この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

新婚道中記

妻の浮気を疑った男が未練タラタラの大暴れ。ついでに妻までヘンになって・・・。爆笑のスクリューボールコメディ。

 

  製作:1937年
  製作国:アメリ
  日本公開:1938年
  監督:レオ・マッケリー
  出演:アイリーン・ダンケーリー・グラント、ラルフ・ベラミー、
     アレクサンダー・ダーシー、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    山小屋の猫
  名前:不明
  色柄:黒(モノクロのため推定)


いい夫婦の日

 11月22日は語呂合わせで「いい夫婦の日」ということで、今回は思わぬトラブルが起きるもハッピーエンドを迎える夫婦のコメディ映画を取り上げます。
 『新婚道中記』と聞けば、ハネムーン中の夫婦が旅先で遭遇する騒動を描いた映画を想像すると思いますが、誰が付けたかこのタイトル、「新婚」でも「道中」でもない見当はずれな代物。原題は『The Awful Truth』なので直訳すれば「恐るべき真相」となりますが、これもちょっと内容が伝わりにくい。妻の不貞を疑ってやきもちを妬く夫と、疑われたことに腹を立てた妻の、意地の張り合い。新婚と言うより離婚をめぐる映画なのですけれど・・・。

◆あらすじ

 ジェリー(ケーリー・グラント)は、妻のルーシー(アイリーン・ダン)にフロリダに行くと嘘をついて、地元のカリフォルニアで何日も遊んでいた。帰ってみると朝なのにルーシーがいない。ほどなく、目いっぱいおしゃれしたルーシーがハンサムな男性を連れて帰って来る。ルーシーは、声楽のアルマン先生(アレクサンダー・ダーシー)だと紹介し、歌の生徒のパーティーの帰りに先生の車で送ってもらう途中、車が故障し、二人で安宿に泊まったのだと言う。浮気の疑いを抱いたジェリーはアルマン先生を追い出し、ルーシーはルーシーで、ジェリーが告げていた行き先がウソだったことに気づく。喧嘩の末、二人は離婚を申し立て、裁判で離婚は90日後に成立と決まる。ルーシーは家を出てホテル住まいとなる。
 二人が可愛がっていた犬のミスター・スミスは妻のルーシーが引き取り、ジェリーはミスター・スミスに2週間に一度面会する権利を得て、ルーシーの部屋を訪れる。ちょうどそのとき、ルーシーの叔母が引き合わせたダン(ラルフ・ベラミー)という男性がルーシーの部屋に来ていた。ルーシーはダンに、あと59日で離婚する予定の夫のジェリーだと紹介する。ダンとルーシーは離婚が成立したら結婚しようと考えていたが、ダンの母親がルーシーの離婚の原因は彼女の不貞の疑いと聞いてきて、雲行きが怪しくなる。
 一方、声楽のアルマン先生とルーシーとの仲を疑い続けているジェリーは、二人の密会と勘違いして先生の自宅で開かれたサロンコンサートに乗り込み、大失態を演じる。
 ルーシーはそんなジェリーを本当は愛していることに気づく。ダンとの結婚を断ろうと考えていたとき、ダンと母親の目の前で、成り行き上たまたまルーシーの寝室にいたアルマン先生とジェリーが喧嘩しながら飛び出してきて、ダンとの結婚はご破算となる。
 さらに今度は、大富豪の令嬢とジェリーが結婚かという新聞のゴシップ記事を読んだルーシーが二人の婚約の場に現れ、大ヒンシュクの大暴れ。
 離婚の成立が数時間後に迫る中、ジェリーとルーシーは、警官のバイクに乗せてもらって(?)ルーシーの叔母が誘った山小屋に泊まる・・・。

