この映画、猫が出てます

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最後のブルース・リー ドラゴンへの道

ブルース・リー没後50年。目に焼き付くコロッセオでの死闘。肉体は滅びても永遠に残る笑顔と雄姿。


  製作:1972年
  製作国:アメリ
  日本公開:1975年
  監督:ブルース・リー
  出演:ブルース・リー、ノラ・ミャオ、トニー・リュウチャック・ノリス 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    ローマのコロッセオに住むノラ猫
  名前:なし
  色柄:三毛、キジ白、黒白ハチワレなど


◆最後にあらず

 ブルース・リーの映画で最初に日本で公開されたのが『燃えよドラゴン』(1973年/監督:ロバート・クローズ)だったのと、「最後の」と冠されたこともあり、この『最後のブルース・リー ドラゴンへの道』(以下『ドラゴンへの道』と略記)は、それより後の映画のような気がしてしまうのですが、『燃えよドラゴン』の前年に製作されています。リー自身が製作、監督、脚本、音楽も手掛けたこの映画には、彼のやりたかったことがぎっしり詰まっているはず。
 ブルース・リーの本当の最後の完全出演作は『燃えよドラゴン』で、1978年の『ブルース・リー 死亡遊戯』(監督:ロバート・クローズ)は、撮影途中の1973年7月20日に32歳でブルース・リーが急死したため、代役を使って完成されました。『死亡遊戯』には実際のリーの葬儀の映像が使用されています。

◆あらすじ

 香港在住のタン・ロン(ブルース・リー)は、ローマの空港でこの地に住むいとこの女性チェン(ノラ・ミャオ)と待ち合わせをしていた。チェンが亡き父から継いで経営しているレストランが売却を迫られ、嫌がらせを受けているので助けてほしいと香港の伯父に連絡したところ、伯父はロンをよこしたのだ。ロンは中国拳法の達人だった。
 チェンの中華レストラン・上海飯店は、客が来てもチンピラたちがからんで追い出してしまうためガラガラだった。従業員の男たちはチンピラに対抗するため店の裏庭で空手の稽古に明け暮れていた。ロンがチェンの店に行くと、さっそくチンピラたちがやって来てナイフや銃をちらつかせるので、ロンが中国拳法を使って追い払う。それを見ていた従業員たちは空手を捨ててロンに弟子入りする。
 ロンに痛めつけられたチンピラのボスは、さらに多くの手下と共にレストランに乗り込んだり、ロンにスナイパーを送ったり、チェンを誘拐し脅迫状を使ってロンを香港に帰そうとしたりしたが、すべてロンに阻まれた。とうとうボスの右腕のホー(ウェイ・ピンアオ)がとっておきの切り札として知り合いの空手の達人たちを呼び寄せる。
 ホーが案内した空地には西洋人と日本人の空手の達人が待っていたが、ロンは二人を容赦なく叩きのめす。最後にロンはローマのコロッセオにおびき寄せられる。そこにはアメリカからやって来た最強の空手の使い手コルト(チャック・ノリス)が待っていた。
 ロンは彼との一騎打ちに臨む・・・。

◆猫だらけ

 『燃えよドラゴン』では、世界征服を狙う悪人ハンの猫として白いペルシャ猫が登場しましたが、『ドラゴンへの道』で登場するのはコロッセオに住み着くノラ猫たち。
 ロンがコルトとの決闘におもむき、コロッセオの周囲を歩いていると、一匹の猫が階段からロンの前に飛び出します。
 このコロッセオの周囲を歩く場面から、青空をバックにコルトが威圧的なポーズを取り、ロンが回廊を巡ってコルトに行き会うまでは現地ロケですが、回廊での戦いの場面はスタジオ撮影です。そりゃ、遺跡を壊しちゃったら大変ですからね。
 二人の死闘に猫を絡ませるというアイデアは誰が思いついたのか、決闘場面には切れ切れに猫が登場します。数えると21ショット。全部で何匹の猫が登場しているのか確実なところは言えませんが、三毛、キジ白、黒白ハチワレなど、5,6匹のようです。
 いちばんたくさん登場するのは、アップで映る白にキジブチが入った子猫。この猫と、何かにじゃれている同じくらいの年頃のキジの子猫は、ブルース・リーたちと一緒に画面に映ることはないので、スタジオ外で別に撮影したのかもしれません。
 この白キジブチ猫がギャオ~ンと叫ぶのを合図に二人の戦いが始まります。この猫はこの勝負のレフェリーか立会人という見立てでしょうか。ロンとコルトの方は、さながらローマ時代の剣闘士。戦いのクライマックス、ロンとコルトの顔のアップと交互にこの猫の顔もアップになり、三者の激しい鼓動のような打楽器の打音が重なります。
 一方、戦う二人と一緒の画面に映っている猫たちといえば、ウォーミングアップのわきをちょっとびくつきながら通り過ぎる猫や、コルトの背後の壁の割れ目でぼんやりしている猫など。虫とか小動物にはすぐ興奮する猫ですが、暴れる人間にはあまり関心がなさそうです。
 それはそうと、ブルース・リーチャック・ノリスの死闘そっちのけで、猫が出て来るショットを数えている自分・・・つくづく何やってるんだろう、と思いました・・・。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆舞台はローマ

