芸者駒子の実らぬ恋。雪深い越後湯沢を舞台に狂おしいまでの女の情念が描かれる。
駒子を演じるのは2025年に93歳になる岸恵子。
製作:1957年
製作国:日本
日本公開:1957年
監督:豊田四郎
出演:岸恵子、池部良、八千草薫、浪花千栄子、千石規子、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆(ほんのチョイ役)
宿の猫
名前:不明
色柄:三毛とその子猫2匹(モノクロのため推定)
◆白の風景
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という、原作小説『雪国』のあまりにも有名な出だし。著者の川端康成が日本人の感性を細密に描写し、1968年に『千羽鶴』『古都』などと共にノーベル文学賞を受賞しました。この出だしの文が日本人にあまねく記憶されることになったのは、ノーベル賞受賞がきっかけ。羽織袴で授賞式に臨む川端康成の痩せた姿が日本人としての誇りをまとったかのように見えましたが、それから4年もたたない1972年に自殺したということも、私の胸に深く刻み付けられる出来事でした。人の心の不可解さよ。
豊田四郎監督によるこの映画は、ノーベル賞受賞前の1957年4月公開。現地越後湯沢でのロケーションは約6ヶ月にわたったということです(注1)。温泉場の芸者・駒子と旅行客の島村の実りのない恋。グズグズの男と女を描くのを得意とする豊田四郎監督が、川端文学にどのように迫ったのか。ラストは少し原作と違っています。
『雪国』は1965年にも大庭秀雄監督によって映画化され、芸者の駒子は岩下志麻、相手の島村は木村功が演じています。
◆あらすじ
昭和10年の暮れ、雪深い越後湯沢の旅館に日本画家の島村(池部良)がやって来る。やがて、そこに芸者の駒子(岸恵子)が訪れる。以前、島村が初めてここを訪れたときにわりない仲になっていた二人だった。島村には東京に妻子があった。
初めて駒子と島村が会ったとき、駒子は三味線と踊りの師匠の養女として、人の足りない時だけ座敷に出るような立場だった。そのため駒子には素人娘のようなところがあったのだが、二度目に会う今度は一人前の芸者になっていた。
師匠の息子の行男は重い病気で、同じく師匠の養女である義妹の葉子(八千草薫)が看病し、駒子は治療代を稼ぐために芸者になったのだった。行男と駒子を周囲はいいなずけと言っていたが、駒子は否定した。行男は駒子を愛していたが駒子は彼を好きではなかった。駒子には年を取った旦那もいた。
そんな駒子は島村と出会って初めて男を愛する気持ちを知った。行男の看病をせずに島村にのめりこんでいく駒子を、義妹の葉子は許さなかった。葉子は行男を愛していた。
自分が芸者になった事情を島村に知られた駒子は気を悪くした様子で、東京に帰れと言い出す。島村を駅に見送りに行くと、行男の様子が変だと葉子が知らせに来る。すぐ行男のところに行けと島村に言われた駒子は、逆らっていなくなってしまう。駒子は次にいつ会えるとも知らない島村の乗った東京行きの列車に向かって泣き叫ぶ。
行男に続き師匠が亡くなったあと、島村が次に来たときも駒子と葉子はいさかいを続けていた。島村は自分の存在が二人の仲たがいを誘っていると思い、東京に帰ることに決める。そんなとき、葉子が島村に東京に連れて行ってくれと言い出す。葉子は島村からそれを聞いた駒子に問い詰められ、行男を苦しめたかたき討ちで島村を取ってやろうと思ったと言い、駒子に激しく叩かれる。
別れの辛さを身もだえして島村に訴える駒子。そのとき、葉子が出かけている映画の上映会場が火事だと騒ぎになる。駒子は葉子が焼け死んでしまえばいっそ気が楽になると口走る・・・。
◆雪国の猫
