この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

このブログについて (はじめに)

 「猫が出てくる映画」を毎回1本、観客目線で紹介・批評するブログです。と言うと、猫の可愛さ・神秘性を堪能できる猫たっぷりの映画を期待されるかもしれません。このブログには、堂々主役を張る猫から、「あそこに出てる!」というくらい瞬間猫ショットの映画も多々・・・。というのは、「映画に出てくる猫について語る」のではなく「猫が出てくるという条件でピックアップした映画について語る」ブログだからです。
 映画について文章を書いて人に読んでいただきたい、と思いつつ、巨匠の名画のことをいまさらちょっと書いてみたところで誰も見向きもしないだろう、新作映画はSNS上で瞬時にレビューが飛び交う時代、無名の人間の批評なんて読む人いないよね、とモヤモヤする中、猫が出るとも知らずに見た映画に思いがけず登場する猫の姿に、猫好きとして喜びを感じていました。ストーリー上の必然もないのに、なぜ監督はわざわざこのシーンに猫を使ったのか・・・。私のように猫が隠れている映画を見つけたいと思っている人がいるのでは・・・。それがこのブログを書くことにしたきっかけです。
 「猫が出てくる」を条件に選ぶと、自分が普段あまり見ないジャンルの映画や、評論で取り上げられないような映画もまじってきます。選り好みせずに筆を執って、幅広い方に読んでいただけたらと思います。ただし、アニメは人間の都合で猫を自由に造形できてしまうという理由で、対象外とさせていただきます。
 あなたが猫好きでも、そうでなくても、ここで紹介した映画があなたにとって忘れられない一本になりますように。

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◆師匠からのメッセージ

 このブログの公開にあたり、映画について書くことの面白さに導いてくださった、映画評論界の重鎮・白井佳夫師匠から応援メッセージをいただきました。師匠は、東京・池袋の西武百貨店別館のカルチュアセンター「池袋コミュニティ・カレッジ」で、月2回、映画を見てディスカッションとレポート発表を行う「白井佳夫の東京映画村」を開講しております。見学もできますので、関心のある方はどうぞお越しください(TEL:03-5949-5488)。


 猫美人さんは、わたしが講師を務めた、東京芸大での特別講義や、池袋の東武カルチュアセンター(閉校)や、池袋コミュニティ・カレッジに引き継がれた『白井佳夫の東京映画村』の生徒の中で、特に切れ味のいい映画の文章の書き手で、その面白さは保証いたします。彼女のユニークな個性をじゅうぶん楽しんでください!」
                          映画評論家

                          f:id:nekobijin:20210330154037j:plain                     

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◆参考書籍
 『スクリーンを横切った猫たち』 千葉豹一郎著 2002年 ワイズ出版
 『ねこシネマ。』 ねこシネマ研究会編著 2016年 双葉社

イラスト担当:東洲斎茜丸

 

予告編 次回6月21日(金)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

時代屋の女房』(1983年/日本/監督:森﨑 東)

銀色の日傘に猫を抱いて歩道橋を下りて来た若い女。古道具屋の「時代屋」に住みついて、主の安さんは幸せと不安を一度に噛みしめる。

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アスファルト・ジャングル

50万ドルの宝石に群がった男たちが次々命を落とす。マリリン・モンローが花を添えるフィルム・ノワールの名画。

 

  製作:1950年
  製作国:アメリ
  日本公開:1954年
  監督:ジョン・ヒューストン
  出演:スターリング・ヘイドン、サム・ジャッフェ、ルイス・カルハーン
     ジーン・ヘイゲンマリリン・モンロー、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    食堂の男がかわいがっている猫
  名前:不明
  色柄:黒っぽいトラ(モノクロのため推定)

