この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

旅情(1955年)

ヴェネツィアを訪れた一人旅の独身女性が初めての恋に身を焦がす。
世界を魅了した大人の名作ラブロマンスと、その公開秘話。


  製作:1955年
  製作国:アメリカ、イギリス
  日本公開:1955年
  監督:デヴィッド・リーン
  出演:キャサリン・ヘップバーン、ロッサノ・ブラッツィ、ガイタノ・アウディエロ、
     ジェーン・ローズ、他

  レイティング::PG-12(12歳未満には成人保護者の助言・指導が必要)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    ヴェネツィアの町の猫(6匹ほど)
  名前:不明
  色柄:キジトラ? キジ白?


ヴェネツィアの夏の日

 日本で様々な呼ばれ方をしている観光都ヴェネツィア。ベニス、ヴェニスベネチア・・・。シェークスピアの戯曲は『ベニスの商人』だったり『ヴェニスの商人』だったり。1971年のルキノ・ヴィスコンティの映画は『ベニスに死す』で不動。その原作であるトーマス・マンの小説は岩波文庫では『ヴェニスに死す』と表記されていますが、新潮文庫集英社文庫では『ベニスに死す』となっています(ちなみに岩波文庫では著者名をトオマス・マンと表記)。
 ネットでイタリア語のVeneziaの発音を聞くとヴェネツィアに近いようです。英語ではVeniceなので、アメリカ・イギリス製作のこの映画のセリフではヴェニスと言っています。
 主人公が恋した男性とのデートのときに流れるロマンチックなテーマ曲は「Summertime In Venice」。日本では「ヴェニス(ベニス)の夏の日」として知られる名曲。主演のロッサノ・ブラッツィも歌っています。
 さて、ここではいままでの記事の中でヴェネツィアと書いてきたのでヴェネツィアと書かせていただきます。映画の原題はシンプルに『Summertime』。

◆あらすじ

 アメリカで秘書をしているジェーン・ハドソン(キャサリン・ヘップバーン)は長年働いてためた貯金でヴェネツィアに一人旅にやってきた。ジェーンは独身で恋の経験もない。宿泊先は小ぢんまりとしたペンション。同じアメリカから来た老夫婦らと顔見知りになる。
 ジェーンは、町でストリートチルドレンのマウロ(ガイタノ・アウディエロ)という男の子と知り合う。日没頃、サン・マルコ広場オープンカフェで一人でくつろいでいたとき、ジェーンは背後から中年男性の視線を感じ、あわてて席を立つ。
 翌朝、ジェーンが骨董品店で真っ赤なヴェネチアングラスのゴブレットを見かけ店に入ると、店主は昨日ジェーンを見ていた男性・レナート(ロッサノ・ブラッツィ)だった。レナートはイタリアでは値切って買うものだと値引きし、18世紀のものだが同じ物が手に入ったらもう1個ほしいかと聞いて、そのときは店に寄ってもらうかペンションに届けると話す。ジェーンはレナートに心ときめく。
 ジェーンは前日と同じ時間に期待を込めてサン・マルコ広場に行く。レナートが現れるが、ジェーンは席に誘うことができなかった。
 翌日、マウロを追い払いながらムービーカメラでレナートの店を撮影していたジェーンは、後ずさりして運河に落ちてしまう。騒ぎを聞いてレナートはペンションにジェーンを訪ねる。ジェーンがレナートに会いたいという気持ちを持ち始めているというレナートの指摘をジェーンは打ち消すことができなかった。
 そのときアメリカ人の老夫婦が、ジェーンが買ったのと同じゴブレットを工房で6つも買って帰って来る。ジェーンはレナートにだまされたと激怒するが、夜のサン・マルコ広場でのコンサートに誘われ、気を取り直す。ペンションまで送ってきたレナートはジェーンにキスし、翌日もサン・マルコ広場で会う約束をする。
 次の日、新しいドレスや靴を買ってドレスアップしたジェーンがレナートを待っていると、骨董品店の若い店員が、レナートが少し遅れると言いに来る。会話の中で、ジェーンは彼がレナートの長男だと知り、更に何人も子どもがいて妻も元気だと聞き愕然とする。
 ペンションに逃げ帰ったジェーンをレナートが訪ねて来て、潔癖なジェーンに自分の欲求に従えと説く。ジェーンはついにレナートに身を任せる。
 ジェーンは数日恋を存分に味わうが、再びサン・マルコ広場でレナートに会った朝、2時間後の汽車で発つと突然告げる・・・。

