洋上に発生した雲のようなものに包まれたスコットは次第に体が縮み始める。
猫、クモ、飢えに襲われたスコットは生き延びることができるのか?
製作:1957年
製作国:アメリカ
日本公開:1957年
監督:ジャック・アーノルド
出演:グラント・ウィリアムス、ランディ・スチュアート、
エイプリル・ケント、他
レイティング:一般
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
主人公の飼い猫
名前:ブッチ
色柄:茶トラ
◆1950年代SF
久々にSF特撮映画を取り上げました。
この映画は2025年秋にフランスで『縮みゆく男』としてジャン・クーネン監督によりリメイクされたとネットで見たのですが、日本では現時点で未公開で、配信でも見られないようです。公開までにこの元祖『縮みゆく人間』で、しっかりオリジナルを味わっておけば興味も倍加するでしょう。
1950年代に盛んにSF映画が製作されたハリウッド。題名からおのずと内容は推測できると思いますが、体がどんどん小さくなり、ついに一寸法師くらいにまでなってしまった男が直面する危機と精神的葛藤を特撮を使って描いた物語です。原題は『The Incredible Shrinking Man』と、そのものズバリ「驚異の縮む男」。
リチャード・マシスンの原作ですが、このリチャード・マシスン、以前このブログでご紹介した『トワイライトゾーン 超次元の体験』(1983年)の第2話(監督:スティーヴン・スピルバーグ)を共同で、同じく第3話・第4話は単独で、脚本を担当しています。第2話・第3話については『トワイライトゾーン』の記事を、第4話については『グレムリン』(1984年/監督:ジョー・ダンテ)の記事を参照してください。
監督のジャック・アーノルドは、これもまた『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017年/監督:ギレルモ・デル・トロ)の記事の中で言及した古典的SF『大アマゾンの半魚人』(1954年)を監督。この記事の中でその特撮をわたしがほめておりますので、こちらもぜひ読んでいただければと思います。
この手の映画は観客の予想を上回るスペクタクルを展開できるかが成否のカギですが、前半に比べて後半が少々しりすぼみに終わってしまった感は否めません。それでもなお、1950年代の世界が放射能の人体への影響の脅威の中にあったことを示す歴史的・文化的資料であり、貴重な映像文化財であるという点で、興味深いSF映画だと言えるでしょう。
◆あらすじ
映画製作年当時のアメリカ。
ある夏の日、スコット・ケアリー(グラント・ウィリアムス)は妻のルイーズ(ランディ・スチュアート)と、洋上のボートで日光浴をしながら休暇を楽しんでいた。
妻が船室に入ったとき、巨大な霧か雲の塊のようなものが近づいてくるのがスコットの目に飛び込んだ。スコットはたちまちそれに船もろとも包まれ、それが通り過ぎた後、水着の体にキラキラした粉が付着しているのに気付く。
6か月後、スコットは服がみなブカブカになり、身長も体重も減ってきていた。精密検査の結果、スコットの体は細胞ごと徐々に縮まり続けていることが判明する。医師は、殺虫剤の影響と、何らかの被曝体験が原因ではないかと疑う。スコットは2か月前、公園のそばを歩いているときに大量の殺虫剤を浴びたことと、例の霧のようなものに包まれたことを思い出す。
莫大な治療費を捻出するため、スコットはマスコミに自分の情報を売り、自宅周辺は記者と野次馬だらけになる。185㎝あった身長が93㎝になったころ、治療薬が開発されてそれ以上縮まなくなったが、元に戻る薬は今のところないという。
傷心のスコットは縮み始めてから初めて一人で夜の街に出て、そこで自分と同じくらいの大きさのクラリスという女性(エイプリル・ケント)と知り合う。彼女は生まれつき小さく、ショーに出ていたが決して卑屈にならず、有名人のスコットと知って彼を励ます。
スコットは前向きなクラリスと会ううちに希望を見出し始めるが、ある日、彼女より自分のほうが小さくなっているのに気付く。スコットは再び縮み始めたのだ。
