伝説の老女優の化け猫映画を作るために接近した若いシナリオライターが彼女のとりこに・・・。
大林宣彦監督の映画愛溢れるミステリー。
製作:1983年
製作国:日本
日本公開:1983年(劇場版:1998年)
監督:大林宣彦
出演:入江たか子、入江若葉、柄本明、風吹ジュン、大泉滉、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
女優がかわいがっている猫
名前:不明
色柄:黒
その他の猫:主人公の恋人が拾う黒の子猫
◆火曜サスペンス
前回の難解な映画からガラッと方向を変え、今回はお茶の間向け娯楽作品。実はこの映画、映画館上映用の映画として作られたのではなく、1981年から2005年までテレビで放映されていた「火曜サスペンス劇場」の100回記念として作られたテレビ映画なのです。
1998年に劇場版として公開されたそうですが、2020年の大林宣彦監督の死去後に発売されたDVDは火曜サスペンス版。テレビ放送のCM前のアイキャッチ画像と音楽も当時のまま挿入され、岩崎宏美の歌うテーマ曲「家路」とも相まって、一定年齢以上の人には、はるか、ノスタルジィ・・・。
まだこの放送当時は、家庭用ビデオ機の規格もVHSかベータかで揉めていた頃で、録画を持っている人もほとんどいないはずです。
一般的に映画に使用される35ミリフィルムではなく、16ミリフィルムを使用した荒い映像もクラシックな趣き。けれども顔のアップも多いですし、あの当時の一般家庭のテレビ画面のサイズ感(20インチ台が主流だったかと・・・)に合わせた構図は、映画館のスクリーンだとどんな風に見えたのでしょうか。
そんなところも一つの味として、リラックスして楽しめる95分のまぼろしです。
◆あらすじ
(役名はDVDの表記を使用)
198X年、瀬戸内市。かつて日本のハリウッドと言われた「瀬戸内キネマ」のプロデューサー(坊屋三郎・平田昭彦)は、芸能ルポライターの立原(峰岸徹)のスクープで、30年前に謎の引退をした大女優・竜造寺明子(りゅうぞうじあきこ/入江たか子・入江若葉の二人一役)が、瀬戸内海の孤島に今も変わらぬ美貌で住んでいることを知る。
プロデューサーたちは彼女を復帰させようと、新進脚本家の志村良平(柄本明)に彼女が主演の化け猫映画のシナリオを書くよう話を持ちかける。良平は、明子から自分のそばでシナリオを書くように言われ、かつて明子をスターに育て上げた元映画監督の水森(大泉滉)が明子にかしずきながら二人で暮らしている孤島の屋敷にやってくる。瀬戸内キネマでスクリプターとして働いている良平の恋人・陽子(風吹ジュン)は、不安でいっぱいだった。
いつしか良平は身も心も竜造寺明子のとりこになり、シナリオの中間報告のためげっそりとやつれた姿で瀬戸内キネマに現れる。明子は、かつての黄金時代に共演した俳優の田沼譲治(柄本明/二役)を愛していたが、捨てられそうになって逆上して殺し、正気を失ってしまっていた。その譲治にそっくりな良平を見て、譲治が戻って来たと錯覚し、再び恋の炎を燃え上がらせたのだった。
何かにとりつかれたように島に戻って行った良平を心配した陽子が島に忍び込むと、明子は良平にぴったりと寄り添い、水森が陽子を拷問する。陽子が良平の部屋に助けを求めて駆け込むと、良平を抱いている竜造寺明子の老いた本当の姿を見る。陽子は逃げ出して瀬戸内キネマに異変を知らせる。
良平がシナリオを書き終え、瀬戸内キネマに届けに行こうとすると、明子は化け猫に変身して良平が出て行くのを止める。良平を譲治と呼びながら・・・。
◆化け猫三昧
日本の興行界の慣例に倣ってお盆は怪奇物、と、一昨年、昨年は、化け猫映画をご紹介しました。一昨年は『怪談佐賀屋敷』(1953年/監督:荒井良平)で鍋島、昨年は『怪猫有馬御殿』(1953年/監督:荒井良平)で有馬、と来れば、今年は日本三大化け猫騒動のあと一つ・岡崎を描いた『怪猫岡崎騒動』(1954年/監督:加戸敏)を選ぶべきなのでしょうが、荒井監督による前2作に比べると、どことなく怪奇趣味でマンネリ感があり、今回は化け猫女優と侮辱的なレッテルを貼られながらも映画女優として生き抜いた美貌の入江たか子や、『怪猫有馬御殿』、さらにはかつての映画人たちへのオマージュとして作られた『麗猫伝説』を取り上げることにしました。
