この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

ジャズ大名

領内に漂着した黒人ミュージシャンたちの音楽に魅せられ、殿様も家臣もみんなそろってジャムセッション
岡本喜八監督と筒井康隆の原作によるアナザーヒストリー?

 

  製作:1986年
  製作国:日本

  日本公開:1986年
  監督:岡本喜八
  出演:古谷一行財津一郎殿山泰司本田博太郎、岡本真実、ロナルド・ネルソン、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    城中の猫
  名前:不明
  色柄:三毛

 

◆喜八ワールド

 「奇才」または「鬼才」と呼ばれ、緊張とたくまざるユーモア、シニカルで男性的な作風で人気のあった岡本喜八監督。好きな人はすごく好き、苦手な人は苦手と、はっきり分かれるタイプだと思います。こういう個性派監督の映画を取り上げたいと思っていても都合よく猫が出る作品が見つからない場合も多いので、見つけたときはうれしいもの。
 今回の『ジャズ大名』、岡本喜八ファンで監督らしい作風にうんうんとうなずく人、ついていけずに白けてしまう人の二手に分かれてしまうのではないでしょうか。
 原作は筒井康隆の同名の短編小説。筒井康隆は岡本監督のファンで、念願かない自身の小説の映画化が実現し、とても喜んだとのこと。原作はほぼ以下の「あらすじ」通りのシンプルな小説なのですが、それに対して岡本監督がプラスした尾ひれ・枝葉が映画には満載。「あらすじ」紹介では拾いきれないナンセンスぶりとそこに潜む岡本監督らしさは、映画でじっくり堪能していただきたいと思います。ただし、マイ・ファースト岡本喜八作品に選ぶには少々アクが強いかもしれません。
 「状況劇場」の唐十郎や、ロカビリーのミッキー・カーチス、ジャズピアニストの山下洋輔タモリも出演しています。
 それではさっそく、ワン、ツー、ワン、ツー、スリー、フォー!

◆あらすじ

 南北戦争が終わり、奴隷だったジョー(ロナルド・ネルソン)は解放されて自由の身になったが、愛用のトロンボーンだけを手にさまようありさまだった。やがて元奴隷たち3人と再会し、クラリネットコルネット、小太鼓を持つ彼らと共に演奏して食いつなげればと徒歩で旅をする。先祖の地であるアフリカを目指してタダで船に乗せてもらったが、船の行き先はアフリカではなかった。クラリネット奏者のボブが船中で亡くなり、残った3人は嵐の中、ボートで船を脱出し、駿河の庵原(いはら)藩(今の静岡県静岡市清水区あたり)の海岸に漂着する。3人は庵原藩の城中の地下座敷牢に入れられる。
 大政奉還後の混乱期、わずか1万3千石の小藩の大名・海郷亮勝(うみのごうすけかつ/古谷一行)は、朝廷・幕府どちらに付くかも決めかね、趣味のひちりきに慰めを求めていた。ある日地下から聞こえてくるジョーらの楽の音にいてもたってもいられず、座敷牢を訪ねていく。ジョーらは長期の航海の間に格段に腕を上げていた。
 初めて見る楽器や演奏に感心した亮勝は、ボブの遺品のクラリネットのリードがなくなって吹けないと聞き、ひちりきの蘆舌(ろぜつ)というリードに相当する器具を提供する。音が出るようになったクラリネットを亮勝は所望。練習してジョーらのジャズ演奏に加わるようになる。
 それを機に、城中の武士といい、奥の女中たちといい、楽器の腕に覚えのある者、そうでない者も、地下の座敷牢に集合して狂乱のジャムセッションが始まってしまう。
 城の位置はちょうど東海道の難所を避けるのに格好の近道。江戸へ集結する討幕派や西に向かう佐幕派の武士、「ええじゃないか(注1)」を踊る群衆などが城の廊下を通り抜けていくが、もはや演奏をやめようとする者は誰一人いなかった・・・。

◆三毛皮の太鼓?

