この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

約束の宇宙(そら)

国際宇宙ステーションに向けて飛び発つ母が娘とした約束。母は娘のために禁を犯す。

 

  製作:2019年
  製作国:フランス/ドイツ
  日本公開:2021年
  監督:アリス・ウィンクール
  出演:エヴァ・グリーンマット・ディロン、ゼリー・ブーラン・レメル、
     ラース・アイディンガー、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    主人公の娘が可愛がっている猫
  名前:ライカ
  色柄:茶トラ


◆私はカモメ

 映画に描かれた働く女性、21世紀代表として選んだのは宇宙飛行士です。
 初めて女性として宇宙に飛んだのは1963年のソ連のテレシコワ。1937年生まれでご健在です。この映画でも、主人公がロシアの訓練施設に入ると彼女の肖像写真が飾られているのが見られます。テレシコワの最初の地球との交信が、有名な「私はカモメ」という一言。宇宙に飛び発った自分を自由に空を飛ぶカモメにたとえ、その感動を詩的に表現したのかとずっと思っていましたが「カモメ」というのは彼女の交信用の個人識別コールサインで、「こちらカモメ」と言ったに過ぎなかったとか(注1)。
 同じくソ連ガガーリンが人類初の有人宇宙飛行を行ったのは1961年ですので、スポーツの分野でのマラソンやサッカーなどの女子競技化に比べ、女性の宇宙進出は早くから行われていたと言えます。
 いずれ地球外で人類が生活し、子孫を残すことを視野に入れて男女双方の生理的データを蓄積する必要があると思われますが、この映画の主人公の娘が飼っていたイモリの産卵や受精卵についての実験は、既に宇宙で行われています。ただし、受精についてはメスの体腔に貯えられた精子と受精するように処理され、4匹のメスだけがミッションに参加したそうです(注2)。
 人類、しかも民間人が宇宙で生活することはいずれあり得るのでしょうか。地球環境を改善できないまま人類が宇宙に進出すれば、ゴミを広げに行くようなものだと思いますが。

◆あらすじ

 フランス人女性宇宙飛行士のサラ(エヴァ・グリーン)はシングルマザーとして小学校低学年の一人娘のステラ(ゼリー・ブーラン・レメル)を育てていた。念願がかない国際宇宙ステーションとドッキングする宇宙船への搭乗が決まったが、長期間娘と離れなければならない。サラは別れた夫(ラース・アイディンガー)に娘のステラを託すが、複数の学習障害を抱えるステラのことが気がかりでならなかった。
 サラは宇宙船に同乗するアメリカ人のマイク(マット・ディロン)とロシア人アントン(アレクセイ・ファティフ)とともにロシアにあるスターシティで訓練に励む。だが、夫のもとに引っ越し新しい学校に馴染めないステラと電話でやり取りするたびに心配がつのるばかり。待ち望んだ面会日にステラが来ると、規則を破ってミーティングにステラを同伴し、退屈したステラが施設内で一時行方不明になったりして周囲をも慌てさせてしまう。
 ステラへの心配や訓練の疲労でサラは心身ともに限界に陥り苦しむが、マイクの心遣いで立ち直る。ステラも父のもとで自分の世界を広げ、成長する。
 宇宙船の発射基地バイコヌールで隔離期間に入る前のお別れパーティーに、元夫とステラは飛行機に乗り遅れて間に合わず、サラはステラに会えないまま隔離エリアに入る。その後ステラと元夫は基地にやって来たが、ガラス越しにしか面会できなかった。ステラに、出発前に二人で宇宙船を見に行くと約束したけれど行けなかったね、と言われ、サラはたまらなくなってしまう。
 夜、サラはステラと宇宙船を見に行く決心をして隔離エリアを抜け出し、ステラの泊まるホテルを訪れる・・・。