スコットはとうとう手のひらに乗るくらいの大きさにまで縮んでしまい、人形用のハウスで生活するようになる。妻のルイーズの外出中、飼い猫がスコットのハウスに近づき、中にいるスコットを襲う。帰宅したルイーズは、スコットの姿が見えないのと猫の様子から、スコットは猫にやられて死んだと思いこむ。
スコットは猫から逃げようとして家の地下室に落ちていた。だが、そこはスコットにとって脱出不可能と思える巨大な空間だった。助けを呼んでもルイーズには届かず、飢えとクモがスコットを襲う…。

◆本能が止まらない
この映画で一番スリルがあるのは飼い猫がスコットを襲う場面。
ケアリー家の猫はアメリカンショートヘアの茶トラのブッチ。ブッチとは、俗語でたくましい男とかの意味があるそうで、ブッチはそれほど大きな猫には見えませんが、そこそこがっちりしたオス猫。朝、牛乳配達で届いた牛乳をルイーズが玄関の外の器に入れ、呼ぶとやってくるというように、家の内外出入り自由の状態で飼われています。スコットのベッドにいたり、ルイーズの膝でくつろいでいたりと、ごく普通のペットですが、スコットが縮み始めると、だんだんと大きさが近づき始め、人形用のドールハウスがスコットにちょうどよくなったころには、スコットは猫の前肢ほどの身長に縮んでいます。
動くものに敏感に反応し、自分の手で動かせそうなものにはチョイチョイと触ってみようとするのが猫。物陰からネズミなどの小動物を狙って瞬時に襲うハンター・猫にとって、ドールハウスの中でちらちら動くスコットはもはや生贄も同然。
目ざとくスコットを見つけると、ブッチはハウスの周囲をクンクン。鼻息に気付いたスコットがドアを開けると目の前に巨大な猫の顔が(まるで化け猫映画)! 窓から手を突っ込むブッチ。倒されるスコット。ブッチ、なおも執拗にスコットの姿を求め、壁との隙間から頭を突っ込んでハウスに侵入。スコット、たまらずドールハウス外に逃走。気付いて追うブッチ。猫パンチで倒されたスコット、テーブル上の電気スタンドのコードを引っ張って床に落とし、ブッチ、一瞬ひるむ。そのすきにドアの外に逃げようとしたスコット、地下室への階段を前に足がすくむ。ドアの隙間に前足と頭を突っ込みスコットを捕えようともがくブッチ。そのときルイーズが帰ってきて、玄関ドアを開けた風圧で地下室のドアが開き、ぼろ布の入った箱にスコットは転落、ようやくブッチの追跡を免れる…というわけ。
血が付いたスコットの服の切れ端を見つけ、ドールハウスの位置が動いていたのと、スコットが見当たらない上にそばでブッチが顔を洗っているのを見て、ルイーズはスコットはブッチに食べられたと思い込んでしまったようです。
ニュースでスコットは猫に襲われて死んだと報道されるのですが、いくら小さくても人命が失われたかどうかという事態で、警察の綿密な捜査が行われた様子もありません。まあ、当時の映画としてはこんなものでしょうか。しかもルイーズはこの家から引っ越して、地下室でスコットが助けを求めているとも知らず置き去りにしてしまいます。ここから地下の巨大空間の中でのスコットの孤独なサバイバルという第2章が始まるのです。
けれども猫好きさんの中には、愛猫にこんな風にいたぶられてみたいとひそかにうらやましく思った人もいたのでは。ブッチはスコットを食べてしまった疑いをかけられた後、どんな運命をたどったのでしょうか…。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆白い恐怖
映画が始まると、画面の中央には氷山のような白い塊。それを挟むようにタイトルの文字が出て消えると、左横に男性のシルエットが現れます。やがて男性のシルエットは小さくなり始め、代わりに白い塊が大きくなっていきます。それは湧き上がる雲のよう。スコットが縮み始めるきっかけとなった正体不明の何かです。
小さくなり始めたスコットに、精密検査をした医療機関の医師が殺虫剤への曝露とⅩ線の被曝体験の有無を質問したあと、まず被曝体験がスコットの細胞に異常をもたらし、その後殺虫剤が引き金となって細胞の成長を止める病原体が発生したと考えられると説明します。現在からすると病原体が原因などありえない気がしますが、当時としては無理からぬことでしょう。
