この映画、猫が出てます

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ゴースト・イン・ザ・シェル(2017年)

サイバー犯罪に対する最初にして最強の兵器であるミラ少佐は、人間の脳とロボットの体でできていた。
押井守監督のアニメ映画の実写版。


  製作:2017年
  製作国:アメリ
  日本公開:2017年
  監督:ルパート・サンダース
  出演:スカーレット・ヨハンソン、ピルー・アスベック、ビートたけし
     ジュリエット・ビノシュ、マイケル・カルメン・ピット、桃井かおり、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    草薙家の飼い猫
  名前:パンプキン
  色柄:こげ茶のキジトラ


◆コウカクとは何ぞや

 1989年に誕生した士郎正宗による漫画作品『攻殻機動隊』が、1995年に押井守監督により『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』としてアニメ映画化されたことからサブカルチャー界に新風を巻き起こし、カルト的なファンが誕生した・・・というのが私の『攻殻機動隊』に対する認識。間違っていませんか? 当方は『鉄腕アトム』『エイトマン』や『ウルトラマン』で育った世代。最近のアニメ、ゲームといった領域にはうといのです。
 このアニメ作品が生まれた1995年と言えば、Windows95が発売され、コンピュータとは業務に特化したプログラムを扱う機械といったそれまでのイメージから、あらゆる日常的な処理を可能にする機械へと転換が図られました。一般人がパソコン周辺の電脳空間におそるおそる踏み出していったあの頃、インターネットの普及もまだまだで、私も職場でワープロ専用機(取り合いだった)からパソコンの前に座るようにと自分に言い聞かせては仕事をしていたものでした。
 今の私たちには明日にも現実になりそうなリアル感をもって受け入れられる物語ですが、当時の私たちのはるか上を行っていた『攻殻機動隊』。パソコンに精通していた先輩が休み時間に口走る「コウカクキドウタイ」という言葉に、甲殻類のカラみたいな固い機械に乗っかってそれを操縦するアニメかな、などと思ったりしていました(それは違うアニメでは・・・)。思えばあのとき先輩はアニメ映画を見に行って興奮していたのでしょうね。
 『ゴースト・イン・ザ・シェル』は、その1995年のアニメを押井守監督自身が2008年にリニューアルしたアニメ『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊2.0』をもとにした実写版。スカーレット・ヨハンソンが主人公の少佐を演じています。
 アニメファン、サイバーパンクファンではないアトム世代の人間が、外国人が日本文化に接して勘違いをしたり違和感を覚えたりするように『ゴースト・イン・ザ・シェル』の世界に接したときに感じたことを、これから恥ずかしながらお話しさせていただこうと思います。まあ、笑ってやってください。

◆あらすじ

 近未来、人間は人工パーツで義体化できるようになっていた。ハンカ社は政府から資金援助を受けて人体の義体化を進め、軍事工作員を生み出した。
 高度に発達したネットワーク社会は、サイバー犯罪に脅かされている。それらの犯罪に立ち向かう公安9課に所属するミラ・キリアン少佐(スカーレット・ヨハンソン)は、ハンカ社のオウレイ博士(ジュリエット・ビノシュ)が作り出した、生きる兵器とも言うべき存在だった。彼女は人間の脳を人工の体に移植して作られており、ゴースト(魂)を保ち続けていた。
 ある時期、ハンカ社の科学者が次々に殺される事件が起き、犯人は自らクゼ(マイケル・カルメン・ピット)と名乗る。少佐は科学者を襲ったゲイシャロボットの中枢にダイブし、クゼの居場所を突き止めて同僚のバトー(ピルー・アスベック)と共に突入するが、爆発でクゼを捕えることはできなかった。それ以後少佐は猫や燃える建物などの幻覚を感じるようになり、バグではないかとオウレイ博士に相談する。
 再びハンカ社の科学者がクゼに殺される。オウレイ博士もクゼの一味に襲われ、そのうちの一人からクゼの活動拠点を突き止めた少佐はクゼと対面する。クゼは、自分は少佐と同じようにハンカ社で作られた失敗作であり、自分たちを実験台に君が生まれた、と言い、自分のゴーストをハンカ社から守れと警告して行方をくらます。
 クゼの話の説明をオウレイ博士に求めた少佐は、自分は難民で体の損傷のため脳だけが助けられたと聞かされていたが、それはハンカ社の社長の指示で植え付けられた偽の記憶だったと告げられる。社長から少佐を廃棄処分するよう指示されたオウレイ博士は、少佐の過去のデータを渡して少佐を逃がす。
 少佐の脳はテクノロジーの暴走に警告を鳴らす社会活動家グループの一員の草薙素子のものだった。クゼは同じグループで素子の恋人だったクゼ・ヒデオ。ハンカ社は義体化人間を作るプロジェクトの実験台としてグループのメンバーを捕えて100人近い犠牲を出していた。そのプロジェクトに関わった科学者たちがクゼに狙われたのだ。
 かつて自分たちが活動していた地区を訪れた少佐とクゼ。彼らを消そうとするハンカ社の社長。少佐とクゼは、執拗な武器攻撃に次第に追い詰められていく・・・。