◆幅の問題

 宇宙飛行士サラの娘・ステラが可愛がっている茶トラ猫の名前は「ライカ」。ライカはカメラの名前ではなく、1958年にソ連の宇宙船スプートニク2号で打ち上げられたメス犬の名前です。
 宇宙に人が行くことが可能かどうか、無事に帰れるかどうか、米ソの宇宙開発競争の中、数々の生物が宇宙に送られた時代、ライカは宇宙に飛び発ち、地球周回軌道を回る初の犬として生理的データを地球に送り、帰還する技術がなかった当時、人工衛星が大気圏に突入する前に薬入りのエサで安楽死させられたと報じられました。ライカは人類の進歩のために尊い犠牲になったと世界中がその死を悼みました。
 けれども、実際は発射から数時間後にライカはストレスと熱で既に死亡していたということが2002年には明らかになったそうです(注3)。
 たびたびこのブログで言及してきた『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』(1985年/監督:ラッセ・ハルストレム)では、主人公の犬好きの男の子が辛い目に遭うたびに、あのライカ犬に比べれば自分はマシだ、とその死を定められた運命に思いを馳せるのですが、この映画の当時は、まだその事実が明らかになっていなかったわけですね。
 娘のステラ(イタリア語で星のこと)が可愛がっている茶トラ猫は、この宇宙に行った小さなヒロインの名前を付けられたのです。

 両親とも宇宙を目指す科学者・エンジニアであり、二人の離婚後は母と暮らすステラ。母が宇宙に長期滞在することになって、父がステラと猫を引き取ることになると、ステラは自分のことは差し置いてパパは猫アレルギーだしライカはいつもと違うのを嫌がる、と心配しています。
 開始から5分になる少し前に最初に登場したときはスレンダーな若猫で、ピッチャーの底の水を飲もうと首を突っ込んでいたライカですが、20分頃、サラがテレビの取材を受ける場面や、そのすぐあと、夫の家にキャリーバッグで連れて行かれる場面では急に貫禄が出て大きくなったように見えます。あの顔幅ではピッチャーに入らなさそう。最後に登場する23分過ぎ頃に元夫の家のベランダにいる場面では、水を飲もうとしていたのと同じほっそりした猫のようです。
 この映画で猫が登場するのはこの4回。もしかしたら、大きい猫の方を先に撮影し、後からピッチャーの水を飲もうとするところを撮ろうとしたら顔が入らない。どうしてもその絵が欲しかった監督は、細い猫を調達して無事に撮影・・・というのは私の勝手な想像です。そういえば、夫の家のベランダの柵のすき間に頭を突っ込んで外を眺めているのが細いライカなのも、すき間に入る顔幅で選ばれたのでは?

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆NG発言

 女性監督アリス・ウィンクールによる映画。感動に導こうとする過剰な演出は見られません。見ていると、女性が男性と共に仕事をする上で女性にはカチンとくるけれど男性には気づきにくいだろうと思われる視点が取り入れられ、監督も色々な場面でやりづらさを感じながらここまでやってきたのだろうと、共感を覚えずにはいられません。
 まず、国際宇宙ステーションにドッキングする宇宙船の搭乗員として、もともとは男性が予定されていたところ、サラが選ばれます。その歓迎バーベキューでリーダー格のマイクがサラを紹介するとき、マイクは「優れたエンジニアでフランス人女性です」と言ったあと「国際宇宙ステーションにぜひ欲しい人材」「フランス人女性は料理がうまいと聞きますから」とスピーチするのです。カメラはすかさずサラの白けた表情を映し出します。
「え、それのどこがいけないの」と思った方もいらっしゃるかもしれません。
 何気なく発せられるNG発言、女性に社会的・文化的な性別役割(ジェンダー)をあてはめること。この場合、マイクは、サラという個人がどんな人物か、どんな能力を持つかではなく、女性=料理という古くからの役割意識に基づいた発言をしています。場を和ませる冗談じゃないか、とおっしゃる気持ちもわからないではないですが、子どもの頃から「女の子はかくあるべし」「女性はこういうものだ」と、自分個人より「女性だから~」でくくられ、嫌な思いを繰り返してきた女性は、またかとうんざりしてしまうのです。
 サラはその後の自己紹介スピーチで「女の子は無理」と言われながらも8歳のときから宇宙飛行士を目指してきた、とすかさずアピールします。

