この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

透明人間現わる

高価な首飾りを奪おうとたくらんだ男が科学者をだまして透明人間に仕立て、盗みに加担させる。
円谷英二が特撮を担当した日本版透明人間。

 

  製作:1949年
  製作国:日本
  日本公開:1949年
  監督:安達伸生
  出演:月形龍之介、夏川大二郎、小柴幹治、水の江滝子、喜多川千鶴、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    ①中里家のペット ②宝石商のペット
  名前:①ミミ ②モク
  色柄:①不明 ②黒


◆透明強盗

 今回と次回は盗みの映画をご紹介します。
 元祖『透明人間』(1933年/監督:ジェームズ・ホエール)をベースに日本で生まれた今回の映画では、盗みを企てた悪党が透明人間を利用します。
 特撮の神様・円谷英二が特殊効果を担当。この映画のどの部分にどの程度関与していたのかがはっきりとはわかりませんが、戦中の『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年/監督:山本嘉次郎)、後年の『ゴジラ』(1954年/監督:本多猪四郎)などの戦闘シーンにみるダイナミックな描写とは違い、この映画では室内マジック的な映像が多く見られます。中でも猫の登場場面は必見。
 やや子どもだましとも言える内容の映画ですが、この時期の日本映画や、この猫のことが書きたくて選んでみました。元祖『透明人間』とぜひ見比べてみてください。

◆あらすじ

 戦後の神戸。山の手にある中里化学研究所で中里博士(月形龍之介)と助手の瀬木(せぎ/夏川大二郎)と黒川(小柴幹治)が議論をしている。瀬木は光を通さない黒い塗料を、黒川はあらゆる物体の色素を透明にする薬品を研究、早く完成した方に賞を出そうと博士が言うと、二人とも博士の長女・真知子(喜多川千鶴)を妻にほしいと言う。
 中里博士は既に黒川と同じ透明薬を開発していたが、その存在を隠し、秘密の棚に入れていた。
 博士の研究所が所属する化学薬品会社の社長・河辺(杉山剛)が訪れると、博士は内緒で透明薬を完成させていると言い、実験動物を消してみせる。副作用で非常に凶暴になるのと、元の姿に戻す還元薬が完成していないため、薬品は人間には実験できないと言う。
 河辺は博士の娘の真知子と妹を連れてタカラ歌劇団のレビューを見に行き、黒川の妹で花形スターの水城龍子(みずきりゅうこ/水の江滝子)に会って、プレゼントをしようと皆で宝石店を訪れる。店にはある夫人が「アムールの涙」と呼ばれる高価なダイヤの首飾りを売りに来ていた。河辺は博士の透明薬を使ってそれを盗もうとひらめく。
 河辺は手下を使って研究所から中里博士を誘拐し、薬を盗む。自ら透明薬の実験をするためにしばらく姿を隠すという博士の手紙が投げ込まれ、博士からの使いという男が助手の黒川を車で連れ去る。
 やがて、宝石店に顔中に包帯を巻きサングラスをつけた男が現れ、中里博士の名刺を出して支配人と面会する。男が「アムールの涙」を見せろ、金庫に案内しろ、と言うのを拒むと、男は顔の包帯をほどき出す。男の体は透明だった。支配人が逃げると、透明人間は何も盗らずに逃走する。
 「アムールの涙」はまだ夫人が持っていたが、透明人間はそこにも現れ、世間は大騒ぎになる。河辺は透明人間の正体は中里博士だとマスコミに宣伝する。河辺を不審に思った瀬木は、水城龍子と協力して博士と黒川が消えた謎を探ろうとする。
 その頃、研究所の瀬木のところに透明人間の黒川が訪れる。黒川は河辺一味の策略で博士の代わりに透明薬を飲み、「アムールの涙」を奪ってきたら還元薬をやると言われていた。自分は博士にだまされたと思い込み、還元薬をくれと言う黒川に、瀬木は薬はないと言うことができなかった。そのとき黒川がいると知らずに真知子が来て、自分が結婚したいのは瀬木だと告げる。黒川はショックで逃げていく。
 河辺は、水城龍子が夫人から預かった「アムールの涙」を首に掛けた真知子を、博士が待っているとだまして須磨海岸の自分の別邸に連れていく。真知子は河辺に別邸の一室に閉じ込められてしまうが、透明人間の黒川がやってきて真知子を襲い、首飾りを奪う。瀬木と龍子が来て監禁されていた博士と真知子を救うが、黒川は河辺らに真知子から奪った首飾りを渡して還元薬をくれと暴れまくる・・・。

