この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

銀座の女

芸者屋「しずもと」を舞台に繰り広げられる女たちの悲喜こもごも。老後の問題も、人権問題も。


  製作:1955年
  製作国:日本
  日本公開:1955年
  監督:吉村公三郎
  出演:轟夕起子乙羽信子、島田文子、藤間紫金子信雄、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    さと子の猫
  名前:不明
  色柄:三毛(モノクロのため推定)


◆芸者の世界

 ここのところピストルがチラチラする映画が続きましたが、がらりと趣向を変え、芸者の世界を描いた映画を三回連続でお届けします。外国人から「フジヤマ・ゲイシャ・サクラ」と日本名物の代表に数えられる芸者。日本的エキゾチシズムの象徴と言えますが、作家の平岩弓枝が「単純に酒席へ出て来て客にお酌をするのが芸者と思われたり、料亭のお座敷で酒客を前にして踊りを踊る人だとか、甚だしいのは売春が本業だと思い込んでいる例もある」(注)と書いているように、いまの日本人には遠い存在になってしまっています。昭和の映画に描かれた東京の芸者たちを題材に、その世界に近づいてみたいと思います。

◆あらすじ

 東京・新橋にほど近い銀座7丁目の芸者屋「しずもと」は、女将(おかあさん)のいくよ(轟夕起子)、カラッとした琴枝(音羽信子)、中学生の男の子を里子に出して働いている照葉(藤間紫)、ジャズ好きなミサ子(南寿美子)の4人の芸者と、見習のさと子(島田文子)とお手伝いのきよ(田中筆子)で切り盛りしていた。
 さと子は16歳で、芸者屋の前借金(ぜんしゃくきん)で実家の農家が乳牛を買い、福島から出て来たのだった。さと子は望郷の思いと体調の悪化で気がふさぎがちだった。
 いくよは、英作(長谷部健)という工業大学の学生に学費と生活費を与え、技師に育て上げて養子にし、老後の面倒を見てもらうつもりだった。英作は学業が嫌いで小説ばかり書いており、養子の話を解消したいと言い出す。さらに、以前いくよの店で芸者をしていたバーのマダム・操(日高澄子)と小説のネタにする目的で関係を持ち、いくよと操にそれがばれると二人から遠ざかる。文学賞を取った英作は、そうしたいきさつ抜きで祝いの席を設けたいくよと操に賞金を手切れ金として渡し、いくよはひどく傷つく。
 そんな折、いくよが外出から帰ると、しずもとが燃えている。火事はアイロンの火の不始末が原因だったが、英作との件でヤケになったいくよと、世間の注目を浴びようとした琴枝が、それぞれ自分が放火したと自首する。そのうちにさと子までもが自分が犯人だと名乗り出る・・・。

◆銀座の猫

 さと子の可愛がっている猫は、昔の街角でよく見かけた、ちょっと薄汚れた庶民派の三毛。琴枝の知り合いの新聞記者が芸者の記事を書くと言ってしずもとに取材に訪れ、さと子が牛を買うため芸者に売られた話をしたあと、故郷が恋しくなって表に出たときに、路地でこの猫をみつけます。「逃げられないようにしっかりかわいがってやんなきゃだめよ」と、英作に養子の話を蹴られたしずもとのおかあさんから教訓的な許可を得て、さと子はこの猫を肌身離さずかわいがります。
 この猫、とてもおとなしいのです。さと子に抱かれるとその腕にすっぽり体をあずけ、さと子が腕に抱いたまま都電に乗っても、出演者がかわるがわる抱いても、嫌がりもせずとろんとして抱っこされています。そんな猫ですが、おそらく演出のねらい通り、座敷を一直線に突っ切る演技で、なかなかの役者魂を見せています。
 ひとりぼっちのさと子の唯一の心の慰めのこの猫が、しずもとの火事の真相をつきとめるキーパーソン、ならぬキーニャーソンとなります。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆硬と軟

 芸者屋(「置屋」は関西での呼び方)を舞台にした群像劇。全般的にはコメディタッチながら、社会派の影ものぞき、最後はサスペンスの要素も加わる、という構造。監督の吉村公三郎と脚本の新藤兼人(高橋二三と共同)は、重厚な社会派人間ドラマを数多く製作した近代映画協会を1950年に設立した盟友です。この二人の組み合わせで、華族の終焉を描いた『安城家の舞踏会』(1947年)や、祇園の芸妓を描いた『偽れる盛装』(1951年)などのヒットを残しています。
 『銀座の女』は、製作も配給も日活。コメディ的な娯楽色と社会への問題提起にまたがった仕上がりは、近代映画協会的な生真面目さより、幅広いお客に受ける商業路線を日活が求めたものでしょうか。伊福部昭の、ゴジラが死んだときのような荘重な音楽がコメディにしては異質です。
 宝塚歌劇団出身の轟夕起子音羽信子・日高澄子や、日本舞踊の藤間紫といった歌や踊りのできる女優たちを華やかにそろえた割には、お稽古やお座敷で芸にいそしむ場面はまるでなし。乙羽信子がたまに都都逸(どどいつ)をうなる程度です。それゆえ、芸者の映画を見た、という気があまりしません。外の世界の人間がインタビュー的に芸者さんから聞いたグチ話を寄せ集めたような、表面的なドラマにとどまってしまった物足りなさがあります。

