この映画、猫が出てます

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マダムと女房

日本初の本格トーキー映画。ご近所トラブルが幸せを生む? 昭和初期のほのぼのとしたホームコメディ。

 

  製作:1931年
  製作国:日本
  日本公開:1931年
  監督:五所平之助
  出演:渡辺篤田中絹代、伊達里子、横尾泥海男(でかお)、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
       庭で鳴く猫
  名前:なし
  色柄:黒っぽいキジトラ?(モノクロのため推定)


◆技術革命

 2023年夏、全米映画俳優組合と、米脚本家組合が同時にストライキを行い、トム・クルーズが新作のプロモーションで来日する予定が中止になったりと、波紋を呼びました。この記事の公開時点ではまだ収束の気配が見えず、長期化するのではないかと言われています。
 理由の一つが、ネット配信などによる収益が出演者などに還元されるべきであるという主張、もう一つの理由が、AIの導入により実演者や脚本家の仕事が奪われるのではないかという危機感によるものです。俳優の姿をスキャンし、AIによってその人が実際に演じていない映画に無制限に利用されてしまえば、俳優は実演する道が閉ざされてしまいます。脚本も生成AIが作るようになり、どんな脚本家よりずっと面白いものが安く早くできてしまうかもしれません。
 猫美人のブログも、映画についてネット上に広がるあらゆる言説を総合して紹介・評価の決定版をAIが作ってしまったら、もはやお払い箱。しかもその一部に猫美人の意見が無断で使われていたりしたら悔しいじゃありませんか。

 さて、映画の歴史を振り返ると、このAI革命と同じような大事件がいまから百年近く前に起きています。それが、サイレント(無声映画)からトーキー(発声映画)への移行。世界初のトーキーとされるアメリカ映画『ジャズ・シンガー』(1927年/監督:アラン・クロスランド)から約4年、日本の技術による日本映画初の本格トーキー映画として『マダムと女房』は公開されました。記念すべき国産トーキー第一作のほんわかムードの陰で、映画の周辺で起きた変化とは?

◆あらすじ

 昭和初期の郊外の新興住宅地。画家(横尾泥海男)が道端でイーゼルを立てて風景画を描いていると、劇作家の芝野新作(渡辺篤)が口笛を吹きながら通りかかる。二人にはちょっとしたいさかいが起き、顔に絵具をつけられた新作は銭湯から出て来た美人に風呂に入るよう勧められる。
 後日、新作は画家が描いていた洋館の隣の日本家屋の貸家に妻(田中絹代)と二人の子どもを連れて引っ越した。家計がピンチの折、新作は上演料500円の劇の脚本に取り掛かろうと机に向かうのだが、ネズミや猫が騒いだり、子どもの夜泣きがもとで夫婦喧嘩をしたり、昼は昼で押し売りが来たりで一向にはかどらない。
 そのうち隣の洋館から騒々しいジャズの演奏が聞こえてきたので、文句を言おうと新作が隣家を訪ねると、出て来たのは先日銭湯の前で出会ったマダム(伊達里子)だった。彼女はジャズバンドのシンガーで、今日は遅めに稽古を始めたと言い、劇作家の芝野先生ですね、と新作にビールをふるまう。新作はバンドの連中たちと一緒になって飲んで踊って、マダムと仲良くしているところを窓越しに女房に見られてしまう。
 帰ってから女房ににらみつけられ「私にも洋服を買ってちょうだい!」とせがまれた新作は、不眠で脚本書きをスピードアップする・・・。

◆猫まね

  日本映画初の本格トーキーとあって、この映画にはわざとらしいくらい(いえ、わざと)、色々な音が収められています。
 タイトルバックには行進曲「星条旗よ永遠なれ」。アメリカを象徴するこの曲がなぜ選ばれたかは不明なものの、明るく楽天的に始まってタイトルが消えると、映像に先んじてチンドン屋さんの鉦と太鼓の音が入ります。続いて、ほとんど人通りのない郊外のぽつりぽつりと家が建つ原っぱの道をソロのチンドン屋さんが歩いて行く映像。観客は、チンドン屋さんの響きという日本そのものを思わせる音と映像のシンクロにさぞかし感動したことでしょう。なお、日本ではこの前年の1930年に『ジャズ・シンガー』が公開されています。