◆透明猫

 「科学に善悪はありません。ただ、それを使う人の心によって、善ともなり、悪ともなるのです」
という字幕と共に始まり、終わる『透明人間現わる』。
 中里博士は、発明した透明薬を河辺の前でモルモットに服用させ、その姿を消して見せます。社長が現れたので自分の成果を誇示したくなり、秘密の薬の存在を披露してしまったのでしょう。けれども悪用しようというつもりはありません。
 科学者としての中里博士の探求心はエスカレートします。真知子と妹が、この2、3日猫のミミの姿が見えないとピアノのある部屋で話していると、ニャーという声が聞こえます。「ミミだわ」と二人がキョロキョロしても姿は見えず、やがてピアノの回転いすが揺れ、鍵盤が低音から高音へと音を立て始めます。中里博士は飼い猫のミミを透明薬の実験台にしてしまったのです。
 ピアノの上や棚に置かれた飾りや花瓶を見えないミミが倒したり落としたりすると、姉妹は恐怖で絶叫。やってきた母と二人の目の前で、こぼれた水を踏んだのか、ミミのかわいい梅の花型の足跡が点々と・・・。
 還元薬がないので死ぬまで元の姿には戻れないと知っていながらミミに手を出すなんて、博士もやはり悪魔のささやきに勝てない科学者か。庭には犬もいるので、博士が河辺の一味に誘拐されなければそのうち犬も実験台にされていたかもしれません。
 ところでこのミミ、薬で姿が消える映像がなく、はじめから終わりまで見えない猫。中里博士役の月形龍之介が「ネコ」と書いてある木製の檻から見えないミミを取り出す演技は、あまりうまいとは言えません。ミミは博士の手をひっかいて脱走、姉妹のいるピアノの部屋に行ったのです。
 この映画にはもう1匹、モクという黒猫が登場します。宝石店の猫で、透明人間を接客した支配人がその話を報告中、そっとドアが開いたのでびくっとすると正体はモク。その直後、本物の透明人間が「アムールの涙」のありかを聞きだそうとしてモクを持ち上げ、テーブルの上に投げ落とします。物音で従業員がドアの外から声をかけると、透明人間に脅された支配人は「なんでもない、モクがちょっといたずらを・・・」と。
 モクの出番はこれでおしまい。持ち上げられたとき、見えにくいピアノ線か何かで吊るされているのがわかります。猫の場面は2匹とも初歩的なトリック撮影と言えるでしょう。
 見えないミミが出てくるのは13分35秒頃から。モクが宝石店の応接室に入ってくるのは33分40秒頃です。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆彼我の違い

 ジェームズ・ホエール監督の元祖『透明人間』は、「博士のもとで二人の男性助手が切磋琢磨、二人とも博士の娘と結婚したいと思っている。若い助手の一人は元に戻る薬を完成させないまま自ら開発した透明薬を飲んで透明人間となり、副作用で凶暴な性格に変わっていく。もう一人の助手へは妬みから、何の罪もない人々へは狂気から、透明人間は次々と殺人を重ね、最後は警官に撃たれて死に、元の姿に返る」というストーリー。『透明人間現わる』はほぼこれをなぞっているということがおわかりでしょう。元祖『透明人間』は功名を求めて薬を作った人間が自ら透明人間になり、悪事を働くワンストップ型。
 『透明人間現わる』では、薬を開発したのは博士、それを使った犯罪を計画したのは河辺、弟子の黒川が博士の身代わりに透明人間となり、還元薬ほしさに悪事を働く、と役割分散型。
 河辺のアジトに連れて来られた黒川は、透明薬の実験のために中里博士に呼ばれたと思い込まされています。隣室から「頼む」と河辺の手下に見張られている博士の声が聞こえると、先生の研究のためにと黒川は得体のしれない薬をあおります。ここには師や上の者の言に従うといった日本人の儒教的精神・自己犠牲的態度が見られます。それだけに還元薬をもらえなかったとき、黒川は博士にはめられたと激しく恨みを募らせてしまいます。

