この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

肖像

今回の主人公ミドリも『ティファニーで朝食を』の主人公ホリーのように、少し人に言いにくい生活を送っています。ミドリは何と出会い、どう変わっていくのでしょうか。

 

  製作:1948年
  製作国:日本
  日本公開:1948年
  監督: 木下恵介
  出演:井川邦子、菅井一郎、小沢栄太郎東山千栄子 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    主人公ミドリの飼い猫と近所の子猫
  名前:ミドリの飼い猫=チビさん 近所の子猫=タマ
  色柄:チビ=黒白のハチワレ タマ=白黒?のブチ
    (モノクロのため推定)

◆自由が丘いま昔

 この映画の舞台になったのは東京の自由が丘。現在の自由が丘は、スイーツや雑貨の有名店、おしゃれな街並みなど、買い物がてらぶらぶらと散歩するのにちょうどよいエリア。天気のいい休日は若い女性や家族連れで賑わいます。この映画が作られたのはすでに70年以上前の1948年ですから、戦後3年。自由ヶ丘(「自由が丘」と表記するようになったのは、町名が1965年、駅名が1966年から)駅周辺でロケが行われ、当時の風景をしのぶことができます。
 今の駅の正面口を出てすぐ右手の自由が丘デパートは、渋谷方面への線路に沿って建つ昭和の香りを残した集合店舗ですが、その前身と思われるマーケットがこの映画に映っていて、現在もデパートの入り口にある「五十嵐金物店」の看板が見えます。実は私、25年以上前にそこで買った、お店の特撰の刻印のある包丁をずっと愛用しています。この映画を見たのは比較的最近ですが、ちょっと嬉しくなってしまいました。

◆あらすじ

 「売美邸 自由ヶ丘駅五分 建二十五 和洋室 庭広 環境良 価二十万」の不動産広告。ブローカーの玉井(藤原釜足)と金子(小沢栄太郎)は、この家を買って転売し、儲けようともくろんでいるが、家を借りている画家一家がまだ住んでおり、出ていかないという。二人は半分ずつ金を出して家を買い取り、金子が愛人(映画では妾(めかけ))のミドリ(井川邦子)と一緒にこの家の2階に住んで一家を追い出そうと一計を案じる。
 牛の引く荷車に荷物を載せて、金子とミドリが引っ越してくる。住人の野村一家は、老画家(菅井一郎)とその妻(東山千栄子)と、戦地に行ってまだ帰らない長男の妻・久美子(三宅邦子)と男の子、画家の娘の陽子(桂木洋子)の5人で、金子とミドリを父と娘だと思っている。ミドリは一家から「お嬢さん」と呼ばれてその気になり、あばずれの正体を隠して上品にふるまう。
 そんな彼女に、画家が絵のモデルになってほしいと申し出る。ミドリは「絵描きの目にかかると何にも隠せないって」としり込みするが、金子も勧めるので承諾し、昔、母親が買ってくれた着物を着てポーズをとる。なぜ自分を描くのか、とミドリが聞くと、画家は「あなたには不思議な陰がある」と言う。
 ミドリは次第に苦しくなってくる。お金がなくてもなんでも楽しみ和やかに暮らす画家一家の姿を、うらやましいようなばかばかしく思うような気持ちになり、自分と同じように愛人として暮らしている友人を訪ねて、あんたと会ってるときの画家をバカにする自分と、画家の前で嫌な物が洗い落とされて行くような自分の両方がある、と胸の苦しさを訴える。
 友人としたたか飲んで帰ったミドリは、描きかけの自分の肖像画を破こうとして久美子に見つかり、止められる。「私はあなたがどんな人だか知っているけれど、本当のあなたはこの肖像画に描かれている自分が一番好きなはず」と久美子に諭され、号泣するミドリ。
 ミドリは自分の力で生きていくことを決意し、金子に別れの手紙を書いた。そして、ミドリの肖像が完成する・・・。