◆猫の楽園

 この映画で猫が出てくる場面は3回。
 初めはジェーンがペンションのテラスで、アメリカ人観光客の老夫婦や経営者の未亡人らとのおしゃべりのあと一人で取り残されたとき。目の前の運河沿いの道に1匹の猫がニャーと鳴きながら歩いているのに気づいて「キティ、キティ、キティ」と猫を英語で呼ぶときのお決まりの声掛けをします。映画でよく耳にしますが、たいてい3回繰り返し、「キリキリキリ」と聞こえますよね。イタリアの猫にキリキリが通じたのかどうかはわかりませんが、猫はちょっとだけ近づいて地面にゴロン。ジェーンは今更ながら一人ぼっちを思い知らされます。
 猫の2度目の登場は、表に置かれたチェアの上でお昼寝中のキジシロっぽい猫。よく見るとその奥にもう1匹、キジ猫が横たわっています。ゴンドラの漕ぎ手も花屋の店番もうつらうつらする夏の午後、ジェーンが散策している人通りのない道で、3度目として背後に3匹の猫が映ります。ロングショットではっきりしないのですが、みな毛色が暗め。点々とある程度距離を置いて、お互いを干渉しないように過ごしているようです。いわゆる猫の集会の最中でしょうか。
 ジェーンがヴェネツィアに着いて駅でタクシーに乗ろうとすると、タクシーはゴンドラ。バスも水上交通で、ヴェネツィアでは自動車は走っていないとのこと。車の通らない石畳の広がるヴェネツィアは猫にとって楽園に違いありません。
 猫が出てくるのは22分00秒頃、44分過ぎ頃、44分20秒頃です。ジェーンとレナートが行ったレストランで、おもちゃ売りが見せるゼンマイ仕掛けの猫のおもちゃもかわいいです。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆50前の乙女

 これもかつてのテレビの洋画劇場で何度も放映された名作中の名作です。映画評論家の淀川長治さんや水野晴郎さんが、その放映時や映画の名場面を集めた特集番組などで、ラストシーンを大絶賛していた記憶がいまも頭にこびりついています。もっともこのお二人、たいていの映画を大絶賛していましたが・・・。
 今の観客にしてみれば、どうということのない恋愛映画です。
 主人公のジェーン・ハドソンは、今では死語・差別的表現となったオールドミス(婚期を過ぎても未婚の女性)。ペンションの女主人(イザ・ミランダ)との会話の中で「アメリカでは50歳前は乙女」と言っているところから、おそらく40代後半でしょう。
 いまや婚期という概念すらあいまいになってしまいましたが、日本では1970年代以前だったら、女性の場合、20代後半になっても未婚だと「まだかたづかない」と言われ、30代になるとオールド・・・という陰口をささやかれる、といった具合だったと思います。30代で独身だと、男女問わず何か本人に問題があるのではというような言われ方すらしていましたから、恐ろしい時代でした。
 ジェーンの場合、自分から男性との出会いを求めようとしてこなかったようです。何よりジェーンは性的なことにきわめて潔癖。男性経験もなさそう、と言うより、未婚の女性はみんな「ない」というのがこの頃の前提だと思います。
 ジェーンは他人の性的なふるまいにも厳しく、ストリートチルドレンのマウロが観光客目当てのエッチな絵はがきと思われるものをジェーンに渡すと、さも汚らわしそうに突き返します。マウロはゴンドラを逢引きに使う男女のためにゴンドラの手引きをしてお金をもらっているのですが、それもジェーンにひどく叱られます。
 けれどもジェーンは宿の女主人に、人生で逃してきたものを見つけるためにヴェネツィアに来たと語っています。そんなとき、レナートの視線を背後に感じたのです。

