この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

このブログについて (はじめに)

 「猫が出てくる映画」を毎回1本、観客目線で紹介・批評するブログです。と言うと、猫の可愛さ・神秘性を堪能できる猫たっぷりの映画を期待されるかもしれません。このブログには、堂々主役を張る猫から、「あそこに出てる!」というくらい瞬間猫ショットの映画も多々・・・。というのは、「映画に出てくる猫について語る」のではなく「猫が出てくるという条件でピックアップした映画について語る」ブログだからです。
 映画について文章を書いて人に読んでいただきたい、と思いつつ、巨匠の名画のことをいまさらちょっと書いてみたところで誰も見向きもしないだろう、新作映画はSNS上で瞬時にレビューが飛び交う時代、無名の人間の批評なんて読む人いないよね、とモヤモヤする中、猫が出るとも知らずに見た映画に思いがけず登場する猫の姿に、猫好きとして喜びを感じていました。ストーリー上の必然もないのに、なぜ監督はわざわざこのシーンに猫を使ったのか・・・。私のように猫が隠れている映画を見つけたいと思っている人がいるのでは・・・。それがこのブログを書くことにしたきっかけです。
 「猫が出てくる」を条件に選ぶと、自分が普段あまり見ないジャンルの映画や、評論で取り上げられないような映画もまじってきます。選り好みせずに筆を執って、幅広い方に読んでいただけたらと思います。ただし、アニメは人間の都合で猫を自由に造形できてしまうという理由で、対象外とさせていただきます。
 あなたが猫好きでも、そうでなくても、ここで紹介した映画があなたにとって忘れられない一本になりますように。

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◆師匠からのメッセージ

 このブログの公開にあたり、映画について書くことの面白さに導いてくださった、映画評論界の重鎮・白井佳夫師匠から応援メッセージをいただきました。師匠は、東京・池袋の西武百貨店別館のカルチュアセンター「池袋コミュニティ・カレッジ」で、月2回、映画を見てディスカッションとレポート発表を行う「白井佳夫の東京映画村」を開講しております。見学もできますので、関心のある方はどうぞお越しください(TEL:03-5949-5488)。


 猫美人さんは、わたしが講師を務めた、東京芸大での特別講義や、池袋の東武カルチュアセンター(閉校)や、池袋コミュニティ・カレッジに引き継がれた『白井佳夫の東京映画村』の生徒の中で、特に切れ味のいい映画の文章の書き手で、その面白さは保証いたします。彼女のユニークな個性をじゅうぶん楽しんでください!」
                          映画評論家

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◆参考書籍
 『スクリーンを横切った猫たち』 千葉豹一郎著 2002年 ワイズ出版
 『ねこシネマ。』 ねこシネマ研究会編著 2016年 双葉社

イラスト担当:東洲斎茜丸

 

アメリ

人と直接かかわるのが苦手な女性・アメリ。好きになった男性に一風変わったアプローチを試みる。

 

  製作:2001年
  製作国:フランス
  日本公開:2001年
  監督:ジャン=ピエール・ジュネ
  出演:オドレイ・トトゥマチュー・カソヴィッツ、セルジュ・メルラン、
     ヨランド・モロー、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    主人公の知り合いの飼い猫
  名前:ロドリーグ
  色柄:サビ
  その他の猫:アパートの管理人の女性のキジトラ猫
        ゴミバケツにたむろする、白黒など4匹のノラ猫。


◆パリの灯は遠く

 2024年7月26日から9月8日にかけてのパリオリンピックパラリンピックにちなんで、この夏は何度かフランス映画、フランスを舞台にした映画をお届けしたいと思います。
 第一弾は『アメリ』。
 2001年に公開されると女性を中心に社会現象ともいえるブームを巻き起こしました。寝癖がついたような外はねのおかっぱ頭にいたずらっぽい微笑みを浮かべて、上目遣いで見つめるアメリ役のオドレイ・トトゥのキャッチーな写真、覚えていますよね。ヤン・ティルセンのちょっぴり哀愁を感じさせる音楽も美しい。
 舞台はパリのモンマルトル周辺で、パリ東駅、北駅、このブログで紹介した『大人は判ってくれない』(1959年/監督:フランソワ・トリュフォー)や『巴里の空の下セーヌは流れる』(1951年/監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ)にも出てくるサクレ・クール寺院などの観光的にも有名な場所が登場します。円安でおいそれと海外旅行に出かけられないいま、この映画でパリ散歩気分を味わいましょう。