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◆雲助チビさん

 この映画では、ミドリと金子が画家一家の住む家に引っ越してきたときに、黒が多めのハチワレ黒白猫のチビさんを、キャリーバッグならぬ竹を組んだ檻のような四角い入れ物に入れ、荒縄でくくって運んできます。ミドリは、古い家を見るなり「イヤよ! こんな家!」と引き返そうとしますが、金子ともみ合っているうちに檻を取り落とし、チビさんが脱走してしまいます。チビさんとは言っても、太めのどっしりした体形のドラ猫系。あとで、画家の娘の陽子とボーイフレンドの五郎ちゃん(佐田啓二)が、「お嬢さんの猫、これじゃありません?」と二階にいるミドリに庭から声を掛けますが、腕の中にはかわいいブチの子猫。「うちのチビさんは雲助(くもすけ)みたいな顔してるのよ」とミドリが答えます。そのうち近所の女性の「タマや~」と呼ぶ声がして、「これ、タマよ」と、陽子と五郎は子猫を放します。
 映画の最後の方で、金子が魚屋に住み着いていたチビさんをみつけて連れて帰ってきますが、なんとその後で、チビさんは子供を産みます。どう見てもボス猫風なのに、メスだったとは。

 ミドリが言う「雲助」という言葉、時代劇に出てくると思いますが、駕籠かきや川越人足などで、客が逃げられない状況でぼったくりなどの悪質な行為をした柄の悪い連中のことです。古い日本映画を見ると、いまでは使われなくなった言い回しやすたれた風俗習慣が出てきたり、歴史史料として面白いことがたくさんあります。冒頭の不動産広告の漢字も旧字体で、これが読めないとのっけから映画に入るのにつまづいてしまいそうです。

 この映画で、ミドリが自室でスリップを着て過ごしていますが、若い方のために説明すると、これはふしだらな女性であるとか、金子との性的関係を示しているのではなく、昭和中盤くらいまで女性の夏の部屋着、いま風に言えばリラックスウェアとしてよく着られていたのです。小津安二郎の『浮草』(1959年)でも、賀原夏子がスリップ姿で「妖艶な微笑み」を披露しています。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆チャレンジャー木下

 『肖像』は、地味であまり知られていませんが、日本映画の戦後の黄金時代(昭和20~30年代)を代表する監督である木下恵介が監督、黒澤明が脚本を担当、俳優陣もこの時代の映画を見るときにぜひ知っておきたい人たちが出演しています。

 木下恵介は、『二十四の瞳』(1954年)や『喜びも悲しみも幾年月』(1957年)、テレビの「木下恵介アワー」など、抒情的で、世の片隅に生きる人に寄り添うような感動的な作品で知られていますが、コメディや、戦時中の国策映画にもかかわらず反戦的な描写で終わる『陸軍』(1944年)、日本初の国産総天然色(カラー)映画『カルメン故郷に帰る』(1951年)、『野菊の如き君なりき』(1955年)での楕円形のフレームの回想シーン、歌舞伎の様式を模した『楢山節考』(1958年)など、幅広いチャレンジを行った監督です。

 この映画で主役のミドリを演じた井川邦子は、木下監督の映画では『我が恋せし乙女』(1946年)の可憐なヒロイン、『カルメン故郷に帰る』での戦争で視力を失った夫を支える献身的な妻の役が印象的です。
 東山千栄子三宅邦子は、姑・嫁の役柄ですが、小津安二郎の『東京物語』(1953年)でも、同じ立場の配役です。東山千栄子はおっとりと穏やかな老婦人の印象ですが、木下監督の作品では『カルメン純情す』(1952年)で、コメディエンヌとして意外な姿を見せています(似合ってはいませんが・・・)。

