「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。
次回の作品は
『鬼火』(1963年/フランス/監督:ルイ・マル)
若い頃から放蕩に明け暮れたアランはアルコールに逃げたのち死を選ぶ。
『死刑台のエレベーター』のルイ・マル監督と主演のモーリス・ロネが、目的を見失った現代人の虚無を描き出す。

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殺し屋としてトップの男がある日現れた若い殺し屋に妨害を受け、命を狙われる。若い殺し屋は誰の依頼で動いているのか?
製作:1995年
製作国:アメリカ
日本公開:1996年
監督:リチャード・ドナー
出演:シルヴェスター・スタローン、アントニオ・バンデラス、ジュリアン・ムーア、
アナトリー・ダヴィドフ、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
ハッカーの女性の猫
名前:パール
色柄:長毛のサバ白
自らの書いた脚本で、売れない俳優だったシルヴェスター・スタローンが一躍スターにのし上がった『ロッキー』(1976年/監督:ジョン・G・アヴィルドセン)。彼も『暗殺者』の製作時には49歳に。1980年代に始まった「ランボー」シリーズなどで見せたアクションも、重荷になってきた年頃かと思います。
一方、スタローンの演じる殺し屋を狙う若い殺し屋役・アントニオ・バンデラスは『暗殺者』のとき35歳。スタローンがロッキーを演じたときよりは5歳ほど年上ですが、男性俳優としては色気も脂も乗り切った頃と言えるのではないでしょうか。
『暗殺者』は、このときの二人の俳優としての立ち位置を象徴するような映画です。アクション俳優として一世を風靡したスタローンの交代期。スペイン出身のアントニオ・バンデラスのセクシーな男臭さ。直前に出演した『デスペラード』(1995年/監督:ロバート・ロドリゲス)での彼の魅力とアクションが引き継がれ、ムンムンとラテン系のフェロモンを放っています。
現在のスタローンは老いが目立ち、また、バンデラスは油気の抜けた恬淡(てんたん)としたたたずまいとなって、この映画の頃とは違う人のような印象を受けます。
『オーメン』(1976年)、『リーサル・ウェポン』シリーズのリチャード・ドナー監督、ウオシャウスキー兄弟(姉妹)他の脚本による『暗殺者』は、これと言った特別な印象は受けません。メールを使った姿の見えない相手とのやり取りや、ハッカーといった当時の最先端を取り入れながら、最終的には主役二人の体を張った一騎打ち、女性が招くピンチといった昔ながらの類型に落ち着きます。見どころはやはり渋さの増してきたスタローンと、少し偏執的なキャラクターを演じる色気のバンデラスの新旧スター対決でしょう。
共演のジュリアン・ムーアは、若年性アルツハイマー病を発症する女性を演じた『アリスのままで』(2014年/監督:リチャード・グラッツァー、ウオッシュ・ウェストモアランド)など2000年代に入ってから数々の賞を受賞し、大御所の風格を備えてきましたが、この映画では口紅も鮮やかな女っぽさのにおう犯罪者。アントニオ・バンデラスとは同い年です。
今回は久しぶりに猫がたっぷり出て来る映画です。
ロバート(シルヴェスター・スタローン)はトップに君臨する殺し屋だった。殺しの依頼人は女性らしく、いつもパソコンに電子メールで連絡してくるが、ロバートは直接会ったことはなかった。ロバートは15年前に殺しの腕で一二を争う相手で友人のニコライ(アナトリー・ダヴィドフ)を自分の手で始末して以来、喪失感に悩んでいた。
次の案件を引き受けターゲットを狙っていたそのとき、若い男(アントニオ・バンデラス)がロバートより先に相手を撃った。若い男は警察から逃げる途中、ロバートが彼を捕らえるために強奪したタクシーを本物と思って乗り込む。男の名はミゲル。誰の依頼で狙いは何かをロバートが探ろうとすると、ミゲルはロバートのことを調べつくしており、あんたは一番になるためにニコライを殺したと言う。ミゲルはロバートを蹴落として一番の暗殺者になろうとしていた。ミゲルに撃たれそうになったロバートは彼を車から振り落として逃げ帰る。
