この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

チャップリンの黄金狂時代

雪山に金鉱を求めて荒くれ者が集結する。山高帽にドタ靴のあの男も・・・。伝説のギャグが次々飛び出す永遠の名作コメディ。


  製作:1925年
  製作国:アメリ
  日本公開:1925年
  監督:チャールズ・チャップリン
  出演:チャールズ・チャップリンジョージア・ヘール、マック・スウェイン、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    ダンスホールに入り込んだ猫
  名前:不明
  色柄:キジトラ?(モノクロのため推定)


◆作曲家チャップリン

 1925年にサイレントとして誕生したこの映画、その後1942年にチャップリンの手でナレーションと音楽を加えたサウンド版が作られました。いま『チャップリンの黄金狂時代』と言うと、このサウンド版を指すことになるそうです(以下、『黄金狂時代』と略記)。チャップリン自身がナレーションを担当したばかりでなく、テーマ曲など、全編に流れる音楽にも彼の作曲によるものが使われています。彼は『街の灯』(1931年)など、他の多くの監督作品にも自分自身の作曲による音楽を付けており、温かみと哀感あふれるそれらの音楽が彼の映画にぴったりマッチしているのも道理でしょう。『モダン・タイムス』(1936年)の「スマイル」は、のちに歌詞もつけられ、多くのアーチストにカバーされた名曲です。
 初期の短編も含めデジタル修復されたチャップリン映画も増えました。監督、主演、脚本、作曲、プロデュースと、彼の天才ぶりをあらためて見てみたいと思います。

◆あらすじ

 アラスカの雪山に黄金を求めて多くの男たちが押し寄せていた。不屈の孤独な探検家(チャールズ・チャップリン)も一人で山道をさまよっていた。
 吹雪に襲われ、探検家はとある山小屋を見つけて入り込む。そこはお尋ね者のブラック・ラルセン(トム・マーレイ)の隠れ家だった。探検家は出て行けと脅されるが、そこに近くで金鉱を発見したビッグ・ジム(マック・スウェイン)も風に飛ばされてやって来る。ビッグ・ジムはラルセンの銃を奪い、山小屋を仕切る。
 食料が尽き、ラルセンが食べ物を探しに外に行っている間、二人は空腹のあまり靴を食べようとしたり、幻覚を見たり。運よくやって来たクマを仕留め、山小屋を後にして別れる。
 ラルセンはビッグ・ジムの金をみつけ、横取りしかけたが足元が崩れて墜落。ビッグ・ジムは彼との格闘で記憶喪失になり金鉱の場所がわからなくなってしまう。
 鉱山のふもとのダンスホールで、ジョージアジョージア・ヘール)という女性が働いていた。ジョージアはそこにやって来た探検家を、彼女に気のある客のジャック(マルコム・ウェイト)へのあてつけにダンスの相手に選び、探検家はのぼせ上ってしまう。
 探検家はダンスホールの近くの小屋の留守番を頼まれ、そこにジョージアが友だちと偶然立ち寄る。ジョージアは彼の気持ちに気付く。女性たちはからかい半分で、大みそかにまた遊びに来ると約束して帰る。
 大みそか、ごちそうとプレゼントを用意して待つ探検家。待てど暮らせどジョージアは来ない。新年を祝う騒ぎを耳にし、探検家はそっとダンスホールを見に行く。はしゃいでいたジョージアは探検家のことを思い出し、友だちと小屋に駆け付けるが、誰もいない小屋できれいに支度されたテーブルを目にし、すまない気持ちでいっぱいになる。
 年が明け、探検家がダンスホールにやって来ると、ウェイターからジョージアからの会って謝りたいという手紙を受け取る。そこにビッグ・ジムが来て、あの山小屋へ行って金鉱の場所を思い出したい、お前を億万長者にしてやる、と探検家を引っ張っていく。探検家はジョージアを見つけ、戻ったらあなたを迎えに来ると誓うが・・・。

◆猫VS犬 

 ジョージアにダンスの相手に選ばれ、天にも昇る心地の探検家。踊る人々の中でひときわみすぼらしい服装です。踊り始める前、ジョージアの写真が落ちているのを見つけ、こっそりポケットにしまおうとすると、一人の男性客がじっと見ています。彼もぼろい身なりで、探検家に目覚めた恋心を見透かしたように「あきらめな」という表情です。ところがジョージアが探検家と踊り始めたものだから彼はびっくり。ぎょろっとした目がいまにもこぼれ落ちそうに見開かれます。そんな彼に探検家は帽子をちょこっと上げてご挨拶。
 ダンスの途中で探検家のベルトが切れ、ズボンをたくし上げて踊りながら手ごろな縄をみつけ、ベルト代わりに。縄の先に大型の犬がつながれているのに気づかず踊っていると、犬もついて来るので怪訝な顔の探検家とジョージア。そこに猫が飛び出して来て犬が猫を追いかけたので、探検家はひっくり返ってしまいます。
 猫が出てくるのは上映時間の真ん中少し前のこの場面だけ。
 犬がからむギャグは、ブラック・ラルセンの山小屋でも登場します。山小屋にはラルセンのお供のかわいい犬がいます。食料が尽きたとき、ビッグ・ジムが外に出て犬がついて行くと、ビッグ・ジムだけが戻り、いま何か食べたばかりのように口をクチャクチャさせています。犬が食べられてしまったと思った探検家、口笛を吹いて犬を呼びます。呼んでも来ないのでいよいよ心配になり表に見に行くと・・・。

