幕末から大正時代に日本から海外に渡り春をひさいだ「からゆきさん」の一人に迫る、実話をもとにした社会派ドラマ
製作:1974年
製作国:日本
日本公開:1974年
監督:熊井啓
出演:栗原小巻、田中絹代、高橋洋子、田中健、水の江瀧子、小沢栄太郎、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
老婆サキの飼い猫
名前:タマ、ミイ、クロ、ポチほか
色柄:黒、茶トラ、三毛、キジトラ、キジブチなど9匹くらい
◆港町サンダカン
女性史研究家の山崎朋子が『サンダカン八番娼館 底辺女性史序章』(筑摩書房/1972年)として発表し、第4回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したルポルタージュ、および1974年に刊行された続編『サンダカンの墓』(文藝春秋)を元に映画化された人間ドラマです(注1)。社会派の熊井啓監督が日本を遠く離れた異国の地サンダカンで娼婦となった、ある一人の「からゆきさん」の半生を現地ロケを交えクローズアップし、大きな反響を呼びました。
1974年度キネマ旬報日本映画ベストテン第1位。同日本映画作品賞、監督賞に輝いた、多くの人が原作とともにその題に聞き覚えがある作品でしょう。同年度日本映画第2位の『砂の器』(1974年/監督:野村芳太郎)を抑えての受賞ですから、当時の反響の大きさがわかると思います。
映画は原作をドラマチックに演出し、海外で出稼ぎ売春をすることになった女性の若き日の悲哀と、年老いて酷薄な境遇の中で生きる姿とともに、異郷で果てたからゆきさんたちの墓を著者の山崎朋子氏をモデルとした研究者が訪ねる場面を描いています。からゆきさんになった若い女性を高橋洋子、老いたその女性を俳優歴50年の田中絹代、研究者を栗原小巻が演じました。田中絹代はその圧巻の演技で1974年度キネマ旬報女優賞を圧倒的な票差で勝ち取り、また1975年のベルリン国際映画祭銀熊賞の女優賞を獲得しています。
◆あらすじ
アジア女性史研究家の三谷圭子(栗原小巻)は、幕末から大正期まで日本から東南アジアなどに渡って売春婦として働いた「からゆきさん」を調査していた。圭子はかねてより、からゆきさんだった人から直接話を聞いてみたいと願っていた。
1968年、からゆきさんを多く送り出した天草地方を訪ねた圭子は、立ち寄った食堂で一人の老婆(田中絹代)に出会う。少し世間話をするうちに、老婆が子どもの頃から外国に行っていたと話すのを聞いて、圭子はこの老婆はからゆきさんだったに違いないと直感する。店を出て行った老婆を圭子は追いかけ、そのまま彼女の住むあばら家までついて行く。
勧められるまま圭子が汚い家をいとわず昼寝をしたことを老婆は喜び、辞去する圭子にまたこちらの方に来るときは寄ってくれ、と言う。圭子は本格的にこの老婆から話を聞こうと、研究者であることを隠して一ケ月後あらためて老婆の家を訪ねる。
老婆はおサキさんといい、圭子が滞在してからしばらくして徐々にからゆきさんだった頃の話を始める。
子ども時代のサキ(高橋洋子)は極貧の家に生まれ、外国に行けばいくらでも白い飯が食えると聞いて、娼婦になるとは知らずに女衒(ぜげん/小沢栄太郎)の世話で北ボルネオ(現マレーシア領)の港町サンダカンの八番娼館に住み込む。雑用係として働き始めて1年ほどたった大正3年(1914年)、急に客を取れと言われ、必死に拒んだものの前借金をちらつかされ、売春婦になる。
サキはたった一度、19歳の時に、客の竹内秀夫(田中健)という男と恋に落ちる。サキを請け出して所帯を持つという秀夫の言葉を信じていたが、秀夫がほかの女と結婚することになって裏切られる。
稼いだお金を故郷の兄のために送ったが、何年か後に一旦郷里に帰ると、そのお金で家を建てた兄は、サキが帰って来たことを外聞が悪いとひた隠しにした。
その後満州に渡って結婚し、息子も生まれ貯えもできたが、敗戦で引き揚げる途中で夫は死に、無一文で日本に戻って京都に住む。年頃になった息子はサキの存在を結婚の障害と考えてサキを天草へ追いやった。息子からは月に一度、わずかな仕送りが来るだけで、嫁は便りひとつよこしたことはない、とサキは語った。