◆犬が持って行く

 大谷翔平選手の大リーグ2度目のMVP受賞で急にトレンド入りした犬。おめでとうと言わんばかりのハイタッチにみんなメロメロになりましたね。あのシーンは誰がプロデュースしたのか!?
 どんな形でもよいので猫が出て来る映画を対象としてこのブログを書いている猫美人としては、猫のライバル・犬の達者な演技に舌を巻くことがしばしば。この映画でもジェリーとルーシーの愛犬、ミスター・スミスに脱帽です。
 まだルーシーとジェリーが独身だった頃、ペットショップで彼を気に入った二人の縁結び役を果たしたミスター・スミス。得意なのは人が隠したおもちゃを探し出すゲーム。椅子に前足をついてその間に顔を埋めて、おもちゃを隠すところを見ないようにするかわいいしぐさには悶絶必至! 離婚調停でルーシーがミスター・スミスの養育権をズルして勝ち取り、ジェリーが定期的にミスター・スミスに面会する権利を得て、二人が顔を合わせるときに起きるドタバタの陰の立役者です。
 一方、猫の方はラスト近く、ルーシーとジェリーが泊まった山小屋に登場します。離婚成立まであと1時間を切り、ルーシーが眠ろうとするベッドの上に黒猫が寝そべっています。ルーシーが追い払った後、ルーシーとジェリーは間に木のドアがある続き部屋で眠りにつこうとします。強風のあおりでドアが自然に開いてしまい、ジェリーがそれにかこつけてルーシーに仲直りのきっかけを作ろうと話しかけますが、軽くあしらうルーシー。一旦は引っ込んだものの意を決してジェリーが自分からドアを開けようとすると、今度はドアが開かない。さっきの黒猫がドアストッパーのようにドアの前で寝そべっていたり、ジェリーが開けようとすると反対側から前足でドアを押していたりしていたのです。犬が縁結びをする一方、猫は邪魔をする・・・やっぱり猫は意地悪キャラなのか? 猫の登場は83分頃です。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆アヒルのスープ

 男女のカップルを軸にスピーディな会話と、野球のスクリューボールのように先の読めない展開で笑わせるスクリューボールコメディ。無声映画時代のドタバタ喜劇(スラップスティックコメディ)に代わって、1930~50年代のアメリカで流行したそうです。代表的な作品は『或る夜の出来事』(1934年/監督:フランク・キャプラ)や、やはりケーリー・グラントが主演した『赤ちゃん教育』(1938年/監督:ハワード・ホークス)など。
 『新婚道中記』もその一つだそうですが、正直言って初めて見たときは全然笑えませんでした。タイトルに騙されてのんびりしたロードムービー的展開だと思っていて面食らったのと、大量のセリフに疲れてしまったからです。
 けれど、同じレオ・マッケリー監督の『我輩はカモである』(1933年)を見たあとは、その笑いの球筋がちょっと読めるようになりました。
 『我輩はカモである』の原題は『Duck Soup』。朝飯前とかの意があるそうですが、タイトルバックには文字通り、何羽もの生きたアヒル(duckはカモまたはアヒル)が鍋の中で泳いでいて、その鍋が火にかかっている映像が流れます。やがて鍋の水が湯になってきたのか、アヒルたちの動きがちょっと激しくなってきます。悪ふざけもさすがにここで止めてくれたはずですが、いわゆる「ゆでガエル」現象を思わせる映像です。生きたカエルをいきなり熱湯に浸けるとびっくりして逃げるけれど、水に入れて徐々に温めていくとその変化に気づかず、ゆだって死んでしまうというもの。
 この頃は、ちょうどヒトラー率いるナチ党が政権を握り、ファシズム色がどんどん濃くなっていった時期で、『我輩はカモである』は、ヒトラーファシズムを風刺したと思われる強烈なギャグが満載の映画です。ゆでガエルならぬゆでアヒルは、気づかないうちに徐々にファシズムの空気に染まっていく危険性を遠回しに表したものかもしれません。主役は1910年代から主に舞台で活躍していた4人兄弟のコメディアン・マルクス兄弟。あまりにもスピーディで、ナンセンスで、毒があって、フィジカルで、騒々しくて、脳みそをかき回されるよう・・・!
 この時代の観客には少し冗談がきつ過ぎたのか映画はあまりヒットしなかったそうですが、21世紀の人々に大ウケ、2022年のイギリス『タイムアウト』誌が発表した「史上最強のコメディ映画ベスト100」の第19位に輝いているそうです(注)。
 その『我輩はカモである』を監督したレオ・マッケリー。「カモ」に見られる破壊的なパワーが『新婚道中記』にも脈々と受け継がれていることがわかります。

