この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

媚薬(1958)

変化のない生活に嫌気がさした魔女、退屈しのぎに声をかけた男に恋をしてしまう・・・。
クリスマスのニューヨークを舞台にした大人のラブコメディ。

 

  製作:1958年
  製作国:アメリ
  日本公開:1959年
  監督:リチャード・クワイン
  出演:キム・ノヴァクジェームズ・スチュアートジャック・レモン
     エルザ・ランチェスター、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆☆(主役級)
    主人公の飼い猫
  名前:パイワケット
  色柄:シャム猫(サイアミーズ)


◆惚れない薬

 この映画、猫に始まり猫に終わる猫好きにはうれしい映画です。
 世界の映画監督やファンから支持されるヒッチコックの『めまい』(1958)で主役を演じた、ジェームズ・スチュアートキム・ノヴァクのコンビによる大人の恋愛コメディ。二人とも『めまい』の直後に出演した映画なので、公開当時は話題になったことでしょう。『めまい』はサスペンス、『媚薬』はコメディと、ガラッと異なる内容ながら、キム・ノヴァクはどちらの映画でもジェームズ・スチュアートを翻弄する謎の女。
 このブログで、題名と内容が全然一致しない映画として『新婚道中記』(1937年/監督:レオ・、マッケリー)をご紹介しましたが、今回の『媚薬』も、媚薬など登場しません。外国映画の配給会社が、忙しくてじっくり中身を確認する時間もなく、怪しいおばさんが調合した薬をジェームズ・スチュアートが飲んでいるぞ、恋愛映画だし、さてはほれ薬? と早とちりして「媚薬」にしてしまったのでは? 実際は媚薬とは逆に縁切り薬を飲んでいるのですけどね。
 原題は『Bell、Book and Candle』。この三つの物の意味はまたのちほど。

◆あらすじ

 クリスマスイブのニューヨーク。
 プリミティヴ・アートの美術品店を営むギリアンキム・ノヴァク)は、毎日同じことの繰り返しの生活に飽き飽きしていた。そんなとき、上の階に最近越してきたシェパード(ジェームズ・スチュアート)を見かけ、彼に近づいてみたくなる。彼は電話が故障したと言ってギリアンの店に電話を借りに来る。
 実はギリアンは魔女。猫のパイワケットを手下として使って自分の魔力を発揮することができるのだ。ギリアンは叔母(エルザ・ランチェスター)と一緒に弟のニッキー(ジャック・レモン)が働いているクラブにシェパードを誘う。そこはニューヨークの魔法使いたちのたまり場で、叔母も弟も魔法使いだった。
 シェパードはクラブに婚約者のマール(ジャニス・ルール)を連れて現れる。なんとマールはギリアンのカレッジ時代の同級生で、ギリアンのことを告げ口した嫌な女だった。ギリアンはマールからシェパードを奪うことに決め、夜が明けたらマールと結婚すると言っていた彼を、二人きりのときに魔法の力で陥落させる。
 出版社で働くシェパードは他社で売れている『メキシコの魔術』の著者レドリッチ(アーニー・コバックス)に、次は自社から出版してもらいたいと思っていた。するとギリアンの魔法で彼の方からシェパードを訪ねてきて、ニューヨークの魔法使いについて書きたいと言い出す。
 弟のニッキーはレドリッチの本の執筆に協力するが、ギリアンは魔力で出版を妨害し、自分は魔女だとシェパードにカミングアウトする。シェパードに正直に打ち明けて普通の結婚がしたかったからだ。
 けれどもシェパードは、急にギリアンが好きになったのも魔法の力だったと知り、ギリアンと別れてマールとよりを戻そうとする。
 ギリアンは、シェパードとマールを離れ離れにさせるため猫のパイワケットに呪文をかけようとするが、パイワケットは逃げ出し、シェパードのオフィスに現れる・・・。

◆青い瞳

 「ジングル・ベル」と、テーマ曲「パイワケットの子守歌」のメロディーが流れ、ギリアンの店のアフリカ系の美術品が次々と映るタイトルバック。最後に店の棚に陣取るパイワケットが登場、ぴょーんとキム・ノヴァク演じるギリアンの肩に跳び移って映画が始まります。
 パイワケットを相手に「クリスマスに変化をプレゼントして」と愚痴っていたギリアン、退屈しのぎに声をかけたシェパードの婚約者が憎きマールだと知ると、魔女魂に火が点きます。魔法の力で彼をマールから奪おうと腕試し。パイワケットの頭の上に自分の顎を乗せて、ハミングで「パイワケットの子守歌」をシェパードに聞かせながら二人がじっと見つめると、シェパードはギリアンに吸い寄せられるように口づけを。明け方気が付けば、ニューヨークのフラットアイアンビルの屋上。眼下のマディソン・スクエアパークの雪景色を眺めて二人は固く抱き合います。クリスマスをこんな風に過ごすなんて!
 魔女の手下と言うと黒猫が定番なのに、パイワケットはシャム猫というのが都会的。シャム猫はサイアミーズと呼ぶのが本筋だそうですが、日本では浸透していないようですね。特徴的なミステリアスなブルーの瞳に見つめられ、ゴロゴロ鳴る喉の音を聞いていると、たしかに眩惑されそうな。ただし、この映画でパイワケット役のシャム猫は3匹くらいいるようで、顔や体つきが場面によって違います。
 ギリアンがパイワケットを使ってシェパードとマールを別れ別れにさせようとしたとき、パイワケットは行方をくらまし、いくら呼んでも帰って来ません。このときギリアンは魔女としての力を失って、普通の恋する人間の女性になってしまっていたのです。『魔女の宅急便』(1989年/監督:宮崎駿)でも、魔女のキキが自信を失ったとき、それまで話が通じていたおともの黒猫のジジと意思疎通ができなくなりましたね。魔女は恋ができない、涙が出ない、と言われているのにパイワケットを探し回るギリアンの眼には涙が・・・。
 棚の上のパイワケットで始まったこの映画、最後はパイワケットが街灯の上に乗っているところで幕を閉じます。
 ところで、この映画ではジェームズ・スチュアートのシェパードが猫アレルギーという設定ですが、実はキム・ノヴァクが猫アレルギーだったんだとか(注)。俳優はつらいよ・・・。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆役者ぞろい