サキは村人たちに圭子のことを息子の嫁だと言っていたが、ひょんなことから圭子の素性が明らかになり、圭子はこれ以上ここにいられなくなる。
圭子はサキに暇乞いをし、自分が研究者だということを隠していたと謝罪するが、サキは怒るどころか、自分の話したことには嘘はない、何を書いてもいいと圭子を励ます。サキの優しさに圭子は泣き伏す・・・。

◆あばら家の猫
貧しいおサキ婆さんの家は想像を絶する汚さ。誰かが引っ越して打ち捨てた家に住んでいるのですが、トイレはないので裏の空き地で用を足し、戸はガタガタ、障子はボロボロ、破れた畳の裂け目にはムカデやヤスデのたぐいがウヨウヨ。初めて訪ねたとき、疲れただろうからそこで横になれと言われ、圭子はぎょっとしたものの素直に従います。おサキはそんな圭子に心を許します。
おサキの家の中には子猫からおとなまで猫がいっぱい。子猫はぴょんぴょんじゃれあい、おとな猫はじっと目をつぶってうとうとと、まるで猫カフェ。全9匹のはずですが、もっとたくさんいるように見えます。
毎月たった4千円の息子からの仕送りで、おサキは来る日も来る日も米と麦が五分ずつの飯を炊き、味噌か塩で煮たくずじゃが芋を食べ、猫にも同じものを食べさせています。自分も食べるのがやっとなのに、捨て猫も命のあるもんだけん、と情けをかけるおサキ。
おサキの家の場面では、画面のどこかにたいてい猫が映っていますので、何分頃に猫が出ているといういつもの私のご案内はお休み。おサキのつらい身の上話の間の猫たちの無邪気な姿に心が慰められます。
圭子がおサキの家を去る前、二人で畳の上に花ござを敷いたり障子を張り替えたりして家をきれいにします。無邪気に喜ぶおサキ。けれどもあれだけ猫たちがいるのでは、せっかくの障子もいつまできれいに保てるやら・・・。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆おサキさん
映画は原作にほぼ忠実に一人の女の半生を描き出しています。おサキさんがからゆきさんとしてサンダカンで働いていた頃の回想と、年老いて日本で極貧生活を送る現在という、どちらを見ても救いのない状況をスクリーンに追いつつも、わたしは絶望感一色の映画とは思えませんでした。それはこのおサキさんの、人生に達観し無欲で慈愛に満ちた人柄のためでしょう。
おサキさんは貧しすぎて学校に通うこともできず、読み書きは全くできません。ボルネオでも教育を受ける機会はなく、無学のまま年老いた人です。それにもかかわらず驚かされるのは、過去についての精確な記憶と、聖女のような澄み切った心です。
読み書きができなかったがゆえに、おサキさんは経験した事柄を頭にそっくりたたき込んだのかもしれません。そしておサキさんを支えたのはお大師様です。原作によれば、おサキさんは故郷に一旦帰ったとき鬱のような状態になって、勧められてお大師様にお参りしたらたちまちなおり、それ以来息子や嫁の幸せを祈って毎朝お大師様の方角に向けて手を合わせ、月に一度のお参りを欠かさなくなったそうです。食堂で圭子に出会ったのも、お大師様にお参りした帰りでした。
◆自由の尊重
おサキさんの人間性が最も明らかになるのが、圭子が研究目的でおサキの家に滞在していたことが村人たちにわかってしまったときです。ここに来た目的を話せば本当のことを話してくれないかもしれないと危惧した圭子は、みんなにそれを隠していました。
おサキさんに帰ることを告げたとき、圭子は、自分がどういう女だということをなぜ一度も聞かなかったのかと、ずっと口に出しかねていたことをおサキさんに聞いてみます。おサキさんは、村人たちよりもどんなに自分がそれを聞いてみたかったことかと前置きしてから
「話してよかこつならわざわざ聞かんでも自分から話しとる。ばってん、当人が言えんことは言えん訳があるけんたい。お前が言えんことばどうして他人のわしが聞いてよかもんかね」
と言うのです。
そして、お前が外国のことを聞きたいのだろうと見当をつけて自分からそれを話したと言い、「本に書くとならなんもかまわん。本当のこと書くとなら誰にも遠慮することはなか」と言って、嗚咽する圭子の背中を優しくポンポンと叩きます。