 黒人ミュージシャン4人組はアメリカからメキシコへ南下し、アフリカ行きの船に乗ったつもりだったのですが、体よくだまされて太平洋側に出航する船に乗せられ、タダ働きさせられてしまったのです。そんな中でも船底で演奏の腕を磨いた彼ら、嵐に巻き込まれボートで庵原藩の海岸に漂着したとき、ボブの遺品のクラリネットを含め楽器だけは肌身離しませんでした。見上げた音楽家根性です。
 けれどもサムの小太鼓は皮が破れてしまいました。座敷牢で彼らに会った藩主の亮勝が「皮は何の皮であろうな。まさか猫では」と言ったとき、近くで寝ていた三毛猫が太鼓にされてはたまらんとばかり、フニャーッと寝床を飛び出して隅っこに隠れてしまいます。 
 人の言葉を聞いて猫が反応するギャグで思い出すのが『河内山宗俊(こうちやまそうしゅん)』(1936年/監督:山中貞雄)。やる気のない主人公が無駄飯食いだと皮肉を言われ、「無駄飯をね」とちらりと視線を動かすと、その先にはエサを食べようとしている黒猫が。黒猫は「俺を無駄飯食い呼ばわりするのか!」と言わんばかりの抗議の声を上げますが『ジャズ大名』の三毛猫の「フニャーッ」は「やめて~!」の悲鳴でしょう。
 猫が出て来るのはここだけ。57分50秒頃から約6秒ほどの間です。全体がおふざけタッチのこの映画では地味なギャグですが、お尻がふっくらとかわいい三毛ちゃんをぜひお見逃しなく。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆ザ・フィクション

 筒井康隆の原作は、名曲「メープル・リーフ・ラグ」や「イン・ザ・ムード」の誕生秘話を織り交ぜた冗談といった趣。放浪していたジョーがニューオーリンズあたりで新しい音楽がはやっているという情報を仕入れ、旋律を他の3人に口で伝えるところから展開していくのは映画も小説も同じなのですが、人を驚かせるのは映画の方。
 開巻一番、歌舞伎の三色の縦縞の幕が開くと、お囃子に合わせて踊りながら黒子が登場。武家屋敷の広間と見られる背景の前で、寄席の舞台などで見られる紙に演目を書いた台の表紙を黒子がめくると、『ジャズ大名』のタイトルが出現します。
 続けてもう1枚紙をめくると、少女がリンカーンにあごひげを生やすよう勧めた有名な手紙(注2)が貼り付けてあり、日本語訳で読み上げられます。あごひげのないリンカーンの肖像があごひげのあるリンカーンの肖像に変わるとすぐ、彼によって解放された元奴隷、裸足のジョーが雪道をよろよろと腹ペコで歩きながら登場します。「何が自由だー!」というわけです。
 小説では得られない小気味よいテンポを生んでいるのは、ストーリーをおちゃらかすように時々挿入される無声映画風の字幕。昔は弁士がこんな間合いでお客を楽しませていたんだろうなあ。
 黒人ミュージシャンの3人が流れ着いたのは、原作では日向国(宮崎県)ですが、映画では駿河国。庵原藩なる藩も海郷亮勝なる大名も架空のものです。旅人が庵原藩の城中を通り抜けたがる理由である難所の薩埵峠(さったとうげ)は、歌川広重東海道五十三次の「由井」で、旅人が切り立った崖の上をこわごわ歩く姿が描かれている場所。映画では東名高速国道1号東海道線雄大な富士を臨む薩埵峠付近の映像が挿入されていますが、現在も国土交通省ライブカメラで様子が確認できます。ここを通らずば東にも西にも行けぬ交通の要衝にして絶景です。
 原作には藩主亮勝の妹、しとやかな文子(神崎愛)と男装で勇ましく対外的な用向きなどもこなす松枝(岡本真実)の二人の姫も登場しません。神崎愛はアイドル的な立ち位置で俳優・フルート奏者としてテレビや映画でも活躍。岡本真実は岡本喜八監督の二女で、現・喜八プロダクションの社長です。役ではそろばんをスケートボードのようにして、城内を忙しく走り回っています。長い廊下の障子がどこもかしこも破れているのは、それどころじゃない幕末動乱のご時世のゆえか、庵原藩が貧乏だからか。

