この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

HOUSE ハウス

友だちの伯母さんの家で次々と怪奇現象に襲われる女子高校生たち!
公開時大きな話題を呼んだ大林宣彦監督のホラー・コメディ。

 

  製作:1977年
  製作国:日本
  日本公開:1977年
  監督:大林宣彦
  出演:池上季実子南田洋子大場久美子神保美喜尾崎紀世彦、鰐淵晴子、 他
  レイティング:一般(どなたでもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆☆(主役級)
    主人公とその伯母の飼い猫
  名前:シロ
  色柄:白のペルシャチンチラシルバー


◆ラブリー・セブン

 前回は吹雪の一軒家に閉じこもった凶悪な男女8人の『ヘイトフル・エイト』(2015年/監督:エンティン・タランティーノ)をお送りいたしましたが、今回は一転、かわいい女子高生7人が夏休みに一軒家に閉じ込められて恐怖の体験をする映画です。
 『HOUSE ハウス』の一軒家は、山の上に立つ、見るからにいわくありげな幽霊屋敷タイプ。主人公の母の姉が一人で住む、土間や蔵や井戸のある古いお屋敷です。主人公の祖父はここで病院を開業していました。大林監督も代々医者の家系で、この家はもしかしたら監督の生家をモデルにしているのかもしれません。
 今回の映画も派手な流血の場面が出てきます。水に赤く着色したこわがらせ程度のものが多いのですが、リアルな描写もあり、また津波や水害を思わせる映像もありますのでご注意ください。

◆あらすじ

 8年前に母を亡くした女子高校生のオシャレ(池上季実子)は、毎年夏休みには父(笹沢左保)と別荘で過ごすのが恒例だった。けれども今年の夏休み前、父が凉子さんという美しい女性(鰐淵晴子)を再婚相手として連れて来る。父は3人で別荘に行こうと言うが、オシャレはショックで受け入れることができない。
 オシャレは6つのとき一度会ったきりの、母の姉である伯母の羽臼華麗(はうすかれい(⁉)/南田洋子)の家に父たちとは別に遊びに行くことを思いつく。高校で仲良しのメロディー(田中エリ子)、ファンタ(大場久美子)、ガリ(松原愛)、スウィート(宮子昌代)、クンフー神保美喜)、マック(佐藤美恵子)に声をかけ、7人で合宿気分で伯母の住む山の上の家に向かう。ここは母の実家だった。
 車椅子でオシャレたちを迎えた美しい白髪の伯母は、オシャレの母が嫁いだあとおばあちゃんが亡くなってから、ずっと一人で住んでいた。大きなグランドピアノが置いてあり、伯母は以前ここでピアノを教えていたと言う。満足に台所仕事などできないと言う伯母に代わり、みな手分けして炊事や掃除や布団の支度などに取り掛かる。
 やがて食いしん坊のマックが井戸で冷やしたスイカを取りに行くが、一向に戻ってこない。様子を見に行ったファンタが井戸の釣瓶を上げると、西瓜の代わりにマックの生首が現れる。ファンタが皆のところに逃げて来るが、井戸には変わった様子はなく、みんなで西瓜を引き上げて食べる。ファンタは西瓜を食べる伯母さんが口の中で目玉をしゃぶっているのを見かけたり、伯母さんが冷蔵庫に入っていくのを目撃したりするが、誰にも信じてもらえない。伯母さんはみんなを見ていたら元気が出たと、車椅子から立ち上がって踊り始める。
 ピアノの置いてある部屋でメロディーがピアノを弾くと、ピアノがメロディーの指に噛みつく。蔵に布団を取りに行ったスウィートは次々と布団に飛びかかられ、姿が見えなくなる。異変に気付いてみんなが騒ぐ中、無表情のオシャレが村の駐在所に行って来ると言ってみんなを置いて出て行くと、家じゅうの戸や窓が次々閉まり、家の外に出られなくなってしまう。
 ピアノに呑み込まれるメロディー。花嫁衣裳をまとったお化けのオシャレが現れ、残ったクンフーガリ、ファンタに家の中の物が次々と襲いかかる・・・。