無学なおサキさんは個人の自由という思想を見事に身につけ、実践しているのです。およそ自由とはかけ離れ虐げられた生活を通して、おサキさんは精神こそ何人にも侵すことのできない自由の砦という考えを体験的に会得したのではないでしょうか。それを頑なに自分を守るために用いたのではなく、圭子や他人にも認めているところに、このやせ細ったみすぼらしい老婆がくぐり抜けてきた人生の道のりを思わざるを得ません。
◆魂が演じる
おサキさんのその姿勢は思わぬ波紋を呼んでしまいます。原作及び映画のヒットによって、おサキさんのところを探し当てる一般人が現れたのだそうです。原作の人名や地名はすべて仮名だったり伏字にされたりしているのですが、当たりをつけ訪れた人たちが映画や本のことを村人に話し、からゆきさんの歴史を村の恥と考えていた人たちから、おサキさんは村八分のような扱いを受けたのだそうです(注2)。
おサキさんのあばら家はついに崩壊の危機に瀕し、おサキさんは老人養護施設に移って最後の何年かを過ごします。山崎氏がおサキさんを訪問すると、ホーム仲間に「“東京の娘さん”が来んさったよ!」と言われ、はにかみながら現れたとか。1984年におサキさんは亡くなります(注3)。
この映画を日本映画史上に記憶されるべき作品としているのは、なんと言っても老いたおサキさんの田中絹代の演技でしょう。それは演技と言うのもはばかられるほど、魂と肉体のすべてを絞り出した迫真のものです。
おサキさんの造形には、田中絹代が演じた『西鶴一代女』(1952年/監督:溝口健二)の、色欲に巻き込まれ人生を転落していくお春がオーバーラップします。そしておサキさんが透徹した人間観に達した姿は、ラストにお春が仏に帰依する身となった姿を思わせます。
また、おサキさんの話には、戦後横浜でアメリカ兵を相手にしていた日本人娼婦『ヨコハマメリー』(2005年/監督:中村高寛)のメリーさんを思い出さずにはいられません。横浜に駐留するアメリカ軍によって経済的に立ち直る部分の多かった横浜の人々は彼女をそっとしておきましたが、晩年近くにはマスコミによって好奇の目にさらされてしまいます。
どちらの映画もこのブログで取り上げていますので、ご一読いただければと思います。
◆女性の尊厳
公開時は、この映画のCMがテレビでも流れ、高橋洋子のヌードもそこに入っていたと記憶しています。1971年に日活がロマンポルノに路線転換するなど、70年代は性の解放といったムードが世の中にあって、映画では女性俳優が脱ぐということがよく話題になりました。観客動員数が落ち込み、呼び物としてヌードを切り札のように使ったのでしょう。女性の性を商品とみなす態度は、からゆきさん以後も変わることはなかったと言えるかもしれません。映画の中でからゆきさんたちから搾取し金をためた女衒の男らは他の商売にも手を広げ、現地の発展の功労者として日本政府から勲章をもらったりしています。
日本がバブル景気に躍った頃、今度は東南アジア方面から日本に来て性風俗などで働く女性が「ジャパゆきさん」と呼ばれました。貧困や社会の不安定化といった政治的問題がこうした女性たちの背後にあります。
映画はからゆきさんたちが葬られたサンダカンの日本人墓地を圭子が訪れて幕を閉じます。ここはおサキさんが母のように慕った、女衒亡き後の八番館の主にして現地の日本人たちの顔役だったおキクさん(水の江瀧子)が私費を投じて作った共同墓地です。この墓地は、おサキさんが原作の中で話していたものの所在がわからなかったのを、それを読んだ現地駐在の日本人男性がジャングルに埋もれていたのを探し当てたのだそうです(注4)。
おキクさんはおサキたちに、日本に帰っても行き場はないぞと言ってここで眠っています。その墓地の墓標はみな日本の方角に背を向けて立っている、と映画は締めくくられています。
(注1)両書を合わせて2008年に『サンダカン八番娼館』として文庫化(文春文庫)されています。
(注2、3)「文庫版新装版のためのあとがき」(『サンダカン八番娼館』/山崎朋子/文春文庫/文藝春秋/2008年)より
(注4)『サンダカンの墓』(前掲書所収)より
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