◆黒い映画

 前回はニトログリセリンの運搬をめぐるサスペンス『恐怖の報酬』の、ウィリアム・フリードキン監督のオリジナル完全版(1977年)とアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の1953年版をご紹介しましたが、今回の映画にもニトログリセリンが登場します。主人公を含む4人組の男たちが宝石を盗み出すため、金庫のドアをニトログリセリンで爆破するのです。
 1940~50年代、アメリカでフィルム・ノワールと呼ばれる特徴的なスタイルの映画が出現します。『アスファルト・ジャングル』もその代表的な作品のひとつ。フランス語で黒を意味するノワールと言うからにはフランスの映画を指すような気がしますが、従来のアメリカ映画と傾向の違う、この時期のこうした作品群をフランスの批評家がそう呼んだため、ノワールという呼び名が定着したそうです。黒っぽい画面、舞台は大都市、犯罪、運命の女、陰鬱な展開などのいくつかの特徴を備える映画を指してそう呼ぶようですが、何がフィルム・ノワールの決定的因子かという定義は明確ではないとのことです。重要なのはその空気感と言ったところでしょうか。
 このブログの中で取り上げた映画の中では、アラン・ラッドとヴェロニカ・レイクが共演した『拳銃貸します』(1942年/監督:フランク・タトル)や、ラナ・ターナーが主演した1946年の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(監督:テイ・ガーネット)もフィルム・ノワールに入ると言ってよいと思います。
 この映画のもう一つの注目はマリリン・モンロー。まだブレイク前の脇役なのですが、一目で人を惹きつけるまぶしいほどの輝きを放っています。彼女だけがノワールではないような・・・。

◆あらすじ

 アメリカ北部のとある都市。
 主人公のディックス(スターリング・ヘイドン)は強盗で小金を稼いでは競馬につぎ込んでいる。彼が出入りしている競馬のノミ屋の男のところに、ある日刑務所から出たばかりの知能犯ドック(サム・ジャッフェ)という男が訪ねてくる。彼は刑務所に入る前に計画していた50万ドルの宝石の窃盗を実行したいと考えていた。金庫破り役と、運転手と、用心棒が必要で、軍資金を提供してくれるスポンサーとして金持ちの弁護士エマリック(ルイス・カルハーン)をノミ屋に紹介してもらう。エマリックは実は破産していて、ドックたちが宝石を盗み出したら宝石を預かったふりをして外国に高飛びしようと考えていた。
 盗みの当日、ディックスも用心棒として参加する。金庫を爆破すると警報システムが作動し、警察がまたたく間に駆け付ける。ドックとディックスは宝石の金を受け取ろうとエマリックの家に盗み出した宝石を持ち込むが、エマリックが金を用意していなかったので怪しんでいると、エマリックとぐるの私立探偵が宝石の横取りを狙ってディックスをピストルで脅す。ディックスは咄嗟に探偵を撃ち殺すが、自分も脇腹を撃たれて傷を負う。ドックとディックスは宝石を持って逃げる。
 エマリックは窃盗団との関係を警察に察知されるのを恐れて探偵の死体を川に投げ捨てる。愛人のアンジェラ(マリリン・モンロー)にその夜は彼女の家にいたとアリバイの口裏合わせを頼んだが、警察にばれ、エマリックは自殺する。
 ドックとディックスは別々に逃げる。ディックスは彼を愛する女性・ドール(ジーン・ヘイゲン)と共に故郷のケンタッキーを目指し、負傷を押して車を走らせるが・・・。

◆カウンターで食事

 30代半ばくらいと見えるディックスは街角で小さい食堂を経営する同年代のガス(ジェームズ・ホイットモア)と親しくしています。強盗の後にこの店に寄り、いつものように拳銃を渡してレジスターの引き出しに隠してもらうという間柄。ガスも宝石盗みのときに運転手に選ばれ、裏社会では名の知れた存在なのでしょう。そのガスは猫好きです。
 ある夜、ディックスがガスの店に入ると、ガスがかわいがっている猫がカウンターの上で背中を撫でられながらお皿に盛られたごはんを食べています。ガスがディックスに、猫が夜になると活発になるなどと話しかけると、雑誌を眺めて休憩していたトラック運転手が「あんまり猫に食わせるな」「頭に来てひき殺したくなる」「飢えてるガキもいるのに」と、ガスを非難します。途端にガスは烈火のごとく怒り出し「猫を殺したら張り倒すぞ」と運転手をねじり上げて店の外につまみ出します。
 猫好きでない人間は、大事にされている猫を見るとねたみの気持ちが燃え上がるのでしょうか。ガスの怒りはごもっともとしても、このやり取りから見えてくるのは彼の短気で粗暴な性格。そんなガスを演じたジェームズ・ホイットモアは『ショーシャンクの空に』(1994年/監督:フランク・ダラボン)で、刑務所から仮出所後、変わり果てた世の中に適応できず自ら死を選ぶ老人の役を演じています。
 黒っぽいトラのアメリカンショートヘアと見える猫が登場するのは始まってから12分45秒頃から15分12秒くらいまでの2分半ほどです。ガスの店でのこのシーンは途中でカットをつないでいない長回し。猫は最後にガスを振り返ってニャ~ンと鳴くまで、黙々とごはんを食べ続けています。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆悲しい思い出