◆緑に光る眼

 あらすじではふれませんでしたが、この映画に登場する猫のシロは準主役級の重要な存在。
 父を凉子さんに取られたショックで「泣きたいモード」のオシャレが、伯母に友だちを連れて遊びに行きたいと手紙を書いたとき、オシャレの部屋にいつの間にか白いペルシャ猫が出現します。「まあかわいい、おまえ、どこの子?」と、オシャレはシロと名付けて飼い始めます。
 シロは伯母さんの家に向かう列車で先に座席に座って待っていたり、伯母さんの家の最寄りのバス停に降りると方角を示したり、水先案内人のようにみんなを伯母さんのところに導きます。そしてオシャレたちが伯母さんの家に着いて門が開くと、シロは伯母さんの膝の上に乗っているのです。以前からここに住んでいましたよ、という顔をして。
 ファンタが記念写真を撮ろうと、みんなを並ばせてカメラを構えると、突然シロの眼が緑色に光り、ファンタの手からカメラが落ちて壊れてしまいます。さらに、玄関で伯母さんがシャンデリアのスイッチを入れると、シャンデリアのとがった飾りの一部が落ちて床のヤモリに突き刺さり、シロが食べるという気持ちの悪い出来事も。
 何もしなければすごくかわいい猫なのですが、この家で起きる怪現象には必ずと言っていいほどシロが関わっています。神出鬼没、怪異を起こすときはキラッと緑色に光るその目。シロの正体はまた後ほど。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆密室劇

 大林宣彦監督の長編劇映画第1作で、ユニークなのはその映像表現。それまでのコマーシャルフィルムの製作で培った、見た瞬間に人を惹きつける視覚効果をいかんなく発揮して、話題をさらってしまいました。70年代の日本映画というと、行き場のない青年層の虚無感や葛藤を描いた、難解で暗くて、「性」が出てくれば芸術、みたいなものが多かったのですが、その流れの中に突如エンタメ性を引っ提げて躍り出たこの映画は、インパクト十分。
 フィルムという「物」を使った、アニメーションとの合成、コラージュ、コマ落としや逆回転などの、からくり的な手作りの味わいには、バスター・キートンチャップリンなどのスラップスティックの時代や化け猫映画への意識が感じられます。
 一方、映画や文学がまだまだ人生の教科書として影響力を持っていたこの頃、『HOUSE ハウス』は目新しい映像表現だけの、中身のない映画と見られていたこともわたしの記憶にあります。たしかに子どもだましと言えなくもない部分はありますが、伝統を重んじる保守層からは軽く見られたものの、新しさを求める若者の口コミから評判が広がり、ヒットするものというのは、映画に限らずそういう道をたどるものですよね。
 映画の最大の強みである視覚表現をためらいなく切り拓いたアナログ的手法。昔の見世物小屋や学校の文化祭のお化け屋敷で、人を驚かせようと工夫したあの手この手にも似た素朴さ、ちょっぴりにおうアマチュアっぽさは、『HOUSE ハウス』独特の魅力です。

◆キュンです

 この映画ならではのもう一つの魅力は、かわいい7人の女子高生。高校生にしてはちょっと幼稚にも思えますが、オシャレの伯母さんの家に行く途中、吊橋を渡るときに一人一人の顔と名前の紹介が入り、テーマ音楽をBGMに笑いさんざめきながら進んでいく彼女たちを見ていると、その乙女な世界へのあこがれがふくらみ、「仲間に入れて~」「連れてって~」と追いすがりたくなる気分になってきます。「萌え」ってこういう気持ちなのかしら・・・?
 オシャレは7人の中では大人っぽい雰囲気、最初にいなくなるマックはいつも食べ物のことばかり考えている食いしん坊、夢見るタイプのファンタは、いつも一人で怪奇現象を体験してみんなに信じてもらえません。空手の得意なクンフーはその技で目に見えない魔力と戦い、そんなカッコいいクンフーが大好きなスウィート、ピアノが得意でお嬢様っぽいけれど笑えないギャグを飛ばすメロディー、科学的合理的思考の持ち主で怪奇現象を否定するガリ。大林監督作品の永遠のマドンナは、大人に成熟する前の乙女たちです。
 そして戦争への憎しみや告発も、大林監督の永遠のテーマ。父の病院の後継者となるはずだった伯母さんのいいなずけ(三浦友和)は、戦争に行って飛行機が墜落し、亡くなってしまいます。あの人は死んでいない、きっと帰って来ると、伯母さんはたった一人でこの山の上の家に住み、彼と結ばれ、花嫁衣装を着る日を待ち続けていたのです。