 引っ越しを終え、夜中に劇の脚本に取り掛かろうとする新作。失敗した原稿用紙をくしゃくしゃと音を立てて丸め、なかなか集中できないでいると、天井裏をネズミがチューチューと走り回ります。新作はすかさず猫のふり。わざわざ四つん這いになって「ニャ~オ」「ニャ~オ」と鳴きまねをしますが、そのうち窓の外で本物の猫が喧嘩の唸り声を立て始めます。追い払おうと、新作は窓を開けてタバコの缶を猫に向かって投げつけます。声の主は、まだあどけない黒っぽい子猫。縄張り争いの太い唸り声は別途用意した録音で、あまりに声と姿が不釣り合い。今の映画でも猫が不安なときに出す声が全くそぐわない場面で使われていたりしますので、猫語がわかるスタッフの養成は昔からの映画界の課題と言えましょう。
 ここが唯一の猫登場場面。始まってから18分少したったところです。新作が猫の鳴き真似をするのはそれより1分ちょっと前。寝ていた女房が「うるさいドラ猫ね!」と言っているように、なかなか上手です。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆幸せはここに

 実に他愛ない、罪のない映画です。映画の出来とか良さとかではなく、こういう温和な題材を映画に描けたということそのものに驚きます。
 日本髪に着物で、子どもを抱え、新作に口やかましく、金がない、仕事をしろ、子どもをおしっこに連れて行け、と言う所帯じみた女房。対照的にストライプのワンピースで脚線美をちらつかせ、昼間からビールを飲んでジャズを歌い、ダンスを踊る隣のモダンなマダム。「うちの女房とはえらい違いだな~」と目をパチクリさせ鼻の下を伸ばしている新作を見て女房が目を吊り上げ、手に持ったかんざしを怒りのあまりぐっと押し曲げ・・・。劇中歌「スピード時代」「スピード ホイ」を、マダムを演じた伊達里子とジャズバンドが演奏。そのスピード感ある非日常を経験したあと、新作の筆は目覚ましく進みます。この部分には説明の字幕が挿入されます。
 ラストシーンでは、女房は日本髪を耳隠しという髪型に変えて、洋服こそ着てはいませんが洋風のショールを着物の上に羽織り、新作と子どもたちと、買い物包みを持って原っぱの道を帰って来ます。空にはプロペラ機がブーンと飛び、みんなで歌うのは、マダムの家から聞こえて来た「狭いながらも楽しい我が家」の歌詞で知られる「私の青空」。新作の原稿料が入って家族そろってお出かけし、噛みしめるささやかな幸せ。
 当時の観客にしてみれば、憧れの大スター・田中絹代の声や歌を初めて聞くことができたわけですから、それだけで大興奮だったのではないでしょうか。わが白井師匠(久々の登場)から聞いた話では、田中絹代が夫の新作を「あなた~」と呼ぶのが評判になって、世の妻たちがこぞって夫を「あなた~」と呼ぶようになったとか!? この映画は1931年度のキネマ旬報ベストテン第1位となりました。

◆弁士の演出

 サイレント時代、日本では活動弁士が一人で登場人物の声色を出し、楽士が音楽を奏でたりしていたのですが、活動弁士はただ声色を使っていただけではなく、映画会社から配布される資料をもとに自分のアイデアで映画を潤色、同じ映画でも弁士によって違ってしまうという現象が起きていたのです。日本では純粋なサイレント映画は存在しなかった、と言われるゆえんで、映画そのものではなく弁士の人気が客の入りを左右したそうです。トーキーへの前段階にはスクリーンの裏で役者がセリフを言ったり、セリフの音声がなく音楽が付いたサウンド版という形式も存在しました。
 日本では、『マダムと女房』の前に、溝口健二監督による『ふるさと(藤原義江のふるさと)』(1930年)がトーキーとして製作されていますが、途中で字幕が挿入されるパート・トーキーと言われるもので、『ジャズ・シンガー』もパート・トーキーだったそうです。これは歌手・藤原義江自身の役での歌唱が主となる映画で、録音の出来を好意的に評価する人もいれば、弁士の語りに比べて何を言っているのかよく聞き取れない、という批判もあったとか(注)。
 『マダムと女房』は開発者の土橋兄弟の名をとった土橋式松竹フォーンと言われる技術を使っていて、マダムのジャズの歌詞以外、差し障りがあるほど聞き取りにくい部分はあまりないと思います。

