イーサン少年の家にやって来た犬のベイリーは、年老いて死んだあと何頭かの犬に生まれ変わり、イーサンとの再会を果たす。
人と犬との絆を描くハートウォーミング・ストーリー。
製作:2017年
製作国:アメリカ
日本公開:2017年
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:デニス・クエイド、ペギー・リプトン、K.J.アパ、ブリット・ロバートソン、
ジョシュ・ギャッド(声)、他
レイティング:一般
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
主人公の家の飼い猫
名前:スモーキー
色柄:長毛のキジトラ
◆また会いたい
亡くなったペットがよみがえる映画の第2弾。今回はよみがえると言っても前回の『ペット・セメタリー』(1989年/監督:メアリー・ランバート)のように死体が復活するというおどろおどろしいものではなく、死んだ犬の魂が別々の犬に転生する、心が洗われるような物語です。
監督は『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(1985年)や『HACHI 約束の犬』(2008年)などのラッセ・ハルストレム。このブログでも『ショコラ』(2000年)を紹介しましたが、映画の話が犬のことに及ぶとき、何度もその名を引き合いに出してきた犬好きの監督です。
原作はW・ブルース・キャメロンの『A Dog’s Purpose』。このブログで紹介した映画『ベラのワンダフル・ホーム』(2019年/監督:チャールズ・マーティン・スミス)の原作と脚本を担当した犬の物語のベストセラー作家です。『僕のワンダフル・ライフ』の続編『僕のワンダフル・ジャーニー』(2019年/監督:ゲイル・マンキューソ)と『ベラのワンダフル・ホーム』が彼の原作の3本セットの姉妹編。犬が人間との交流の中で経験するあれこれを犬流に解釈するモノローグの面白さも、それぞれの映画に共通しています。
9回生まれ変わるとか、○年生きると化けるなどと言われ謎めく猫と、まっすぐで二心のない犬という、対照的な性格の動物が人間に最も近いところにいるというのも、人類の精神文化を考える上で興味深いことだと思います。この映画の犬はある目的をもって人間のそばにいるらしいですよ。原題は原作と同じく『A Dog’s Purpose』。大人から子どもまで一緒に楽しめる感動の1本です。ハンカチ、タオル、ティッシュの類をお忘れなく。
◆あらすじ
1960年代初頭のアメリカ。とあるところで子犬が生まれる。お乳を飲み、きょうだいと遊んでいるうちに野犬捕獲業の人に捕らえられ、短い一生を終える。これがこの犬の転生の始まりである。
次に彼はレッドのレトリーバーに生まれ変わる。ブリーダーの小屋から脱走し、売って金にしようとする男たちにつかまって車に閉じ込められ、ぐったりしているところを8歳のイーサン少年(ブライス・ガイザー)とママに助けられ、イーサンの家の犬になる。
子犬はベイリーと名付けられイーサンと一心同体で成長する。ベイリーは自分のしっぽを追いかけてグルグル回ったり、イーサンの投げた空気の抜けたフットボールの球を、イーサンの背中を踏切台にしてジャンプし、空中でキャッチしたりするのが得意だった。イーサンは自分がこの家の主人だと威張るパパに対抗して、ベイリーを「ボス犬」と呼んだ。
高校生のイーサン(K.J.アパ)はベイリーと遊園地を散歩中、ベイリーがスカートの中に潜り込んだ同い年の女の子・ハンナ(ブリット・ロバートソン)と恋人同士になる。二人とベイリーはいつも一緒にデートする。
イーサンはアメフトの有望選手で名門大学から奨学金が出ることになるが、ねたんだチームメイトに家に放火され、逃げるときに足を負傷して選手生命を絶たれてしまう。変わらずイーサンを支えようとするハンナに、いじけたイーサンは別れを切り出す。イーサンは進路を変更し、祖父の農場の経営を学ぶため遠くの農業学校に行くことになりベイリーと別れる。寂しく老いたベイリーは病気になり、駆け付けたイーサンに看取られながら安楽死する。