◆実像と虚像

 一方、脚本の黒澤明はダイナミックで男性的な作風。自分の映画の脚本は、自身と黒澤組と呼ばれるグループの脚本家と共同で手掛けていますが、他の監督の映画の脚本も多数書いています。この『肖像』は女性映画で、一見すると黒澤明っぽくないと思うかもしれませんが、とても黒澤らしいシナリオ、と言えます。
 黒澤明監督の作品によく描かれるのは、善と悪の対立です。そして、主人公の中に良くない性質と正しい性質が存在している場合、主人公は良くない性質を克服して正しい人間に生まれ変わる、という展開がよく見られます。『肖像』はその路線にある映画です。

 ミドリは貧しい生活が嫌で金子の愛人になり、欲しいものはなんでも買ってもらっています。背景は描かれていませんが、おそらく戦争で身寄りも何もかも失った一人ぼっちのミドリが、贅沢をしたくてたどりついた暮らしです。けれども、金子から金をむしり取るような生活を享受しながら、一方で後ろめたさを感じています。根は真面目なのです。

 ミドリは、画家の野村からモデルになるよう頼まれたとき、自分の正体がばれるのではないかと不安になります。けれども、野村はお嬢さんの仮面の下のあばずれのミドリではなく、さらにその奥の、母が買ってくれた着物をいまでも大事にしている、純粋で真面目なミドリをまっすぐに見据えます。「あなたには陰がある」と、ミドリの中に隠れている何かを絵筆で表現したくて、野村はミドリをモデルに選んだのです。そして、ミドリ自身も、画家の視線にさらされるうちに忘れていた自分を取り戻していくのです。

◆そんな女に誰がした

 ミドリはだんだん怖くなってきます。自分の本当の姿を画家に見られることではなく、曲がりなりにも納得してきた愛人生活に違和感を覚えてきたからです。明るい交際をしている陽子と五郎と一緒に遊びに行こうとして支度をしていると、愛人の金子がミドリの着替えをニヤニヤと寝そべって眺めている。自分があの二人に比べてけがらわしい存在であるかのように感じて、ミドリは二人と出かけるのをやめにしてしまいます。

 ジレンマに陥ったミドリは、自堕落な愛人生活を送る友人に向かって「めかけ!」と罵ります。それはそうである自分をも罵っているのです。
 酔って帰ったミドリを長男の妻の久美子が諭し、ミドリが今までの生き方を恥じて新しい一歩を踏み出す。この部分は黒澤明らしいメッセージ性を色濃くにじませていると思います。

 このような結末は、戦後3年の日本を生きる人々にどう受け止められたのでしょうか。生きるために何でもしてきた人たちにとって、見習うべき教訓と手本になったのか、「何が悪い」とそっぽを向かれたのか。

◆巨匠たちが描いたもの

 この映画の発表の時期の日本はGHQの占領下で、映画も検閲があり、日本の封建的な社会や男女不平等などを改め啓蒙する映画を作るよう指示されていました。戦前は男性が妻以外の女性を囲うことが社会的に容認されていましたが、『肖像』はそうしたことを否定し、女性が自尊心を持って生きるべきという姿勢をはっきりと示しています。この映画では黒澤明の人間観とGHQの方向性が、うまく調和しています。

 この映画の前年の1947年に木下恵介自身が脚本を書いた『不死鳥』は、戦争中に恋人(佐田啓二)の封建的な父親に結婚を反対された女性(田中絹代)が、父親を説得し結婚を勝ち取るという、民主主義のお手本のような映画です。この女性はある時から意識が変わったのでなく、もともと自由な考えの持ち主として描かれています。GHQはキスシーンを日本映画に取り入れるように奨励していたので、この映画には二度のキスシーンが登場します。戦前なのに男女数人でオープンカーでドライブするシーンなどもあり、かなりGHQの意向を汲んだ演出が見られます。

 また、『肖像』と同じ1948年に作られた『夜の女たち』(監督:溝口健二)は、戦後、生きるために売春婦になった女性たちを描いた映画ですが(この主人公も田中絹代)、最後は聖母子像が救いのように示されるだけで、人間には彼女たちをどうすることもできないとでも言うように混沌としたまま終わります。

