グータラ中年男が借金の返済に困り、いやがる息子を借金相手の妹と結婚させようとするが…。
泥臭~いヨーロッパ田舎コメディ
製作:1998年
製作国:フランス・ドイツ・ユーゴスラビア
日本公開:1999年
監督:エミール・クストリッツァ
出演:バイラム・セヴェルジャン、スルジャン・トドロヴィッチ、
フロリアン・アジニ、ブランカ・カティク、他
レイティング:PG-12(12歳未満には成人保護者の助言・指導が必要)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
主人公の家にいる猫カップル
名前:不明
色柄:黒・白
◆今はなきユーゴ
今年の「猫の日」にチョイスしたこの映画、だいぶアクの強い作品です。
旧ユーゴスラビア、現在のボスニア・ヘルツェゴビナ出身のエミール・クストリッツァ監督は今年2026年11月に72歳の年男。『パパは、出張中!』(1985年)で、カンヌ映画祭最高賞パルム・ドールを受賞。そのとき若手(31歳)としてさっそうと登場した記憶があったので、時の流れの速さにおののいてしまいました。
かつてのユーゴスラビアは90年代から始まった紛争により解体、連邦国家で、その構成要員となる国や民族が激しく戦ったそうです。ユーゴスラビア映画としては第二次世界大戦期を舞台とした1980年のスロボダン・シャン監督の『歌っているのはだれ?』が私に強烈な印象を残しました。バスで首都ベオグラードに向かおうとする人々の姿を描写した、日本映画で言えば清水宏監督の『有りがたうさん』(1936年)や『明日は日本晴れ』(1948年)をほうふつとさせるバスロードムービー。ユーゴスラビアと聞くとこの映画の記憶がよみがえります。
クストリッツァ監督はそのユーゴスラビア解体を描いた『アンダーグラウンド』(1995年)で2度目のパルム・ドールを受賞。けれども政治的な部分をかなり批判されたそうで、直後に作ったのがこの『黒猫・白猫』。政治色からは距離を置き、どこの国の何という村か、登場人物はどこの人かなどは明らかではありません。ロシアの船が運河(ドナウ川)を通ったり、主人公が強奪しようとする列車がブルガリア国境に到着したりするので、漠然とそのあたり(ボスニア・ヘルツェゴビナ周辺)、ということになるでしょう。映画サイトの解説を見ると主人公たちはロマのようですが、映画を見ただけでは私にはわかりませんでした。
「むかしむかしあるところに・・・」というおとぎ話にもたとえられる仕立て。政治、民族といった現実社会から解き放たれ、無名、無所属、荒唐無稽。ですが“無邪気”とは言えません。ヨーロッパの田舎の牧歌的で素朴な人情と黒猫・白猫に癒され・・・と思ったら大間違い。体に毒だとわかっているけどおいしい食べ物、いや、ことによるとゲテ物料理を食べるつもりで見始めることをお勧めします。
◆あらすじ
ヨーロッパのとある田舎。グータラなマトゥコ(バイラム・セヴェルジャン)の家族は17歳の息子のザーレ(フロリアン・アジニ)とその祖父、つまりマトゥコの父ザーリェ(じいちゃんと呼ぶことにしよう)である。
マトゥコはまともな稼ぎがなく、賭け事などでようやく食いつないでいる。今日も国境に来る石油列車強奪計画を土地のゴッドファーザー・グルガ(サブリ・スレジマニ)に相談する。まともに取り合ってもらえなかったが、じいちゃんが死んだことにして、じいちゃんを恩人かつ親友と仰ぐグルガから香典として大金をもらう。
マトゥコはヤクで大儲けしている新興ヤクザのダダン(スルジャン・トドロヴィッチ)にもその話をもちかけ、前金を預かって国境係を買収し列車強奪を図るが、ダダンの一味が税関職員に化けていてマトゥコを薬で眠らせ、石油を横取り。おまけに計画が失敗したとマトゥコがダダンに告げると、前金を返せと迫られる。ただし、マトゥコの息子のザーレをダダンの末の妹と結婚させたら返済を帳消しにすると言われ、マトゥコは否応なく受け入れる。
