19歳の新聞配達の青年は、気に入らない配達先に対する評価の×印を手製の地図に書き込んでいく。
鬱屈した青春を描く柳町光男監督の劇映画デビュー作。
製作:1979年
製作国:日本
日本公開:1979年
監督:柳町光男
出演:本間優二、蟹江敬三、沖山秀子、山谷初男、原知佐子、柳家小三治、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆(ほんのチョイ役)
飲み屋の猫
名前:不明
色柄:茶白、キジシロ、三毛、黒など7匹くらい
◆朝刊太郎
今でも高齢者層では新聞を定期購読する人の割合はかなり高いのではないでしょうか。昔からの習慣ということもありますが、パソコンやスマホなどの光る画面でニュースを見るより、印刷物を読む方が目に楽だからという理由もあると思います。このブログも比較的太い黒い字で画面を埋めておりますが、細い字で行間が大きくあいた画面より新聞や辞書のように文字が密集している方が目には負担が少ないように感じます。
ほとんどの家庭が新聞を購読していた頃、早朝、各紙の配達員が入れ代わり立ち代わり自転車のブレーキを踏む音を夢うつつに聞くことがありました。新聞は魚屋さんが魚をくるんだり、ゴミ箱の底に敷いたり、弁当箱を包んだり(その包んだ新聞を開いて読みながら弁当を食べる)と、本来の目的以外でも生活の隅々で役立っていたものですが、昨2024年秋には毎日新聞・産経新聞が富山県での配送を中止、家庭だけでなく図書館などでも当日の新聞を読めなくなったということです。激減した販売部数と輸送コストの関係もありますが、今後は人手不足で都市部でも戸別に新聞を配達することが困難になってくるのではないかと思います。
タイトルが数で始まる映画シリーズ第2弾『十九歳の地図』の主人公は、走って新聞配達をする浪人生。原作は中上健次の同名の小説です。1979年の映画ですので、今年2025年に65歳の高齢者デビューする方々の青年時代、と想像してみてください。物憂いジャズのテーマ曲(板橋文夫)もマッチしています。
◆あらすじ
昭和54年頃の東京北部の住宅街。地方から出てきた19歳の男子浪人生・吉岡(本間優二)は、予備校に通いながら新聞販売店に住み込んで配達のバイトをしている。吉岡は、配達の先々で気に入らないことがあると手書きの地図に客の名前を書き込み×印を付けていた。×の数が多いほど吉岡の怒りが強いことを表している。
吉岡と同室の30代の紺野(蟹江敬三)というだらしない男は、販売店の若いバイトたちから金を借りてはなかなか返さず、皆から嫌がられ吉岡も軽蔑しているが、人情を大事にする面もあった。
紺野はマリア(沖山秀子)という女の名をよく口にする。マリアなんて本当にいるのかと吉岡が聞くと、紺野はマリアの部屋に連れて行ってくれる。マリアは脚の悪い娼婦だった。うす汚いアパートの一室にいるみすぼらしいマリアに吉岡は嫌悪感を覚えるばかりだった。
吉岡は、配達先の住所と名前から電話帳で電話番号を調べ、嫌いな客のリストを作って嫌がらせ電話をするようになる。さらに製図用具を買って精巧な住宅地図を作り、×印を書き込む。
紺野は新聞店の若いバイトの金を盗んだりしていたが、やがてひったくりや強盗をして警察に捕まる。紺野が留置場に入っている間に吉岡はマリアの様子を見に行く。マリアは紺野の子を妊娠していて、紺野は盗んだ金でマリアに色々な品物を買ってやっていた。マリアは紺野が外で何をしていたかは知らず、吉岡の下半身に触れてくる。吉岡が押しのけるとマリアはガス管をくわえて自殺しようとし、呻くように泣き続ける。
それからまもなく吉岡は、特急電車に爆弾を仕掛けたと東京駅に電話する。また、住宅街にある大きなガスタンクを爆破すると、ガス会社に予告電話をかける・・・。
◆猫より格下