◆あらすじ

 1974年に生まれた女の子アメリは、神経質な元教師の母と冷淡な元軍医の父のもとで育つ。抱きしめられたことのない父に触れられてドキドキしたアメリを、父は心臓病と診断して学校に通わせず、母が家で教育した。母はアメリが幼い頃に事故で亡くなり、父と一対一で育ったアメリは人間関係を築くのが苦手な大人になった。
 1997年8月、モンマルトルのカフェ、ドゥ・ムーランで働く23歳のアメリオドレイ・トトゥ)は、子ども時代と同様、空想の世界に逃避していた。
 ある日アメリは、住んでいるアパートの壁の中に隠してあった40年前の子どもの宝箱を偶然見つけ、持ち主に返すことを思い立つ。
 アパートの家主(ヨランド・モロー)や、窓から見える部屋に住む老人・レイモン(セルジュ・メルラン)などに聞いてその主を突き止めると、直接手渡さずに宝箱を拾わせ、喜ぶ彼を見て気持ちが満たされる。
 それ以来、アメリは見えない黒子として他人の人生におせっかいを焼くようになる。実家の父が閉じこもりがちなのを、人形を使って旅行に行きたくなるよう仕向けたり、店の常連客と同僚の縁結びをしたり、アパートの家主の夫で、よその女と駆け落ちして死んだ男が、最期まで家主を思っていたという手紙を偽造して送ったり、食料品店で働く青年をいじめる店主を懲らしめようと、留守に忍び込んで仕掛けをしたりした。
 アメリは、宝箱の持ち主を探していたとき、駅のスピード写真のブースで捨てられた写真を拾い集めている青年を見て胸がときめく。二度目に彼を見かけたとき、拾った写真を貼り付けた彼のアルバムを拾い、掲示板の落し物の連絡先を見て返そうとする。彼はニノ(マチュー・カソヴィッツ)という男で、アメリは公園に呼び出して宝探しのような方法でアルバムを渡すが、宝箱のときと同じでどうしても直接彼と会うことができなかった。
 そんなアメリを、アパートの老人のレイモンが「君はぶつかっても壊れることはない」と励ます・・・。

◆おしゃれキャット

 この映画で、猫の登場場面は10回ほど。特に意味のある役ではありませんが、フランスの日常的おしゃれ感をさりげなく盛り上げているのはこの猫たち。
 うち7回と、最も多く登場するのはアメリの知り合いのフィロメーヌの猫のロドリーグ。スチュワーデスの彼女は、フライト中はアメリにロドリーグを預けるのです。アメリの周囲の人物の顔と名前と、彼らの好きなもの、嫌いなものを次々と紹介していく冒頭部分、その最後にフィロメーヌとサビ猫のロドリーグが登場します。すでに制服に着替えて、猫バスケットを持ってアメリの働くカフェに現れるフィロメーヌ。彼女の好きなものは猫の水入れを床に置く音、ロドリーグが好きなのはお伽話を聞くこと。
 最近は自動で新しい水が供給されるものもありますが、猫の水入れはここでは縁の欠けたカフェオレボウル。昔の猫の食器なんてこんな風に人間のお古でしたよね。お伽話を聞いているロドリーグの後ろ姿の、光が透けた耳がかわいいです。
 ロドリーグは、アメリのベッドでくつろいでいたり、屋根を歩いていたり、ニノが部屋にやって来ることを妄想しているアメリが、玉のれんがジャラッと鳴った音に、もしやと振り向くとロドリーグだったり、と猫々しく登場します(玉のれん・・・おしゃれな呼び方がわからなくてすみません)。ロドリーグの最後の登場はラブロマンスでの動物の定番の役割。ご覧になって確かめてください。
 次に多く出てくる猫は、17分40秒頃と77分40秒頃の、アメリのアパートの家主のキジトラ。整理ダンスの上がお気に入りのようで、赤い敷物を敷いてもらって寝そべっています。
 そして開始から59分頃、食料品店の意地悪店主がアメリのいたずらに引っかかって早朝に店を訪れるシーンで、近景のゴミバケツ周辺にノラたちが映ります。暗いのでわかりにくいのですが、わたしは全部で4匹と数えましたよ。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆一人遊び