ザーレは酒場の娘イダ(ブランカ・カティク)と恋仲で、絶対に嫌だと抵抗する。孫をかわいそうに思ったじいちゃんが、まじないの力で急死して結婚式を延期させようとしたにもかかわらず、式は強行される。ところが相手の花嫁アフロディタも、夢に見た恋人と結婚するのだときかず、式のお祭り騒ぎに乗じて花婿ザーレの助けで脱走する。
逃げた花嫁アフロディタをみんなが捜す間、そんな事情をつゆ知らぬゴッドファーザー・グルガの孫の男が自動車を運転していると、森の道のまん中を切り株が歩いているのを発見する。切り株をかぶって歩いていたのはアフロディタ。二人は一目で恋に落ちる…。

◆猫の役割
と、まあこの通り、先が読めない展開。「黒猫は厄介を起こす」というセリフがわずかにあるくらいで、タイトルの『黒猫・白猫』が何かの寓意であるとか、メタファーであるとかといったことはなさそうで、黒猫と白猫カップルの仲睦まじい姿は映画のところどころに見られます。タイトルも文字ではなく、ブルーの背景に右横向きの黒猫・左横向きの白猫のシンメトリーのイラストで表わされます。
最初に猫たちが登場するのは開始から1分25秒頃。積まれたわらの上に2匹がいます。ほかのシーンではグータラのマトゥコの家の屋根の上にいたり、かごに積まれて売られるばかりになっている魚に顔を突っ込んだり、窓辺で一緒に寝ていたりしています。マトゥコの家の飼い猫という確定的な描写はないのですが、屋根瓦のすき間からじいちゃんの遺体が隠してある屋根裏部屋に入って行くところを見ると、この家を根城にしていることだけは確かでしょう。
あ、じいちゃんの遺体が隠してあるというのは、じいちゃんが死んだことが公になると喪中で結婚式ができなくなるため、死んだことを内緒にして結婚式を挙げようとしているからです。遺体が腐敗しないように、マトゥコはじいちゃんの胴体や顔にどっさり氷を乗せています。もともとじいちゃんが死んだのを秘密にして予定通り結婚式をしようと言ったのは花嫁の兄・悪党ダダンなので、借金を帳消しにしてもらいたいマトゥコは、たとえ親不孝でもダダンの言うとおりにせざるをえません。白黒猫たちはマトゥコが氷と悪戦苦闘するさまを物珍しそうに見物しています。
この黒と白の猫カップル、どことなく日本猫とは一味違うなまめかしさがあります。終盤近くに交尾の映像が出るのですが、色から来るイメージで、ソフトに見える白がメス、シャープな黒がオスと思っていたら逆でした。マスコット的に画面をにぎやかせるだけの存在かと思いきや、最後に人間カップルの結婚式の立会人の役を任されます。どこかのローカル鉄道の猫駅長みたいに、何をやらされているんだかよくわからない顔でお役人の両脇に1匹ずつ抱えられ、だら~んと立ち会っている姿が猫々しい。さて、その人間カップルとはいったい誰と誰なのか? 物語はハッピーエンドを迎えます。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆におう人物
「泥臭~い」と冒頭に書きましたが、ほんとになんだか色々におって来そうな映画です。やせっぽちで目がギョロっとした主人公のマトゥコは40代くらい? 運河べりでデッキチェアに寝そべりながらカード賭博のシミュレーション。息子のザーレはこの映画の中では最も爽やかな部類に入る人物で、ほのかにキアヌ・リーブス系。ダメな父親に似ずしっかり者です。
運河にロシアの船が通りかかると、見張りのザーレの笛の合図で小舟が一斉に船の周りに雲霞(うんか)のように集まり、石油をドラム缶いっぱいに買い求めます。おそらくこの地方では石油の流通が滞っていて、こんな方法でしか手に入らないのだと思います。こういう描写で、わかる人はこの村が現実のどの国のどのあたりか見当が付くのでしょう。マトゥコは石油と洗濯機とコンピュータと動物の角を買い求めます。本人はコンピュータなど全く必要なさそうなので、転売して儲けるつもりに違いありません。動物の角は細工をして売れば大儲けできると考えているようです。あとで息子のザーレが調べると、ロシア船は油にみせかけた水を売っていたことが判明します。