殺しの依頼人もミゲルのことは知らないと言う。ロバートはこれが最後のつもりで次の依頼を受ける。ターゲットは猫の目のデザインのロゴマークを使う正体不明のハッカー。盗んだデータをバイヤーに売りつけようとしていて、依頼人からは彼らを殺してデータの入ったディスクを取り返せと指示される。
ハッカーは片時も猫を離さないエレクトラという女性(ジュリアン・ムーア)だった。エレクトラはホテルの部屋にバイヤーを呼び出すが、そこにミゲルが押し掛け、バイヤーを殺害する。一方、ロバートはエレクトラのいる部屋を襲う。ミゲルは無線機でロバートにエレクトラを殺せと促すが、ロバートは殺さずに車を運転させて彼女の家に連れ戻そうとする。途中でエレクトラは車から逃げ出すが、ロバートは彼女の居所を突き止める。ミゲルも彼女のアパートを探り当てる。ミゲルもまた彼女のディスクを奪おうとしていた。
ロバートとミゲルはエレクトラのアパートで撃ち合いになる。ロバートはガスに火を放ち、戻って来たエレクトラと逃げ出す。ミゲルもからくも脱出する。ミゲルはロバートと同じ殺しの依頼人から同じ依頼を受けていたのだ。
エレクトラは自分を助けてくれたロバートに次第に気を許す。ロバートはエレクトラからディスクを受け取り、依頼人にディスクは自分が持っていると伝える。依頼人は金の入ったアタッシェケースを使いに持たせ、ディスクと交換させるが、そのあとでアタッシェケースが爆発する。直前に気づいたロバートはアタッシェケースを捨てていて、一緒にいたエレクトラとも無事だった。エレクトラは勘が働いたのか、空っぽのディスクを渡していた。
ロバートはエレクトラと手を結び、データの入ったディスクを2000万ドルで渡すと依頼人にふっかける。依頼人は承諾する。そんなときミゲルは依頼人から次の仕事としてロバート殺害の注文を受ける。
ロバートとエレクトラは依頼人から振り込まれた2000万ドルを受け取るためカリブの銀行に向かう。そこは15年前、ロバートが向かいのホテルからニコライを狙撃した場所だった。いまは廃墟となったホテルにはミゲルが待ち受けていた・・・。

ジュリアン・ムーアの演じる天才的ハッカー・エレクトラはメス猫パールちゃんをこよなく愛する女性。身分証も持たず、本名すらまともに知らない天涯孤独の彼女の唯一の家族と言っていいパールちゃん、どこに行くにも一緒です。色柄はサバ白で、サイベリアンかノルウェージャン・フォレストキャットのようなフサフサの長毛種。エレクトラが出てくる場面にはほぼ一緒に登場します。
ハッカーのエレクトラがバイヤーから受け取る予定だった4万ドルで何を買おうとしていたかというと、パールちゃんの彼氏。パールちゃんもそのお相手も、お値段がいかほどかわたしは存じませんが、庶民が気軽に手を出せる金額でないことは確かでしょう。何しろパールちゃん、キャビアを食べさせてもらっているくらいですから。
「キャビアってロシア語で何ていうの?」とエレクトラが聞いたとき、ロバートは「たしかイクラだ」と答えます。まさかと思ってスマホの翻訳アプリで調べると本当でした! アクセントはロバートの発音通り値段の方の「いくら」に近いです。
初登場のとき、パールちゃんはラジコンのおもちゃのトラックに乗って遊んでいます。エレクトラはデータのバイヤーからお金を受け取る際、ホテルの通風孔にそのトラックを入れ、金をその荷台に入れさせたあとラジコンで操作し、自分の部屋の通風孔から受け取るようにしていたのです。ホテルの通風孔を使ってお金を移動する・・・と言えばコーエン兄弟が監督した『ノーカントリー』(2007年)。小柄な人なら通れそうな通風孔。アメリカの宿泊施設はどこもこんななのかと心配になってしまいますね。
さて、パールちゃんはただの飾りではなく、この映画の展開に大いに貢献しています。たとえばエレクトラがどこに住んでいるのかをロバートが突き止めるときは、彼女が置き去りにしてしまったパールちゃん入りのキャリーケースと、彼女の車の中にあったペットショップの袋から、そのペットショップにパールちゃんを連れて行って彼女の住まいを聞き出しますし、ミゲルが同じくエレクトラのアパートを探し出すときは、彼女が残したパールちゃんの写真の背景から場所を特定します。