◆転換期

 この映画は、そのようなメンタリティーも含め、終戦後4年という時代の日本映画の置かれた状況を実によく物語っています。
 中里博士の月形龍之介は、片岡千恵蔵嵐寛寿郎、坂東妻三郎などと並ぶ戦前戦中の時代劇のトップスター。悪党・河辺を演じた杉山剛は別名杉山昌三九(しょうさく)。『怪談佐賀屋敷』(1953年/監督:荒井良平)では悪役の次席家老、『赤西蠣太』(1936年/監督:伊丹万作)では刺客を取り押さえる松前鉄之助の役でこのブログでもご紹介済みの時代劇役者。
 昭和27年(1952年)4月の占領解除まで、日本の映画はGHQの検閲下に置かれ、演出や題材に細かく口出しされていたことはこのブログでも何度かお話ししてきましたが、最も打撃を受けたのは時代劇。時代劇そのものではなく封建的な主従関係や仇討、切腹や暴力シーンを描くことなどが禁じられたのですが、これらを取ったらほとんど時代劇として成り立たなくなってしまうため、必然的に下火となり、時代劇俳優たちは新たなジャンルへ進出せざるを得なくなってしまったのです。
 そうした変化の象徴がこの月形龍之介の中里博士や、片岡千恵蔵の七つの顔を持つ名探偵・多羅尾伴内。と言っても私もその頃は生まれていなかったので、当時の時代劇ファンの心境は推し量るしかありません。アインシュタイン張りの白髪と髭に白衣の月形龍之介を見て、日本は戦争に負けたのだ、とあらためてファンは思い知ることになったのか・・・。あらすじでは省略してしまいましたが、警察の捜査主任役の羅門光三郎も剣戟俳優。そのセリフ回しや物腰もそこはかとなく時代劇風で、いまにも「ええい、神妙にいたせ」などと言いだしそう。
 「アムールの涙」を売りに来た女性も、戦後の社会の変化で零落した華族や財閥の夫人ではないでしょうか。
 そして戦前に松竹少女歌劇で男装の麗人として爆発的な人気を得たターキーこと水の江滝子の龍子が、首飾りを守ったり透明人間に変装して河辺の別邸で博士を救出したりする活躍は、新しい時代の女性のモデルを示しているかのよう。これもターキーのキャラクターを借りて戦後の男女平等をイメージ化しようと工夫されたところではないでしょうか。彼女のギター演奏やダンスの一幕も挿入され、明るく華やかな娯楽が復活した喜びも感じられます。
 それにしてもターキー、カッコいい。『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年/監督:熊井啓)では、貫禄たっぷりの女顔役として出演しています。いまも私の目に焼き付いているのはNHKの人気クイズ番組「ジェスチャー」のキャプテン姿。・・・この話は長くなるので残念ながらまたいつか・・・。

◆透明化の行方

 透明人間が包帯を解いたりタバコを吸ったりなどの特撮は元祖でも見られましたが、警察のサイドカーを透明人間が奪って無人で驀進しているように見える映像は新鮮。ラストの海岸での警察との攻防では、透明人間の持った拳銃が空中に浮いているように見えるという着想はよかったものの、モノクロのため拳銃が背景に溶け込んでしまい、特撮のすごさより未熟さを感じさせる結果になってしまいました。けれども、ラストの須磨の海岸の風景には、ここまでの子どもじみた展開を忘れ、平家物語にも通じるはかなさを感じずにはいられません。

 最後に、透明人間なんて夢と思うかもしれませんが、透明化の技術は実現されつつあるそうです。
 NHKEテレで2025年7月20日に放送された『サイエンスZERO』によれば、理化学研究所の田中拓男氏が研究中のメタマテリアルという光を曲げる物質を通すと、たとえば立っている人の背後の景色に反射した光がその人をよけ、その人と対面している人の目に届くことによって背後の景色が見え、立っている人が透明になったように認識される可能性があるのだそうです。ただし対象物に当たった光がメタマテリアルを通らなければならず、現在は可視光線は曲げられないということなので、透明人間の実現はまだまだのようです。けれどもそう遠くない将来に、メタマテリアルを使った装置内では完全に透明に見えるという段階にまで研究が進むのではないでしょうか。
 その時こそ思い出しましょう。この映画の
「科学に善悪はありません。ただ、それを使う人の心によって、善ともなり、悪ともなるのです」
という人類への警告を・・・。

 

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