このブログの『怪談佐賀屋敷』『怪猫有馬御殿』の記事をまだ読んでいない方は、この二つの記事で化け猫映画と入江たか子についてざっと予習してから読み進めてください。
・・・前置きが長くなりましたが、『麗猫伝説』に登場するのは黒猫。竜造寺明子の屋敷で明子に飼われています。ほぼいつも明子に抱かれているか、部屋の中にいるかで、注意して探さなくてもたびたび登場します。魔女の黒猫のように、化け猫女優だった明子のお供と言っていいでしょう。
もう一匹登場する黒猫は、ラスト近く、良平の恋人、風吹ジュン演じる陽子が出会うノラ猫です。黒猫なので明子のことを思い出してそのまま捨て置きそうなものですが、陽子は「あんたも迷子なの」とほほ笑んでかごに入れ、自転車で連れて帰ります。
けれども、この作品では猫は影が薄い。映画や演劇ではどんな名優も子どもと動物にはかなわない、と言われますが、『麗猫伝説』では入江たか子と入江若葉の母娘化け猫に、本物の猫もたじたじです。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆遥かなる悲歌
舞台は架空の瀬戸内市、とありますが、ロケ地は大林宣彦監督のホームグラウンドである尾道。大林監督は、1980年代に『転校生』(1982年)『時をかける少女』(1983年)『さびしんぼう』(1985年)の、尾道を舞台にした尾道三部作と言われる少年少女が主人公の郷愁をそそるような映画などでヒットを飛ばしました。大林映画からは原田知世、富田靖子などの女性アイドルが輩出。『麗猫伝説』はその尾道・大林ブームのまっただ中で誕生したわけですね。
けれども『麗猫伝説』は、大林映画に喝采を送った若者たちではなく、オールド映画ファンのための物語です。伝説の老女優を主人公とし、そのモデルとなった入江たか子と、実の娘の入江若葉の二人で一人の女優・竜造寺明子を演じさせ、映画の冒頭に現れるのは「遥かなる映画に捧げる悲歌(エレジー)」の字句。
「○十歳未満には、○十歳以上の人の助言・指導が必要」な映画でしょうか? この作品が作られてからさらに40年がたってしまった今では、なおさらです。
◆映画史を飾る人々
戦前の無声映画の時代から、その美貌でファンをとりこにした入江たか子。『麗猫伝説』の、明子の屋敷に所狭しと飾ってある美女のブロマイドは往時の彼女のものです。その雲の上の大スターだった入江たか子が、1950年代になってキワモノ映画で化け猫を演じたとき、ファンはさぞ驚いたことでしょう。
竜造寺明子が最後に出演した未完の映画という設定で、瀬戸内キネマの二人のプロデューサーが見ているフィルムは、入江たか子が主演した化け猫映画の第二弾『怪猫有馬御殿』。櫓に登った入江たか子の化け猫に坂東好太郎演じる有馬大学が矢を放つクライマックス・・・と見ていると、あれ、坂東好太郎じゃなくて柄本明? 劇中劇で、竜造寺明子は入江若葉、明子が愛した田沼譲治は柄本明が演じ、プロデューサーたちが見ていたフィルムでは、化け猫の部分は元の入江たか子が演じた『怪猫有馬御殿』を、矢を放つ部分は柄本明が演じた新しいフィルムを使っているわけです。元の『怪猫有馬御殿』を見ていないと、気づきませんね。
竜造寺明子は70歳になろうという年齢。本当の姿は老いた入江たか子の方であるはずなのですが、譲治を思い続ける明子の発する念が、周囲の人に30年前と変わらぬ若い姿(入江若葉)と錯覚させてしまっている、という設定でしょう。
その竜造寺明子を大女優に育て上げたのが、孤島で彼女の下僕のようにして暮らす元映画監督の水森。この人のモデルは溝口健二監督に違いありません(溝口健二監督と入江たか子については、繰り返しますが、まだの方は『怪談佐賀屋敷』の記事をお読みください)。ただし、外見は全く違いますからね。
昭和の映画・テレビでコミカルな脇役として鳴らした大泉滉を厳格な水森の役にもってくるなど、これもオールドファンをおぅ、と言わせるキャスティングです。
◆忘れられた女優
ここまで読んで、これはビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(1950年)と思った方もいらっしゃるはず。