 木下恵介監督が本当に描きたかったものは、自身が脚本・監督を務め、占領の終わった翌年に発表した『日本の悲劇』(1953年)の中にあるのではないでしょうか。ここに描かれているのは、戦争によって陥った運命を変えることができなかった女性の姿です。この映画もぜひ見ていただきたいと思います。


参考:『占領下の映画―解放と検閲』 岩本憲児(編) 2009年 森話社

 

2023年2月28日追記:五十嵐金物店は、自由が丘デパートの地下1階に移転したそうです。

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ティファニーで朝食を

『第三の男』、『吾輩は猫である』に続いて、名無しの飼い猫が出てくる映画です。この猫に名前がないことには何か理由がありそうです。今回はそれを探っていきましょう。

 

  製作:1961年
  製作国:アメリ
  日本公開:1961年
  監督: ブレイク・エドワーズ
  出演:オードリー・ヘップバーン、ジョージ・ペパード、
     ミッキー・ルーニーパトリシア・ニール 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    主人公ホリーの飼い猫
  名前:なし。「キャット」と呼ばれている
  色柄:茶色のトラ猫

◆唯一無二のブルー

 宝飾店・ティファニーが日本によく知られるようになったのは、この『ティファニーで朝食を』の公開後と、バブル期でしょう。映画を見ていない人の中には、ティファニーとはレストランとかカフェのようなところだと思っていた人もいたようですが、その誤解もおそらくバブル期にはすっかり解けたはずです。
 バブル期、多くの女性は、堰を切ったように海外高級ブランドを身に着けました。エルメスのスカーフ、ルイ・ヴィトンのバッグ、そして、若い女性にとりわけ人気があったのが、ティファニーのカジュアルでかわいいデザインのアクセサリーでした。男性に贈ってもらいたいプレゼントといえば、ティファニーのオープンハートのネックレス(と言われていましたっけ?)。ティファニーブルーの小さい紙袋を手に提げて歩く女性を、あちこちで見かけました。
 幸せを象徴するティファニーのブルー。この色は、ティファニーだけが独占的に使用できる、商標登録された色なのだそうです。

◆あらすじ

 夜明け、ニューヨーク五番街ティファニーの店の前にタクシーが停まる。黒いドレスに身を包んだ美しい女性が降り立ち、ショウウィンドウをのぞきこむ。彼女はやおらパンと紙コップに入った飲み物を取り出し、むしゃむしゃ食べ始めた。彼女の名はホリー・ゴライトリー(オードリー・ヘップバーン)。男性とデートして、トイレ用のチップと帰りのタクシー代という名目で金をもらうことで暮らしを立てていた。彼女はアパートで1匹の猫と暮らしている。
 その彼女の部屋の上に、売れない作家のポール(ジョージ・ペパード)が引っ越してきて、知り合いになる。ポールは、年上で夫のある室内装飾家(パトリシア・ニール)の愛人で、経済的な援助を受けている。異性からお金をもらって生活しているという互いの共通点と、入隊中の弟に似ているところから、ホリーはポールと仲良くなった。ある日、ポールの部屋の外に不審な男(バディ・イブセン)が現れる。ポールが話をしてみると、なんと、ホリーの夫で、ホリーは本当の名はルラメイ、何年も前に夫のもとを飛び出していったのだという。ポールは二人の間に立ってホリーに夫のもとに戻るよう促すが、ホリーは、自分は以前の自分ではないと言い張り、夫は一人で帰っていく。
 そんなホリーが気になり始めたポールは、原稿収入を手にすると、それを元手にホリーと出かけ、ティファニーでお菓子のおまけの指輪に彼女のイニシャルを刻印するよう頼んで、ほどなく夫人との関係を解消する。一方、ホリーは、金持ちになって弟を引き取って暮らすという夢もあり、ブラジルの名家の男のホセ(ホセ・ルイス・デ・ヴィラロンガ)と結婚しようとしていたのだが、その矢先、弟の事故死の知らせが届き、ホセとポールの目の前で半狂乱になってしまう。さらに、生活費を得るためにしていたマフィアの親分との刑務所での面会のバイトが麻薬取引に利用されていたことがわかり、警察沙汰になる。
 体面を重んじるホセからの、ホリーに別れを告げる手紙を読んで聞かせるポール。ホリーは次の金持ちを探す、結婚がダメでもブラジルに行く、とタクシーを空港へ向かわせようとする。そんなホリーにポールは・・・。