◆実家の猫

 オウレイ博士によって初の美しく完全な義体として誕生したミラ少佐。博士はいとし子のように少佐に愛情を抱いています。ハンカ社の社長に背いて少佐に過去データを渡した後、博士は社長に殺され、社長は「だから人の心は困る」と言い捨てます。
 少佐はオウレイ博士からもらった過去データにあった、大きな集合住宅を訪ねます。部屋の外側の通路を歩いているとき、1匹の猫が少佐に甘えるようにニャーンと寄ってきます。それは幻覚で見たのと同じ猫。少佐が猫を抱き上げると「こら、パンプキン」とドアの陰から東洋人の中年女性(桃井かおり)が顔を出します。草薙素子の母です。母も少佐に知り合いのような気持ちを覚えたのか、人を捜していると言う少佐を部屋に招じ入れお茶をふるまいます。母の話から、少佐は自分が草薙素子であり、どのようにして今の義体になったのかを察することになります。
 素子の外見とはすっかり変わったはずの少佐を、直感的に素子として認識する母と猫。素子の持つゴーストと彼らのゴーストが感応し合ったのでしょう。ゴーストとは、情動を包含する生物個々の本質とかアイデンティティーと言ったものでしょうか。

 素子たちが活動していた無法地帯を訪れた少佐は、燃える建物のヴィジョンが、ハンカ社にグループのメンバーが拉致されたときの記憶に基づくものだと悟ります。その建物は、かつてヒデオだったクゼの胸にタトゥーとして彫り込まれていたものでした。
 猫が最初に幻覚として出て来るのは開始から15分15秒過ぎ頃、素子の母の部屋の前で寄ってくるのは75分13秒過ぎ頃です。日本では見かけないみっしりとしたこげ茶の毛のキジトラ。パンプキン(ハロウィンでおなじみのオレンジ色のかぼちゃ)とはかわいい名前ですが、アメリカでは愛しい人に対する呼びかけとしても使われるようです。
 ちなみにアニメでは市場の屋根の上に猫がいます。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆日本的記憶

 私が最初に見た『GHOST IN THE SHELL』関連作品は、このスカーレット・ヨハンソンが少佐を演じる実写版。実写版を見たとき、それまでにアニメ版を見ているか否かにかかわらず、誰もがたじろぐのが、少佐のハダカスーツでしょう(ハダカスーツとはここで話をするために私が便宜的につけた名称)。少佐は戦闘モードになると、いつもではありませんが、いわゆるスッポンポンのような格好になるのです。裸ではなく、極限まで邪魔な付属品を排した防護服なのでしょうか。肉色のウェットスーツと言うか、肉襦袢(にくじゅばん)と言ったらよいのか。それが体を太く見せ、少佐をカッコよく見せないばかりか、コントでよく見る相撲取りの扮装のように幾分滑稽に見せてしまいます。
 アニメでは少佐が裸の義体を見せ、逞しい体についた形の良い乳房が性的なファンタジーを掻き立てます。けれども、実写化に当たり、性的な表現への配慮と元のアニメへの忠実さとのバランスを可能な限り考慮した結果、このスーツになったのではないかと思います。
 ラスト近く、ハンカ社の社長の戦車を少佐が破壊するとき、人間の表皮に当たる義体の被膜が少佐の出力に耐え切れず裂けて砕け散るという、アニメで描かれたシーン以上に衝撃的な描写が見られます。このためにハダカスーツを着る必要があったのか!
 もう一つ、申し訳ないけれどクスッと笑ってしまったのはビートたけしが演じた少佐の上司・荒巻課長です。ヘアスタイルなど、ちょっと未来的な外見に整えられていますが、それが「たけし」のギャグの扮装のように見えてしまって・・・。これは私たちが過去に日本のテレビで蓄積した記憶が災いしているせいなので、どうしようもありません。

