのアップによって強調し、それをじれったいまでに引っ張る「間」。
 日本の剣豪映画から学んだ描き方だと言われているようですが、芸術的効果を狙ったというより、迫力とカッコよさを狙ったものと言えるでしょう。役者は何もしていなくてもカメラが自在に映像を切り取り、それをつなげて効果を生む。音楽で盛り上げる。これはもう映画でしか得られない体験でしょう。その真骨頂が、終盤近く、金貨を埋めた墓に3人が集結する場面。クサい演出と言ってもいいくらいなのですが、娯楽作品はこうじゃなくっちゃ!
 つべこべした理屈は抜きの、観客のハートをぐっとつかむ大衆演劇的手法。つまらなかったら3時間もの長尺、途中でお客は帰ってしまうでしょう。セルジオ・レオーネ監督は相当の自信をもってこの作品を送り出したのではないでしょうか。

◆戦いの空しさ

 けれどもこの映画は、南北戦争を背景に、兵士たちというガンマン以外の男の生きざまを描き出してもいます。
 悪玉エンジェル・アイはビル・カーソンを探す途中で、野戦病院で傷ついた兵士たちを目の当たりにします。詳しい説明はありませんが、次に登場するとき、彼は北軍の軍曹になっています。兵士たちの姿を見たとき、悪玉エンジェル・アイの胸にも、おのれの稼業に対する負い目が生まれたのでしょうか。彼が軍に志願し、軍曹になった経緯は全く描かれていませんが、ビル・カーソンを探すために都合がよかったからとは思えません。
 また、ブロンディとトゥコは、橋の守備に携わっている北軍大尉と出会います。軍の命令による意味のない任務で、それにより両軍の兵士たちが犠牲になることに空しさを覚え、大尉は酒をあおっています。ブロンディは彼を苦しめているこの橋の存在をなんとかしようと動き出すのですが、これも金貨にたどりつく目的からは遠い行動です。
 戦争批判と言えるこれらのサブストーリーをイタリア人監督、脚本家たちが加えた理由はなんでしょう? 泥沼化するベトナム戦争を批判するべく、アメリカを遠回しに牽制したのでしょうか。

 ロケはスペインで行われたということで、アメリカ製西部劇ではまず見かけないオリーブの木が背景の随所に見られます。これぞマカロニ・ウェスタン。

 

(注)この章のマカロニ・ウェスタンについての記述は『現代映画用語事典』(キネマ旬報社/2012年)を参考にしました。

◆関連する過去記事

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