20万ドルの金貨を巡り、3人のガンマンが墓場で決闘する!
マカロニ・ウェスタンの金字塔。
製作:1966年
製作国:イタリア、西ドイツ、スペイン、アメリカ
日本公開:1967年
監督:セルジオ・レオーネ
出演:クリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフ、イーライ・ウォラック、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆(ほんのチョイ役)
主人公が抱いている猫
名前:不明
色柄:キジ白
◆マカロニ・ウェスタン
「マカロニ・ウェスタン」とはイタリア製西部劇映画のこと。日本独自の造語だそうです。
1960年代、本場アメリカでは西部劇の製作数が減少していた一方で、中近東、南米、ヨーロッパなどでは需要があり、それらに向けてイタリアで作られ始めたということ。特に黒澤明監督の『用心棒』(1961年)を下敷きとした(と言うよりパクった)『荒野の用心棒』(1964年)が日本でヒットし、イタリア製西部劇のブームが巻き起こります。
『荒野の用心棒』の監督だったのがセルジオ・レオーネ。ボブ・ロバートソンでは? と思われた方もいらっしゃると思いますが、これはアメリカ映画として売り出すことを企図してつけたセルジオ・レオーネ監督の別名。
『荒野の用心棒』の主役としてたくさんのハリウッドスターに出演オファーをしたものの次々と断られ、引き受けたのがクリント・イーストウッド。90代半ばのいま、枯れ枝のように痩せた姿となって映画監督・俳優として現役でますます活躍していますが、当時は日本でも人気を博したTV西部劇『ローハイド』(アメリカで1959~1965年に放送)でようやく名が売れた頃。『荒野の用心棒』のヒットでイーストウッドは一躍映画界でも脚光を浴びる存在となり、この初タッグ以来セルジオ・レオーネ監督とは名コンビとなります。『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』(以後『続・夕陽のガンマン』と表記)は二人が組んで3本目の映画。その前に『夕陽のガンマン』(1965年)がありますが、続編としての直接的なつながりはありません。
マカロニ・ウェスタンは本場アメリカの西部劇のヒーローに比べ、ダーティーヒーローにスポットを当てたと言われています。この『続・夕陽のガンマン』はまさにそうした作品。善玉・悪玉・無頼漢の3人が織りなす虚々実々の駆け引きを楽しんでいると、3時間近い上映時間があっという間に過ぎてしまいますよ。(注)
◆あらすじ
南北戦争中のアメリカ。
南軍が北軍に奇襲された際、護送中の20万ドルもの金貨がなくなる事件があった。エンジェル・アイ(リー・ヴァン・クリーフ)は人から雇われて金貨を持ち逃げした犯人を捜していたが、いつしか20万ドルを自分の懐に入れようと考えていた。持ち逃げした男は南軍兵士のビル・カーソンだということをエンジェル・アイはつきとめる。
その頃、別の場所でお尋ね者のトゥコ(イーライ・ウォラック)という男がつかまり、縛り首の公開処刑が執行される。ところがトゥコの首にかかった縄を銃弾で断ち切り、逃がす男がいた。その男の名はブロンディ(クリント・イーストウッド)。二人はぐるで、賞金首のトゥコをブロンディがしょっ引いて賞金をもらったあと、ブロンディが首吊りの縄を銃で撃ち、二人で逃げて賞金を分け合うという筋書きだった。同じ手口を繰り返したが、取り分を巡って喧嘩し、ブロンディは手を縛られたままのトゥコを砂漠に置き去りにする。
生き延びたトゥコはブロンディを追跡し、復讐として砂漠を飲まず食わずで歩かせる。そのとき、南軍の馬車が現れ、二人は金貨を横取りしたビル・カーソンと出会う。金貨を隠した墓がある墓地の名前を聞いたのはトゥコ、墓の名前を聞いたのはブロンディ。カーソンは死に、トゥコは暑さで瀕死のブロンディから墓の名前を聞き出そうと修道院に連れて行って治療を受けさせる。
回復したブロンディとトゥコはカーソンから聞いた墓のことを教え合うことなく墓地を目指すが、途中で北軍の捕虜となり、トゥコはビル・カーソンの名を名乗る。その名を聞いて北軍の軍曹におさまっていたエンジェル・アイが反応する。エンジェル・アイはトゥコに暴行を加えて墓地の名前を聞き出し、ブロンディには5人の仲間と共に墓の名前を言うよう脅しをかける。トゥコは列車で護送される途中で逃げ出し、ブロンディと合流して墓地を目指す。ブロンディとトゥコに仲間をやられたエンジェル・アイは姿を消す。
