佐賀・鍋島家を舞台に繰り広げられる化け猫騒動。やっぱり怖い日本のホラー。
製作:1953年
製作国:日本
日本公開:1953年
監督:荒井良平
出演:坂東好太郎、杉山昌三九、入江たか子、沢村國太郎、南條新太郎、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆☆(主役級)
龍造寺家の飼い猫
名前:こま
色柄:三毛
◆お盆は怪談
一昔前まで真夏になると、テレビで心霊特集とか、怖い話をするタレントが登場しましたが、最近はこの手の番組はあまりやらないようですね。夏だからゾッとする怪談によって暑気払いをするという意味もありますが、そもそもお盆の時期に怪談をやるという習慣は、江戸時代の歌舞伎から始まったそうです。最も有名な鶴屋南北原作の「東海道四谷怪談」の初演は1825年。真夏の暑い時期は夏枯れ、お客さんの出足が鈍るころなので、怪談物で客寄せを図ったというのです。その流れを汲んで、怪談映画は昭和のお盆・夏休みの風物詩となっていました。四谷怪談・化け猫ものは視覚的な見せ場も豊富。何度も映画化されています。
◆あらすじ
世継ぎに恵まれない鍋島丹後守(沢村國太郎)は、次席家老の磯早豊前(いそはやぶぜん/杉山昌三九)の発案で側室選びの催しを開いた。豊前は、妹の豊(とよ/入江たか子)が選ばれ世継ぎを産めば、自分が権勢を手にできると目論んでいたが、丹後守が見染めたのは上席家老・龍造寺家の冬(伏見和子)だった。冬は小森半左エ門(坂東好太郎)と恋仲で、龍造寺家は鍋島家との以前からの関係もあって側室入りを断り、丹後守は豊を側室に迎える。
冬の兄の龍造寺又一郎(南條新太郎)は失明していて名前だけの家老だったが、冬の側室入りを断ったのを気にして、殿のご機嫌うかがいに碁を打ちに城に出かけて行く。しかし、龍造寺家を潰せば自分の地位が上がるとたくらんだ豊前のはかりごとで、又一郎は丹後守に切られ、遺体を城内の古井戸に投げ捨てられてしまう。
又一郎が行方不明になり、母(毛利菊枝)が念仏を唱えていると、又一郎がかわいがっていた猫のこまが又一郎の血のついた頭巾とともに現れ、続いて又一郎の亡霊が自分が殺されたことを伝え、恨みを晴らすよう言い置いて消える。母はこまに復讐を託して自害し、こまが母の血をピチャピチャとなめる。
豊前の偽りで龍造寺家は取りつぶしとなり、一方、豊が懐妊する。その頃から丹後守と豊前の身辺に怪異なことが起きるようになる。城内に化け猫のうわさが広まり、怪しい猫と又一郎の亡霊にさいなまれ、丹後守は乱心、命すら危うくなっていく。やがて、豊も怪しいそぶりを…。お家の危機に半左エ門は…。
◆こまちゃんmyラブ
主役級から瞬猫まで、私がこのブログで取り上げようと思っている映画の出演猫で、一番のお気に入りがこの「こま」です。とても素朴な和猫というところが好きなのです。路地やお寺の階段で毛づくろいしていたり、寝ていたりする、どこでも見かけるそこらへんの猫です。芸能界ずれしていないところがいいのです。
特に素人臭さを感じるのが時々カメラ目線になってしまうところ。役者はやっちゃいけないことですが、こまちゃん、ふとこっちと目が合っちゃうんですね。それと、平然とカメラの前を横切るところ。又一郎役の南條新太郎は盲目という役柄で目をつぶっているからか、こまを抱くとき、そこを持ったら痛いだろうなと思うところを持ったりするのですが、そう思ってこまの顔を見ていると、案の定うう~んというような顔をする。そういう自然なところがかわいくて、怖いシーンで登場してもかわいくて、かわいくて。怪談映画なのにデレデレしている自分はいかがなものか…。
もちろん、当時は動物にそこまで求めなかったという時代性もあるでしょうし、最近の映画でも猫は撮影中にはこまのような生の姿を見せているとは思いますけれど、美しく立ち居振る舞いのスマートな近年のタレント猫たちは、たとえて言うならハリウッドスター。私にはこまのような純朴な和猫が好みのタイプなのです。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆発端はお家騒動