 今年(2024年)の猫の日に紹介したフランス映画『猫が行方不明』(1996年/監督:セドリック・クラピッシュ)に一脈通じる映画です。主人公は人間関係に不器用な若い女性、恋人はいないけれど気になる異性がいる、周囲の助けで幸せに近づく、というのが共通部分。『猫が行方不明』の主人公は目指す異性に直球勝負でアタックして失敗、傷つきますが、その代わり猫の家出をきっかけに広がった近隣の人々との交流から新しい恋を手にします。
 一方、アメリはそんな当たって砕けろ式の直接行動がどうしても取れません。
 学校に行かず、きょうだいもなく、父と一対一で大人になったアメリの好きなものは、映画を見ている人の顔を見ること、映画の中の誰も気づかない些細な事柄を発見すること(注)、食料品店の豆の袋に手を突っ込むこと(感触が気持ちいいのでしょう)、クレーム・ブリュレのお焦げを潰すこと、サンマルタン運河で水切りすることなどの一人遊び。慣れ親しんだカフェの店主と同僚と常連客に囲まれて働き、週末には実家の父を訪ねる、という閉じた世界。
 けれど、それらの描写がオシャレでステキで、アメリの閉じた世界はネガティブに見えるどころか憧れを掻き立てるのです。アメリの真似をして水切り遊びをする若い女性が増えたとは聞かなかったけれど、クレーム・ブリュレはこの映画でブームになったんだとか。アメリのファッション、インテリア・・・すてきな雑貨屋さんの店内を覗いたような、同じ年頃の女性なら真似したくなるようなアイコンの数々。飲食店勤めは過酷なはずですが、そういう現実的な苦労は描かれません。

◆置き配

 アメリ恋愛模様はトリッキー、ストーカー的。
 映画冒頭、アメリが対人コミュニケーション能力を発達させる機会がほとんどないまま大人になったということが、ポップで面白おかしく語られます。そのわりにはアメリが自分から実家を出てカフェで支障なく働いて、猫を預かったりする知人もいることなどから、社会性には特別な問題はなさそうです。
 けれど、宝箱の持ち主に箱を渡すためにアメリのとった行動は奇妙そのもの。箱がみつかった部屋の40年前の住人の名前を家主などから聞き出し、電話帳で調べた同姓同名の人を一人一人訪ね歩き、とうとう持ち主を特定します。それなのに、いざ箱を渡す段になると、持ち主が通りかかる場所にある公衆電話に電話をかけ、呼び出し音に気づいたその人が電話ボックスに入り、置いてある宝箱を見つける、という世にも遠回りな手段を取ります。持ち主を調べる過程では人並み以上の行動力を発揮したにもかかわらず、直接当人に会って、ことの経緯を説明したりできないのです。

◆対面がダメ

 アメリが駅のスピード写真ブースで出会ったニノに近づくときも同じ。ニノが落としたアルバムを拾って、彼の働くポルノビデオ店まで届けに行ったのは一歩前進ですが、不在だったため翌日モンマルトルの公園に呼びだすメモを彼の自転車に貼り付けます。
 サスペンス映画ではこういうのは陰謀の罠、のはずですが、ニノ君、アルバム返してほしさにノコノコ出かけていきます。
 人待ち顔で立っているとそばの公衆電話が鳴って、電話の主はアメリ。その誘導で進んでいくと、アメリが彼の自転車のバッグにアルバムを入れるところが遠くに見え・・・ニノはダッシュで追いかけますが、アメリの姿はなく、そばの公衆電話が再び鳴ります。電話のアメリの指示通り、戻ったアルバムを開くと、変装したアメリの「私に会いたい?」という挑発するような写真が。
 またまた、サスペンス映画では謎の女の登場は色仕掛けの罠、のはずですが、ニノ君、喜んでアルバムを持って帰ります。