 主人公のディックスという男、この町で常習的に犯罪を重ねる前科者で、ガス以上に短気で粗暴。
 映画の開始早々、早朝の人っ子一人いない町を、警察無線の声を響かせながらホテル強盗の犯人をパトカーが追っています。ゆっくりとなめるように移動するパトカー、回廊のような柱の陰に隠れる長身の主人公。キリコの絵を思わせるシュールな映像。フィルム・ノワールの幕開けにふさわしい乾いた空気です。
 この映画の登場人物は根っからの犯罪性格というより、人生のどこかで良心がこわれてしまったような人たちばかりです。
 フィルム・ノワールをもじって韓国の犯罪映画群が「韓国ノワール」と呼ばれていますが、その殺伐とした描写、残虐性、犯罪者たちの悪そのものともいえる人格などに比べたら、この映画の人々は中高生のワル程度にしか見えないかもしれません。
 ディックスは、ケンタッキーで祖父や父たちが営む大きな牧場に生まれました。競走馬として有望な黒い子馬をとりわけかわいがっていたのですが、経営が行き詰まり、牧場は人手に渡ってしまいます。希望の星だった子馬も、手放さないでと親に必死に訴えましたが、売られてしまいました。絶対に牧場を買い戻してやる、と誓ったディックスがどのような歩みを経て強盗の常習犯になってしまったのかはわかりませんが、彼が有り金を競馬につぎ込んで一攫千金を夢見ているのにはそんな生い立ちが影響しています。
 ディックスは宝石泥棒には当日の用心棒としてスカウトされただけで関与は薄いのですが、宝石を横取りしようとした探偵を撃ち殺してしまったために負傷を押して逃げようとします。

◆脇が固める

 そのディックスを演じたスターリング・ヘイドン、196cmと大柄で大木のような体。この映画ではアクションと言えるほどのアクションも見せませんし、演技の点で記憶に残るものがありません。『拳銃貸します』で、やはり不幸な生い立ちの悪役のアラン・ラッドが小柄な体でキビキビと動き回り、時にはキメポーズも見せていたのとは好対照。
 スターリング・ヘイドンは、このブログで紹介した映画の中では『ゴッドファーザー』(1972年/監督:フランシス・フォード・コッポラ)と『ロング・グッドバイ』(1973年/監督:ロバート・アルトマン)に出演しています。『ゴッドファーザー』ではアル・パチーノ演じるドンの息子に撃たれ、顔面をしたたかテーブルにぶつけて倒れる悪徳警官の役。『ロング・グッドバイ』では小説家役で登場していますが、映画自体のせいでもあるのですけれど、ただヌーッと大きい人が出ていたという印象。
 『アスファルト・ジャングル』では他の俳優たちの強い個性が主役より目立っています。
 ドックを演じたサム・ジャッフェは、いかさま師っぽい顔つきで真ん丸の目玉、細い葉巻をくゆらし、怖そうには見えないけれど胡散臭いおっさんぶりで、主役を食ってしまった張本人。この映画で1950年度のヴェネツィア国際映画祭男優賞を受賞しています。
 このドック、ディックスと別れて逃げ、タクシーを拾って、途中、郊外の食堂で腹ごしらえをします。そこでジュークボックスの音楽で踊っていた十代の男女に目を留めます。お金をそれ以上持っていなかった彼らに、もっと音楽をかけなさいと小銭をあげ、女の子が選んだ曲で嬉々として踊るのを、タクシー運転手にせかされているのに1曲見入ってしまったドック。その曲の間に警官が店にいるドックを見つけ、待ち構えて逮捕します。7年も刑務所に入っていた中年男が、はやりのダンスを躍動的に踊る若い女の子を食い入るように見つめる・・・ドックを頭脳犯から一人の男に返した人間性が墓穴を掘ります。

