この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

夕笛

親の勧める縁談で名家に嫁いだ娘には将来を誓った恋人がいた。
これぞ昭和のメロドラマ。演じるのは、いまも美しい松原智恵子と歌手の舟木一夫

 

  製作:1967年
  製作国:日本
  日本公開:1967年
  監督:西河克己
  出演:松原智恵子舟木一夫、小高雄二、島田正吾、細川ちか子、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    姑の愛猫
  名前:ミミ子
  色柄:三毛

 

能登半島の9月の大雨および1月の地震の被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。


◆青春映画

 西河克己という名前を聞いてピンと来るのは主に現在60代以上の映画ファンと思います。西河監督は、安心して見ることができるオーソドックスな演出のアイドル映画を数多く生み出した人。1970年代に山口百恵三浦友和のコンビで『伊豆の踊子』(1974年)『潮騒』(1975年)などの青春文芸もの映画が次々作られますが、それらの多くを手掛けたのが西河監督です。『伊豆の踊子』は、自身、1964年に吉永小百合高橋英樹でも撮っています。
 1974年版のとき、大スター山口百恵の相手の学生役は一般公募され、選ばれたのが無名の三浦友和。これがきっかけで二人は共演を重ね、結婚してしまうのですから縁は異なものです。西河監督も二人の行方を陰ながら見守っていたのではないでしょうか。既に歌手として大人気のアイドルを「やっぱり演技は駄目ね」などと思わせたり客離れを起こしたりしては本末転倒。こういう映画を撮るのはバランス感覚のある監督でなければ難しいと思います。
 
 『夕笛』は、1963年の「高校三年生」の空前のヒットで絶大な人気を博した歌手の舟木一夫主演の歌謡映画です。歌に合わせて映画を作ったのではなく、映画の企画が先にあったのだそうです。
 西郷輝彦橋幸夫とともに御三家と言われた舟木一夫は、自身の歌をもとにした青春映画にこのときすでに十数本出演していたベテラン。「ふるさとの笛」だった歌の題名を、映画の題名っぽく「夕笛」に替えていいですかと、作詞の西條八十に舟木自身が頼んだということです(注1)。昭和四十二年度芸術祭参加作品とあって、ロケやセットなどにも力が入っています。
 内容は山あり谷ありの悲恋もの。西河監督自身も、智頭好夫(ちずよしお)という鳥取の出身地を冠したペンネームで脚本に参加しています(注2)。芸術的と言うよりは大衆的なメロドラマですが、昭和には好まれた題材で、昭和らしい映画を見てみたいという方には絶好の作品だと思います。

◆あらすじ

 昭和初期、日本海に近い城下町。
 旧制高校に通う島村雄作(舟木一夫)は、ある大きな屋敷の庭に咲いている椿の花を所望する。応対したのは女学生・筒井若菜(松原智恵子)。ここはかつて雄作が住んでいた家だった。雄作はその証拠にこの家には鳩の絵が付いたオルゴール時計があり、その裏にY.S.の頭文字が刻んである、と言う。若菜はその時計を見つけるが雄作はもう帰ってしまっていた。雄作は身よりもなく新聞社でアルバイトをする苦学生だった。
 卒業の時期が近付いた雄作は友人たちと卒業旅行に出かけ、偶然若菜と再会する。若菜は小説家の兄(小高雄二)が執筆のため離れを借りた寺にいて、無銭旅行の雄作たちを歓迎する。二人は急速に近づく。
 両親が進めていた名家との縁談を若菜は拒み、雄作は若菜の父(島田正吾)に結婚の許しを得に行って罵倒される。雄作と若菜は若菜の兄の手助けで駆け落ちを決意するが、その直前で雄作と兄は思想的な疑いから特高に捕まってしまう。駆け落ちの待ち合わせ場所にいた若菜に兄が捕まったと知らせが届き、若菜はとんぼ返りする。
 しばらくのちに雄作は釈放されるが、その間に若菜の縁談は進んでいた。雄作が訪ねていくと、若菜は花嫁姿で家を出るところだった。
 1年後、若菜は嫁ぎ先の姑(細川ちか子)や小姑(中曽根公子)にいびられ、夫(波多野憲)ともしっくりいっていなかった。若菜は雄作との思い出をつづった日記とオルゴール時計を持っていることをとがめられ、嫁ぎ先から逃げ出す。ちょうどそのとき実家が火事に見舞われ、若菜は燃え残りの片隅で暮らし始める。少し前から眼病に苦しんでいた若菜は、盲目になってしまっていた。
 そんな若菜のもとに東京の大学を卒業した雄作が訪ねて来る・・・。