この映画、タイトルバックが不思議に怖いです。睡蓮の葉の浮いた池の表に雨が降り、そこに「怪談佐賀屋敷」のタイトルがかぶり、セットの庭木に降り注ぐ雨をバックにスタッフ、キャストの文字が並び、最後に再び睡蓮の池に戻って監督の名前が出るという、ほとんどなんの工夫もないものなのですが、時代がかったオーケストラの音色と合わさり、なんとも不気味な雰囲気を漂わせています。龍造寺又一郎が殺された夜に降っていた雨。この日を境に怪異は始まります。
この物語は、実際に佐賀藩に起きたお家騒動をもとにしています。もともと佐賀(肥前)は、戦国大名として龍造寺家が治めていたのですが、父・政家の病弱により家督を継いだ四男高房がわずか5歳だったため、家来にあたる鍋島家が実権を握ったそうです。それが徳川幕府によって鍋島家が佐賀藩の大名と定められ、主家であった龍造寺家が鍋島家の臣下になってしまいます。その屈辱がもとで成人後の高房が自殺、あとを追うように父が亡くなったあと、鍋島家の二代目藩主が病で悶死、高房の亡霊の仕業と噂され、鍋島家のお家騒動として歌舞伎や講談の題材になっていったようです(諸説あります)。化け猫はいつ、どうやって加わったのか…?
この映画で、龍造寺家の冬を側室に迎えたいという申し入れに、母と兄が「正室ならまだしも側室という妾の身分では」と断るのは、もともと家格は龍造寺家が上だったという背景があるからです。
◆六三の黒
鍋島丹後守も、龍造寺又一郎も、これらの史実をヒントに作られた架空の人物ですが、話を面白くするために出てくるのがお約束の悪役・磯早豊前。
鍋島家は過去の経緯から龍造寺家に敬意を払い、上席家老に据えています。磯早豊前は次席家老。彼にしてみれば、目が見えず、得意の囲碁で殿の相手を務めるだけで、家老としての仕事をしていない又一郎が自分より上の位にいるのが面白くありません。妹の豊を側室にと企画した催しでも、殿のお目に留まったのは龍造寺の冬、というわけで、ますます又一郎が目障りになってきます。豊前は、丹後守と又一郎の碁の手合わせの最中、又一郎が中座する間に、又一郎の決め手となる石を取り去り、又一郎が戻ってくると、殿の石をそこに置かせるよう仕向けます。又一郎がそこには自分の石があるはず、と主張すると、丹後守が自分がごまかしたと言うのか、と怒って又一郎に刀を抜き、豊前がとどめを刺す、という時代劇お得意の展開。
目の見えない又一郎がどうやって囲碁を打つのか、というと、石を置く目を仕切り役に告げて置いてもらい、相手の目を仕切り役が読み上げ、それを全部記憶していく、というわけです(まったく、囲碁や将棋の強い人の脳はどうなっているのか)。豊前にそそのかされて丹後守が自分の黒の石を置こうとした目が「六三」。殺された又一郎が投げ込まれた古井戸から「六三の黒~」という声が聞こえたり、丹後守の枕元で「六三の黒~」という声がしたり。驚いて丹後守が見ると、又一郎が絶命したときに倒れ伏した碁盤の上にこまが乗って、丹後守を暗闇からじっと見つめています。
◆おちょやん大暴れ
側室に上がった豊が懐妊し、祝いの宴の最中、突如突風が吹き、暗闇から目を光らせた猫の首が飛んできます。丹後守が切りつけ、小森半左エ門が血の跡を追っていくと、そこは磯早豊前の屋敷。その夜、豊前の妻が義母の部屋を見ると、行燈の油をなめる猫のシルエットが! たちまち義母が猫のような顔に変身。「見たな~」と猫の手つきで妻を見えない力で操り、鼓や三味線のお囃子に乗って、宙返りさせたり転がしたり逆立ちさせたり。若手の歌舞伎役者がスタントを演じているのだと思いますが、着物でこれをやるのは相当訓練していないと難しいでしょう。2009年の歌舞伎『怪異 有馬猫』の公演では、化け猫に操られた腰元が、体操のあん馬のような技や膝立ちでぐるぐる高速回転する技も披露。あっぱれ!