◆適役

 悪事と悪事の間を泳いで富豪の地位を築いた大物弁護士役のルイス・カルハーンも好印象。裏の顔は全くにおわせない上流紳士ぶりに、娘ほど年の離れた若い愛人に「おじ様」と甘えさせる年相応の色気がなければならない役として、理想的なキャスティングではないでしょうか。けれど、法に明るい巨悪の主にしては、宝石を横取りして外国に逃げるなどとずさんな計画を口にするのは似合わないなあ・・・(注)。
 そして、彼の愛人アンジェラ役として登場したマリリン・モンロー。ソファの上でまどろむ肢体、肩の開いたドレス、旅行に行きたいとはしゃぐ無邪気さ、刑事に追及されてすぐ自白してしまう幼さ、のちのセックスシンボルとしての彼女の原型をここで見ることができます。彼女はこの映画の後、同じ年に公開された『イヴの総て』(1950年/監督:ジョセフ・L・マンキーウィッツ)にも新進女優役で出演しています。どちらの映画でも、初々しい中にも明日のスターを目指す貪欲な意志が垣間見えます。

◆故郷へ

 ディックスの故郷のケンタッキーを目指しての10時間の自動車での移動には、ジーン・ヘイゲンの演じるドールという女性が付き添います。ディックスが故郷の牧場への思いを語った唯一の相手は彼女。クラブで働いていた彼女は、職も住まいも失って転がり込むようにディックスのところにやって来ます。涙で黒々と流れ落ちるマスカラ、ディックスの目の前でつけまつげをはがし、体裁を気にするような間柄じゃなしとでも言いたげ。できればそのまま彼の懐に飛び込みたいという下心がありありですが、冷淡にあしらうディックス。けれども、わき腹に銃創を負った彼に代わり運転手を買って出る形で、彼女はディックスに尽くそうとするのです。ここでもスターリング・ヘイドンを補って余りあるジーン・ヘイゲンの熱演。悲劇的なラストが胸を詰まらせます。

 ラスト手前、ディックス以外の窃盗関係者を確保した警察のお偉方は、悪人たちをジャングルに逃げ込む猛獣にたとえ、市民のために彼らを野放しにしない決意を厳しい表情で語ります。ここは題名の由来と共に、犯罪や犯罪者を美化しないという当時の映画業界の自主規制のもと、悲しいラストでディックスに観客の同情が集中するのを抑えるために挿入したシーンでしょう。
 終盤に近づくにしたがい、始まりとは裏腹にウェットさが増し、どことなく松本清張原作の日本映画を見たときのような気持ちに・・・。この余韻はヒューマン・ノワールとでも呼ぶべきか。
 同じジョン・ヒューストン監督のフィルム・ノワールの代表作『マルタの鷹』(1941年)で、主役のハンフリー・ボガートが出づっぱりで長台詞を駆使、スター主導で気を吐いていたのとは趣を異にする、後を引く作品です。

 

(注)ルイス・カルハーンは『八月十五夜の茶屋』(1956年/監督:ダニエル・マン)という日米提携映画で来日中に、心筋梗塞で奈良で客死してしまったそうです(Wikipedia

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予告編 次回6月10日(月)公開予定

「この映画、猫が出てます」をご愛読いただきありがとうございます。

次回の作品は

アスファルト・ジャングル
(1950年/アメリカ/監督:ジョン・ヒューストン

宝石窃盗に加担した男は人を殺め、故郷の牧場へ逃げ延びようとする。
ブレイク前のマリリン・モンローが出演する悲劇のフィルム・ノワール

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恐怖の報酬(1977)

賞金を目当てに命がけの爆薬運搬業務に集まった無頼の男たち。ウィリアム・フリードキン監督によるオリジナル完全版を軸に、クルーゾー版にも言及。

 

  製作:1977年
  製作国:アメリ
  日本公開:1978年(オリジナル完全版は2018年)
  監督:ウィリアム・フリードキン
  出演:ロイ・シャイダーブリュノ・クレメール、フランシスコ・ラバル、アミドゥ、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    偽造パスポートを手配する男の家の猫
  名前:不明
  色柄:白に黒(キジ)ブチ?