グロリア・スワンソン演じる無声映画時代のハリウッドの大女優の屋敷に借金の取り立てから逃げた若い脚本家(ウィリアム・ホールデン)が迷い込む。そこには、彼女を大女優に育て上げた元映画監督(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)が、彼女の執事として二人きりで暮らしている。脚本家は屋敷に住み込んで彼女がカムバックを目指して書いたシナリオを手直しし、いつしかヒモになってしまう・・・。
忘れられた大女優、元映画監督の執事、脚本家を愛する明るい女性、ラストに至るまでそっくりですが、これは大林宣彦監督が、映画という虚構の世界に身を投じた人々への共感とオマージュとして、その設定を借りたものでしょう。明子が陽子と良平と水森とで庭でテーブルを囲んだときに、昔来たハリウッドからのお客様として名を挙げたグロリア・スワンソン、セシル・B・デミル(映画監督)、バスター・キートン(喜劇俳優)、ヘッダ・ホッパー(映画コラムニスト)は、皆『サンセット大通り』に本人の役で出ています。
『サンセット大通り』で、グロリア・スワンソンは、カムバックの夢を抱くプライド高き大女優役ですが、無声映画期特有の大げさな表情や手のポーズは、この大女優がもはや時代遅れの存在であることを示しています。『麗猫伝説』の入江たか子は、竜造寺明子の現実の姿として老醜を表すという役です。二人とも、自己パロディとして自分自身をむごたらしく観客の前に投げ出しているのです。その女優魂。
執事役のエリッヒ・フォン・シュトロハイムは、徹底した完全主義の映画監督として『愚なる妻』(1922年)『グリード』(1925年)など、予算を無視した超大作を作り続け、作品を短くされたり、映画会社を解雇されたりし、ついに監督業を諦めざるを得なくなった人です。
『麗猫伝説』は、そこまでして映画に生き、映画に魂を奪われた人たちに大林監督が共感と哀惜を寄せた作品です。
◆映画は夢
化け猫の要素が加わって、『麗猫伝説』はビリー・ワイルダーの世界とは異なる、説話的な情緒を帯びました。
陽子が島に潜入してからは、アニメーションと実写が合成されるなど、「映像の魔術師」と呼ばれる大林監督らしいアイデアが続々。陽子より先に島に潜入していた芸能ルポライターの立原が、映画フィルムにがんじがらめになって口からフィルムを吐き出しながら死んでいたり、安っぽい猫のシルエットが障子を跳んだり、まじめに怖がらせようとしているのか遊んでいるのか、これぞ大林ワールド。陽子が水森からムチで拷問を受けるシーンは、いまのテレビでは放映できないと思います。
見せ場はやはり、入江若葉が化け猫となって猫の手つきで良平を操るところ。母のたか子の化け猫映画と同様に、お囃子がバックに流れ、アクロバティックに翻弄される良平・・・けれども、『怪猫有馬御殿』の「飛ぶ生首」を超えるような映像は登場しません。当時の限られた技術の中で、生首を飛ばすという画期的な演出を生み出した荒井良平監督に対し、大林監督が一歩下がったと見えるところです。
大林監督は『時をかける少女』でも、入江たか子と入江若葉を出演させ、入江たか子とその夫役の上原謙への敬意を表しています。監督の、役者あるいは被写体に対する感情というものは、不思議と画面から伝わるものです。
たかが映画、されど映画。お客さんをあっと言わせるためにひねり出されたウソや誇張があふれる、怪しげで、そんなことが好きな変わり者が集まって、汗と涙で築いた世界。
けれども、これは映画への讃歌ではなくて悲歌。70年代から80年代、映画業界はかつての輝きを失い、倒産、再編、風前の灯の状態でした。それでもなお夢を捨てずに映画に人生を捧げるおバカさんたちが、瀬戸内キネマの周辺にはウヨウヨしています(昭和の懐かしいスターがいっぱい!)。
対照的に映画バンザイと、お祭り騒ぎのような『蒲田行進曲』(監督:深作欣二)が製作・公開されたのは『麗猫伝説』の前年の1982年だったことを申し添えておきます。
最後に『麗猫伝説』の名セリフのひとつ、水森監督の言葉を・・・。
「真実はいつでも映画の夢の中にのみあるのだ」
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