◆悪い見本

 また、女性にとって不快なのは男性が女性に対しマウントを取ろうとすること。これは男性側の男尊女卑的な価値観によるものです。
 この悪い見本のようなサラの元夫。
 彼も天体物理学者で、サラと同じ組織に所属していますが、彼は宇宙に行ったことはありません。サラがステラのことを頼んだときは迷惑そうな反応。ステラにいくつかの学習障害があり、特に算数が壊滅的だと話すと「君の(算数の)説明が難しすぎるんだ」と、サラのせいにします。「エッ」と目を見張るサラに対し、なおも「算数がダメとは笑える。本当に僕の娘?」とダメ押し。「冗談だよ」とは言いますが、日ごろからそんな考え方をしているからポロッとこんな発言が出るのでしょう。サラはさぞかしはらわたが煮えくり返ったことと思います。
 元夫は、親子3人で食事に行ったときも、「パパは常にママよりも一つ先の惑星を研究している」と話し、サラの目指す火星の研究はもう終わり、過去の話だ、とステラに言い聞かせて威張っています。サラと元夫の離婚は、元夫のこんな人格をサラが見限ったからと見て間違いないでしょう。
 この場合は夫婦ですが、仕事の上で、女性を見下すことで自分の方が優秀だと示そうとする男性からのマウントを受けたことがある女性は多いと思います。そういう男性の中には女性は男性より劣っているという間違った神話があって、自分が生物学的に男だというだけで女性より優れているという錯覚に陥り、女性に負けそうになるとますます神話にしがみつこうとします。
 サラの夫も、まさかミッションに選ばれるはずがないと高をくくっていたサラが宇宙に行くことになって、内心はショックなのでしょう。グラグラするプライドを立て直したくて、自分はサラより上なのだと、子どもの前で虚勢を張っているのです。

◆約束は守っても

 ここまではサラの方に理があると見える物語ですが、母としてのサラの行動はどうでしょう。
 出発前の隔離に入ってしまい、ガラス越しにしかステラと会えなかったサラ、「宇宙船を一緒に見に行けなかった」と言われ、宇宙飛行士としてのミッションより母性が勝ってしまいます。
 ここからはもはや21世紀の母もの映画とも言うべき展開。隔離施設を脱出し、ホテルにいるステラを連れ出し、タクシーに乗りフェンスの下をもぐって、発射台の近くにたどり着くのです。ステラと手をつないで見上げるロケット。帰りにステラを送り届けると、サラは全身をヨード液のようなもので洗浄します。
 これを見て私たちが思い出すのは、新型コロナの流行が猖獗(しょうけつ)を極めた時期です。感染した患者と家族が面会も最期のお別れもできず、お骨になるまで会えなかったこと、高齢者施設に入居する肉親とガラス越しやビデオ通話でしか面会できなかったこと・・・。この映画が製作されたのはコロナ流行前の2019年。一方、日本で公開されたのは、ちょうど外出自粛措置が解かれたものの、行動制限があった2021年の4月、私たちが隔離、消毒に極度に敏感になっていた時期でした。ステラとロケットを見に行ったサラが軽率に見え、共感できなかったことを覚えています。
 そしてもう一つ私の頭をかすめたのは、サラのこの行動がミッションを失敗に導いてしまったとしたら言われかねないあの言葉――「だから女は」。
 映画の最後には、過去に子どもを持ちながら宇宙に飛び発った女性宇宙飛行士たちが、子どもと一緒に写った写真とともに紹介されます。この方々にサラの行動をどう思うか、聞いてみたい気がします。

 実際の訓練施設を使っての撮影は記録映像的で、宇宙航空ファンならずとも膝を乗り出したくなる興味深いもの。サラを演じたあの細いエヴァ・グリーンの頬の肉が、遠心シミュレータ訓練の重力でぺちゃんこにつぶれているのがわかります。坂本龍一による音楽も映画の途中ではほとんど流れず、情緒をあおろうとしない監督の姿勢が貫かれています。

 

(注1)Wikipedia ワレンチナ・テレシコワより

(注2)JAXA Repositry「イモリの宇宙における産卵および受精卵の発生(ASTRONEWT)」より

(注3)Wikipedia ライカ(犬)より

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