ただ、この雲か霧のようなものにさらされたあとスコットに異変が起きるという流れは、明確に放射能と関連付けられています。1950年代の米ソ冷戦時代の核開発競争の中、アメリカの水爆実験により日本の漁船第五福竜丸が放射性物質を含んだ死の灰を浴び、乗組員全員が放射線障害を発症して半年後に死者が出るという事件が起きたのがこの映画の2年前の1954年。この事件は全世界にショックを与え、翌年に原水爆禁止運動に結び付くきっかけとなったそうですが、この映画でスコットが遭遇する雲か霧のようなものは原水爆のきのこ雲を、体に付着するキラキラする粒子は死の灰を連想させます。1959年のアラン・レネ監督の『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』にも、死の灰を思わせる粉が登場します。
けれども『縮みゆく人間』は、死の灰を降らせた当事者であるアメリカの映画のためか、その雲や霧の正体を明らかにしたり、核の危険性に対して警鐘を鳴らすという方向には展開しません。日本の『ゴジラ』(1954年/監督:本多猪四郎)が、水爆実験で太古の眠りから覚めたゴジラが葬り去られた後も、このまま実験が続けばゴジラの同類が世界のどこかにまた現れるかもしれないと、人類に普遍的な問題を訴えるのとは異なり、『縮みゆく人間』では、ほかの核爆発で放射能の雲が広がれば別の誰かがこの世界に来るのかという、スコット個人のぼんやりした想像に終わっています。
◆リメイクポイント
さて、縮んでしまったスコットの特撮ですが、残念な点が大きく言って二つあります。
一つは、スコットの縮尺率が場面によってバラバラに見えるところです。
一旦身長93センチ、体重24キロで止まったスコット、日本の子どもで言うと5~6歳くらいに相当しますが、そのくらいの年齢の子どもを思い浮かべた場合のテーブルや椅子、大人などとのつり合いに比べてスコットは小さすぎるように思えます。同じ身長でも子どもとは頭と体や手足の比率が違うため、身長をもとにもとの2分の1に縮小すると子ども以上に小さく感じてしまうのかもしれませんが、それにしても夜の街に一人で外出する場面は、宇宙人のようでちょっと不気味。
さらに小さくなったあと、ブッチに追いかけられて地下室に落ちたスコットは、そこにあったマッチ箱をすみかにします。マッチ箱は5~6センチくらい。猫に追いかけられていたときはもう少し大きかった気がするのですが…。
もう一つの残念な点は、別撮りしたスコットの映像を重ね合わせているのが露骨にわかってしまうところ。小さいスコットが走ったりする姿に影がないのです。フィルム1コマ1コマに筆で影を描き入れることも試したかもしれませんが、かえって不自然に見えてやめてしまったのか、それとも時間も予算もなかったのか。
地下室はルイーズが裁縫をする場所で、糸巻や針山や、ルイーズの食べかけのおやつのケーキがあります。空腹で糸をよじ登ってケーキにありつこうと近づくスコットの目の前に立ちはだかるのがクモ。
監督のジャック・アーノルドは1955年に『世紀の怪物 タランチュラの襲撃』という映画を作っているので、このクモもタランチュラをイメージしているように思えます。クモは実写です。本物のタランチュラだったら毒グモなので逃げだしたら大変。撮影には計り知れない苦労があったと思いますが、猫に比べるとクモの攻撃は単純で表情もなく、地下室でのスコットの最後の戦いとしては盛り上がりを欠いてしまいました。
ストーリーが主人公の語りで進行するのも、全体として没入感をそぐ原因だったと思います。
最終的にスコットは地上に出て、大小などという人間の尺度を超え、自分が神の創造した大宇宙を構成する存在であることに意味を見出します。それはまさに英雄の再生を思わせるもの。
おそらく、リメイク版の『縮みゆく男』は、先ほど指摘した点を改善し、スコットがロールプレイングゲームのように数々の困難を切り抜け、唯一無二の自己の確立を成し遂げる様を、最新の画像技術を駆使して描き出しているのではないでしょうか。
ここで独り言。地下室での戦いで本当に怖い相手は、クモよりほこりやカビではないかしら。そんな敵ではさすがに映画会社の製作OKは得られなかったかな…。

◆関連する過去作品
◆パソコンをご利用の読者の方へ◆
過去の記事の検索には、ブログ画面最下部、オレンジのエリア内の「カテゴリー」「月別アーカイブ」または
検索窓をご利用ください。