◆受難の人々

 トーキーが本格化、活動弁士や楽士が抵抗を試みるも次第に映画館から消える一方、深刻な悩みを抱える俳優たちも。
 ミュージカル映画雨に唄えば』(1953年/監督:ジーン・ケリースタンリー・ドーネン)に描かれたのは、サイレントからトーキーに移行する時期のハリウッド。ジーン・ケリー演ずる無声映画の人気スターは、声のトレーナーについてトーキー化に対応しますが、いつもコンビの人気女優はキンキン声。彼女に代わってデビー・レイノルズキャリー・フィッシャーのお母さん)が演ずる新進女優が吹き替えしたり歌を歌ったりと、声の悪い俳優が居場所を失っていく様が面白おかしく描かれます。
 なまりのある俳優や無声映画で育まれたイメージとかけ離れた声の俳優も同様で、グレタ・ガルボと『肉体と悪魔』(1926年/監督:クラレンス・ブラウン)で共演し、私生活でも恋人同士だったというジョン・ギルバートなどは、外見と声との不釣り合いのため人気が落ちて消えて行き、1936年にアルコール依存症が原因の心臓発作で亡くなってしまったそうです。
 サウンド版のサイレント映画を模して作られたミシェル・アザナヴィシウス監督の『アーティスト』(2011年)もこの時期のハリウッドを舞台にしていて、ジョン・ギルバートによく似た無声映画の大スター(ジャン・デュジャルダン)が主役です。この主人公はトーキーを嘲り笑って時代に取り残され、自分で無声映画時代のフィルムに火をつけて自殺を図ろうとします。
 この大スターがいつも犬を連れていて、映画にも一緒に出演したり、お約束通り主人のピンチを救ったりと、それはそれはかわいい。誰かAIで猫に替えてくれないかな?

◆新たな流れと

 日本の無声映画の花形、剣戟(けんげき)映画の大スター阪東妻三郎もイメージに似合わぬ甲高い声で一時人気がガクッと落ちたと聞きます。トーキー化は、AI同様ある種の職業や人を追いやる技術革新だったわけですね。
 『雨に唄えば』に描かれているように、アメリカではトーキー化後、豪華なミュージカル映画ブームが花開きます。日本では弁士の存在や設備投資の問題もあり、トーキー化は緩やかに進んだようです。チャップリン小津安二郎のように、無声映画にしばらくこだわった監督もいます。

 『マダムと女房』に話を戻すと、新作の渡辺篤はバイプレーヤーとして時代劇を中心に活躍し、黒澤明監督の映画にもよく出演、最後の映画も黒澤監督の『どですかでん』(1970年)です。
 田中絹代は、いつもよりコワイ顔が目立ちます。役名はないはずなのに、新作に「お~い、絹代」と呼ばれているのがおかしい。
 隣のマダムの伊達里子は、小津安二郎監督の無声映画によく不良役で登場。これらの作品でも洋装のモガ。グラマーでほかにない存在感のある人です。
 薬の押し売りは、真面目な脇役が多い日守新一。目の周りにあざがある黒ずくめの不気味な男の役ですが、この男、ドイツ表現主義無声映画カリガリ博士』(1919年/監督:ロベルト・ヴィーネ)に出て来る夢遊病の殺人鬼・チェザーレをモデルにしているに違いありません。
 『カリガリ博士』を見ると、絵画や写真、舞踊などの視覚表現が言葉を持たないことによって芸術として昇華しているように、無声映画はその表現において純粋に芸術性を志向、トーキーと異なる頂点を目指していたと思えます。。

 五所平之助監督は、派手さはありませんが、市井の人々の心情を細やかに描いた作品を生み出しています。面白かった、という瞬発的な印象を残すのではなく、見たあとずっと引っかかっていて、何年もたってからもう一度じっくり確かめたくなる、そんな作風です。代表作『煙突の見える場所』(1953年)にも猫が出ていますので、また、いつか・・・。

 

(注)サイレントからトーキーへの移行期の日本映画については『映画館と観客の文化史』(加藤幹郎著/中公新書/2006年)を参考にしました。

 

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