ブロンディとトゥコは南北軍が対峙する橋の北軍側の陣地に入って行く。墓地は橋の向こうにあるのだが…。

◆男だらけ
戦争映画やアクション映画では出演者の圧倒的多数が男性になるのは必然ですが、本場アメリカ生まれの西部劇となると、主役の男性と清純な女性の恋、あるいは酒場の女との駆け引きなど、ロマンスの要素で楽しませてくれるものです。しかし、この『続・夕陽のガンマン』では、主役の3人とも色恋のかけらも生まれません。
そういう潤いのないこの映画で、わずかに和みを感じるのがクリント・イーストウッドのブロンディが子猫を抱いている6~7秒ほどのカット。遠からぬ場所で無頼漢トゥコが恨みを持つ男から入浴中に狙われて銃を放つと、その早撃ちの銃声を耳にしたブロンディが、トゥコが近くにいるはずだと察する場面です。ブロンディはこのときエンジェル・アイと彼の5人の仲間に見張られている状況で、南北戦争の戦闘で住民が逃げ出したとみられる壊れかかった家の中にいます。子猫はこの家の住民が置き去りにして逃げたのではないでしょうか。連れて行こうと思っても猫は危険を察知すると姿を隠して見つからないことも多いので、住民もやむなく逃げてしまったのかもしれません。
このキジ白の猫、キジの毛の部分はアメリカン・ショートヘアのはっきりしたきれいな縞模様。ブロンディがあおむけに寝そべりながら胸に乗せているのでそのシマシマの背中がこちらを向いています。その猫がちょっとだけ振り向いたとき、いわゆる「前髪パッツン」でセンターに分け目のあるような面白い横顔がちらりと見えます。もっとよく顔を見たいのですが、ブロンディはすぐに猫をおろし、銃声のした方を見に行ってしまいます。まだ小さい猫ちゃん、その後またひとりぼっちになってしまったのでしょうか?
エンジェル・アイは北軍の軍曹なので持ち場を離れていいはずないのですが、こんなところで20万ドルのありかを聞き出そうとブロンディにつきっきりになっています。エンジェル・アイは二度と軍服姿で画面に登場することはありません。このへんのシナリオ、どうなっているのでしょうね。
前髪パッツンの猫が登場するのはこの映画の3分の2を過ぎた122分50秒頃です。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆3人の流れ者
私が初めてこの映画を見たときにまず感心したのが、クリント・イーストウッドのブロンディ、リー・ヴァン・クリーフのエンジェル・アイ、イーライ・ウォラックのトゥコの3人がそれぞれ初めて登場するとき、どんな人物かの説明が一言、文字で出たこと。
英語版によると、登場順から言えば、イーライ・ウォラックのトゥコは「無頼漢(the ugly)」、リー・ヴァン・クリーフのエンジェル・アイは「悪玉(the bad)」、クリント・イーストウッドのブロンディは「善玉(the good)」。初登場時、それぞれがその人らしい行動をしたあと、締めくくりにこの言葉がスクリーンに表示されるのです。そのとき、コヨーテの遠吠えをモチーフとしたエンニオ・モリコーネの音楽がすかさず挿入されます。
英語版の原題は『The Good, The Bad and The Ugly』。タイトルのThe Goodとはこういう人、と各自を紹介するかたちになっているわけですが、はじめに一言で言い表されているので、映画を見ながらこの人はどういう人だろうと頭を使う必要がありません。悪だったら悪と思って見ていればいいので、いかにもといった顔立ちのリー・ヴァン・クリーフが悪そうなことをすればするほど、おお、さすがは悪だ、と安心して楽しめるのです。
娯楽作としてらくちんなシステムですが、ブロンディが善玉というのはどうでしょう。トゥコのがめつさにブロンディはカチンと来て手ひどいお仕置きをするのですが、それは命を奪いかねないほど意地悪なもの。しかも2度繰り返すのです。これでも善玉か、と言いたくなるようなブロンディの仕打ちですが、トゥコは盗みや放火などあらゆる犯罪に手を染めたこすっからい悪党。市民の敵を懲らしめるという意味ではやはり善玉にふさわしいかもしれません。ユーモアたっぷりのお仕置きはお見事!