じいちゃんと深い絆で結ばれるこの土地のゴッドファーザー・グルガは歯周病なのか歯並びがガタガタ、その二列の歯並びのうち一列は金なのだとか。サングラスの下の小さな目、体が悪いため、金に物を言わせて作ったらしいポップでメカニカルな寝台車やベッドをとっかえひっかえ使っています。グルガは映画『カサブランカ』(1944年/監督:マイケル・カーティズ)が大好き。ビデオでラストシーンのハンフリー・ボガートとクロード・レインズが飛行場から去るところを何度も見ています。男の友情に共鳴しているようです。
マトゥコの石油列車強奪計画を利用してだました悪党のダダンは、最近のさばり出したヤクザ。ガラの悪い子分や女性を従え、自分でもヤクをやり常にハイテンション。このダダンが末の妹をなんとしても早く嫁がせねば不名誉だと、プレッシャーに捉われているところから騒動が起きるのです。
◆滑稽な毒
こうしたクセの強い登場人物が醸し出す得も言われぬ雰囲気がこの映画の面白さ。ちょっと奇人変人に近いような登場人物が度を越したことをやらかして苦い笑いを誘うというのは、ヨーロッパに見られるコメディの伝統ではないかと思います。アメリカ映画の開放的で誰もがガハハと笑える直接的な明るさとは違い、見る人によっては嫌悪感を覚えそうな毒を含んだ笑いです。
マトゥコが石油列車を奪い取るため買収した国境の係官を、税関職員に化けていた悪党ダダンの一味が殺したあと、その遺体にマトゥコの金が入っていたカバンを持たせて踏切の遮断機に吊るし、マトゥコがカバンを取り戻そうと飛びつくシークエンスなど、人によっては不謹慎・死者への冒涜と、正視できないかもしれません。それはマトゥコがじいちゃんの遺体に氷を盛るところにも言えることです。もちろんクストリッツァ監督はそうした反応を織り込み済み。ザーレの恋人のイダの居酒屋でお尻で木に刺さった釘を抜くという女性歌手が登場し、お客が釘が抜けるかどうか賭けをするなんてところもだいぶ悪趣味です。
ガチョウの大群が出てきたり、ブタがポンコツ車をむしゃむしゃ食べていたり、動物・機械などを使ったカオス的な演出もところどころに見られます。人にショックをまず与え、それがしばらくたって笑いに変換されるのを陰からじっと見守っているようなクストリッツァ監督の手法。ただし笑いに変換できない人もいるでしょう。登場人物以上にクセの強いのは監督かもしれません。
◆馬には乗ってみよ
勝手に進む結婚話に嫌気がさしたザーレと恋人のイダが、ひまわり畑に潜り込んで愛を確かめ合うところは青春を感じさせる瑞々しさです。古い映画ファンなら『未完成交響楽』(1933年/監督:ヴィリ・フォルスト)の、麦畑の中に入って行く貴族の令嬢を音楽家シューベルトが追い、令嬢がスカーフをはらりと落とす場面を思い出して胸の高鳴りを覚えることでしょう。
じいちゃんは孫の味方。実はじいちゃんは自分の工場をドラ息子のマトゥコに継がせる気がなく悪党ダダンに売ってしまい、そのお金を孫のザーレにやる約束をしています。マトゥコはその代金はどこかとじいちゃんの遺体のあちこちをまさぐったり服を剥いだり。
どうしようもない人々が入り乱れたにしては、ラストは意外にも爽やかで、2組の花嫁と花婿が誕生します。それに最大の貢献をしたのはゴッドファーザー・グルガ。おとぎ話で言えば王様が出てきて一件落着、といったところでしょうか。けれども男の友情に篤いグルガは親友のじいちゃんの後を追うように急死してしまうのです。
またしても結婚式はどうなることやら。泥臭~いと言いましたが、最後は本当に臭~い一幕も登場します。
昔から結婚のときには「馬には乗ってみよ 人には添ってみよ」と申します。私もこの映画に関しては、皆様も添ってみよ、と一言申し上げてお開きにしたいと思います。
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