この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

にっぽん昆虫記

戦前、戦中、戦後をしたたかに生き抜いた女の生態をレンズが観察する。今村昌平監督の重喜劇。

 

  製作:1963年
  製作国:日本
  日本公開:1963年
  監督:今村昌平
  出演:左幸子北村和夫北林谷栄河津清三郎、吉村実子、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    売春宿の猫
  名前:不明
  色柄:キジ白(モノクロのため推定)


◆人間観察記

 働く女性の映画の第3弾、日本代表は激動の昭和であまり胸を張っては言えない仕事をしてきた女の物語です。
 以前、今村昌平監督の『人間蒸発』(1967年)をこのブログで取り上げたとき、監督の映画を「人間の欲望や性、土俗性を作品の前面に取り込んだ」「生き物としての人間の発する禍々しい匂いと、泥の匂いとが結合して漂ってきそうな映画」と書きましたが、『にっぽん昆虫記』はまさしくそうした表現にふさわしい作品。一人の底辺の女の生態をドライに見つめます。
 「重喜劇」とは今村昌平監督が自分の作品を呼んだ言葉で、喜劇的な要素をはらんだ重厚な人間ドラマを指しています。

◆あらすじ

 大正7年冬、主人公の松木とめ(左幸子)が東北の農村で誕生する。母親は誰彼なしに肉体関係を持つ女、知的障害のある父(北村和夫)ととめには血のつながりがないことは明らかだった。父ととめは男と女のように寄り添い、とめが大人になっても夜は一緒に寝ているのだった。
 昭和17年、とめは親の借金がらみで地主の息子の仮の嫁に差し出されるが、父が嫉妬して地主の息子に暴力をふるう。とめは実家に返され、翌年女児を出産し信子と名付ける。信子はとめの私生児の扱いだった。
 終戦のとき、製糸工場で働いていたとめは上司(長門裕之)と関係を結び、数年で共に労働組合のリーダーとなるが、彼が管理職になって捨てられ、工場をクビになり、父に信子を預けて上京する。
 昭和25年、米兵のオンリーさん(春川ますみ)のメイドとして住み込みで働いていたとめだが、目を離したすきにそこの子どもが事故で死に、苦しんで新興宗教の門をたたく。とめはそこで知り合った蟹江(北林谷栄/きたばやしたにえ)という女性の旅館で働くようになるが、そこはもぐりの売春宿だった。初めは女中をしていたとめも客を取るようになり、故郷の娘にせっせと送金する。
 昭和30年、とめは蟹江が警察に捕まったすきに蟹江の配下の女性たちを使って、電話一本で女性を派遣するコールガールの組織を作る。とめはあこぎに儲けていくが、昭和35年、父の葬儀で故郷に戻っている間に女性たちが全員行方をくらまし、密告されたとめは刑務所に入る。出所後、ねんごろにしていた客の唐沢(河津清三郎)を頼ろうとしたが、唐沢はそっけなかった。
 高校を中退した娘の信子(吉村実子)は、故郷に開拓村を作ろうと、とめが刑務所に入っていると知らずに資金の融通を頼みに上京していた。唐沢はそんな信子につけこんで信子を囲い者にしようとする・・・。

◆猫に借りたもの

 さて、この映画の猫の登場の仕方について語るのは少々はばかられる気もするのですが、あっさり話した方がいいですね。
 蟹江の売春宿で客を取る女性が、相手に自分は処女だと思わせ、その印として出血したと見せかけようと、仲間に自分の腕から血を取ってもらおうとします。
 そこに通りかかった猫、仲間に見つかって「こいつから取ったらどうだ」と首根っこを掴まれ、炊事場の台の上にドンと乗せられて血を取られてしまうのです。普段からこの女性は冷蔵庫に血をストック。女性たちはだまされる男性をバカにしてゲラゲラ笑っています。
 こういう話は考え出そうとしても思いつかないと思うので、旺盛な取材で知られる今村監督が当時売春にかかわったことがある人から直接聞いた実話だと思います。
 昭和の頃、女性は結婚までは「きれいな体」を守るべしという純潔思想が尊ばれていました。けれども、1960年代終わり頃からは、好きな相手のためなら結婚と関係なくてもいいではないかという考え方が広まってきます。1974年に発売の山口百恵の大ヒット曲「ひと夏の経験」はそれを反映した歌詞で、15歳の女の子がきわどい歌を歌ったことに世間は衝撃を受けました。けれどもそれは、女性は愛する男性のために純潔を守り、「捧げる」べきであるという認識を依然として保っていた内容で、大っぴらには言いにくいことを白日の下にさらしたことでヒットしたのです。女性も自分から進んで男性に服従しようとする時代だったと言えるでしょう。
 一方、男性側は卑猥な見出しや漫画が躍る夕刊紙を電車の中で堂々と読んだり、町には成人映画の思わず顔が赤らんでしまうようなポスターがあちこちに存在したりと、経済効果を生む男性の欲望は、セクハラの概念が定着するまではあけっぴろげの状態でした。
 この映画のような商売の女性、相手に処女だと信じ込ませれば報酬をより多くもらえたのではないでしょうか。売春宿で会う女性に初めてと言われて信じる客なんて、おめでたい限りです。