 チャップリンの映画を見ると、彼のギャグは非常に綿密な計算の上に演出されていることがわかります。そんな演出術の中で、人間の指示通りに動いてくれる犬は大事な役割を与えられることが多いようです。猫ももうちょっと言うことを聞いてくれればもっと起用されたのではないかと思いますが、このダンス場面に登場する猫も期待通りの動きをしなかったためか、歩くところだけを別に撮ったカットが挿入されています。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆笑いの宝庫

 『黄金狂時代』を通して見たことがない人も、どこかでそのギャグの抜粋やパロディを目にしたことがあると思います。
 特に面白いのが山小屋での「飢え」にまつわるギャグ。先ほどの「犬が食べられちゃった?」のほかに、有名なのが靴をゆでて食べるシーン。靴ひもを取りわけ、釘が並んだ靴底と革の身の方に分けると、力の強いビッグ・ジムが身の方を取り上げます。探検家が釘をまるで骨付きチキンの小骨のようにしゃぶると、なんだかおいしそうに見えてきます。
 空腹のあまり幻覚を見るようになったビッグ・ジムが探検家をニワトリだと思って追い回す場面は、かなりブラックです。それと察した探検家がナイフを隠したり、猟銃を雪に埋めたり。19世紀に現実にあった入植団・ドナー隊遭難事件をヒントにしたようですが(注1)、飢え以外でも、金を求めて山に入った者同士で血なまぐさい事件もあったのだと思います。このニワトリの着ぐるみを着ての動きがまた実に巧み。脚が鶏並みに細かったら本物に見えたのではないでしょうか。
 大みそかジョージアたちを待ちくたびれて眠ってしまった探検家の夢の、ロールパンをフォークに突き刺して足に見立てたダンス。そして終盤、ビッグ・ジムと探検家が再び戻って来た山小屋が崖っぷちで落ちそうになるスペクタクルとドタバタ。重さのバランスが変わるとギッと小屋が傾き、絶体絶命。ドリフターズもよくこのような仕掛けをギャグに使っていたな、と思い出し、世界中のお手本となるギャグを生み出したチャップリンの偉大さが今さらながらしのばれます。

◆笑いとペーソス

 山小屋でのドタバタ的な笑いの世界は、ジョージアとの出会い以後、ほろ苦さを含んだものに変わります。先ほどのパンとフォークのダンスの夢が物語るのは、探検家の道化的な哀れさ。
 山高帽にチョビひげにジャケット、だぶだぶズボンにドタ靴にステッキというおなじみのチャップリンのスタイル。はにかんだようにぱちぱちとまばたきして上目遣いで微笑む表情。憧れの女性に捧げる無償の純愛、そして貧しさ。けれども、そうした弱者である彼は、権力者や金持ちを相手にひょうひょうと戦い、そこに笑いが生まれます。
 『黄金狂時代』前後のチャップリン映画のヒロインも、卑しい身分でありながら心は純粋で、真実の愛に気づける賢さを備えた女性として描かれます。彼らと同じように貧しく虐げられた観客も、こうしたチャップリンの描く人物たちに自分を重ね、励まされていたのではないでしょうか。けれども、スクリーンの明かりが消えるとともに厳しい現実が待っています。だからこそ、チャップリンの映画の多くは、めでたしめでたしの高揚感では終わらないのではないかと思います。
 ラストによく描かれる、どこへとも知れず歩いて行く後ろ姿。それは社会から締め出された弱者のものです。けれども卑屈さは感じられません。つまらない世を捨て自ら旅立つ姿です。表情はわかりません。泣いているのか、笑っているのか。彼の映画に漂うペーソスに、これほどふさわしい締めくくりはないでしょう。

◆放浪の紳士

 チャップリンは、のちには『モダン・タイムス』や『チャップリンの独裁者』(1940年)など、ギャグによる風刺を試みるようになっていきます。『チャップリンの独裁者』の最後の演説は、力による現状変更が世界を脅かす今こそ、耳を傾けたい言葉にあふれています。演説の部分だけでもインターネット上で読んだり動画を見たりできますので、ぜひご覧になってください。
 1889年にイギリスに生まれた彼の生涯は、移民、第一次大戦大恐慌、第二次大戦、そして大戦後の反共主義によるいわゆる赤狩りによってアメリカから追放されるなど、歴史の波にもまれる劇的なものでした。作品にはそれらの社会の変化が色濃く反映されています。アナログ全盛期に世界を笑わせ、泣かせたあと1977年に世を去りました。チャップリンは激動の20世紀を象徴する人物だったと言えるでしょう。

 チャップリンと言うと誰もが思い浮かべるあのキャラクター、「放浪紳士チャーリー」像が完成したのは、チャップリン研究家の大野裕之氏によれば1918年の『犬の生活』(監督:チャールズ・チャップリン)だということです(注2)。これには『ウンベルトD』(1951年/監督:ヴィットリオ・デ・シーカ)のフライクのようないじらしい名犬が登場します。この映画も紹介したいのですが、残念ながら猫が出ていないので、次回からは犬が主役で猫が出てくるチャップリン以外の映画をご紹介したいと思います。


(注1、2)
チャップリン 作品とその生涯』(大野裕之著/中公文庫/2017年)
 チャップリンについての記述は本書を参考にしました。

 

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