吉岡の配達区域は、戦後の高度成長期頃に建てられたような一戸建ての民家や木造アパートが自然地形のままゴミゴミと建てこんだ、アップダウンの多い土地。ここを走って配達するのは若い人でもかなりきつそうです。区域内にはスラムのようなところもあり、購読料を払おうとしない人もいたりしてあまりいい環境ではなさそうです。昭和の頃はどこの町でもこんなうらぶれた一画があった、何をしているのかよくわからない、いかがわしそうな人がいた、という私の記憶と映画の風景は、容易に結び付きます。
吉岡は、ある家の犬にいつも吠えられます。飛びかかられそうになるのを石つぶてや足蹴で防いだあと、ある日その犬を殺して逆さ吊りにし、飼い主に「お宅の犬、今いますか?」などとしらばっくれて電話を掛けます(この場面は、本物の犬の死骸を使っているようですのでご注意ください)。
「酒の店 かおる」に新聞を届けに行ったとき、店先に入ろうとした吉岡をママ(清川虹子)が呼び止め「裏さ回って」と注意します。いまの都市部では裏口(勝手口)がある家などほとんどありませんが、昔は小さな木戸などが塀にあって商人などはそこから出入りし、玄関を使うのはマナー違反でした。「かおる」は表だの裏だのというちゃんとした構えなどない店。ママは茶白の猫を胸に抱いていて猫とチュッチュとキスをしていますが、さらに入り口すぐのカウンターの上で5、6匹の猫がお皿に首を突っ込んでエサを食べています。猫を平気で店のカウンターに乗せるのに俺は裏に回れってか、とカチンと来たのか、吉岡は地図上の「かおる」にさっそく×を(私なら「猫がいっぱいいた」と喜んで◎をつけるところです)。
猫が出てくるのはこの「かおる」の場面だけです。猫たちは犬と違って吉岡を攻撃しなかったので、逆さ吊りにならずにすみました。
猫が出てくるのは29分30秒頃です。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆受験生ブルース
映画が製作された1979年といえば終戦から34年。一方、現在から遡ると46年前です。この映画の時点を起点とすると、はるかに戦争の時代の方が近いのです。この頃は、戦後、復興・高度成長の波にうまく乗れなかった人々が現役で生きていた時代だったと言えるでしょう。人々が放つ、食べて、寝て、出す、生活の匂いそのもの。この映画は、昭和ブームとやらでもてはやされる、レトロな雰囲気とか温かい人情などという幻想の裏面の、陰の現実を正直に描き出しています。
主人公の吉岡の出自はほとんど語られませんが、地方から上京し、大手予備校に通学しながら新聞配達員をしています。顔立ちや身なりは整っていておとなしそう。タバコは吸うけれど酒はやりません。女性経験はなく、同年代のバイトたちに笑われています。
1975年(昭和50年)時点で、高卒男子の4年制大学進学者の割合はおよそ10人の内4人(女子は1.27人)。高学歴でいい会社に入り定年まで年功序列で出世する、というモデルが最善の選択と思われていた時代です。何を学びたいかではなく、少しでも学歴的に評価される大学を目指し、今より18歳人口が多かったこともあって、若者は厳しい受験競争にさらされていました。一生を左右した大学受験。学歴がなく臍(ほぞ)を噛んだ親が、子どもには同じ轍を踏ませたくないと進学に追い立てることもあったでしょう。吉岡の親もその口かもしれません。
「四当五落」などと言われ、睡眠時間を4時間にまで削って勉強すれば合格できるが、5時間では落ちる、という伝説もありました。1968年に受験生の味気ない生活を歌った「受験生ブルース」という髙石ともやの歌が大ヒットしましたが、この映画の中でもそのメロディーを吉岡が口笛で吹いています。ヒットから10年たっても受験生の置かれた日常は変わっていなかったのでしょう。
◆優越感
新聞販売店の仲の悪い店主夫妻(山谷初男、原知佐子)、吉岡と紺野の部屋の向かいに住む住人の激しい夫婦喧嘩、宗教に凝ったり、子どもを道の真ん中で殴りつけたりする近隣の住民たち、貧困・・・。こんな大人たちの仲間入りはしない、と勉強に励み志望校に入るのがいまの吉岡の進むべき道のはずです。けれども、吉岡は地図に×をつけ、脅迫電話をかけ、相手の大人をさげすむことで、誤った優越感を得ようとします。集金のとき吉岡を苦学する予備校生としてコーヒーやカステラを出してくれた奥さんと女の子たちには、上から施しを受けたようで気に入らず、一家全員皆殺しにしてやると脅迫電話をかけてしまいます。