◆心残り

 そんな伯母さんの部屋をそっと覗いてみたオシャレは、鏡台の前で伯母さんの口紅を自分の唇にさしてみます。するとオシャレと同じ長い黒髪になった伯母さんの鏡像が現れ、オシャレは伯母さんが夢見ていた花嫁姿になってしまいます。実は既に死んでいた伯母さん。オシャレは伯母さんの魂に乗り移られ、友だちを家に閉じ込め追い詰めます。
 死者が生きている者に影響を及ぼし、コントロールするというのも、大林監督がよく使うモチーフ。猫のシロは伯母さんがオシャレたちを間違いなく自分の家に導くために、オシャレの家に送った手下。伯母さんの魂がなぜ女の子たちを襲うのかは映画を見ていただくこととしましょう。

 マックが殺られ、スウィートが殺られ、メロディーが殺られ、勇ましかったクンフーも殺られ、なぜこんな怪異が起きるのかを伯母さんの日記から突き止めようとしたガリは、押し寄せる猫のシロの血の池の中にメガネを落として何も見えなくなり、落ちて溺れてしまいます(メガネなしでは暮らせない猫美人が最も身につまされたシーン)。一番怖い目に遭ってきたファンタが最後まで残り、そしてオシャレの父の再婚相手の凉子さんもこの家に向かうのですが・・・。
 襲われる女の子たちの少しエロチックな描写もホラーの定番。オシャレを演じた当時18歳の池上季実子はヌードを披露しています。

◆シネマパラダイス

 オシャレたちが伯母さんの家に向かう道中の芝居の書き割りのような背景、そして現実との境界線上で番人をしているような、スイカ売りの小林亜星との出会いや問答には『となりのトトロ』(1988年/監督:宮崎駿)や『千と千尋の神隠し』(2001年/監督:宮崎駿)などにも見られる、異世界に入るための儀式性を感じます。
 そんなファンタジー的空気の一方で、オシャレたちが東京駅から乗り込んだ列車の乗降口で別れを惜しんでいる恋人同士が大林監督夫妻だったり、ファンタが大好きな男の先生(歌手の尾崎紀世彦)が、後から伯母さんの家に車で駆け付ける途中に、菅原文太そっくりなデコトラのトラック野郎に会ったり、ラーメンの屋台で寅さんのそっくりさんに会ったり、などのお遊びも。

 ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(1950年)や『怪猫有馬御殿』(1954年/監督:荒井良平)を下敷きにした『麗猫伝説』(1998年)を作ったように、大林監督も映画オタクと言われた方ですから、先人の映画を基にした演出がこの映画にもチョコチョコ顔を出します。
 街角で靴屋が真っ赤なトウシューズを作っているところは1948年の『赤い靴』(監督:マイケル・パウエルエメリック・プレスバーガー)から。バレエ・リュスのレオニード・マシーンが、劇中のバレエの舞台で扮した靴屋を模しています。
 オシャレが伯母さんの鏡を覗き込んだとき、鏡の中に白い布のようなものが飛んでいるように見えるのは『無法松の一生』(1943年/監督:稲垣浩)で、子ども時代の無法松が寂しい道を一人で歩いているときに見たおばけにそっくり。
 前回の『ヘイトフル・エイト』の記事の中で「セルジオ・レオーネ監督の西部劇を思わせる、音楽はレオーネ監督作品ほかの映画音楽を生み出した巨匠エンニオ・モリコーネ」と書いたら、オシャレの父は映画音楽家という設定で、イタリアから帰って来て「モリコーネよりご機嫌だってレオーネが喜んでた」などと得意そうに話すという偶然も。
 そのオシャレの父を演じたのは『木枯し紋次郎』などで知られる小説家の笹沢左保。どういういきさつでこの映画に出ることになったのでしょうね。ちなみにオシャレの名字は「木枯」・・・。

 大林宣彦クエンティン・タランティーノという個性の強い監督の作品を続けてご紹介しましたが、見る人との相性によって好き嫌いがはっきり分かれるのではないかと思います。けれども猫美人は、ダメだと思った映画でも3回見るとどこかしら愛着がわいてくる、と思っています


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