◆似た者同士

 アメリの恋愛大作戦は、かなり薄気味悪く感じます。普通ならこんなことをされれば警戒して誰も近づかないはずですが、幸か不幸か、ニノ君はアメリに負けず劣らず変わり者だったよう。公園での接近のあとは、ニノが駅にアメリからの連絡を待つ貼り紙をしたり、アメリがニノの立ち寄るはずのスピード写真ブースに呼び出し連絡メモをわざと落としておいたり、などの奇妙な駆け引き。勝手にやってちょうだい、と冷めた目で見るか、映画だし、こんな恋愛もありかも、と楽しく見るか?
 アメリが周囲の人々に仕掛けるおせっかいも常識の上を行くもの。食料品店の店主の留守に家に忍び込んで仕掛けるいたずらは、もはや犯罪ですね。人と直接コンタクトできないというのは、自信のなさが原因のひとつだと思いますが、匿名だと驚くほど大胆になるアメリは、昨今のSNS上ならどんなことでも言えるという一部の人に似たところも感じます。一方で、病気で表に出られないレイモン老人には、テレビで見たほのぼのとした映像をビデオテープに録画して、そっと届けるという気づかいも見せます。

◆恋の駆け引き

 『猫が行方不明』の主人公もあと先考えない性行動を取ったり、以前紹介した『ラ・ブーム』(1980年/監督:クロード・ピノトー)でも、中学生の女の子が大胆に男の子に迫ったり、近年のフランス映画の恋愛の重心は、相手をいかに引っ掛けるかにあるのでしょうか。イタリアでリメイクされ、間もなく日本公開される『幸せのイタリアーノ』(2023年/監督:リッカルド・ミラーニ)のもとになったコメディ『パリ、嘘つきな恋』(2018年/監督:フランク・デュボスク)も、車椅子生活者のふりをしていた男が本当の車椅子生活者の女性を好きになってウソを重ねるという、ねじれた道をたどります。人をだましたり操ったりするような恋愛はシャレにならないと思うので、こういう方向性はどうも好きになれません。現実から遊離した『アメリ』は、猫のロドリーグの好きなお伽話と思って楽しむのがよさそうです。
 一方、フランス映画は、アメリの周囲の人間模様や『猫が行方不明』『巴里の空の下セーヌは流れる』などにも見られる群像劇部分の面々が生き生きとしていて、役者の層の厚さを堪能できます。
 長年地下鉄に勤めていた老人が、葉っぱに丸い穴をあけて「本当はリラの葉がいいんだが」とのたまうココロは、このブログの『リラの門』を読んだ方ならもうおわかりですよね?? 

 監督のジャン=ピエール・ジュネは、マルク・キャロと共同で監督したブラックユーモアの怪作『デリカテッセン』(1991年)で注目を浴びた人。『アメリ』の直前の作品はハリウッドでの『エイリアン4』(1997年)とは意外です。
 アメリを演じたオドレイ・トトゥは『猫が行方不明』のセドリック・クラピッシュ監督の青春映画にも出演、ルーブル美術館を舞台にした『ダ・ヴィンチ・コード』(2006年/監督:ロン・ハワード)でも重要な役を演じましたね。2009年の『ココ・アヴァン・シャネル』(監督:アンヌ・フォンテーヌ)ではファッション・デザイナーのココ・シャネル役、とフランスを代表する俳優に。この映画はもうすぐテレビ放映がありますので、あらためてお知らせいたします。

(注)引用された、画面に虫が映っている映画は、フランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』(1962年)。猫美人もタイトルバックに虫が入っている日本映画を知っていますよ。

◆関連する過去作品

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予告編 次回7月24日(水)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

アメリ』(2001年/フランス/
      監督:ジャン=ピエール・ジュネ

駅で見かけた気になる男性の落とし物を拾ったアメリ。人とかかわるのが苦手な彼女の23歳の初恋の行方は?

