人と直接かかわるのが苦手な女性・アメリ。好きになった男性に一風変わったアプローチを試みる。
製作:2001年
製作国:フランス
日本公開:2001年
監督:ジャン=ピエール・ジュネ
出演:オドレイ・トトゥ、マチュー・カソヴィッツ、セルジュ・メルラン、
ヨランド・モロー、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
主人公の知り合いの飼い猫
名前:ロドリーグ
色柄:サビ
その他の猫:アパートの管理人の女性のキジトラ猫
ゴミバケツにたむろする、白黒など4匹のノラ猫。
◆パリの灯は遠く
2024年7月26日から9月8日にかけてのパリオリンピック、パラリンピックにちなんで、この夏は何度かフランス映画、フランスを舞台にした映画をお届けしたいと思います。
第一弾は『アメリ』。
2001年に公開されると女性を中心に社会現象ともいえるブームを巻き起こしました。寝癖がついたような外はねのおかっぱ頭にいたずらっぽい微笑みを浮かべて、上目遣いで見つめるアメリ役のオドレイ・トトゥのキャッチーな写真、覚えていますよね。ヤン・ティルセンのちょっぴり哀愁を感じさせる音楽も美しい。
舞台はパリのモンマルトル周辺で、パリ東駅、北駅、このブログで紹介した『大人は判ってくれない』(1959年/監督:フランソワ・トリュフォー)や『巴里の空の下セーヌは流れる』(1951年/監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ)にも出てくるサクレ・クール寺院などの観光的にも有名な場所が登場します。円安でおいそれと海外旅行に出かけられないいま、この映画でパリ散歩気分を味わいましょう。
◆あらすじ
1974年に生まれた女の子アメリは、神経質な元教師の母と冷淡な元軍医の父のもとで育つ。抱きしめられたことのない父に触れられてドキドキしたアメリを、父は心臓病と診断して学校に通わせず、母が家で教育した。母はアメリが幼い頃に事故で亡くなり、父と一対一で育ったアメリは人間関係を築くのが苦手な大人になった。
1997年8月、モンマルトルのカフェ、ドゥ・ムーランで働く23歳のアメリ(オドレイ・トトゥ)は、子ども時代と同様、空想の世界に逃避していた。
ある日アメリは、住んでいるアパートの壁の中に隠してあった40年前の子どもの宝箱を偶然見つけ、持ち主に返すことを思い立つ。
アパートの家主(ヨランド・モロー)や、窓から見える部屋に住む老人・レイモン(セルジュ・メルラン)などに聞いてその主を突き止めると、直接手渡さずに宝箱を拾わせ、喜ぶ彼を見て気持ちが満たされる。
それ以来、アメリは見えない黒子として他人の人生におせっかいを焼くようになる。実家の父が閉じこもりがちなのを、人形を使って旅行に行きたくなるよう仕向けたり、店の常連客と同僚の縁結びをしたり、アパートの家主の夫で、よその女と駆け落ちして死んだ男が、最期まで家主を思っていたという手紙を偽造して送ったり、食料品店で働く青年をいじめる店主を懲らしめようと、留守に忍び込んで仕掛けをしたりした。
アメリは、宝箱の持ち主を探していたとき、駅のスピード写真のブースで捨てられた写真を拾い集めている青年を見て胸がときめく。二度目に彼を見かけたとき、拾った写真を貼り付けた彼のアルバムを拾い、掲示板の落し物の連絡先を見て返そうとする。彼はニノ(マチュー・カソヴィッツ)という男で、アメリは公園に呼び出して宝探しのような方法でアルバムを渡すが、宝箱のときと同じでどうしても直接彼と会うことができなかった。
そんなアメリを、アパートの老人のレイモンが「君はぶつかっても壊れることはない」と励ます・・・。
◆おしゃれキャット
この映画で、猫の登場場面は10回ほど。特に意味のある役ではありませんが、フランスの日常的おしゃれ感をさりげなく盛り上げているのはこの猫たち。
うち7回と、最も多く登場するのはアメリの知り合いのフィロメーヌの猫のロドリーグ。スチュワーデスの彼女は、フライト中はアメリにロドリーグを預けるのです。アメリの周囲の人物の顔と名前と、彼らの好きなもの、嫌いなものを次々と紹介していく冒頭部分、その最後にフィロメーヌとサビ猫のロドリーグが登場します。すでに制服に着替えて、猫バスケットを持ってアメリの働くカフェに現れるフィロメーヌ。彼女の好きなものは猫の水入れを床に置く音、ロドリーグが好きなのはお伽話を聞くこと。