そして、パールちゃんはロバートにすぐになつきます。こうしたとき飼い主はすこし嫉妬心に駆られながらも、愛猫が心を許す人になら自分も心を許してしまうのではないでしょうか。ロバートとエレクトラを急速に結び付けるのにパールちゃんの存在が一役買ったと言えるでしょう。
以前取り上げた『スペシャリスト』(1994年/監督:ルイス・ロッサ)でもタイマーという名の長毛の猫といい関係だったシルヴェスター・スタローン。分厚い胸板にはボリュームある猫が似合います。

『スペシャリスト』と比べると、『暗殺者』ではパソコンやネットワーク関係の格段の進歩が見られ、製作がちょうど1年違いとは思えないほどです。『スペシャリスト』では公衆電話回線を利用したパソコン通信が依頼者と主人公の通信手段でしたが、この『暗殺者』では電子メールにアップデート。とはいえ、ハッカーが盗んだデータを格納しているのが3.5インチフロッピーディスクというのはやはり時代を反映しています。衛星通信でたまたまデータを拾ったとエレクトラは言っていますが、3.5インチのディスクではデータ量はたかが知れたもの。
『暗殺者』が製作された1995年と言えばWindows95が発売され、パソコンやインターネットと一般人との距離がぐっと縮まった年。当時のディスプレイはブラウン管でしたし、パソコン本体にはフロッピーディスクドライブが標準装備でした。この映画は、その当時のまだコンピュータやネットワークにおっかなびっくりで近づきつつあった観客に、新しい形の犯罪を示して見せたと言えるでしょう。今なお相手がどんな人間かわからないままメールなどの詐欺に引っかかる人が絶えないのを見ると、技術の進歩は決して人間を幸福にするわけではないと思えます。
この映画でも、ロバートやミゲルの殺しの依頼者は正体不明。よくもまあこんな相手からの注文で人を殺すという究極のリスクを負うことができたなと思います。この時点で電子メールで依頼を受けていたとしても、15年以上も前から殺し屋だったロバートは以前は違う方法で注文を受けていたのだろうと思うと、メールで知らない相手とホイホイ取引する様子に、どうも納得がいきません。
おっと、ついリアリズムを求めすぎるのがわたしの悪い癖。映画なんだからそういうことにしておきましょう、という気になれないのが、この手のジャンルが苦手な理由かもしれませんね。
殺し屋稼業に空しさを覚え引退を考えるロバートと、俺が一番になるんだと鼻息の荒いミゲルの対決が初めはメインとなっていますが、謎の依頼人がミゲルを使ってロバートを亡き者にしようとしていることが次第に明らかになってきます。依頼人はなぜロバートを狙うのかが後半に入ってのもう一つの焦点です。
けれども、ミステリーやサスペンスに親しんでいる方々ならば、依頼人がロバートを狙っていることが明らかになった頃には、依頼人が誰かということはおおよそ見当がついていたのではないでしょうか。ここがこの映画の一番残念なところと思えます。このブログの決まりとしてラストがわかるようなことは申しませんが、合間合間にちょっとヒントが多すぎる気がします。ロバートとミゲルに同じ案件を同じように依頼しているということは、依頼人は同一人物だと簡単に推測することができますし、この映画のストーリー上、絞れるのはあの人・・・、となってしまうのではないでしょうか。
メールの向こう側の依頼人は女性らしいということはにおわされますが、メールならばどんな人間にもなりすますことができるということを掘り下げて、ロバート、ミゲル、観客を、もっと惑わせることもできたと思います。この映画の目玉はアクションで、ミステリーのような謎解きではないとは思いますが、観客の推測の一つ上を行く工夫がほしかったですね。スターが出ているのでちょっともったいない気がします。
ということで、『暗殺者』の見どころは、繰り返しますがスタローンとバンデラスの新旧対決、おまけでパールちゃんでした。