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◆キャットは誰

 この映画に登場するのは茶色のトラ猫。あちら風に言えばレッドタビー。欧米では茶トラの毛色をレッドとかオレンジとか形容しますが、日本でも赤猫と言ったりします。この主人公ホリーの飼う猫の演技が見事。眠っているホリーの背中に飛び乗って起こしたり、パーティーのお客の肩に飛び移ったり。全編を通してところどころでおちゃめな姿を披露するので、猫目当ての方は初めから終わりまで楽しめますが、何といっても胸を打つのはラストシーン。ネタバレ防止のために伏せますが、けなげで、いじらしくて、じーんとしてしまいます。

 この「キャット」を演じた猫は、私の記事「このブログについて(はじめに)」でご案内している『スクリーンを横切った猫たち』という本では「オレンジィ」いう猫だと紹介されていますが、ネットのいくつかの映画情報サイトには「パットニー」と書かれていたりします。オレンジィのことは撮影当時12歳だったなど、具体的なエピソードを交えて書いてあるので確かでしょうが、パットニーは? 映画のタイトルには、猫トレーナーの名前がクレジットされているだけ。同じ色柄の猫のダブルキャスト? いえ、それ以上の多くの猫がこの「キャット」を演じていたのかもしれません。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆これは甘いラブロマンスか?

 オードリー・ヘップバーンの映画と言えば、洗練されたファッションに身を包んだオードリーが、キュートな魅力で男性を翻弄、やがて真の愛に気づく、というのが、よくあるパターンです。『ティファニーで朝食を』も、その定石をはずれていない作品のひとつ、と軽い気落ちで見たのですが、オードリーの演じる主人公、ホリー・ゴライトリーの人となりを知ったあとで二度目に見たとき、ふとある記憶がよみがえりました。冒頭、ニューヨークのティファニーの周りをぶらつく黒いドレスの後ろ姿。「私はこんな人を見たことがある」と思ったのです。

 子どもの頃、横浜に住んでいたことがあった私は、当時の横浜で一番の繁華街、伊勢佐木町で、たびたびその人を見かけました。のちに『ヨコハマメリー』(2005年/監督:中村高廣)というドキュメンタリー映画にもなった、ドレス姿で真っ白に顔を塗った女性。横浜に駐留していた米軍相手の娼婦という噂でしたが、『ティファニーで朝食を』のホリーが人気のないニューヨークの街に立った後ろ姿には、そのメリーさん(当時の横浜では、彼女のことをそんな名前で呼ぶ人はいなかったと思います)と同じ孤独の影を感じたのです。

 『ヨコハマメリー』には猫が登場しますので、近いうちにこのブログで取り上げたいと思います。

家なき子

 ホリーは、娼婦でこそありませんが、男の気を引いてお金を稼ぐ、つまり、女を売って食べている点では、娼婦の延長線上にあると言えます。映画では、ちょっと性格が奔放なだけのように描かれていますが、それにしては彼女はちょっと奇妙です。軍隊に入っているような弟のフレッド青年を、若い彼女が引き取りたいと言い、知り合ったばかりのポールを弟に見立てて、幼い姉弟のように一緒のベッドに眠りながら、弟の名を呼んでうなされる。彼女には弟に対する強い固着が見られます。