 映画が始まると、龍の頭の形の船を漕ぐ人々の切り絵によるアニメーションと、プリミティブで肉体的な迫力を感じさせるハッ、ホッと息を合わせる掛け声。そこに「演主 龍小李」、続いて『江過龍猛』のタイトル。何か変だと思ったところで、横書きの漢字は右から読むのだと気づきました。左からに書きなおすと「李小龍 主演」と、ブルース・リーの中国名、原題『猛龍過江』。その下に『The Way of Dragon』と英語の題が書いてあるので、上の行の漢字は右から読み始め、下の行の英語は左から、と目がぐるぐるします。
 タイトルが消えると、ブルース・リーのアップ。カメラが引き、リーの演じるタン・ロンがイタリアの空港で西洋人のおばさんに物珍しそうに見つめられています。空腹なロンは空港のレストランに入るものの、メニューのイタリア語が読めず、適当に指で差して注文したら全部スープ。5皿も平らげたロンが外に出るといとこのチェンが待っていて、おのぼりさん丸出しのロンにいささかあきれた様子。ロンはスキのない武術家というより親しみやすい三枚目のお兄ちゃんです。初めはそんなロンを見くびっていたチェンやレストランの従業員たちが、ロンの中国拳法を見てすっかり見直すというのも、よくある図式です。

◆ドラゴンになるまで

 アメリカ生まれで香港に育ち、俳優の父と共に早くから子役として活躍したリーは、イギリス統治下の香港では中国系の住民は下層のままで、将来に希望が持てず不良じみていたといいます。そんなとき中国武術詠春拳の達人イップ・マンに出会い、カンフーの技術と共に人格の修行に励みます。彼は兄弟子たちをしのぐほどに上達するのですが、ねたみから母方の白人の祖母の血が混じっているリーには中国武術を学ぶ資格はないと言われ、18歳で単身アメリカに渡ります。
 アメリカで出場した武術のデモンストレーションで注目され、テレビドラマ出演につながったものの、白人の使用人役。自ら企画したカンフー映画にはアジア系の顔立ちの彼ではなく白人が主人公に選ばれたそうです。その間、彼は武術に磨きをかけ、ジークンドー截拳道)を自ら編みだします。
 そのアメリカで出演したテレビドラマが香港で評判になり、1971年に香港映画『ドラゴン危機一発』(監督:ロー・ウェイ)に主演し大ブレイク。またたくまにカンフー映画のスターとして不動の地位を築きます。(注1)

中国武術VS空手

 ドラゴンシリーズの他の名場面と比べても最も迫力があり、誰もの記憶に深く刻まれるのは、このコロッセオでのコルトとの一対一の死闘でしょう。
 コルト役のチャック・ノリスは1968年から6年間にわたり世界プロフェッショナル空手選手権ミドル級の王者。悪の手先として働き、最後には命まで失うというダーティーで損な役をよく引き受けたなと思いますが、武術の大会などを通じてブルース・リーとは友人で、リーがこの映画への出演を依頼し、同い年の二人で格闘場面のシナリオを練ったそうです。