化け猫に変身する豊前の母の杉江を演じたのは、NHKの朝ドラ「おちょやん」のモデルになった浪花千栄子。庶民的関西人を感じさせる物腰で、溝口健二、木下恵介などの映画に多数出演しています。しれッとしたやり手ばばあなどを演じさせたらこの人の右に出る人はいないでしょう。木下恵介の『二十四の瞳』(1954年)の、金毘羅様近くの飯屋のかみさん役など見てください。化け猫姿はアクが消えてむしろかわいい感じ。嬉々として演じているように見えますね。
◆化けるきっかけ
こまは次に豊に乗り移ります。小森半左エ門が城内を見回っていると、豊が夜中に池をじっと見つめています。半左エ門がその様子を見て、腰元に上がっている妹に生きた鯉を豊のそばに置いておくように言いつけると、豊は鯉を見つけてかぶりつき、化け猫の正体を現します。豊は兄の豊前を噛み殺し、大暴れの末、半左エ門に退治されてしまいます。
『怪談佐賀屋敷』などに登場する化け猫が、西洋の魔女のお供の黒猫や狼男などと違うのは、恨みによって生まれた存在であるというところです。逆に言えば、恨みが猫の姿をとった、と言っていいかもしれません。物陰に身を隠してじっと獲物を待ち構えたり、捕えた獲物をもてあそぶなどの猫の性質が、陰なものと結びついたのでしょうか。
「恨みの感情」は、怪談物や忠臣蔵をはじめとする歌舞伎や時代劇の重要なモチーフとなっています。これが日本のホラーのじめじめした怖さを生むのでしょう。
◆恨んでいるのは誰?
華族出身で美人女優の誉れ高かった入江たか子が、猫メイクで大立ち回りを演じるこの映画。当時のファンは見ずにはいられなかったことでしょう。42歳でチャレンジした『怪談佐賀屋敷』を皮切りに彼女の化け猫は大当たりをとり、以後次々と化け猫映画に出演、「化け猫女優」と呼ばれるようになってしまいます。
1932年、21歳で人気絶頂の彼女は「入江ぷろだくしょん」という個人プロダクションを設立、自分の選んだ企画に自分で出演する、という恵まれた状況にあったのですが、1937年にプロダクション解散後、戦後は病気になって芸能活動ができなくなり、回復後、仕事ができるならなんでもやるという姿勢で、化け猫役を引き受けたそうです。
ここで登場するのが溝口健二監督。彼はプライドの高い人で、入江ぷろだくしょんから仕事をもらったことがあり、それまで自分が顎で使っていた女優から仕事をもらうことに屈辱を感じていたようです。1955年の映画『楊貴妃』に入江たか子を起用。イメージ通りの演技が何度やっても出てこない彼女に「化け猫ばかりやっているからだ」と、大勢のスタッフの前で罵り、それをきっかけに彼女は自ら降板してしまいます。
そのことについて溝口監督の没後に作られたドキュメンタリー『ある映画監督の生涯』(1975年)で、新藤兼人監督が入江たか子にインタビューしています。そのときのくやしさを思い出してか、美しい彼女の顔が何度か歪んで見えます。彼女がただの化け猫女優だったら、溝口監督のことを恨んで喉笛をかみ切るようなことでも言えたはず。でも、そんなことは言いませんでした。「(化け猫映画でも)役を受けたかぎり、どんな芝居でも投げちゃいけないと思って、一生懸命やりました」(注)。
逆恨みした化け猫は、溝口監督の方だったようです。
日本のお盆気分を味わえる怖くて楽しい娯楽作品。横幅の狭いスタンダードサイズの画面を生かした、スタントと本役の入れ替わり、お色気で迫る豊と、清純な冬の対比も見どころです。できればワイワイと大勢で見て、盛り上がりたいものですが・・・。
(注) 『ある映画監督 ―溝口健二と日本映画―』新藤兼人/岩波書店/1976年
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