 

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HOUSE ハウス

友だちの伯母さんの家で次々と怪奇現象に襲われる女子高校生たち!
公開時大きな話題を呼んだ大林宣彦監督のホラー・コメディ。

 

  製作:1977年
  製作国:日本
  日本公開:1977年
  監督:大林宣彦
  出演:池上季実子南田洋子大場久美子神保美喜尾崎紀世彦、鰐淵晴子、 他
  レイティング:一般(どなたでもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆☆(主役級)
    主人公とその伯母の飼い猫
  名前:シロ
  色柄:白のペルシャチンチラシルバー


◆ラブリー・セブン

 前回は吹雪の一軒家に閉じこもった凶悪な男女8人の『ヘイトフル・エイト』(2015年/監督:エンティン・タランティーノ)をお送りいたしましたが、今回は一転、かわいい女子高生7人が夏休みに一軒家に閉じ込められて恐怖の体験をする映画です。
 『HOUSE ハウス』の一軒家は、山の上に立つ、見るからにいわくありげな幽霊屋敷タイプ。主人公の母の姉が一人で住む、土間や蔵や井戸のある古いお屋敷です。主人公の祖父はここで病院を開業していました。大林監督も代々医者の家系で、この家はもしかしたら監督の生家をモデルにしているのかもしれません。
 今回の映画も派手な流血の場面が出てきます。水に赤く着色したこわがらせ程度のものが多いのですが、リアルな描写もあり、また津波や水害を思わせる映像もありますのでご注意ください。

◆あらすじ

 8年前に母を亡くした女子高校生のオシャレ(池上季実子)は、毎年夏休みには父(笹沢左保)と別荘で過ごすのが恒例だった。けれども今年の夏休み前、父が凉子さんという美しい女性(鰐淵晴子)を再婚相手として連れて来る。父は3人で別荘に行こうと言うが、オシャレはショックで受け入れることができない。
 オシャレは6つのとき一度会ったきりの、母の姉である伯母の羽臼華麗(はうすかれい(⁉)/南田洋子)の家に父たちとは別に遊びに行くことを思いつく。高校で仲良しのメロディー(田中エリ子)、ファンタ(大場久美子)、ガリ(松原愛)、スウィート(宮子昌代)、クンフー神保美喜)、マック(佐藤美恵子)に声をかけ、7人で合宿気分で伯母の住む山の上の家に向かう。ここは母の実家だった。
 車椅子でオシャレたちを迎えた美しい白髪の伯母は、オシャレの母が嫁いだあとおばあちゃんが亡くなってから、ずっと一人で住んでいた。大きなグランドピアノが置いてあり、伯母は以前ここでピアノを教えていたと言う。満足に台所仕事などできないと言う伯母に代わり、みな手分けして炊事や掃除や布団の支度などに取り掛かる。
 やがて食いしん坊のマックが井戸で冷やしたスイカを取りに行くが、一向に戻ってこない。様子を見に行ったファンタが井戸の釣瓶を上げると、西瓜の代わりにマックの生首が現れる。ファンタが皆のところに逃げて来るが、井戸には変わった様子はなく、みんなで西瓜を引き上げて食べる。ファンタは西瓜を食べる伯母さんが口の中で目玉をしゃぶっているのを見かけたり、伯母さんが冷蔵庫に入っていくのを目撃したりするが、誰にも信じてもらえない。伯母さんはみんなを見ていたら元気が出たと、車椅子から立ち上がって踊り始める。
 ピアノの置いてある部屋でメロディーがピアノを弾くと、ピアノがメロディーの指に噛みつく。蔵に布団を取りに行ったスウィートは次々と布団に飛びかかられ、姿が見えなくなる。異変に気付いてみんなが騒ぐ中、無表情のオシャレが村の駐在所に行って来ると言ってみんなを置いて出て行くと、家じゅうの戸や窓が次々閉まり、家の外に出られなくなってしまう。
 ピアノに呑み込まれるメロディー。花嫁衣裳をまとったお化けのオシャレが現れ、残ったクンフーガリ、ファンタに家の中の物が次々と襲いかかる・・・。