現在なら、吉岡はネット上に誹謗中傷を書き込んでいるかもしれません。このままでいったら自分も負け犬の側に入ってしまうと吉岡は薄々感じつつ、彼らに×印を付け裁くことに逃げ場を求め続けます。
◆生きねばならない
汚いアパートに客を引き入れ体を売るマリアは、かつて死のうとしてビルの8階から飛び降り、大きな傷を負った脚を引きずって歩いています。そんな彼女の脚を優しく揉む紺野。「死ねないわよ、なかなか」と言うマリア。マリアは紺野がひったくりや強盗で警察に捕まったときも、吉岡にお前のせいだ、死ね、と罵られて、ガス管をくわえ「死ねないのよ、死ねないのよぉ」とうめきます。
紺野に対しても「死んでしまったら」と言ったことがある吉岡は、死にぞこないのマリアを前に「死」について何を思ったのか。
紺野とマリアは、極限まで救いのない人生を歩みながら、死への扉が開かれる時までは、どんなに惨めでも這いつくばって生きて行かねばならないという過酷な現実を若い吉岡に知らしめます。マリアは死ぬことも容易ではないと逃げ道のなさを示します。「どういう具合に生きて行ったらいいのかわからないなあ」という紺野の口癖はそのまま吉岡自身の問いでもあります。最も軽蔑すべき相手は人生に対し逃げ腰な自分自身であることに気づかず、吉岡は問題を他人になすり付けます。
電車とガス会社への脅迫電話の後、吉岡は泣き崩れます。ドロップアウトすれば待っているあの大人たちと同じ未来、紺野とマリア以上に卑劣で現実から逃げ回る自分に打ちひしがれ、本当にどう生きて行ったらいいのかという苦しみが彼を襲います。吉岡は何かを見つけることができたのか、答えは観客それぞれに委ねられています。
◆個性派の時代
主役の本間優二は、元有名暴走族のメンバーで、柳町光男監督のドキュメンタリー映画『ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』に出演したのが縁で本作に新人として主演したそうです。
脇には昭和の個性派たち。新聞店主の、田舎のおじさん役から悪役まで、真面目そうで悪そう、悪そうで真面目そうな山谷初男、若い頃にっかつロマンポルノで大人気、中年になってシリアスな役柄でカムバックした白川和子、落語家の柳家小三治がタクシー運転手の役でちょっと登場。独特の風貌で緻密な演技を見せる紺野の蟹江敬三が、留置場で「君といつまでも」を歌う場面がなんともうら悲しい。
沖山秀子の地母神の如きマリアには、不快感を覚えながらも目が吸い寄せられてしまいます。がっちりしたボディーで、裸もいとわず体当たりの野生派。ほかに誰が演じることができただろうかと言うべき、デビュー作の今村昌平監督の『神々の深き欲望』(1968年)でのプリミティヴな知的障害の娘。本作の、マリアがビルから飛び降りて死ねなかったというのは沖山秀子の実話を反映しているらしいのですが、脚の傷痕は本物なのかメーキャップなのか・・・。
そんなアンダーグラウンドな個性がひしめき合っていた70~80年代にかけて、やはり中上健次原作の『青春の殺人者』(1976年/監督:長谷川和彦)や、同じ柳町光男監督の『さらば愛しき大地』(1982年)など、若者の閉塞感を描く問題作が生まれました。鬱屈した心を抱えた若者は、映画の中に共感の場を見つけることができたと言えるでしょう。バブル以後はそうした映画は影をひそめてしまったように思います。
紺野と吉岡が話をしていた回転展望台・飛鳥山タワー(スカイラウンジ)もまた、バブル崩壊後に閉館して今は撤去されているそうです。黄色い公衆電話、個人情報満載の分厚い電話帳、成人映画館・・・新聞店の販促品のかさばる粉末洗剤も、あの頃を思い出させます。
2024年には、大学の募集人員に対し入学者数が下回ったそうです。
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