◆切り取られた過去

 フランスの小説家ジョルジュ・アルノーによる原作小説の二度目の映画化。今年2024年4月からはNetflixで同名のオリジナル映画が配信されているそうですが、今回この作品を選んだのはそれとは関係なく偶然です。このブログのおかかえ絵師の茜丸が、イラストの準備の都合上これから取り上げる映画を早く教えてくれと、先へ先へとせかすものですから、何ヶ月も前から予定は決まっているのです。猫美人は絵師に尻を叩かれて映画を選び文章を書いているのです(涙)。
 今回取り上げるウィリアム・フリードキン監督によるオリジナル完全版とは、初公開当時北米以外では無断で30分ほどカットされて上映されていたものを監督自らの尽力で元のように復活させたもので、日本では2018年に公開されたということです。
 1975年の『ジョーズ』(監督:スティーヴン・スピルバーグ)でサメと対決する警察署長を演じたロイ・シャイダーが主役を演じ、『恐怖の報酬』を挟んで1978年に『ジョーズ2』(監督:ヤノット・シュワルツ)でも主役を務めていますので、彼の旬の時期の映画と言えるでしょう。
 1953年の最初の映画化は、フランスのアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督、俳優で歌手のイヴ・モンタン主演で、日本での一般公開は今から70年前の1954年。私は子ども時代にテレビで放映されたこの映画を見て、数々の場面がトラウマになって残るほど強烈な印象を受けました。
 クルーゾー監督の版には猫が出ていないので、フリードキン監督版を軸に両方の作品を比べてみたいと思います。なお、以下では両作品をクルーゾー版、フリードキン版と表記させていただきます。クルーゾー版も一部をカットされて上映された歴史があり、このブログで参考にしたのは148分のディレクターズ・カット版です。

◆あらすじ

 時は映画製作当時の現代。
 メキシコのベラクルスでサングラスにスーツの男(フランシスコ・ラバル)が消音ピストルで男を殺害して逃げる。
 エルサレムではゲリラが爆弾テロを起こし、若いメンバーの一人(アミドゥ)が人ごみに紛れて行方をくらます。
 パリで裕福な暮らしをしている金融関係の男(ブリュノ・クレメール)は、融資にまつわる詐欺に関わって逃亡する。
 アメリカで賭博の元締めの金を奪い車で逃げたギャング集団の男(ロイ・シャイダー)は、交通事故を起こし一人だけ逃げ出す。彼らが銃で撃った元締めの一人はマフィアの親分の弟だった。
 彼ら4人の男たちは南米のとある国の辺境の村ポルベニールにたどり着く。彼らは、ここからさらに逃亡したいと考えていたが、それには多額の金と身分証が必要だった。
 その頃、数百マイル離れたアメリカ資本の石油採掘場で反米ゲリラによると思われる激しい火災が起きる。消火のためにニトログリセリンの爆発力を利用したいのだが、わずかな刺激で爆発するニトロを現場に運搬する手段はトラック輸送しかない。石油会社は多額の賞金でトラックの運転手を募集し、4人を選ぶ。みな偽名で、アメリカのギャングだったドミンゲス(ロイ・シャイダー)、パリから流れ着いたセラーノ(ブリュノ・クレメール)、エルサレムから逃げて来たマルティネス(アミドゥ)。選ばれたもう一人はスーツの男ニーロ(フランシスコ・ラバル)に殺され、ニーロが運転手の座に収まる。
 想像を絶する悪路、障害物、二人ずつ乗り込んだ2台のトラックはやっとの思いでジャングルを進む。だが、セラーノとマルティネスの乗ったトラックはパンクのはずみで爆発、やがてドミンゲスと同乗していたニーロも途中でゲリラに襲われたときの負傷がもとで死んでしまう。
 トラックの燃料も尽き、ドミンゲスはボロボロになりながら火災現場に歩いてニトロを届ける。多額の賞金を独り占めしたドミンゲスだが、その喜びも束の間だった・・・。