 ブルース・リーのシナリオには、空手より中国拳法の方がいかに優れているか、という主張が強く表れています。それはこの映画だけでなく『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年/監督:ロー・ウェイ)などにおいてもそうです。
 コルトとの一騎打ちの前に西洋人と日本人の空手の達人が出てきますが、彼らを叩きのめしても中国武術が最強という証明にはならない、だから、ストーリー上の架空の空手のチャンピオンでなく、本物の空手のチャンピオンの出演がなんとしても必要だったのでしょう。
 さらにリーのシナリオは自分がアジア系のマイノリティとして白人優位の社会で味わった鬱憤を晴らすことを忘れてはいません。チャック・ノリスの豊かな胸毛をむしり取ってフッと吹き飛ばす、空手ではやらないロンのボクシングのようなフットワークをコルトが途中で真似し始めるのは、空手家をバカにしたような演出ですし、勝負に倒れたコルトの顔を空手の道衣で覆う行為は、絶対優越者としての憐憫のふるまいにほかなりません。
 空手や白人をこてんぱんにやっつけてしまうシナリオは、チャック・ノリスとの友人関係がなければありえなかったでしょう。リーの映画は黒人など差別にあえぐマイノリティが熱狂したそうです。

 いとこのチェン(ノラ・ミャオ)、イタリア人ボスの右腕のゲイのホー(ウェイ・ピンアオ)、イケメンのトニー(トニー・リュウ)など、リーの映画でおなじみの俳優たちも出演していますが、ちょっとおデブのクンというレストランの従業員の俳優名はクレジットされていなくて残念です。「おまぃ~はタン・ロンくわぁ~?」のセリフ回しで愛される日本人の空手の達人を演じたのは、韓国の俳優ウォン・インシック。

 ブルース・リーは人種などの垣根を越えて弟子を取り、アクションスターのジェームズ・コバーンスティーブ・マックイーンなども指導していたそうです。監督のロマン・ポランスキーも弟子だったとかで、妻のシャロン・ストーンが殺害されたパーティーにはブルース・リーも招かれていたけれども行かなかったので難を逃れた、ということです(注2)。

◆空手かカンフーか

 さて、『燃えよドラゴン』の記事のとき、イラスト担当の茜丸ブルース・リーの技術について特別寄稿をしましたが、今回はアメリカ映画と空手についてちょっとつぶやきたいということですので、以下のつぶやきをもってこの記事は終了といたします。

 

★ ブルース・リーの出現から、空手はカンフーに取って代わられた感があったねえ。欲得抜きでアメリカ・ヨーロッパへ空手の指導に出向いた空手家たちのことを、私は本などで読んでいたので、あの現象はあまりいい気分のもんじゃなかったなあ。

★ 彼の映画以後、アメリカ映画はアクションシーンではカンフースタイルになり、ハリウッド俳優がへたっぴいな後ろ回し蹴りなんぞをやるようになった。やれやれ・・・。

★ 本文にもあるように、ブルース・リーは映画を通して、中国拳法(カンフー)が、いかに空手よりも優れているかを執拗に描いていたよね。彼の出現以前は、打撃系武術はアメリカンカラテとか、韓国カラテとか、カラテという言葉でくくられていたように私は記憶しているけど、そういう現状に彼は相当ムカついていたに違いないね。その気持ちは分らないでもないけど、あそこまでロコツにやるかねえ。
それにしてもズイブンな人だったよね、ブルース・リーっていう役者は。

★ 『ドラゴンへの道』でも相手役のチャック・ノリスは空手家という設定だし、『燃えよドラゴン』では、悪党の子分たちは当然中国人のはずなのに、みな空手衣(らしい)のを着せられて盛大にやられ役を演じさせられていたのには、なんとも釈然としなかったなあ。

★ でも、『燃えよドラゴン』から約10年後の1984年に、青春カラテ映画の佳作『ベスト・キッド』(監督:ジョン・G・アヴィルドセン)が大ヒットしてシリーズ化もされ、4作も続いた。この時期でもまだ空手の余光は充分残っていたのかな。いや、余光なんて言い方は失礼だよね。空手は空手として確固たる地盤を固めていた、と見るべきだろうね。そうでなくちゃ映画がヒットするはずもないからね。

★ それから時を経て、2010年のリメイク版『ベスト・キッド』(監督:ハラルド・ズワルト)では、空手はカンフーに変えられていて、主演もジャッキー・チェンとなった。う~ん、これは仕方がないかな。

★ 柔道映画の名作『姿三四郎』(1943年/監督:黒澤明)のような気品のある空手映画を誰か優秀な監督が手掛けてくれないかなあ。そして、世界に発信してほしいものだ。

 

(注1)この項は、NHK「映像の世紀バタフライエフェクトブルース・リー 友よ 水になれ』」(2023年2月放送)を参考にしました。
(注2) ウィキペディアロマン・ポランスキー」を参照

◆関連する過去作品

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