何不自由ない家庭に育った若者の出生の秘密。彼と彼を取り巻く人間模様を鮮やかに描く青春文芸大作。
製作:1958年
製作国:日本
日本公開:1958年
監督:田坂具隆(たさか ともたか)
出演:石原裕次郎、北原三枝、川地民夫、芦川いづみ、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
高木家の飼い猫、田代家の飼い猫
名前:高木たま、田代クロ
色柄:白にわずかな茶のブチ=たま 黒=クロ
(モノクロのため推定)
◆3度の映画化
『陽のあたる坂道』は、今回の1958年のもの以外に、1967年と1975年にも映画化され、テレビドラマとしても2度放映されています。1967年の映画は西河克己監督、主役カップルは渡哲也と十朱幸代で、同じ日活映画。1975年は東宝で、吉松安弘監督、三浦友和・檀ふみという顔ぶれです。新しい2作は上映時間2時間を切りますが、この田坂具隆監督版は3時間29分! 石坂洋次郎の原作小説をかなり忠実に映画化したものではないでしょうか。
けれども、噛んで含めるような描写、特別な技巧を凝らさずよく整理された運びと、この映画でデビューした川地民夫など若いスターたちの魅力で、長さを感じさせない、題名通りの爽やかな青春ものとなっています。日本映画を語るうえで一度は見ておきたい作品です。
◆あらすじ
アルバイトで社長令嬢・田代くみ子(芦川いづみ)の家庭教師になった女子大生の倉本たか子(北原三枝)は、初めてその豪邸を訪れたとき、玄関先で二男の信次(石原裕次郎)の無礼なふるまいに気を悪くする。明るく率直な高校生のくみ子は、幼い頃の怪我がもとで少し足を引きずっている。長男の雄吉(小高雄二)はどこかブルジョア気取りの美男子で、医者の卵。母のみどり(轟夕起子)の自慢とのことで、信次とは対照的だ。たか子は家族のように迎え入れられ、雄吉とお互いに好意を持つが、信次にはいつもからかわれてしまう。
ある日、たか子はくみ子に誘われて、ジャズ喫茶にくみ子がファンだというジミー・池田の歌を聴きに行く。登場したジミーは、たか子と同じアパートに母と二人で住んでいて、たか子と親子ぐるみで親しくしている18歳の高木民夫(川地民夫)だった。ステージ後、三人は一緒に食事をし、くみ子と民夫は意気投合する。
信次が偽悪的にふるまうのは、田代家の母は自分の生みの母ではないと気づいてのものだった。信次は父親から、実の母は芸者をしていた染六という女性だと聞き出し、それを信次から聞いたたか子は、染六は民夫の母のトミ子(山根寿子)だと気づいて「あなたのお母さんらしき人を知っている」と信次に告げる。
正月、信次はアパートにトミ子を訪ねるが、部屋には民夫だけで、いきなり兄だと名乗って追い払われる。トミ子が帰ってから再び信次が訪ねたとき、民夫は留守で、民夫の友だちと思いこまれるままトミ子と近所の人と新年会を楽しんでいたが、帰った民夫にまたも追い出されてしまう。
田代家の母は信次と二人きりのとき、くみ子が子供の頃に足を怪我したときのいきさつを問いただす。表向きは信次がその原因を作ったことになっていたが、本当は雄吉のしわざだと母は見抜いていた。
その頃雄吉は、くみ子と一緒にたか子の故郷でスキーを楽しんでいたが、足を捻挫して入院。見舞いに来たたか子にプロポーズする。たか子は喜びつつも雄吉の口づけを避けてしまう。
ある日、信次がチンピラ風の男たちに、ファッションモデルの女を妊娠させて捨てたとゆすられる。雄吉と人違いされたのだが、雄吉は信次がやったことにして母から手切れ金を出させようとする。雄吉のしたことと見抜いた母に詰問されても、自分がやったと言い張る信次。
信次は、またもトミ子と民夫の部屋を訪ね、自分がトミ子の子であり民夫の兄であると名乗りを上げたが、民夫から兄とは認めないと激しく拒絶されてしまう。くみ子は二人を和解させようと、たか子と一緒にある計画を実行する。その日、たか子は自分が愛しているのは信次だと気づく・・・。
◆猫の縁結び
戦後の混乱もようやく収まった昭和20年代終わり頃から30年代になると、映画の中にしばしば非常に裕福な家庭が登場するようになります。大方の場合、主人は社長で、家は洋館、広い庭があり、犬を飼っています。庭に泥棒などが侵入したとき、それを家人に吠えて知らせる番犬が必要だったのです。大雑把に言うと、この頃の映画で犬は金持ちのシンボル。この田代家でも四畳半くらいの広さの金網の小屋を庭に建てて、グレートデンのバロンを飼っています。さらに、家の中には真っ黒でフサフサのペルシャ猫のクロもいます。
一方、田代家の主人との間に信次を成した、元芸者の染六こと高木トミ子と、その後別の男性との間に生まれた民夫は、木造アパートの1Kの部屋で、たまという雑種の日本猫を飼っています。田代家と高木家の格差は猫によっても表されているわけですが、くみ子と民夫が仲良くなったのは飼い猫談議がきっかけ。クロがバロンのエサを横取りした話、たまがお酒を飲んで酔っぱらった話で、二人は大盛り上がり。
このたま、まだ幼さの残る若猫で、こたつから出てきたり、新年会で歌い踊る人間たちを棚の上から見おろしていたり、ところどころで素朴な愛らしい姿を見せてくれます。ある晩、風呂屋から帰ってきたトミ子が布団にもぐりこんだときに、先に寝ていた民夫が「おかあちゃん、やろうか」と言うと「ああ、もらうよ」とトミ子が答えます。すると民夫が自分の布団からたまを出して母に渡すのです。寒い冬の夜、湯たんぽ代わりのたまをいつもこうしてやりとりしているのでしょう。寄り添って生きてきた母子の情愛が、こんな描写から伝わってきます。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆太陽の二人