◆猫にごはん 

 南米のとある国(独裁国家?)のポルベニールという村、空港と1軒のホテルがある、流れ者の吹き溜まりのような土地です。ロイ・シャイダー扮するドミンゲスは空港の荷役で働き、パリから来た通称セラーノと、イスラエルから逃げて来たゲリラ・この土地ではマルティネスは、石油会社のパイプライン建設の労働者として働いています。それぞれ金を貯めて高飛びしようとしているのですが、安い賃金で一向にお金は貯まりません。
 パリから逃げて来たセラーノは、結婚10年記念に妻から贈られた腕時計を売れば旅券や航空券代にはなるだろうと、それらをあっせんしている男の家を訪ねます。その男の家に猫がいます。
 セラーノを案内した少年とセラーノが男の家の入口から入っていくと、お皿でごはんを食べていた猫が二人に対してフギャーッと威嚇します。けれどもそれも一瞬で、すぐまたせっかちにお皿に顔を突っ込みます。室内には、家族らしい人たちのスナップ写真がピンクの壁にベタベタ貼られ、3匹の子猫とインコを描いた子ども向けの額絵が飾ってあります。その下には子どもが作った猫と見える動物の工作があり、一目で一般家庭のもぐり商売ということがわかります。セラーノは腕時計とは別に男から多額の現金を要求され、手も足も出ません。
 ポルベニールは、人間以外にも、ブタ、犬、ニワトリ、鳩、カニまで右往左往する、潜伏にはもってこいの混沌とした環境ですが、頭上を飛び交う飛行機にドミンゲスらの脱出の念は募るばかり。金、金、金が欲しい・・・。
 猫が登場するのは始まってから33分過ぎ頃です。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆謎多き男

 クルーゾー版とフリードキン版を改めて見直してみると、どちらも上映時間の前半約1時間が、トラック出発までの経緯の描き込みにたっぷり用いられています。そこまで時間をかけていながら運転手に選ばれた4人の背景は今一つぼやけている、というところも共通しています。フリードキン版はそこを頑張って説明しようと、社会背景も描こうとしているのですが、かえって半端な情報を増やし話をごちゃごちゃさせているように思います。映画としての醍醐味は、わずかな刺激でも爆発してしまうニトログリセリンの運搬のサスペンスにあり、後半に入ると4人の過去は時々影のように差し込む程度です。

 ここで、フリードキン版とクルーゾー版の比較のため、登場人物を対照させておきます(フリードキン版は(フ)、クルーゾー版は(ク)と表記)。

◆主人公
(フ)ドミンゲス(ロイ・シャイダー
(ク)マリオ(イヴ・モンタン
◆スーツ姿で空港に降り立つ50がらみの男
(フ)ニーロ(フランシスコ・ラバル)
(ク)ジョー(シャルル・ヴァネル
◆パリに住んでいた男または白い髪の男
(フ)セラーノ(ブリュノ・クレメール
(ク)ビンバ(ペーター・ファン・アイク
◆パリに住んでいた男または白い髪の男と組む男
(フ)マルティネス(アミドゥ)
(ク)ルイージ(ファルコ・ルリ)

 このうち、どちらの版でも謎なのがスーツ姿の50がらみの男です。
 フリードキン版では映画の冒頭で人を殺害しますが、プロとおぼしき行動で、何食わぬ顔でその場を立ち去ります。次に登場するのはポルベニールの空港に降り立つところですが、クルーゾー版では空港(ラス・ピエドラス)がこの男の初登場シーン。係官に金を握らせて空港の外に出るところは同じです。
 トラックの運転手に選ばれていた一人を殺して自分がおさまるという冷酷な行動を起こすのはフリードキン版のニーロ。人殺しをしたニーロのことをマルティネスが「シオニスト!」と罵ります。シオニストは、パレスチナを神との約束の地とし、この地にユダヤ人の祖国を築くシオニズムを立場とする人。ざっくり言うと主にユダヤ系の人々です。かたやマルティネスは、エルサレムで爆弾テロを行っていた、反ユダヤ主義パレスチナ・ゲリラ。二人はいまも対立の続く民族紛争の当事者同士です。ニーロをナチス残党狩りの男としている映画サイトもありますが、映画を普通に見た限りではそこまで読み取るのは難しいと思います。
 クルーゾー版では、ニーロに当たる男・ジョーは主人公のマリオと同じフランス人で、二人はすぐ打ち解けます。ジョーは喧嘩でピストルを持ち出し、かつて密輸もやっていた、どうやらその筋の人らしい。運転手に選ばれた男の一人が集合時間に遅れたとき、代わりにジョーがやって来ます。彼が何かしたのではと、みな怪訝に顔を見合わせますが、不問のままトラックは出発します。