次にベイリーはメスのシェパードに生まれ変わる。エリーと名付けられ、警察犬としてカルロスという警官(ジョン・オーティス)とコンビを組んで活躍し、孤独なカルロスを慰めるが、事件のときに犯人に撃たれ殉職してしまう。
次に生まれ変わったのはウェルシュ・コーギー。人付き合いが苦手でジャンクフードばかり食べている大学生のマヤのペットになってティノと呼ばれる。マヤが一度振った同級生のアルも犬を飼っていると知って、二人の距離が近づき、結婚する。そのティノも年老いて生涯を閉じる。
セントバーナードに生まれ変わったベイリーは生活の不安定な喧嘩ばかりの夫婦の家に飼われ、虐待を受ける。ベイリーは捨てられ、放浪の末、風の中に懐かしいにおいをかぎ当てる。その先にいたのはイーサンだ! ベイリーは一目散に駆け付ける。
老いに近づきつつあるイーサン(デニス・クエイド)は独身で祖父の家で一人で暮らしていた。イーサンは飛びついてきたこの犬がベイリーの生まれ変わりだとはわからず、エサをやって、翌日保護施設に連れて行ってしまう・・・。

◆犬猫の溝
犬の魅力がキラキラと輝いているこの映画、猫は子ども時代のイーサンの家に登場します。
リメイク版の『ペット・セメタリー』(2019年/監督:ケヴィン・コルシュ、デニス・ウィドマイヤー)に出て来る猫とよく似たふわっとした長毛のキジトラ。その毛でかすんだように見えるからか、名前はスモーキー。遊びたい盛りのベイリーは、猫たる動物がどんな動物かを理解することなく、犬流で接します。走るの大好き、追いかけっこ大好きなベイリーは猫には迷惑でうるさいガキでしかなく、絶対に遊んでくれないどころかシャーと威嚇されてしまいます。
最近はネットなどで犬と猫が仲良く同居している写真や動画を目にしますが、あの平和はエサの奪い合いという生存競争がないがゆえに生まれるものでしょう。犬も猫も外飼いが普通だった昔は、常に身の回りに敵がいないかと犬も猫も緊張していましたし、犬小屋の前の食べ残しのエサを狙ってノラ猫が決死の突入を試みることも。それに気づいた犬の鎖がチャラリと鳴る音。犬と猫は今よりもっとギラギラ、一触即発状態だったものです。
ある日、ベイリーはイーサンとママが不審な行動をするのを窓から目にします。スモーキーが亡くなり、亡きがらを家の入口の脇に埋めていたのです。スモーキーが最近姿を消したと思っていたベイリーはそこを掘り返し、スモーキーを見つけたよ、とくわえてママのところに・・・。ママは絶叫!
『ペット・セメタリー』のようにスモーキーをよみがえらせようと掘り返したわけではないでしょうけれど、犬ならではの勘違いをベイリーはこんな風に鮮やかにやらかしてくれます。
猫のスモーキーが出て来るのは8分頃、14分40秒頃、永遠の眠りについたのにベイリーに掘り起こされてしまうのは34分頃です。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆イヌ 人に会う
犬と飼い主の絆を描く、犬の映画の王道です。色々な事情で離れ離れになった犬と飼い主が再会を果たすという最も一般的なパターンを離れ、ベイリーという魂を保ちながら次々と別の犬に生まれ変わるというのがこの映画の面白いところ。色々な犬種が登場するのが犬好きには嬉しいでしょう。けれども、どの犬もベイリーの性格をベースにしているので、しつけても覚えないとか、凶暴だとか、遠吠えをして近所迷惑だとかのダメな子がいないところが少々物足りないと申しましょうか。
「ダメな子」部分は、先ほどの墓掘りのようなベイリーの失敗として描かれます。
イーサンのパパの上司夫妻が家にディナーに来ることになり、その直前、ベイリーはスモーキーを追いかけて部屋中を散らかしてしまいます。そして、これはベイリーが悪いわけではないのですが、イーサンのパパが上司に見せようと出してきた自慢の古いコインのコレクションをイーサンが眺めていたとき、うっかり転がしたコインがベイリーの口の中に飛び込み、ベイリーが呑み込んでしまうのです。あせったイーサンはベイリーを外に連れて行き、しろ、しろ、と排泄を催促。やっと出たコインをイーサンがパパや上司の目を盗んでコレクションボックスに戻そうとするところでまた大騒ぎが起きるのですが、これは見てのお楽しみ。犬は普段からなんとなく困った顔に見えます。こういった失敗のときは、すまなそうにして見えるから得ですよね。