◆自信作
178分という上映時間を生んでいるのは特有の「間(ま)」です。
たとえば冒頭、ある男の顔がクローズアップで映ると、遠景に切り替わり、建物と道を横切る犬などが見えます。そして再び男の顔に戻り、先ほどと同じアングルの遠景に再度切り替わると、何かが近寄って来るのが見えます。馬に乗った二人組です。冒頭のアップの男が二人組と合流し、建物に銃を構えて入って行くと、3人は撃たれ、トゥコがガラスを突き破って飛び出してきます。そのとき映像はストップモーションに。トゥコに対し「無頼漢(the ugly)」という説明が画面に表示され、ここまでおよそ2分50秒。
続いて悪玉エンジェル・アイの登場。金貨の持ち逃げについて断片的なことしか知らない男の家を訪ねるシーンです。ここも、この家の息子が庭で働いているところにエンジェル・アイが遠くから馬で近づき、家に入って男と会話を始めるまで、息子、食事の支度をする妻の表情、エンジェル・アイと男のアップなどをかわるがわる、たっぷりと間をとりながら映し出します。
ストーリー展開に直接影響のない「絵」が雰囲気を盛り上げる。たとえば銃に手を伸ばそうとしている指先、眼だったら眼など、パーツを極端なまでのアップによって強調し、それをじれったいまでに引っ張る「間」。
日本の剣豪映画から学んだ描き方だと言われているようですが、芸術的効果を狙ったというより、迫力とカッコよさを狙ったものと言えるでしょう。役者は何もしていなくてもカメラが自在に映像を切り取り、それをつなげて効果を生む。音楽で盛り上げる。これはもう映画でしか得られない体験でしょう。その真骨頂が、終盤近く、金貨を埋めた墓に3人が集結する場面。クサい演出と言ってもいいくらいなのですが、娯楽作品はこうじゃなくっちゃ!
つべこべした理屈は抜きの、観客のハートをぐっとつかむ大衆演劇的手法。つまらなかったら3時間もの長尺、途中でお客は帰ってしまうでしょう。セルジオ・レオーネ監督は相当の自信をもってこの作品を送り出したのではないでしょうか。
◆戦いの空しさ
けれどもこの映画は、南北戦争を背景に、兵士たちというガンマン以外の男の生きざまを描き出してもいます。
悪玉エンジェル・アイはビル・カーソンを探す途中で、野戦病院で傷ついた兵士たちを目の当たりにします。詳しい説明はありませんが、次に登場するとき、彼は北軍の軍曹になっています。兵士たちの姿を見たとき、悪玉エンジェル・アイの胸にも、おのれの稼業に対する負い目が生まれたのでしょうか。彼が軍に志願し、軍曹になった経緯は全く描かれていませんが、ビル・カーソンを探すために都合がよかったからとは思えません。
また、ブロンディとトゥコは、橋の守備に携わっている北軍大尉と出会います。軍の命令による意味のない任務で、それにより両軍の兵士たちが犠牲になることに空しさを覚え、大尉は酒をあおっています。ブロンディは彼を苦しめているこの橋の存在をなんとかしようと動き出すのですが、これも金貨にたどりつく目的からは遠い行動です。
戦争批判と言えるこれらのサブストーリーをイタリア人監督、脚本家たちが加えた理由はなんでしょう? 泥沼化するベトナム戦争を批判するべく、アメリカを遠回しに牽制したのでしょうか。
ロケはスペインで行われたということで、アメリカ製西部劇ではまず見かけないオリーブの木が背景の随所に見られます。これぞマカロニ・ウェスタン。
(注)この章のマカロニ・ウェスタンについての記述は『現代映画用語事典』(キネマ旬報社/2012年)を参考にしました。
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