◆芸を売る人

 さて、芸者(関西では芸妓)の映画を取り上げるにあたり、「芸者とは何か」を簡単にまとめておきたいと思いますが、お客主体のサービス業ですから、時代や土地柄や客に合わせて千変万化するものですし、ダークな話は記録に残りにくく、また芸者個人によっても違いがあるでしょうから、これが正しくてこれは誤り、とはなかなか言えないようです。だからこそ日本人でも文学や映画などで描かれた漠然としたイメージしか持てないわけで、忍者映画を見て日本観光にやって来る外国人と大差ない状況です。この映画の舞台になった昭和30年代初め頃の東京を例に、できるだけ誤りのないようまとめたつもりですが、疑問に思うところがありましたらお調べのうえご指摘いただきたく思います。

 芸者とは三味線や踊りなどの芸で宴席を楽しく盛り上げる存在で、本来は遊女などの身体を売る女性とは別の職業です。遊女の商売を邪魔しないよう江戸時代から規制されていました。
 この映画の頃の芸者は、貧困などから前借(ぜんしゃく)金を受け取って芸者屋に籍を置き、それを返すまでは自由になれない身分として描かれています。基本は見習(仕込)として芸者屋に入った少女が三味線や歌や踊りを身に着け、文字通り芸者となるのですが、前借金で縛られた上に、給金から経費などが引かれ(『銀座の女』でも、いくよがみさ子の電話代を差っ引くところが出てきます)、借金を返すどころか増えてしまう場合もあり、芸者の方が圧倒的に弱い雇用形態の中で、売春も暗黙の裡に仕事に含まれていたようです。けれども、大人になってから芸者になるなど芸を身に着けていない者の中には、売春をメインにする女性もいて、そうした芸者は「不見転(みずてん)」とか「枕芸者」と呼ばれています。

◆待ちの仕事

 芸者屋は、いわば芸能事務所で、籍を置く芸者が寮のように起居できる場所。そこに、花街全体を仕切り、宴席をコーディネートする見番(関西では「検番」)から、いつ誰さんとどこそこのお座敷、と連絡が入り、予約が入った芸者は支度を調え、料亭や待合(まちあい)という場所に出かけて芸を披露する仕組み。料金は時間制です。旦那という生活の面倒を見てくれる男性を獲得するためなど、営業上の理由で男と女の取引があくまで非公認の形で行われることも。
 見習いでしずもとに来たさと子も、小唄の師匠の稽古を見学しているとき、肉体的サービスで玉の輿をつかむのも芸者の腕次第、と説明され、複雑な表情を浮かべます。

◆老後問題

 さて、この映画は、飯田蝶子演じるお篠さんが、バスに乗って浴風園という養老院に入園するために降車する、という場面から始まります。「養老院」という名称に若い方はピンと来ないかもしれませんが、老人ホームのことです。この映画を見て思い出しましたが、高度成長期の日本で、老人ホームは邪魔な老人を厄介払いする姥捨山のようなイメージがあり、親をホームに送り出す子どもも親不孝と見られるような空気がありました。この映画のお篠さんも、浴風園の停留所で降りるべきなのに「あんまりいいとこじゃありませんからね」と恥じて、少し通り過ぎたところでバスを止めさせます。幼稚園の子どもたちが浴風園に「慰問」に訪れた、というニュース映画で「気の毒なお年寄りたち」というナレーションが入るところに、当時のイメージが表れています。
 映画館でお篠が子どもたちへのお返しに三味線で小唄を披露する場面を見たいくよは「自分が20年前に芸者見習いに上がったときのおかあさんが!」と愕然とします。その驚きには「うかうかしていると自分もああなりかねない!」という危機感が含まれています。そうした背景から、いくよは英作に老後を見てもらおうと計画を立てていたのです。

◆焼け跡の中から

 でも考えてみてください。この映画が公開されたのは1955年4月。戦争が終わってからまだ10年もたたないうちです。いくよは38歳という設定ですので、20代中盤を戦争の中で過ごしたのです。いくよの過去については触れられていませんが、さと子のような経歴で芸者になったのかもしれません。また、中学生の息子を持つ照葉なども、年頃から言って戦争未亡人であるとも考えられます。元気な今はこうして自活していても、頼る人のない身の上で年を取ったら、という不安がその肩にのしかかっていたのでしょう。養老院にいる老人たちも、戦争で家族をなくし、行き場のない人も多かったのではないでしょうか。
 英作に逃げられたいくよが「どうせ私たちは最後は養老院で焼け死ぬようにできている」と泣くのは、この映画の公開直前の2月に、横浜の「聖母の園養老院」で99人が死亡するという悲惨な火事があったことを反映しています(映画の中で新聞社が電柱に貼ったニュース速報が見られます)。
 いくよは38歳と言いましたが、見た目50代前半といったところ。どう見ても80代以上にしか見えないお篠ばあさんに至っては、なんと63歳で養老院入りです! 昔の人は老けていた・・・!

 警察署の人情署長に殿山泰司。無精ひげの若い刑事は、かの突貫小僧・青木富夫の成長した姿。さと子が銀座から月島の診療所へ通うときの、今は閉じたままの勝鬨橋(かちどきばし)の開閉の様子が郷愁を誘います。


(注)「『芸者論』に思うこと」(平岩弓枝/『芸者論 花柳界の記憶』岩下尚史
   文春文庫/2009年/所収)
参考:『芸者論 花柳界の記憶』(岩下尚史/文春文庫/2009年)

 

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