◆ロマンスグレーの男

 レナートという人物は、恋愛映画のムードを壊さぬようソフトに描かれていますが、現実にいたとしたらかなり怪しい。
 骨董品店の店主が、夕方になってサン・マルコ広場にピシッとしたスーツに着替えて一人でやって来るとはなんとも不自然です。レナートの視線を表すカメラは、前の席に座ったジェーンの足を追っています。どう見ても観光客との行きずりの恋目当てでナンパに出てきた中年でしょう。
 レナートの口説き文句はすごい。妻がいるのがばれると、それを隠していたのは、恋が始まる前にジェーンが終わりにしてしまいそうだったからだと言い訳し、自分をラビオリにたとえて、飢えているなら目の前のラビオリを食え、と言うのです。ラビオリは餃子のように具をはさんだパスタで、残り物の始末のために生まれた料理。君はステーキ、つまりいい条件の男じゃなければイヤと言うだろう、けれどもいま満たされてないなら、目の前にあるラビオリに食いつけ、と責め立てるのです。ジェーンは「飢えてない」と抵抗します。けれどもひとしきり二人で気分転換に遊びに行った後、ジェーンはついにレナートに身を任せます。
 前の日に買ったとびきりの靴が片方バルコニーに残り、空には花火が激しく打ちあがります。昔の映画で様々に工夫された、愛の時間を表現する遠回しなカット。『泥棒成金』(1955年/監督:アルフレッド・ヒッチコック)でも打ち上げ花火が使われていましたね。

◆公開秘話

 レナートは行きずりの恋の常習者なのでしょう。けれども、ジェーンについてはこれでよかったのだと思います。
 レナートがどうあろうが、ジェーンは自分でそれを選んでいます。そして自らピリオドを打ちます。女性が自分で自分の人生の舵を切る、今では何でもないことですが、ジェーンの潔さと、ラストで見せたありのままの感情、これが70年前の観客を揺さぶったに違いありません。
 レナートとコンサートに行った晩、花売りから買ったクチナシの花をジェーンは運河に落としてしまいます。レナートが拾おうとしますが、もう少しのところで手が届きません。二人の行く末を暗示するようなクチナシの花。
 この花が評論家の先生方大絶賛のラストに結びついて行くのですが、『旅情』の最もロマンチックで純とも言えるこの部分に対し、飢えているならラビオリを食えというシークエンスはかなり刺激的です。実は、公開当時この部分は削除されていたのだそうです。
 完成時、映画の自主規制運営機関は不貞を描いているとして一部を削除、さらにカトリックのモラルに照らして映画の内容を監視する団体からの強い抗議で、ラビオリとステーキの会話を削除したのち、やっと公開されたのだそうです。ここが復元されたのはDVDが売り出されたときとのこと(何年かは不明)(注1)。『旅情』は製作当時は物議をかもす問題作だったのです。
 観光とドッキングした、どうということのない恋愛映画と思えた『旅情』の意外な顔が見えてきます。デヴィッド・リーン監督はタブーに挑戦する意気込みでこの映画を世に送り出そうとしていたのか? この個所を含んで公開されていたら、この映画は名画と呼ばれる作品になったのか? 

 『旅情』のヒットによりヴェネツィアには観光客が殺到、特にキャサリン・ヘップバーンが落っこちた運河はツアーの目玉だったそうです(注2)。
 デヴィッド・リーン監督はこの後『戦場にかける橋』(1957年)が大ヒット、『アラビアのロレンス』(1962年)や『ドクトルジバゴ』(1965年)など、男性的な大作を次々に手掛けるようになります。女性映画の大作『ライアンの娘』(1970年)も不倫のドラマです。
 監督の作品で愛の物語で有名なのが1945年の『逢引き』。家庭を持つ男が人妻に近づき、二人は恋に身をやつします。『旅情』のジェーンと対極にあるようなこの女性主人公を見比べてみるのもいいでしょう。どちらの映画でも、駅と汽車がせつなさを掻き立てる見事な効果を上げています。

(注1)IMDbトリビアより。カトリック系の団体(National Catholic Legion of Decency)は『旅情』をB評価としたそうです。
(注2)IMDbトリビアより


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