◆猫かわいがり

 若菜の嫁いだ高須賀家は、城代家老の血筋を引く家柄。その家にいるのは三毛猫のミミ子。権高な姑が目に入れても痛くないほどかわいがっているお姫様のような猫です。
 何人ものお手伝いさんを雇っている高須賀家、若菜は彼女たちに交じって台所仕事をしています。そこへ姑がやってきて、お手伝いさんに「ミミ子があんたの部屋にいましたよ」「汚れるじゃありませんか」とお小言、「ミルクは居間へ持って来てね」と言って出ていきます。お手伝いさんは若菜に「猫が私たちの部屋へ入ったら汚れるんだって」と愚痴ります。こんなことが言えるのも、若菜とお姑さんの間に距離があるのがわかっているからですね。
 ミミ子のミルクを若菜が持って行くと「そんなものお手伝いに持たせなさい」とまたピシリ。姑は若菜に能を習わせると言い、この屋敷に能舞台を建てるのと一緒に改築をしたいから、お父さんに言って、と涼しい顔でお金を出させようとします。若菜の実家はお父さんがニシン漁で一代で財を成し、若菜は財産目当てで嫁に望まれたのです。
 「このミルク温めすぎてるわ」と若菜が持ってきたミルクに小姑がクレーム。「ごめんなさいミミ子ちゃん、気が利かなくて」という姑の声が部屋を出る若菜の耳に刺さります。
 かわいがられているだけあってミミ子ちゃんはお姑さんの味方。雄作のオルゴール時計を見つけたお姑さんが若菜に突きつけると、ミミ子ちゃんは「なにさ、こんなもの」とばかりに時計をなめています。ミミ子ちゃんもかわいいですが、お姑さん役の細川ちか子が、すご味があって実にいいですね~。
 ミミ子ちゃんが登場するのは開始から50分頃から60分頃の間。お姑さんと常にセットです。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆美しいシニア

 あらすじをまとめていてだんだん汗が噴き出てきました。波乱万丈、トラブルまたトラブルのてんこ盛り。「あらすじ」では省略したエピソードもあり、約1時間半の上映時間によくもこれだけ苦難を詰め込んだもの、と恐ろしくなるやら、苦笑してしまうやら。
 昭和の日本の映画やテレビドラマ、少女マンガなどは、女性の主人公が次々かわいそうな目に遭うというストーリーにあふれていました。主人公は貧しかったり、実の親を亡くしていたり、結婚を反対されたりというパターンが多く、周囲からいじめられ人生を翻弄されますが、清く正しい心を失わずに耐え、やがて報われるか空しく果てていくかで終わるのです。こうした物語は、NHK朝の連続テレビ小説おしん』(1983(昭和58)年4月~1984(昭和59)年3月)でピークに達した後、これ以上のものは作れまいと日本ではすたれていったのではないかと思います。

 『夕笛』のヒロイン、松原智恵子(1945年1月生まれ)は少し憂いをたたえた瞳で、真実の愛に生きようとする主人公の若菜にぴったり。若い頃はこんな風に寂しそうな印象があったのですが、最近時々テレビで拝見すると、変わらぬ美しさに加え昔より明るくなった感じがして、いい人生を歩んでいるのだなとうらやましく思います。
 舟木一夫(1944年12月生まれ)は、学生服でスタンドマイクの前でまっすぐな姿勢で歌っていた「高校三年生」以来、品行方正な好青年のイメージがいつまでもつきまとい、芸能界のトレンドも変化する中、死を望んだというニュースが届いたこともありました。現在はそのトンネルを抜け、芸能生活も60年を超えて元気に活躍しているとのこと。変な言い方かもしれませんが、二人とも自分を受け入れてすてきなシニアに「成長」したのだと思います。

◆ダメな女?