◆ウツるんです

 『新婚道中記』の前半は、比較的普通の展開。レオ・マッケリー監督の本領が発揮されるのは後半です。
 ルーシーがアルマン先生に、ジェリーには内密で泊まった日の潔白をジェリーに説明してほしい、と自分の部屋で話していた最中にジェリーが訪問し、あわててアルマン先生を寝室に隠す。ジェリーと話していると、今度はルーシーに結婚を申し込もうとダンが母親を連れてやってきたため、ジェリーがルーシーの寝室に隠れる。鉢合わせしたジェリーとアルマン先生がルーシーの寝室から喧嘩しながら飛び出し、当然ダンのプロポーズは白紙・・・という展開はかなり強引ですが、ギャグに持って行くためには少々手荒な手段を使ってでも、というレオ・マッケリー監督の力技にねじ伏せられ、笑わされてしまいます(本記事のイラストは、この間、ルーシーがアルマン先生の帽子をジェリーから隠すと、ミスター・スミスが隠し物探しの遊びだと思って大はしゃぎの図)。
 そして、ジェリーが大金持ちの娘と婚約しそうだと知ったとき、それまでまともだったルーシーが突如変貌。ジェリーの下品な妹を装って、前にジェリーと見たホテルのショーの、スカートが風でめくれて下着が丸見えになる女芸人の真似をして婚約をぶち壊しにかかるのです。
 もはや監督の血が「こういうギャグがやりたいんだ!」と騒いでしまって、周囲の誰も止めることができない模様。「カモ」の監督のさすがの無茶ぶりに、よく頑張った、アイリーン・ダン
 映画はさらに怒涛の勢いでラストに突入します。これからどうなっちゃうの、と「カモ」を知っている人はハラハラしてしまうと思いますが、そこは夫婦もの映画、あとはご想像にお任せ・・・とばかり、スイートなエンディングです。

◆色々な顔

 レオ・マッケリーは、キャリアのスタートがコメディですが、コメディ専門の監督ではありません。ビング・クロスビーが主演した、教会を立て直し人々を助ける牧師の物語『我が道を往く』(1946年/アカデミー賞7部門受賞)、小津安二郎監督の『東京物語』(1953年)に影響を与えたと言われる『明日は来らず』(1937年)などの感動的なヒューマンドラマもレオ・マッケリーのものです。ケーリー・グラントとデボラ・カーによる恋愛映画『めぐり逢い』(1957年)は、かつてアイリーン・ダンが主演した『邂逅(めぐりあい)』(1939年)のリメイク。幅の広さで「レオ・マッケリー監督らしさとは」が見えにくい気もします。まだ見ていないのですが『人生は四十二から』(1935年)という映画もタイトルからして気になっています。
 『新婚道中記』でレオ・マッケリーは1937年のアカデミー監督賞を受賞。作品賞へのノミネート、アイリーン・ダンと、ダンを演じたラルフ・ベラミーがそれぞれ主演女優賞、助演男優賞にノミネートなど、華々しい成功を収めますが、監督は同じ年の『明日は来らず』の方に賞を与えてもらいたかったようです。

 そして、ケーリー・グラント。このブログの『泥棒成金』(1955年/監督:アルフレッド・ヒッチコック)のときに、グレース・ケリーブリジット・オーベールのことばかり書いて、ケーリー・グラントのことはスルーしてしまったので、ようやくここで不義理を果たすことができます。
 おしゃれでリッチなアメリカのプレイボーイといった外見的イメージのある彼ですが、どこかしらユーモラスに感じる温かさがあって、コメディ映画によく出演しています。ヒッチコック監督作品にも4本主演していて、『北北西に進路をとれ』(1959年)の飛行機に追いかけられるシーンが有名。名だたる美女俳優たちの相手役をこなし、またそれにふさわしい「美男子」でした。最近の映画にはこういう人、見られなくなりましたね・・・。

(注)Wikipedia「我輩はカモである」を参照。

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