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暗殺者としてトップに君臨するロバートは、ある日自身が若い暗殺者に狙われていることを知る。彼に暗殺を依頼したのは誰なのか。
主演はシルヴェスター・スタローンとアントニオ・バンデラス。

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性の衰えを自覚した高齢の男が妻と若い男性を接近させ、自らの欲望を掻き立てようとあがく。
谷崎潤一郎の原作小説を大胆にアレンジした初の映画化作品。
製作:1959年
製作国:日本
日本公開:1959年
監督:市川崑
出演:中村鴈治郎(二代目)、京マチ子、仲代達矢、叶順子、北林谷栄、他
レイティング:一般
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆(ほんのチョイ役)
家に迷い込んで来る猫
名前:不明
色柄:キジシロ
高齢者の愛と性を描いた映画の第二弾、明るいコメディだった第一弾の『ラブリー・オールドメン』(1993年/監督:ドナルド・ペトリ)とはがらりと変わり、今回は性に執着する老人を描いた粘着質な文芸映画です。
原作は文豪谷崎潤一郎の同名の小説。谷崎潤一郎は、エロスを描いた耽美的な作品が殊に有名ですが、この『鍵』は1974年の神代辰巳(くましろたつみ)監督版など何度も映画化されていて、この6月にもいまおかしんじ監督が新作を公開するそうです。市川崑版は最も早く、谷崎潤一郎が1956年に小説を発表した直後に映画化。
その谷崎潤一郎は映画好きにして猫好き。大衆演劇をそのまま移し替えたような初期の日本映画に芸術的・技術的革新をもたらそうと意欲を燃やし、自らの原作・脚本で『アマチュア倶楽部』(1920年)という映画をトーマス・栗原に監督させたりしています。
猫好きならではの話としては、猫を溺愛するダメ男が主人公の『猫と庄造と二人のをんな』という小説を1936年に発表。『夫婦善哉』(めおとぜんざい/1955年)の豊田四郎監督・森繁久彌の主人公で1956年に映画化されています。谷崎潤一郎はこの主人公以上に猫を溺愛していたと伝えられ、わたしも谷崎が猫を抱いている写真をいくつか見たことがあります。
『鍵』に話を戻すと、スタイリッシュでクールな市川崑監督と1958年の『炎上』以後何度もコンビを組んだ名カメラマン宮川一夫による、映像美に重点を置いた演出と、後半に進むにつれミステリー風の展開が見られます。妻と夫が相手に読まれることを意識しながら日記を書いて盗み読み、鍵は日記がしまってある机のもの、という原作小説とはかなり異なりますが、この頃の日本映画の威信を感じる重厚な出来。昨2025年に亡くなった仲代達矢が準主役を演じています。
京都に住む高名な古美術の鑑定家の剣持(けんもち/中村鴈治郎/なかむらがんじろう)は、年齢からくる性の衰えに悩んでいた。まだ若く美しい妻(京マチ子)に執着する剣持は、主治医の助手の木村(仲代達矢)と妻を故意に接近させ、その嫉妬と刺激から自身の衰えを回復させようと試みていた。
夫婦は娘の敏子(叶順子)と木村を結婚させようともしていたが、二人ともすでに肉体関係があるものの愛を感じてはいなかった。敏子は木村と母の間を薄々疑っている。
剣持が敏子と会わせようと木村を自宅に招いたある夜、酔った妻は風呂で脳貧血を起こし意識を失ってしまう。剣持は木村に手伝わせ妻を抱え上げてベッドで介抱し、木村にわざと妻の裸を見せる。翌日剣持は木村を電話で呼び出して妻の診察を頼み、物陰から盗み見をする。目を覚ました妻は起きようとして力が抜け木村の背中にしがみつき、思わずそのままかき抱く。
妻は寝言で木村の名を呼ぶようになる。娘の敏子は木村を家に呼ぶために自分がダシに使われるのが嫌で家を出て下宿する。木村と母は隠れて外で会うようになり、敏子は剣持に告げ口するが、剣持はそのことよりも木村を妻に近づけようとした自分の思惑について敏子に図星を指されたことにカッとする。
血圧が異常に高くなった剣持は急に敏子と木村の結婚を進めようとする。敏子は以前から母が木村を利用して血圧の高い父を興奮させ、死なせようとしていたのではないかと思う。