◆映画の記憶

 そうした邪念はともかく、元のアニメ版に描かれた表現を実写映像として再現し尊重しているところには、日本アニメの世界に誇れる力を再認識させられます。首の後ろでネットワークにつながるケーブルは『マトリックス』(1999年/監督:ウオシャウスキー兄弟(姉妹))で取り入れられていますね。
 少佐の同僚のバトーは、アニメでは初めから時計屋さんが目にはめるルーペのような出っ張った義眼を付けていますが、実写版ではクゼのところで爆発に遭遇したときに眼球をやられ、目だけサイボーグ化したことになっています。この姿はクリス・マルケル監督の『ラ・ジュテ』(1958年)で、主人公にタイムトラベルの実験を行う科学者を思わせます。
 また、アニメ、実写とも克明に描写している近未来の都市は東洋系の広告に埋め尽くされ、『ブレードランナー』(1982年/監督:リドリー・スコット)の影響が見られます。実写版製作にあたり、香港その他をロケしたそうですが、あ、あれはと思ったのはこのブログで取り上げた『恋する惑星』(1994年/監督:ウォン・カーウァイ)の第1話に出てきた重慶マンション周辺の風景。『恋する惑星』のときは暗くてわからず、建物から突き出ている棒が物干しかアンテナか、と書いたのですが、この明るい映像で物干しだとわかりました。

◆そこにあって見えないもの

 1995年の最初のアニメ化から、映像技術の進化に伴って2008年のリニューアル、そして2017年の実写版が生まれたわけですが、実写版はアニメの『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊2.0』とはストーリーが異なっています。
 あらすじにあるように、実写版は、政府筋の援助で人間の義体化を進めるハンカ社と、それを阻止しようとする活動家のグループとの対決という非常にわかりやすい構造にまとめられています。
 けれども、アニメ版は、そうした社会的利害関係を超え、生命と非生命体の融合と限界とか、ネットワーク化による膨大な情報の蓄積が未知のものを生み出すのではないかといった、人類に前例のない領域を予言的に表現していると感じさせます。
 アニメではクゼではなく、「人形使い」という女性型の義体に入ったハッカーが登場し、生命体として亡命したいと言います。人形使いは、子孫を残し、個として死を得るという生物のシステムをモデルに、多様性を得て生き残るため少佐と融合したいと言い出します。少佐はそれを拒まず、バトーが人形使いと融合した少佐の脳を別の義体に移します。膨大なネットワークとつながった、人の姿の殻をかぶる新しい存在の誕生です。
 物にも霊が宿るとして、人形供養をしたり針供養をしたりする日本人のアニミズム的思考、山や滝や木などにも霊性を感じ、崇め、目には見えないが魂が宿っているという、ものへの畏れを含んだ認識が、押井守監督のアニメの奥底には息づいています。そうした要素をわかったうえで実写版では除いたのか、理解できずに体制派と反体制派の闘いという合理的なストーリーに書き換えたのか、アニメにあるミステリアスで神話的な雰囲気が失われたのは残念です。日本だから、外国だから、とくくるのは軽率ですが、こうした改変は、誰のために何を意識してのものなのかと問いたくなります。

 最後にアトム世代から。
 手塚治虫の『鉄腕アトム』の中に「ホットドッグ兵団の巻」という話があります。月の征服を狙う悪人が優秀な犬を拉致して脳を取り出し、人型のサイボーグにして軍団を組織。その兵士たちは犬の記憶をとどめていて、「おあずけ」と言われると動けなくなってしまったり、元の飼い主のところに知らないうちに戻ったり、剥がれた自分の毛皮のにおいや感触を懐かしむのです。
 犬のゴーストの物語? 少佐が素子の母のところを訪れた場面を見て思い出しました。機会がありましたらぜひ読んでみてください。

 

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