最近は自動で新しい水が供給されるものもありますが、猫の水入れはここでは縁の欠けたカフェオレボウル。昔の猫の食器なんてこんな風に人間のお古でしたよね。お伽話を聞いているロドリーグの後ろ姿の、光が透けた耳がかわいいです。
ロドリーグは、アメリのベッドでくつろいでいたり、屋根を歩いていたり、ニノが部屋にやって来ることを妄想しているアメリが、玉のれんがジャラッと鳴った音に、もしやと振り向くとロドリーグだったり、と猫々しく登場します(玉のれん・・・おしゃれな呼び方がわからなくてすみません)。ロドリーグの最後の登場はラブロマンスでの動物の定番の役割。ご覧になって確かめてください。
次に多く出てくる猫は、17分40秒頃と77分40秒頃の、アメリのアパートの家主のキジトラ。整理ダンスの上がお気に入りのようで、赤い敷物を敷いてもらって寝そべっています。
そして開始から59分頃、食料品店の意地悪店主がアメリのいたずらに引っかかって早朝に店を訪れるシーンで、近景のゴミバケツ周辺にノラたちが映ります。暗いのでわかりにくいのですが、わたしは全部で4匹と数えましたよ。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆一人遊び
今年(2024年)の猫の日に紹介したフランス映画『猫が行方不明』(1996年/監督:セドリック・クラピッシュ)に一脈通じる映画です。主人公は人間関係に不器用な若い女性、恋人はいないけれど気になる異性がいる、周囲の助けで幸せに近づく、というのが共通部分。『猫が行方不明』の主人公は目指す異性に直球勝負でアタックして失敗、傷つきますが、その代わり猫の家出をきっかけに広がった近隣の人々との交流から新しい恋を手にします。
一方、アメリはそんな当たって砕けろ式の直接行動がどうしても取れません。
学校に行かず、きょうだいもなく、父と一対一で大人になったアメリの好きなものは、映画を見ている人の顔を見ること、映画の中の誰も気づかない些細な事柄を発見すること(注)、食料品店の豆の袋に手を突っ込むこと(感触が気持ちいいのでしょう)、クレーム・ブリュレのお焦げを潰すこと、サンマルタン運河で水切りすることなどの一人遊び。慣れ親しんだカフェの店主と同僚と常連客に囲まれて働き、週末には実家の父を訪ねる、という閉じた世界。
けれど、それらの描写がオシャレでステキで、アメリの閉じた世界はネガティブに見えるどころか憧れを掻き立てるのです。アメリの真似をして水切り遊びをする若い女性が増えたとは聞かなかったけれど、クレーム・ブリュレはこの映画でブームになったんだとか。アメリのファッション、インテリア・・・すてきな雑貨屋さんの店内を覗いたような、同じ年頃の女性なら真似したくなるようなアイコンの数々。飲食店勤めは過酷なはずですが、そういう現実的な苦労は描かれません。
◆置き配
アメリの恋愛模様はトリッキー、ストーカー的。
映画冒頭、アメリが対人コミュニケーション能力を発達させる機会がほとんどないまま大人になったということが、ポップで面白おかしく語られます。そのわりにはアメリが自分から実家を出てカフェで支障なく働いて、猫を預かったりする知人もいることなどから、社会性には特別な問題はなさそうです。
けれど、宝箱の持ち主に箱を渡すためにアメリのとった行動は奇妙そのもの。箱がみつかった部屋の40年前の住人の名前を家主などから聞き出し、電話帳で調べた同姓同名の人を一人一人訪ね歩き、とうとう持ち主を特定します。それなのに、いざ箱を渡す段になると、持ち主が通りかかる場所にある公衆電話に電話をかけ、呼び出し音に気づいたその人が電話ボックスに入り、置いてある宝箱を見つける、という世にも遠回りな手段を取ります。持ち主を調べる過程では人並み以上の行動力を発揮したにもかかわらず、直接当人に会って、ことの経緯を説明したりできないのです。
◆対面がダメ
アメリが駅のスピード写真ブースで出会ったニノに近づくときも同じ。ニノが落としたアルバムを拾って、彼の働くポルノビデオ店まで届けに行ったのは一歩前進ですが、不在だったため翌日モンマルトルの公園に呼びだすメモを彼の自転車に貼り付けます。