島村が駒子と出会う宿のモデルになったのは、越後湯沢の高半という旅館。いまも営業していて、ホームページによると川端康成は昭和9年晩秋から昭和12年にわたってここに滞在して『雪國』を執筆し、その部屋は当時のまま保存されているそうです。館内には文学資料室も併設され、また一日一回『雪国』のDVDも予約制で上映すると書いてあります。豊田四郎監督版か、大庭秀雄監督版かは書かれていなかったのですが、写真を見ると豊田四郎版のタイトル画面ですね。
いまはリノベーションされているようですが、駒子を演じた岸恵子の著書によると、実際にこの旅館を使ってロケしたのだそうです(注2)。
その旅館内の廊下の戸の陰から生まれてから数週間といったほんの小さな子猫がちょろっと姿を見せます。それを見て、画面左側から母猫らしき三毛猫が守るようにそばに寄り、もう1匹の子猫も現れて母猫と合流します。111分5秒あたりから10数秒。傍らの洗面所の蛇口からしたたる水が激しく凍りついています。猫は普通、真冬には子を産まないので、この親子猫の姿は別のシーズンに撮影したものでしょう。
この映画で本物の猫が出てくるのはここだけですが、もう1匹、大きな猫が出てきます。初めて駒子に会った翌朝、島村は駒子に、芸者を世話してくれ、意味はわかるだろう、と言います。前夜、島村は駒子を抱いていません。「いやらしい!」とぷりぷりした駒子は、旅館の女中さん(浪花千栄子)に島村の要望を伝えます。やって来たのは大声でしゃべりまくる田舎芸者。酒のつまみのマタタビを食べて「芸者のことを猫っていうっぺがね~」とケタケタ笑う彼女に、島村もすっかりその気が失せ・・・。
猫芸者を演じたのは市原悦子でした。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆出会いの情景
小説の出だしを再現したような映画の冒頭。列車の先頭に据えたカメラがトンネルを抜けるとスクリーンに「雪国」のタイトルが浮かびます。列車は山すそを走り、パノラマのように白く雄大な山並みが車窓から眺められます。
越後湯沢駅周辺の雪深さにも驚かされます。地球温暖化の進んだ今も雪はこれほど積もるのでしょうか。この冬、年末の寒波で通常の倍以上の積雪量があったそうですが、それすらしのぐように見える圧倒されるばかりの雪の情景。舞台となった時代である1935年から1936年に合わせてか、駅周辺に自動車は走っていず、バス会社の待合室くらいしか見当たりません。
軒からぶら下がるつらら、雪の中で子どもたちがたいまつをかかげる幻想的な鳥追い祭、降り積もった雪面にさらす小千谷縮(おぢやちぢみ)・・・映画『雪国』は、当時の暮らしの一級の資料でもあります。そして鉄道ファンにとっても今はなき光景がふんだんに味わえる、貴重な映像の宝庫です。
主人公の島村がこの地を初めて訪れたのが、映画では1935年の秋。猫芸者から逃げて来た島村は友だちのような気安さで駒子と近くの山道や河原を散策します。川の対岸の花をほしがる駒子を、島村はおぶって川に入り、連れて行きます。そうして打ち解けた日の夜、お座敷でしたたかに酔った駒子は、島村の部屋に苦しいと言って逃げてきて結ばれるのです。
島村はそのあとで黙って東京に帰ってしまうのですが、12月になって芸者になった駒子に再会すると「この指が君を覚えている」とエロチックなことをささやき、駒子がその指を噛むという成熟した大人の関係へと一変します。時間と空間が離れることで燃え上がった、お互いを求め合う気持ち・・・。
◆恋の足かせ
駒子を愛する重病の行男、脳卒中の後遺症で体の不自由な三味線の師匠、二人の面倒を見る葉子。彼らを養う重責が芸者・駒子の肩にのしかかっています。島村に夢中になっていることを葉子から責められたり、旦那への義理、東京に妻子のある島村・・・彼との逢瀬に何もかも忘れ身も心も燃やし尽くしたいのに、そんな縛りが駒子の恋を妨げるのです。