 猫の登場は開始から45分ちょっと過ぎたところです。猫の扱いの乱暴なことは古い日本映画に見られる嫌なところ。けれども今村昌平監督は『豚と軍艦』(1961年)の中で、シナリオでは「猫を蹴とばす」とあるのをシッと脅して追い払うという表現に変えていますので、心ある人だったのだと私は思っています。本物の猫を犠牲にした『幕末太陽傳』(1957年/監督:川島雄三)のとき助監督だったので、いやな思いをしたのではないでしょうか。この映画でも注射器で血を取るところはほんの真似です。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆裏面の日本

 映画の冒頭、日活のロゴが消えると、マットな黒い虫が地面を歩き回っている映像がワイドスクリーンに大写しになります。アリの頭部から胸部を長くして腹を平らにしたような形の数センチくらいの大きさのこの虫、マイマイカブリというやつではないでしょうか。
 虫の映像だけでもうムリ、とおっしゃる方もいるかもしれませんが、虫はタイトルのところにしか出てきませんので、始めだけ目をつぶっていてください。
 とめのモデルとなった人物と、その他複数から取材した話を総合したと思われる、ドキュメンタリー性を感じさせる映画です。時系列順に追っていくとめの人生は実に興味深いもの。節目節目にとめが自分の心情をつづる自虐的な狂歌や川柳が、思いのほかコミカルな味わいを呼んでいます。

 戦時中の1942年のシンガポール陥落、戦後、とめが上京する途中で遭遇する国鉄三大ミステリーのひとつ1949年の松川事件、デモ隊と警官が衝突した1952年の血のメーデー、平民出身の妃が誕生した1959年の皇太子(現在の上皇)ご成婚パレード、伊勢湾台風、1960年の安保闘争など、重大な出来事の断片が挿入され、とめの生活がそれらの社会の流れを背景に移り変わっていったことがアルバムをめくるように示されます。ただ、当のとめはそれらの事件に対しては傍観者でしかなく、日々の自分の糧のことにしか関心を持ちません。
 とめの生まれ故郷での因習を土台とした土俗的な描写は、今村監督の得意とするところです。近親相姦的な父ととめの関係は、あってはならないタブーと言うより、伝説や迷信を耳にしたときのように、ありそうでなさそうな、なさそうでありそうな感覚を呼び起こします。この映画の中で最も有名なシーンとして、生まれたばかりの信子が母乳をあまり飲まないため、乳が張って痛いと言ってとめが父に吸わせる描写があります。それから18年後、父は臨終のとき「乳・・・」と言い、とめは集まった親族の前で乳房を父に差し出します。
 とめのそんな姿は、戦後、表側では新しい時代が始まったように見えた日本社会が、裏面では何も変わっていないことを示しているように思えます。