木村とは何もないとしおらしい態度を見せる妻をいとおしく感じ、抱こうとしたとき、剣持は脳出血を起こして動けなくなってしまう。妻はさっそく家の鍵を木村に渡し、木村は忍んで通って来る。
しばらく自宅で療養した後に剣持は亡くなる。妻はきれいさっぱり後を片付け、木村と敏子を結婚させ、ここで木村に医院を開業させて情事を続けるつもりだった。だが、剣持家の財産だけが目当てだった木村は、それが全くないことに気づく・・・。

俗っぽい煩悩が着物を着て歩いているようなオヤジを演じ、1950~60年代の、日本映画が最も勢いのあった時期に活躍した二代目中村鴈治郎。歌舞伎俳優、人間国宝、中村玉緒の父です。映画では、成瀬巳喜男の『鰯雲』(1958年)や小津安二郎の『浮草』(1959年)『小早川家の秋』(1961年)ほか、金、女などへの執着を強く抱きつつ、表向き涼しい顔をして生きているといった、いわゆるむっつりなんとか系の役柄が彼の十八番と言えるでしょう。この映画の剣持もまさにそうした人物です。
その剣持には歩くときに軽い跛行があります。
妻は剣持に対して決して嫌な顔を見せたりしない慎み深く従順な女で、こちらも本心を隠して生きている人物です。けれども、彼女の剣持に対する感情がわかる描写が映画の開始後間もなく存在します。
16分40秒あたりで、剣持家のお勝手の土間の外に1匹の猫がやってきます。それを見た妻は、「まあかわいい、あんたどこのうちの猫や」と言ってミルクをあげようとするのですが、ミルクのお皿に近づいて来た猫が足を引きずっているのを見ると急に顔色を変え、首元をつかんで乱暴に表に放り出してしまいます。猫の歩き方で剣持を連想し、彼への嫌悪感から猫を邪険に扱ったのです。急に冷たくされた猫が気の毒です。
市川崑監督の映画では、このブログの第2回目で『吾輩は猫である』(1975年)を取り上げましたが、現在の常識ではちょっと考えられないようなひどい仕打ちを猫にしています。どうもこの人は猫ばかりでなく動物が好きではなかったのではないでしょうか。以前、別の記事で書きましたが、監督の被写体に対する感情というものは不思議とスクリーンを通して観客に伝わるものです。
演出上の狙いもあるでしょうが、動物に対して愛情のある人ならこういう描き方はしないのでは、と再び思ってしまった短い場面。かわいい猫や、と言ったわりにはかわいく撮れていないのは、カメラの宮川一夫も猫が好きではなかったのでしょうか。

映画が始まると、正面を向いた仲代達矢の木村が観客に視線を向けながら「人間の老衰減少は10歳から始まるそうです」と老化についてのレクチャーを始めます。50歳では微妙な味がわからなくなり、70歳では人間の力の3分の2を失ってしまう・・・など、当時の学説に基づく説明のようで、現在の知見とは異なるところもあると思いますが、じっと目を見つめて言われてしまうとドキリとしてしまいます。
わたしも眼の衰えは、映画館で映画を見たり、こうしてパソコンを凝視したりしていると嫌でも痛感させられます。そうそう、高齢者の生理的特性としてトイレが近くなるというものもあります。映画館は一部の高齢者には結構ハードルの高い場所なのではないでしょうか。
木村のレクチャーはさておき、この正面切った仲代達矢の顔は粉をはたいたような白さです。中村鴈治郎もそんなメイクをしています。そして妻の郁子を演じた京マチ子は虫の触角のような細くつり上がった眉、娘の敏子役の叶順子は鬼のような三角のご太い眉毛です。このようなメイクは、この映画が日常をかけ離れた閉じた特殊な世界の物語であることを強調し、観客をその世界にワープさせる効果を狙ったものと思われます。ちょうどお面をつけて演じるような、日常と虚構の世界を分ける仕掛け。その不自然さがこの主な4人が世間の良識からかけ離れた存在であることを際立たせています。
敏子は木村が問題外と言うくらい、見た目の悪い娘という設定ですが、演じた叶順子はとても美しい人です。これが彼女の真の姿だとはお思いになりませんように。