けれども、悲しい運命ゆえに女が恋を諦めざるを得ないといった、駒子自身もこう言っていた「新派芝居のような」日本的悲恋物語は、少しずつ調和が乱れてきます。
駒子の辛さはわかってあげたいのですが、お座敷で酔って島村の部屋に転がり込んでは感情をむき出しにクダをまく、というパターンが繰り返されると、次第に駒子を耐えがたく感じてしまうのです。
島村は食うに困らぬ生活で気まぐれに駒子に会いに来て、妻も駒子の存在を知っているから、君さえよければ東京に来ないかなどと言い出す自分本位のいいご身分。この時代の男性の、芸者の女性に対するかかわり方としてはよくある形だったとは思いますが、駒子もそれに対して、あなたは年に一度来るだけの人、と割り切った風に答えておきながら、酒が入るとキャンキャン恨み言が止まりません。
島村とうまく行っているときのイチャイチャ、酔ってからんでイジイジ、その繰り返しを、島村の口癖のように「徒労だね」と見守る時間は長く感じました。
火事で葉子が死ねばいいと言ったはずの駒子は、現場に近づくと火にまかれた葉子を半狂乱で探し回り、二人の共依存的な結びつきが浮き彫りになります。葉子は一命をとりとめるのですが・・・。
◆難産の映画?
若い芸者が初めて愛した男は妻子のある旅の人、しがらみを抱えた芸者の実るはずのない恋、そうした大衆小説的なテーマを、川端康成は文学として雪の結晶のような繊細さに磨き上げています。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という文ならば、我々凡人でも一生に一度くらい天から何かが下りてきて書けるかもしれないと思えますが、それに続いて「夜の底が白くなった」とまでは到底書けそうにありません。そうした表現や言葉のリズムが、文学の文学たる所以でしょう。映画『雪国』は、セリフや出来事を追うことで精いっぱいで、それをつなぐ文章の、降り積もった雪のようななだらかな起伏までをなぞることはできなかったと思います。映像化するのは難事業です。
体当たりの演技の岸恵子、池部良も無為徒食の島村を上品に演じ、葉子の八千草薫も若さゆえの純粋さをストレートに出している、脇役も名優がズラリ。けれどもどこかバラバラな気がします。
これは聞いた話なのですが、島村と駒子を演じる池部良と岸恵子が、豊田四郎監督の眼からはすべてを許し合った男女に見えないと、ロケ中監督がある提案をした。それは二人で一つの部屋に泊まってみてはという話だった、というものです。真偽のほどは不明です。現在はこんなことを監督が出演俳優に言うのはたとえ冗談でもNGのはずですが、そんな話がこうして伝わるほど、この二人の間にはこぶし一つ分距離があるように感じます。それは、岸恵子がこの映画の撮影終了後、フランスの映画監督イヴ・シャンピと結婚して日本を離れる決意を隠していた(注3)ところから来るのかもしれません。
駒子が長唄の「勧進帳」を三味線で弾くシーンでは、岸恵子がそれまで一度もさわったことのない三味線を6ヶ月かけて習得したのだそうです。これが撮影の最後の1カットだったとか(注4)。
「雪のなかで糸をつくり、雪のなかで織り、雪の水に洗い、雪の上に晒す。(中略)雪は縮(ちぢみ)の親なるべし」という、天保年間に鈴木牧之によって書かれた『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』の縮についての部分を引いた、岸恵子の語り。厳しい大自然を恵みとする雪国の人々のドキュメンタリー的な数々の映像に、私は二人の恋より胸を打たれました。
(注1~4)「私を女優にした眼」(『私の人生ア・ラ・カルト』岸恵子著/朝日新聞出版/2013年)より
◆関連する過去記事