『ショコラ』の記事で、スウェーデン出身のラッセ・ハルストレム監督の映画はアメリカに渡ってからソツがない優等生風になったと書きましたが、この大騒ぎの場面ではスウェーデン時代の20世紀風ドタバタが復活。
イーサンが農業学校に進学するために祖父の家を出て車を走らせると、たわわに実った麦畑の中をベイリーが追いかけていく感動のショットは、映画的で、言葉を必要としません。
麦畑の中の走りは、セントバーナードに生まれ変わったベイリーが、放浪の末おじさんになったイーサンを見つけるところで逆回しのように繰り返されます。ここはレトリーバーやセントバーナードなどの体の大きな犬の見せどころ。短足のコーギーでは麦の中に隠れてしまいますからね。
◆目的を持った犬
もともとベイリーをあんなにかわいがっていた犬好きのイーサンが、迷い込んで来たセントバーナードにひと晩エサをやっただけで保護施設に連れて行ってしまうというのは少々冷たすぎやしないかと思った方、ご心配なく、イーサンはやっぱり思い直します。
セントバーナードに生まれ変わったベイリーは、そんなイーサンになんとしても自分がベイリーだと気づいてもらうために、そして寂しいイーサンのために、知恵を絞った作戦を実行します。その後の展開はぜひ映画を見てください。ただ、イーサンとベイリーのその後がそうしてたっぷり描かれる一方で、イーサンのパパや放火した友人のその後は描かれず、そういうものかと思いつつそれでいいのかという気も少々。
原題である『A Dog’s Purpose』(ある犬の目的)とは、困っている人を探し救うこと、過去をいつまでも悲しまず、未来を憂いもしない、ただ今を一緒に生きることだと、ベイリーは誇らかに宣言します。
ところがこの映画の中にはそんなベイリーの力の恩恵にあずかれなかった人もいます。
イーサンの子ども時代は外回りのセールスで優秀な成績をおさめていたイーサンのパパは、それゆえ内勤の希望が通らず、イーサンの高校時代には仕事がうまくいかなくなって酒浸りで荒れています。ちょうど猫のスモーキーが死んだ頃、イーサンのパパは家を出て行ってしまいます。10年も前の例の上司とのディナーでの大騒ぎで怒ってしまったパパとベイリーとの関係はその後も縮まらなかったのでしょう。パパがベイリーと心を通わせていたら、時にはベイリーに慰められ、家を出て行くほどまで心がすさんでしまうことはなかったかもしれません。ただそこにいるだけで心を和らげてくれる、それが動物が人間にもたらしてくれる最大の恩恵だと思います。
◆人の心得
ペットを描くということは家族を描くということでもあります。そしてペットのことを考えるということは、飼い主や、家族の人生、生と死を考えるということでもあるでしょう。ペットはたいてい人間より早く年を取り、寿命を迎えます。人間はペットを看取らなければならないのです。自分も含め生き物は、何のために生まれて来たのかということを、そのとき人は自分に問いかけます。ペットとの別れのとき何を自分はその子に与えることができたのか、振り返って胸を張れるようにしておく、それがペットに対する人間の使命ではないかと思います。
『ペット・セメタリー』のパパは、猫のチャーチが車にはねられて死んだとき、猫をかわいがっていた娘が悲しむからとその現実を捻じ曲げようとしました。悲しい現実をどうやって心に納めていくのかを教えるのが親の役目でしょう。
『ペット・セメタリー』でも『僕のワンダフル・ライフ』でも、霊や動物、死、子ども、会社の人事といった思い通りにならないものを前にあがき、自滅してしまうのは父親。ベイリーのように流れに身を任せることができないところが人間の男の悲しさでしょうか。

◆関連する過去作品
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