主役4人以外はナチュラルメイク、と書きかけて、いつも実年齢からかけ離れた老婆役を演じていた北林谷栄は、ナチュラルと書いていいのか特殊メイクと書いた方がいいのか、手が止まってしまいました。「あらすじ」では触れませんでしたが、北林谷栄は後半のキーとなる剣持家のお手伝いのはなを演じています。80代くらいに見えますが、このとき48歳。1963年の『にっぽん昆虫記』(監督:今村昌平)に実年齢相当の姿で出演していますので、関心のある方はそちらをご覧ください。
妻の肉体に執着する剣持、若い男を妻に近づけ、それによって自分の欲情を掻き立てようとする屈折した心理。妻の人格を考えず、一方的に自分の所有物、性の道具としてしか見ていません。木村が剣持の財産を目当てに敏子と結婚し、開業するのが目的の計算高い男だったからよかったものの(?)、純情な男だったら妻に本気になり、下手をすれば愛の逃避行とか刃傷沙汰になる可能性もあったでしょう。
木村は単に、剣持が妻の裸の写真がほしいのだと考えて当時まだ珍しかったポラロイドカメラを剣持に渡します。けれども、剣持は撮ってその場で見るポラロイドカメラには関心を持ちません。妻が風呂で気を失っている間に裸にして普通のカメラで撮影し、意図的にきわどいポーズを収めたフィルムを木村に渡して現像を頼むのです。
木村はやはり剣持から押し付けられた娘の敏子の扱いにくさに閉口しながらも表面上は彼女との交際を続け、将来の開業のために彼女を利用します。大阪のなじみの連れ込み宿に行って母の裸の写真を敏子に見せ、敏子の体もいただくのです。
その宿のそばの蒸気機関車の車両基地で、車両が連結したり動いたり、汽笛が鳴ったりというのは明らかに性行為のプロセスをなぞらえたもの。機関車の煤が木村と敏子が抱き合う部屋の畳に吹き込んでくるところなどは、リアルタイムに機関車を利用していた人でなければ思いつかないカットでしょう。芸術的なカメラワークがすばらしい。
けれども、これらの屈折した行為を演じながらも中村鴈治郎がただのいやらしい爺さんとは見えないのが芸の力でしょうか。鴈治郎をこの時代に活躍した同年代の俳優、たとえば長谷川一夫とか滝沢修とか小沢栄太郎とかに置き換えて想像してみても、美術家として芸術的に崇高なものを求めるかのように妻の肉体を賛美しながら、根本でそれを突き動かしているのはただの猥褻な本能、という二重性を出せるのは鴈治郎しかいない、という気にさせられるのです。
こうした四者の愛憎渦巻く密室的な展開に風穴を開けるのが、北林谷栄のお手伝いさん・はな。彼女は良かれと思って剣持のために指圧師を呼び、その施術が引き金となって剣持は脳出血を起こしてしまうのです。そのとき、隠れていた妻の本音が奔流となって動き出します。もしかしたら妻の虫の触角のような眉毛は、オスを食べてしまうメスカマキリのような残酷さを表しているのかもしれません。
妻は自分を抱こうとしてろれつが回らなくなった剣持を前にほくそ笑みます。てきぱきと医師に往診を頼み、氷枕を調え、看護師が泊まり込みで派遣されます。少し話が横道にそれますが、昔の日本映画を見ると急病人が出ても救急車を呼ばず、このように家庭に医師を呼ぶ場面が出てきます。なんで救急車を呼ばないのかと思うかもしれませんが、実は今のように救急車が全国的に配備されたのは1963年以降と、比較的遅いのです。
派遣されてきた看護師は、この家の人たちが病人のことを心配していない、と敏感に感じます。それに相槌を打つのが、お手伝いのはな。
愛欲の世界を追ってきた映画は意外な終わり方をします。この映画は谷崎潤一郎ではなく、市川崑劇場。市川崑は直接谷崎から映画化権を買ったそうですが、谷崎が大胆な手の加え方を許したのは、映画好きだったからでしょうか。
市川崑は4人姉妹を描いた谷崎潤一郎の『細雪』を1983年に映画化しています。こちらはただきれいな女性俳優を並べただけといった当たり障りのない平凡な趣きでした。4人もそろうと諸々の配分など、気を遣うことが多かったのかもしれません。元阪神タイガースの江本孟紀がよかったですね。
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