サスペンス映画ではこういうのは陰謀の罠、のはずですが、ニノ君、アルバム返してほしさにノコノコ出かけていきます。
人待ち顔で立っているとそばの公衆電話が鳴って、電話の主はアメリ。その誘導で進んでいくと、アメリが彼の自転車のバッグにアルバムを入れるところが遠くに見え・・・ニノはダッシュで追いかけますが、アメリの姿はなく、そばの公衆電話が再び鳴ります。電話のアメリの指示通り、戻ったアルバムを開くと、変装したアメリの「私に会いたい?」という挑発するような写真が。
またまた、サスペンス映画では謎の女の登場は色仕掛けの罠、のはずですが、ニノ君、喜んでアルバムを持って帰ります。
◆似た者同士
アメリの恋愛大作戦は、かなり薄気味悪く感じます。普通ならこんなことをされれば警戒して誰も近づかないはずですが、幸か不幸か、ニノ君はアメリに負けず劣らず変わり者だったよう。公園での接近のあとは、ニノが駅にアメリからの連絡を待つ貼り紙をしたり、アメリがニノの立ち寄るはずのスピード写真ブースに呼び出し連絡メモをわざと落としておいたり、などの奇妙な駆け引き。勝手にやってちょうだい、と冷めた目で見るか、映画だし、こんな恋愛もありかも、と楽しく見るか?
アメリが周囲の人々に仕掛けるおせっかいも常識の上を行くもの。食料品店の店主の留守に家に忍び込んで仕掛けるいたずらは、もはや犯罪ですね。人と直接コンタクトできないというのは、自信のなさが原因のひとつだと思いますが、匿名だと驚くほど大胆になるアメリは、昨今のSNS上ならどんなことでも言えるという一部の人に似たところも感じます。一方で、病気で表に出られないレイモン老人には、テレビで見たほのぼのとした映像をビデオテープに録画して、そっと届けるという気づかいも見せます。
◆恋の駆け引き
『猫が行方不明』の主人公もあと先考えない性行動を取ったり、以前紹介した『ラ・ブーム』(1980年/監督:クロード・ピノトー)でも、中学生の女の子が大胆に男の子に迫ったり、近年のフランス映画の恋愛の重心は、相手をいかに引っ掛けるかにあるのでしょうか。イタリアでリメイクされ、間もなく日本公開される『幸せのイタリアーノ』(2023年/監督:リッカルド・ミラーニ)のもとになったコメディ『パリ、嘘つきな恋』(2018年/監督:フランク・デュボスク)も、車椅子生活者のふりをしていた男が本当の車椅子生活者の女性を好きになってウソを重ねるという、ねじれた道をたどります。人をだましたり操ったりするような恋愛はシャレにならないと思うので、こういう方向性はどうも好きになれません。現実から遊離した『アメリ』は、猫のロドリーグの好きなお伽話と思って楽しむのがよさそうです。
一方、フランス映画は、アメリの周囲の人間模様や『猫が行方不明』『巴里の空の下セーヌは流れる』などにも見られる群像劇部分の面々が生き生きとしていて、役者の層の厚さを堪能できます。
長年地下鉄に勤めていた老人が、葉っぱに丸い穴をあけて「本当はリラの葉がいいんだが」とのたまうココロは、このブログの『リラの門』を読んだ方ならもうおわかりですよね??
監督のジャン=ピエール・ジュネは、マルク・キャロと共同で監督したブラックユーモアの怪作『デリカテッセン』(1991年)で注目を浴びた人。『アメリ』の直前の作品はハリウッドでの『エイリアン4』(1997年)とは意外です。
アメリを演じたオドレイ・トトゥは『猫が行方不明』のセドリック・クラピッシュ監督の青春映画にも出演、ルーブル美術館を舞台にした『ダ・ヴィンチ・コード』(2006年/監督:ロン・ハワード)でも重要な役を演じましたね。2009年の『ココ・アヴァン・シャネル』(監督:アンヌ・フォンテーヌ)ではファッション・デザイナーのココ・シャネル役、とフランスを代表する俳優に。この映画はもうすぐテレビ放映がありますので、あらためてお知らせいたします。
(注)引用された、画面に虫が映っている映画は、フランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』(1962年)。猫美人もタイトルバックに虫が入っている日本映画を知っていますよ。
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