◆即興の宴

 藩主亮勝は、決してバカ殿ではなく、干ばつや赤潮、政局不安定による世情不安、物価の高騰による領民の苦しみ、わけても生活困窮のあまり命を絶つものが続出するのを憂えています。漂着したジョーたちにかまっている暇はないと闇に葬ろうと思えばできたのに、きちんと保護し、通りすがりの薩摩藩士を親幕派の家臣たちが斬るといきりたてば、自分を斬ってからにしろと言う人権派。国の乱れに乗じて抜け目なく立ち回ろうという気はありません。内憂外患の中、心を鎮めようと懐から出すのが愛用のひちりき。
 江戸時代は身分によって演奏できる楽器も決まっていたそうで、宮廷などで奏された雅楽の楽器のひちりきを武士の亮勝が吹くというのはちょっとなさそうな気がしますが、堅いことは言いっこなし。クラリネットとひちりきという異文化の楽器がリードという共通点を持つことから、この二つが結び付いたら面白いのではないか、さりとて公家と黒人ミュージシャンのコラボでは奇抜すぎるし・・・という着想からこのストーリーは生まれたのではないでしょうか。
 したがって、『ジャズ大名』は殿の心労や政治情勢には深入りせず、85分の上映時間のうち最後の約30分は殿と黒人ミュージシャンとの出会いからジャムセッションに費やされます。
 黒人ミュージシャンを手当てしたヘボ医者の玄斎(殿山泰司)もイエーイと叫び、家老の九郎左衛門(財津一郎)も忠臣蔵大石内蔵助でおなじみの山鹿流陣太鼓でボコボコ。楽器を持たない者はそのへんの道具を手に取ってたたいたりこすったり、お尻をフリフリして曲に合わせたり。
 いま終わるか、もう終わるかと、観客が心配になってくるほどの乱痴気騒ぎを演じ続けた出演者たちは、おしまいの方は汗だくのトランス状態。細切れで撮影していたら出せないライブ感ではないでしょうか。ほんとにお疲れさまでした。

◆民衆の叫び

 けれどもバカ騒ぎを徹底して描いたことがこの映画の神髄かというと、ちょっと違うと思うのです。
 地下の座敷牢で繰り広げられる狂乱の騒ぎとは対照的に、地上の廊下では勤皇・佐幕その他の者が衝突し、斬り合い、官軍が旧幕府軍を蹴散らして江戸へ向かって行進し、明治の世が明けます。
 歴史の表舞台として記録されるのが地上の廊下での出来事。それに対し地下の側は公式には残らない人々の姿。名もなき民衆は世情に押しつぶされ、生活苦や物価の上昇、挙句の果ては心中へと追い詰められたり、「ええじゃないか」のような集団的狂躁状態が生まれる異常さの中に生きていたのです。武士階級とて幕府に忠実にお仕えしていたというのにいまや捨て子同然。武士の鑑のような家老の九郎左衛門は、いまいましげに官軍を見送ります。

 戦争を描き続けた監督として知られる岡本喜八は、終戦玉音放送への軍部の妨害工作を描いた代表作『日本のいちばん長い日』(1967年)を発表したあと、民衆の側から戦争を描かなければと『肉弾』(1968年)を発表します。『肉弾』は魚雷による特攻を命じられた「あいつ」という名もなき若い兵士が、人間として当たり前の生を営んでいた姿を通して、シニカルに反戦を訴えかける作品です。
 権力者、為政者の下に常にその犠牲となる民衆がいるということを岡本監督は繰り返し表現しています。子どもの頃に見た岡本監督の作品『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)で、沖縄のおばあが、頭がおかしくなってしまったのか、爆弾・銃弾の雨の中を踊り狂う姿が目に焼き付いています。一見ハチャメチャなお遊び精神の権化と見える『ジャズ大名』の狂乱のジャムセッションも、そのおばあの変形に違いありません。犠牲となる民衆に対し誰が責任を持つのかという岡本監督の訴えが「イエーイ」という叫びの裏に隠れているような気がします。

 話は変わって、これは蛇足のような独り言なのですが、この20~30分ほど続くジャムセッション、少し前に取り上げた『山猫』(1963年/監督:ルキノ・ヴィスコンティ)の舞踏会の場面を意識しているのではないかという気がしてきました。延々と続く宴、世の中の変化に翻弄され憂いに沈む公爵ファブリツィオと、藩主・海郷亮勝の姿もなんだかダブって見えます。
 いえ、これは本当にただの独り言だと、聞き流してくれれば結構なのですが・・・。

 

(注1)1867年秋ごろ、空からお札(ふだ)が降って来て、めでたいことの前触れという噂が広まり、民衆が仮装などをして「ええじゃないか、ええじゃないか」と囃しつつ集団で踊りながら練り歩くことが流行しました。東海地方から広まったと言われています。
(注2)リンカーンが大統領選挙を控えた1860年10月に、11歳のグレース・ベデルという少女が、あなたはあごひげをはやした方が立派に見える、あなたに投票する人が増える、とリンカーンに助言する手紙を送り、リンカーンも返事を出しひげを伸ばし始めました。

(参考)「ジャズ大名」(『筒井康隆全集23 虚人たち エロチック街道』筒井康隆/新潮社/1985年/所収)

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