人もうらやむ裕福な家庭にも欠けているものがある。家族のモラルであったり、不和であったり、病であったり、金銭では満たされない精神的な幸福の欠乏である、と、貧しい人のルサンチマンをベースにしたようなドラマや小説や映画が、昭和中期には多かったように思います。その少し前には、貧しい母が子どものために自己犠牲を捧げる、という母もの映画の流行があったわけですが、『青い山脈』などの青春群像劇を得意とした作家の石坂洋次郎は、そうしたブルジョアの不全感と母ものの要素を小説『陽のあたる坂道』にまとめ上げ、それが映画としてビジュアル化されたのです。
注目したいのは、主役カップルを演じたのが石原裕次郎と北原三枝という点です。この二人は1960年に結婚し、1987年に石原裕次郎が亡くなるまで添い遂げたのですが、二人は1956年の映画『狂った果実』(監督:中原康)で出会いました。先日亡くなった裕次郎の兄の石原慎太郎原作の『太陽の季節』(1956年/監督:古川卓巳)で端役デビューした裕次郎は、2作目の『狂った果実』で主役を演じます。北原三枝の恵梨という女性を高校生の弟(津川雅彦)と奪い合い、恵梨は二人をもてあそぶという内容で、これらの映画の風俗を真似した若者たちが「太陽族」と呼ばれ、性的に逸脱した行動を取ったりして社会問題になったのですが、その主役を演じた二人が『陽のあたる坂道』で、正反対の清潔でまっとうな若者を演じたわけです。
◆イメージチェンジ
批判に応じて太陽族映画の製作はとりやめになった一方、石原裕次郎の人気はうなぎ上りだったとか。『陽のあたる坂道』までの間に『嵐を呼ぶ男』(1957年/監督:井上梅次)など18本の映画に出演して日活の看板スターとなるのですが、彼が『狂った果実』の直後に出演したのが、同じ石坂洋次郎原作・田坂具隆監督の『乳母車』(1956年)。『陽のあたる坂道』の信次以上に真面目な役で大人に説教までするのですが、彼の太陽族イメージを払拭するためだったことは間違いないでしょう。これを受けて『狂った果実』の悪女・北原三枝とともに、より清新にイメージアップを狙ったのが『陽のあたる坂道』だったのではないかと思います。
それにしても、1956年7月の『狂った果実』から、1958年4月の『陽のあたる坂道』まで、2年足らずの間に20本もの裕次郎出演映画が公開されていたとは、当時の映画の人気産業ぶりを物語る数字です。
◆瞼の母
自分はこの家の母の子ではない、本当の母に会いたい、と願う信次が悪ぶっているのは、自分が何をしても家族は自分を見放さないだろうかという、家族たちを試す眼差しゆえです。けれどもひねくれて見える信次は正直なだけで、根性の腐っているのは一見完璧な兄の方、というのはよくある図式ですが、この映画は兄弟の歪んだ関係をじめじめと描かないことで古めかしさを免れています。
田代家の母・みどりは、自分の生んだ雄吉がエゴイストで、失策はなんでも信次になすりつけるということを知っていながら雄吉を表立って責めないでいます。それは、田代という家がバラバラにならないように、この家に存在する欺瞞を欺瞞と知りつつ維持しようと覚悟しているからです。夫の不貞や、雄吉の不始末を苦に泣き崩れてもよかろうという立場ですが、この家の鎹(かすがい)たる自分の役割を果たそうとするプライドには、あっぱれと感服させられます。
信次を産んだトミ子の方は、ほかに頼る親戚もないのだから、信次のような兄がいてくれるとどんなにお前が助かるかと民夫に諭す、母ものの母。女一人で辛酸をなめてきたトミ子の経験が生むアドバイスです。
一方、信次はトミ子たちと一緒に暮らすつもりはなく、今まで通り田代家に身を置くことにしています。そんな信次がいきなりトミ子たちの前に現れて、あなたの子です、兄です、と名乗るのは軽はずみすぎると思いますが、そんな無茶を裕次郎の陽性のキャラクターが吹き飛ばしてしまっている感じがします。
そして、往時の日活お得意の劇中歌、川地民夫の歌は決してうまくありませんが、この長尺の映画の実に軽快なアクセントとなっています。
◆ヒューマニスト田坂具隆
田坂具隆監督は1930年代から、置かれた場所で懸命に生きる善良な人間を描いた映画を多く残しています。2022年4月で生誕120年。戦争中は戦意高揚映画も作りましたが、日中戦争時に撮影した『五人の斥候兵』(1938年)や『土と兵隊』(1939年)は、戦争賛美と言うよりは、兵隊たちの人間性をあぶりだそうとする視線が感じられ、どちらもヴェネツィア国際映画祭で受賞しています。
その田坂監督は、広島で被爆しています。闘病後、1949年の『どぶろくの辰』で復帰、その後、『雪割草』(1951年)、自らが被爆者であることを背景に『長崎の歌は忘れじ』(1952年)を撮って再び闘病生活に入ります。1955年に感動作『女中ッ子』で返り咲き、『乳母車』『陽のあたる坂道』へと続きます。
誠実で地味な作風は、人目を引くものではありませんが、普遍的な人間のあり方を描くことで、万人の心を打ち、時代を超えて伝えられるべき映画を残した監督と言えると思います。
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