◆生死を分けるもの

 クルーゾー版では、4人の男たちが集まった町はアメリカ資本の石油会社がのさばり、ほかにまともな仕事もない場所。外で働こうにも金のかかる飛行機しか交通手段がなく、男たちは今の暮らしを脱却したくて、危険な仕事に応募するのです。
 スーツの男・ジョーは初老にさしかかっていて、気力の衰えが隠せません。ストレスで熱を出したり、崖っぷちすれすれの木の足場を曲がろうと荒っぽい運転をするマリオから逃げ、置き去りにされそうになったりします。運転だけ俺に任せて金だけもらおうとする卑怯者、とマリオはジョーに言い放ちますが、ジョーは、報酬は運転代と恐怖に対する代金だ、俺とお前は役割を分担している、と開き直ります。
 これが『恐怖の報酬』の題のもとですが、フリードキンのオリジナル完全版では、題は『SORCERER』に改められています。
 SORCERER(ソーサラー)とは魔物・魔法使いなどを意味するそうですが、フリードキン版では男たちが乗る2台のトラックにそれぞれSORCERERとLAZAROというニックネームが付けられています。パリのセラーノとゲリラのマルティネスが乗ったトラックがSORCERER、ロイ・シャイダーのドミンゲスとニーロが乗ったのはLAZARO。LAZAROとはキリストの友人の名前で、死んだあとにキリストが訪ねていくと生き返ったそうです。
 SORCERER号のフロントのデザインは顔に見えると思っていたら、走るSORCERER号の傍らの岩壁に南米の古代文明風の魔物のような彫刻があり、その牙をむいた顔がSORCERER号にそっくりです。魔物と結び付いていたためかSORCERER号は爆発し、二人のドライバーも吹き飛んでしまいます。
 一方、LAZARO号は生を運命づけられていたと言えるでしょう。ニーロが死に、賽の河原のような場所を走り抜け、ガス欠であと一歩で動かなくなりますが、ドミンゲスは徒歩で目的を達成します。

◆どんでん返し

 パレスチナユダヤや、SORCERERとLAZAROのような、対立と緊張の構図をこの映画に持ち込んだところがフリードキン版の特徴。ドミンゲスが運転するトラックの前に裸の現地の男が飛び出してあおるのは、文明と非文明の対立を描いていると言えるでしょう。トラックが巡り合うトラブルは、いまにも落ちそうな吊橋、倒木、途中の山道で積み荷を奪おうとした武装ゲリラにニーロが撃たれるなど、外的な因子によるものです。
 一方、クルーゾー版では、4人のドライバーが内面的に分裂する様子が描かれます。マリオとルイージは、ジョーが町に来てマリオとつるんだことで仲たがいをし、そのマリオとジョーもトラックに乗ると険悪になります。もう1台のトラックの爆発によって破れたパイプラインから噴出した原油が溜まった中を進もうとして誘導していたジョーを、マリオが知っていながら轢いてしまうむごたらしさ。目的のために犠牲を顧みない人間の狂気。脚の折れたジョーを脇に乗せて励ますマリオにジョーからの返事が返ってこなくなり、たった一人になってしまったマリオは、そのとき初めてジョーの存在によって自分が恐怖から目をそらすことができていたことを知るのです。
 なおも待っているのはラストのどんでん返し。フリードキン版はドミンゲスに何かが訪れるという外的な理由で、クルーゾー版はマリオ自身の内的要因によって、結末がもたらされます。
 クルーゾー版のラスト、マリオが帰って来ると喜んだ彼の情婦が酒場でダンスを踊り出し、カーラジオで同じ曲を同時に聴きながら、二人分の報酬を手にして有頂天のマリオは・・・。

 フリードキン版は社会構造と人間の相克というテーマまで描こうとして力及ばなかった感があり、クルーゾー版は人間という実存に迫ることに徹したと言えるのではないでしょうか。『フレンチ・コネクション』(1971年)や『エクソシスト』(1973年)で大ヒットを飛ばしたフリードキン監督も、この作品では不発だったとか。フリードキン版の最後には、クルーゾー監督への献辞が捧げられています。


◆余談
クルーゾー版では、マリオの宝物として、パリの地下鉄の切符が出てきます。『リラの門』(1957年/監督:ルネ・クレール)のときに紹介したシャンソン「地下鉄の切符切り」の歌詞の、切符の「小さい穴」はこの映画でご覧いただけますよ。


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