◆緑に光る眼

 あらすじではふれませんでしたが、この映画に登場する猫のシロは準主役級の重要な存在。
 父を凉子さんに取られたショックで「泣きたいモード」のオシャレが、伯母に友だちを連れて遊びに行きたいと手紙を書いたとき、オシャレの部屋にいつの間にか白いペルシャ猫が出現します。「まあかわいい、おまえ、どこの子?」と、オシャレはシロと名付けて飼い始めます。
 シロは伯母さんの家に向かう列車で先に座席に座って待っていたり、伯母さんの家の最寄りのバス停に降りると方角を示したり、水先案内人のようにみんなを伯母さんのところに導きます。そしてオシャレたちが伯母さんの家に着いて門が開くと、シロは伯母さんの膝の上に乗っているのです。以前からここに住んでいましたよ、という顔をして。
 ファンタが記念写真を撮ろうと、みんなを並ばせてカメラを構えると、突然シロの眼が緑色に光り、ファンタの手からカメラが落ちて壊れてしまいます。さらに、玄関で伯母さんがシャンデリアのスイッチを入れると、シャンデリアのとがった飾りの一部が落ちて床のヤモリに突き刺さり、シロが食べるという気持ちの悪い出来事も。
 何もしなければすごくかわいい猫なのですが、この家で起きる怪現象には必ずと言っていいほどシロが関わっています。神出鬼没、怪異を起こすときはキラッと緑色に光るその目。シロの正体はまた後ほど。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆密室劇

 大林宣彦監督の長編劇映画第1作で、ユニークなのはその映像表現。それまでのコマーシャルフィルムの製作で培った、見た瞬間に人を惹きつける視覚効果をいかんなく発揮して、話題をさらってしまいました。70年代の日本映画というと、行き場のない青年層の虚無感や葛藤を描いた、難解で暗くて、「性」が出てくれば芸術、みたいなものが多かったのですが、その流れの中に突如エンタメ性を引っ提げて躍り出たこの映画は、インパクト十分。
 フィルムという「物」を使った、アニメーションとの合成、コラージュ、コマ落としや逆回転などの、からくり的な手作りの味わいには、バスター・キートンチャップリンなどのスラップスティックの時代や化け猫映画への意識が感じられます。
 一方、映画や文学がまだまだ人生の教科書として影響力を持っていたこの頃、『HOUSE ハウス』は目新しい映像表現だけの、中身のない映画と見られていたこともわたしの記憶にあります。たしかに子どもだましと言えなくもない部分はありますが、伝統を重んじる保守層からは軽く見られたものの、新しさを求める若者の口コミから評判が広がり、ヒットするものというのは、映画に限らずそういう道をたどるものですよね。
 映画の最大の強みである視覚表現をためらいなく切り拓いたアナログ的手法。昔の見世物小屋や学校の文化祭のお化け屋敷で、人を驚かせようと工夫したあの手この手にも似た素朴さ、ちょっぴりにおうアマチュアっぽさは、『HOUSE ハウス』独特の魅力です。

◆キュンです

 この映画ならではのもう一つの魅力は、かわいい7人の女子高生。高校生にしてはちょっと幼稚にも思えますが、オシャレの伯母さんの家に行く途中、吊橋を渡るときに一人一人の顔と名前の紹介が入り、テーマ音楽をBGMに笑いさんざめきながら進んでいく彼女たちを見ていると、その乙女な世界へのあこがれがふくらみ、「仲間に入れて~」「連れてって~」と追いすがりたくなる気分になってきます。「萌え」ってこういう気持ちなのかしら・・・?
 オシャレは7人の中では大人っぽい雰囲気、最初にいなくなるマックはいつも食べ物のことばかり考えている食いしん坊、夢見るタイプのファンタは、いつも一人で怪奇現象を体験してみんなに信じてもらえません。空手の得意なクンフーはその技で目に見えない魔力と戦い、そんなカッコいいクンフーが大好きなスウィート、ピアノが得意でお嬢様っぽいけれど笑えないギャグを飛ばすメロディー、科学的合理的思考の持ち主で怪奇現象を否定するガリ。大林監督作品の永遠のマドンナは、大人に成熟する前の乙女たちです。
 そして戦争への憎しみや告発も、大林監督の永遠のテーマ。父の病院の後継者となるはずだった伯母さんのいいなずけ(三浦友和)は、戦争に行って飛行機が墜落し、亡くなってしまいます。あの人は死んでいない、きっと帰って来ると、伯母さんはたった一人でこの山の上の家に住み、彼と結ばれ、花嫁衣装を着る日を待ち続けていたのです。