◆生きものの記録

 主人公のとめは、冒頭に登場した虫のように底辺をはいずり回るようにして生きてきた女です。私は彼女を嫌いではありません。愚直なだけの彼女。実は真面目なのです。貧しい親の借金のために地主の息子の仮の嫁の形で子ができ、それを私生児として育てなければならなくなる、その子を育てるためになりふり構わず働くのです。
 戦争中、自分の食べ物を全部娘に与えてしまって倒れたり、戦後は工場の組合の婦人部長として3000人の女工にアジったり、メイドをしていた家の女の子が熱いシチューをかぶって死んでしまったときは宗教に救いを求め、何年かたってもお墓参りに行ったりしています。蟹江の旅館で初めて客を取ったときは、売春って悪いことなんだ、人権蹂躙(じゅうりん)だ、と蟹江に訴えています。けれども、とめは高収入をあてに転がるように色で稼ぐ道にはまっていきます。
 傍らで、とめは唐沢という中小企業の社長と愛人関係を結び、唐沢を「お父さん」と呼んで父への愛着を彼にダブらせ、やっと自分のための幸せを手にするのです。
 この映画はそんなとめを一切の同情や批判を入れず冷静に観察し続けます。食い扶持を求め、交尾し、子孫を守り、邪魔者と戦い、生き延びるとめの生態を。

◆熱い鍋

 コールガールの組織を作り、とめが人生の頂点に達した頃、印象的な事件が起きます。
 とめのお手伝いの娘が、料理を入れた鍋をとめの前に運んできたとき、取っ手が熱くて「あつつっ」と鍋を乱暴に放り出します。それを見ていたとめの顔色がみるみる変わり、グラグラと煮えた鍋に自分の手を突っ込んで「熱かないよ、こんなもの!」と言ってお手伝いの娘の手を掴んで突っ込もうとするのです。
 鬼のような行為に見えますが、とめはメイドをしていた頃に熱いシチュー鍋の中身をかぶって死んだ子のことを思い出したのではないでしょうか。
「私はこれくらいのことなんぼでも我慢できるんだ!」
ギリギリの人生を生きて来た彼女が、熱い鍋に嫌な記憶のすべてをフラッシュバックさせ、発作的にそんな行為に出た――そこにはとめの激しい恥と怒りの感情が渦巻いています。とめは蟹江そっくりになっていきます。

 歯を食いしばって育てた娘の信子がとめ譲りのDNAを示し、とめのすべてを奪うという、生物の世代交代を思わせる皮肉な運命をもって、今村監督の観察日記は終わりを告げます。
 とめの狂歌「愛してるすべての人に裏切られ つらき憂き世を一人行く我」。
 それでもとめは、最後の場面で石ころやぬかるみをぴょんと跳び越えたように、何があっても乗り越えていくのでしょう。

◆山の神

 オールロケ、役者はマイクを付けて同時録音、実際の家屋にカメラを持ち込むなどの徹底した現場主義、コンピュータを駆使して作られる今の映画とは全く異なるこれらの製作方法。ドキュメンタリーを除けばもうこんな映画は見たくても見られないだろうと思います。
 主演の左幸子と言えば、内田吐夢監督の『飢餓海峡』(1965年)の主人公の娼婦・八重を思い浮かべる方も多いと思います。八重も汚れ役ですが、存在の重層感はとめの方が圧倒しています。左幸子は『にっぽん昆虫記』と『彼女と彼』(1963年/監督:羽仁進)とを合わせ、1964年ベルリン国際映画祭女優賞を受賞。監督として『遠い一本の道』(1977年)という骨太な作品も作っています(今から50年近く前の軍艦島も出てきます)。
 故郷の村の産婆のばあさんを演じた北林谷栄の東北弁はほとんど聞き取れず、東北の出かと思ったら、東京出身なので驚きました。老女役を得意とした彼女が東京の売春宿のおかみの蟹江と二役で、珍しく実年齢相応の女性としての姿が見られます。

 とめは入信した宗教で「お前は前世で色情の罪を犯した」と定番のおとがめを受け、そこで知り合った蟹江によって皮肉にもその罪を深くする道に入ってしまいました。戦後、価値観や生活基盤が根底から覆り、拠り所を求めて日本人が新しい宗教にのめりこんでいったさまは、時には批判的に、時には笑いをもって、色々な映画に描かれています。
 最終的にとめは山仕事をする父が崇めていた、山の神信仰に戻っていきます。こわい女神とされる山の神、父と睦まじいとめに嫉妬してとめをこんな運命に導いたのでしょうか。それともほかの神様を信仰したとめを懲らしめようとしたのでしょうか。

 激動の昭和を生きたとめのような女性のドキュメンタリー版、今村監督の『にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活』(1970年)もぜひご覧になってください。

 

(参考)「今村昌平監督の日本的リアリズムと人間学」(『監督の椅子』白井佳夫話の特集(株)/1981年)

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