 同情するに余りある悲劇のヒロインですが、自業自得ではないかと思える凡ミスを犯すことも。この映画では若菜が雄作のイニシアルを彫ったオルゴール時計と雄作との恋の日記を婚家にまで持ちこんだところが致命的なミスです。日記がちらりと画面に映ると「若菜のからだ」云々と、続きが気になる書き込みが。
 若菜の夫は外で芸者とよろしくやっている男ですが、妻が自分以外の男と交際していたことを裏切りのように責め「その学生と寝たのか」と詰問。時計は捨てたと夫が言うと「あの時計だけは大事なんです」と顔色を変える若菜。布団に入ってからもめそめそ泣いています。腹を立てた夫が時計はゴミ箱の中にある、と寝てしまうと、若菜はそっと布団を抜け出してゴミ箱をあさりに行きます。すると時計を持った夫が現れ「俺の代わりに抱いて寝たらいいだろう」と若菜に投げつけるのです。
 こうやって観客に「なにやってるのよ~若菜!」とやきもきさせるところも作り手側のテクニックなのでしょう。
 若菜にはミスがもう一つ。雄作たちが卒業旅行で訪れた海岸の岩場の近くで、若菜は一人で全裸で泳いでいるのです。それを生唾を呑んで見ていた雄作の友人が若菜の脱いだ服を隠してしまい、雄作が返しに行って謝ります。悪い人たちだったらどうするつもりだったのだ、まったく!

 一方、雄作は真面目で優秀な非の打ち所がない青年。ただひとつ、病弱という点を除けば・・・。雄作は東京の大学で建築を学んだあと、ドイツに留学することが決まった矢先に盲目になった若菜と再会します。
 「私に関わり合ってはいけないの」「私はあなたの足手まといになる女です」「私、あなたをダメにしてしまう」・・・そう、昭和のメロドラマのヒロインは、私のようなダメな女はあなたのような立派な男性にふさわしくない、ということをしばしば口走っていたのです。このほかにも、愚かなことをする女性を男性が厳しく諭し導く(時には平手打ちまでして)という演出もよく見られました。
 そんな若菜を救おうと手を差し伸べる雄作。けれども悲しい運命が二人を引き裂きます・・・。

◆プログラムピクチャー

 さて、かつて日本映画は映画会社が作った作品を全国津々浦々の自社直営または系列の映画館で途切れなく上映するため、次々と新作を供給するシステムによって運営されていました。1950~60年代頃の最盛期には1週間で次の映画に切り替わり、しかも二本立て興業がほとんどだったということですから、ものすごい量産体制です。こうなると、予算と納期を守って供給でき、一定の収益が見込めるプロダクトを計画的に製作することが重要になってきます。
 そういう体制で生産されていた映画はプログラムピクチャーと呼ばれています。芸術性や独創性といった「質」より、本数を埋め、安定した観客動員を狙う「量」を優先に映画が作られていたのです。結果として評論家からは注目されない月並みな作品が大量に生まれることになるのですが、頂点に立つ一部の監督がエース級の仕事ができたのも、このようにして生み出された映画が会社の経営基盤を下支えしていたからこそ。
 西河克己監督はそんなプログラムピクチャー時代の不動のレギュラーといったところではないでしょうか。やはり悲恋もので舟木一夫主演でヒットした1966年の『絶唱』は、1958年の滝沢英輔監督のリメイク作品で、自ら1975年に百恵・友和でリメイクしています。リメイク作品が多いのも、堅実な手腕が買われてのことだと思います。
 そのときそのときの大衆の求めるものをキャッチしながら作られたプログラムピクチャーは、時代の空気を如実に伝えるもの。決して侮ることはできません。埋もれた作品からこれはというものを見つけると、誰かに話したくなってしまいます。
 というわけでそんな作品の中に出てくる猫のことなど、まだまだ話したいことはあるのですが、長くなるのでまたいつか。


(注1)芸能生活50周年 舟木一夫が選ぶマイ・ベスト『夕笛』(チャンネルNECO/2013年放映)より
(注2)出身地の鳥取県八頭郡智頭町には西河克己映画記念館があります

 

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