 その背景は、ホリーの夫のドク・ゴライトリーが現れたときにわかります。彼女は子供の頃、弟と二人で親戚の家を飛び出して生きてきた(親がどうしていたのかは映画ではわかりません)。そして、ドクの牧場で卵を盗んだのをきっかけに弟と共に彼の保護を受け、14歳で彼の妻になったのです。まともな教育も受けず、盗みをしたり、人にすがったり、その場その場で生きる術だけを身に着けたノラ猫のような女性だったのです。

 けれども、ドクも少し変です。14歳の彼女を先妻の子供と一緒に子供として養育するのではなく、妻にする。家事や子どもの世話を彼女にやってもらい、夜の相手も、という計算があったのではないでしょうか。「結婚って初めて」と無邪気にそれを承諾したホリーが彼のもとを飛び出したのも、そういう身勝手な目論見に嫌気がさしたからなのかもしれません。

◆食わせ者 ホリー

 ホリーは、家を飛び出して女優にスカウトされても、さあこれからというときにその仕事からも逃げ出してしまう。ポールと外出したときも、図書館には足を踏み入れたこともありませんでしたが、万引きの指導はしっかり受け持ちます。

 黒いドレスに身を包んで、ティファニーのウィンドウをのぞきながらパンと飲み物を立ち食いする、その外見と行動の落差。嫌な気持ちになったときにティファニーにやってきて憂さ晴らしをする。ファッショナブルなオードリー・ヘップバーンの姿で見えにくくなっているのですが、この映画は、ホリーという、とてもみじめで誇りのない育ち方をした女性を描いているのです。いまだったら、存在感ある演技派女優がそんなホリーを演じ、全く違ったテイストの映画になっていたかもしれません。

◆名前

 そんな彼女が、飼っている猫に名前を付けていなかったのはなぜでしょうか。
 この映画では、名前が一つのキーになっています。

 名前を付けるという行為は、名前を付けた相手と自分とが見えないものでつながっていることを示しています。そこには、名前を付けた者による所有や支配の関係が存在します。ノラ猫のような生き方をしてきたホリーは、河岸で拾った猫に自分を重ね合わせ、何かに縛り付けられた存在にするのがかわいそうで、名前を付けなかったのです。
 ルラメイという名がありながら偽名を使っていたということは、ルラメイだった自分を断ち切ったということです。

 そして、名前のイニシャルを彫った指輪の意味は? 婚約指輪や結婚指輪にイニシャルや記念の言葉などを刻むことが多いように、イニシャルを刻んだ指輪を贈ることと、それを受け取ることは、お互いが見えない絆で結ばれているという意識を形にし、共有するということです。お菓子のおまけではあるけれど、ホリーのイニシャルを彫ってもらった指輪は、ポールのホリーへの気持ちの表れです。その指輪をポールに「もういい」と投げつけられたとき、ホリーはお互いが見えないもので結ばれていること、それは支配や従属やお金ではないことに気が付きます。そして、猫とも・・・。

 最後に、ホリーのアパートに住むカメラマンにして、偏見に満ちた日本人像のキャラクター、ユニオシ(ミッキー・ルーニー)。この名前は漢字でどう書くのでしょうね。 

 

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速報『約束の宇宙(そら)』猫が出てます

本日、2021年4月16日(金)公開の

『約束の宇宙(そら)』(2019年/フランス/監督:アリス・ウィンクール)

に猫が出てます。

主人公と娘の茶トラの飼い猫、名前はライカ

映画『約束の宇宙(そら)』オフィシャルサイト

  主人公はシングルマザーの宇宙飛行士サラ。学習障害のある娘を置いて約1年間宇宙に滞在するミッションのクルーに抜擢されますが、任務と母親としての娘への思いの板挟みに苦しみます。出発前、彼女が娘のためにしたある行動は、コロナ禍を経験したいまの私たちにはちょっと疑問があるのでは?

 

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