 もともとブロードウェイで大ヒットしたお芝居の映画化だそうですが、舞台では本物の猫を使うことはできなかったでしょう。大人がくつろげる娯楽作品で、見終わった中年のお客さんがそこそこ満足そうな笑みを浮かべながら劇場や映画館を後にする光景が目に浮かびます。映画が日本では話題にならないのは、題名で敬遠されてしまうからかもしれません。
 なんと言ってもこの映画は配役が魅力。
 魔女を演じたキム・ノヴァクの妖しさ。特徴的な描き眉。『めまい』での初登場シーンでドキッとさせた、背中が大きく開いたドレス姿をこの映画でも披露しています。まぶしいほどの肌ですが清潔な色気で、魔術など使わなくてもシェパードをノックアウトできそう。自宅でのパンツ姿も素敵です。
 相手役のジェームズ・スチュアート、この人ほど普通の人、ordinary personがはまる俳優もないと思います。どこにでもいそうで、真面目に働き、温和。だからこそ、この映画のシェパードとか、『めまい』とか、『素晴らしき哉、人生!』(1946年/監督:フランク・キャプラ)などの、本人に落ち度がないのにあらぬ事態に巻き込まれる人物が似合うんですね。
 対して、イロモノ俳優と言えばギリアンの叔母を演じたエルザ・ランチェスター。何を隠そう『フランケンシュタインの花嫁』(1935年/監督:ジェームズ・ホエール)で、怪物の花嫁である人造人間を演じた人です。怪物と同様、人の手で生命を吹き込まれた彼女は、花婿たる怪物を見たとたんギャーッと絶叫。このときの表情と体の動き、映画史上最も記憶されるべき一コマでしょう。
 そして同じく個性派、ギリアンの弟を演じたジャック・レモン。この人が出てくるとその場の空気を全部持って行っちゃう感がありますが、この映画では一歩控えめ。クラブのミュージシャンとしてボンゴをポコポコ叩いています。

◆魔女であること

 魔女だということがどうやって明らかになるかが、魔女もののクライマックス。
 『媚薬』のギリアンは、魔女だとばれないようにニューヨークの街の中に溶け込んで生きて行こうとしています。対して、叔母も弟も、自分たちに魔力があるということを示したくてウズウズしています。ギリアンは二人に魔法は使うなと言い聞かせていますが、叔母はシェパードの部屋に忍び込んだり、弟は街灯を消したりと、陰でこっそり小ワザを試さずにはいられません。『メキシコの魔術』の著者がニューヨークの魔法使いのことを書こうとしたのを弟が手伝ったのも、自分たちの存在と力を世に示したかったから。
 ギリアンは魔女としての自分を捨ててシェパードのプロポーズを受け入れようとします。だから、ニューヨークの魔法使いの原稿をシェパードが読んでギリアンのことだと気づかれ、ややこしいことになってはと、どの出版社からも出版できないよう魔女人生最後の魔法をかけてから、自分からカミングアウトしたのでしょう。
 普通の女性としてシェパードと結ばれたいと打ち明けたのに、シェパードは魔法でもてあそばれたとマールのもとに戻ると言い出し、魔女おばさんの調合したギリアンとの縁切り薬を飲むなどという事態に。シェパードを取り戻すために再び自ら封印した魔法を使おうとパイワケットを呼んだとき、パイワケットは逃げ出します。けれどもギリアンの忠実な手下であるパイワケットは彼女のためにひと働きするのです。
 恋のために魔女性を失い、それがギリアンのハッピーエンドにつながるという展開には、女性にとって幸せな結婚が人生の最高のゴールであるという当時の価値観が反映していると言えるでしょう。

◆裸足

 原題の『Bell, Book and Candle』は、鐘を鳴らし、本を閉じ、ロウソクを消すのが、中世の魔女を追い払う儀式だ、という『メキシコの魔術』の著者レドリッチのセリフから。この3つを示されても日本人にはありがたみがわかりませんが、この原題の意味するところを生かすとすれば、邦題は『媚薬』ではなく『魔女にご用心』あたりでいかがかでしょう。
 この映画でもう一つキーになるのが「裸足」です。ギリアンはよく裸足になるのです。マールが、カレッジ時代ギリアンは裸足で授業に出たと言ったり、シェパードと二人でソファにくつろぎながら裸足で足を絡ませていたり、逃げたパイワケットを追いかけて道路に飛び出したときも裸足だったり、自室ではいつも裸足です。
 魔女は裸足、という俗説があるのかもしれませんが、文化が違うとシンボリックな意味を読み取るのは難しい。そんな裸足のギリアンを先生に告げ口したマールに、学生時代、ギリアンは何度もそばに雷を落としてやったと言っています。雷にも何か意味がありそうです。『文化果つるところ』(1951年/監督:キャロル・リード)や『悪い種子』(1956年/監督:マーヴィン・ルロイ)など、悪行を重ねた人間が神罰的に雷に打たれて死ぬという映画は見たことがありますが、ギリアンにもそんなすごいパワーがあったのか⁉

 

(注)「魔力を運ぶ猫――『媚薬』」(『スクリーンを横切った猫たち』(千葉豹一郎ワイズ出版/2002年)より

 

◆関連する過去作品

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