◆心残り

 そんな伯母さんの部屋をそっと覗いてみたオシャレは、鏡台の前で伯母さんの口紅を自分の唇にさしてみます。するとオシャレと同じ長い黒髪になった伯母さんの鏡像が現れ、オシャレは伯母さんが夢見ていた花嫁姿になってしまいます。実は既に死んでいた伯母さん。オシャレは伯母さんの魂に乗り移られ、友だちを家に閉じ込め追い詰めます。
 死者が生きている者に影響を及ぼし、コントロールするというのも、大林監督がよく使うモチーフ。猫のシロは伯母さんがオシャレたちを間違いなく自分の家に導くために、オシャレの家に送った手下。伯母さんの魂がなぜ女の子たちを襲うのかは映画を見ていただくこととしましょう。

 マックが殺られ、スウィートが殺られ、メロディーが殺られ、勇ましかったクンフーも殺られ、なぜこんな怪異が起きるのかを伯母さんの日記から突き止めようとしたガリは、押し寄せる猫のシロの血の池の中にメガネを落として何も見えなくなり、落ちて溺れてしまいます(メガネなしでは暮らせない猫美人が最も身につまされたシーン)。一番怖い目に遭ってきたファンタが最後まで残り、そしてオシャレの父の再婚相手の凉子さんもこの家に向かうのですが・・・。
 襲われる女の子たちの少しエロチックな描写もホラーの定番。オシャレを演じた当時18歳の池上季実子はヌードを披露しています。

◆シネマパラダイス

 オシャレたちが伯母さんの家に向かう道中の芝居の書き割りのような背景、そして現実との境界線上で番人をしているような、スイカ売りの小林亜星との出会いや問答には『となりのトトロ』(1988年/監督:宮崎駿)や『千と千尋の神隠し』(2001年/監督:宮崎駿)などにも見られる、異世界に入るための儀式性を感じます。
 そんなファンタジー的空気の一方で、オシャレたちが東京駅から乗り込んだ列車の乗降口で別れを惜しんでいる恋人同士が大林監督夫妻だったり、ファンタが大好きな男の先生(歌手の尾崎紀世彦)が、後から伯母さんの家に車で駆け付ける途中に、菅原文太そっくりなデコトラのトラック野郎に会ったり、ラーメンの屋台で寅さんのそっくりさんに会ったり、などのお遊びも。

 ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(1950年)や『怪猫有馬御殿』(1954年/監督:荒井良平)を下敷きにした『麗猫伝説』(1998年)を作ったように、大林監督も映画オタクと言われた方ですから、先人の映画を基にした演出がこの映画にもチョコチョコ顔を出します。
 街角で靴屋が真っ赤なトウシューズを作っているところは1948年の『赤い靴』(監督:マイケル・パウエルエメリック・プレスバーガー)から。バレエ・リュスのレオニード・マシーンが、劇中のバレエの舞台で扮した靴屋を模しています。
 オシャレが伯母さんの鏡を覗き込んだとき、鏡の中に白い布のようなものが飛んでいるように見えるのは『無法松の一生』(1943年/監督:稲垣浩)で、子ども時代の無法松が寂しい道を一人で歩いているときに見たおばけにそっくり。
 前回の『ヘイトフル・エイト』の記事の中で「セルジオ・レオーネ監督の西部劇を思わせる、音楽はレオーネ監督作品ほかの映画音楽を生み出した巨匠エンニオ・モリコーネ」と書いたら、オシャレの父は映画音楽家という設定で、イタリアから帰って来て「モリコーネよりご機嫌だってレオーネが喜んでた」などと得意そうに話すという偶然も。
 そのオシャレの父を演じたのは『木枯し紋次郎』などで知られる小説家の笹沢左保。どういういきさつでこの映画に出ることになったのでしょうね。ちなみにオシャレの名字は「木枯」・・・。

 大林宣彦クエンティン・タランティーノという個性の強い監督の作品を続けてご紹介しましたが、見る人との相性によって好き嫌いがはっきり分かれるのではないかと思います。けれども猫美人は、ダメだと思った映画でも3回見るとどこかしら愛着がわいてくる、と思っています


◆関連する過去作品

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予告編 次回7月13日(土)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

『HOUSE ハウス』
(1977年/日本/監督:大林宣彦

夏休みに親戚の家を訪れた女子高校生とその友人たち。白い猫の瞳が緑に光ると、世にも怪奇なことが起こる。

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