この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

裏窓

退屈しのぎに覗いていた向かいの部屋の男の妻が消えた。素人探偵トリオが真相を追う、ヒッチコックの代表作。


  製作:1954年
  製作国:アメリ
  日本公開:1954年
  監督:アルフレッド・ヒッチコック
  出演:ジェームズ・スチュアートグレース・ケリーセルマ・リッター
     ウェンデル・コーリー 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    アパートにいる猫たち
  名前:なし
  色柄:キジトラ、茶トラ


◆誰か見てるゾ

 我が家の周辺では、この1年内に道を挟んだところに一軒家、逆側にマンションが新築され、それぞれちょうど私の部屋の向かいに窓を付け、お住まいの方が見ようと思えば私の部屋の中が丸見えという位置関係になってしまいました。こちらは以前からカーテンやブラインドなどで外から室内が見えないようにしていますが、どちらのお宅もカーテンなどの視線を遮る物は付けていなかったり開けっ放しだったり。灯りがつくと我が家や道からも室内が見えてしまい、不用心でこっちが心配になっていました。ようやく最近はどちらのお宅もブラインドやロールスクリーンを閉めるようになって安心しましたが、この『裏窓』を見ていたら、たとえタワマンでも双眼鏡や望遠レンズで中を覗かれているかもしれない、と初めから用心したに違いありません。

◆あらすじ

 雑誌カメラマンのジェフことジェフリーズ(ジェームズ・スチュアート)は、仕事中に脚を骨折し、ギプスに固められて一日中家に閉じこもる日々をもう6週間も続けていた。彼は、週一回来るおばちゃん看護師のステラ(セルマ・リッター)との会話と、恋人のリザ(グレース・ケリー)の訪問と、窓から見えるアパートの住人たちを観察することで退屈を紛らせていた。
 ある日、彼は向かいの窓の中年のソーワルド夫妻が口論し、その後、雨の降る真夜中に夫が3回もスーツケースを持って部屋を出ては戻るのを見る。気が付くと妻の姿が見えず、運送業者が大きなトランクを運んで行った。彼はソーワルドが妻を殺して遺体を処理したのではないかと疑い、ステラとリザと三人で双眼鏡や望遠レンズで観察を続ける。殺人事件と確信したジェフリーズは友人のドイル刑事(ウェンデル・コーリー)を呼んで調べさせたが、ソーワルドの妻は旅に出ていると、取り合ってもらえない。
 やがて、ソーワルドの上の階の住人のペットの小犬が裏庭で殺されているのが見つかる。「殺人事件」と関わりがあるのではないかとステラとリザが裏庭に殺人の証拠を探しに行くが・・・。

◆犬優位

 猫は数回スクリーンに登場するだけで、ストーリーには直接関係しません。映画が始まると、タイトルバックにジェフの部屋の窓から見える向かいのアパート群がロールスクリーン、と言うより「すだれ」越しに映り、やがてそれが左から1枚ずつするすると上がって、順々にアパートがはっきり見えてきます。すべてのすだれが上がると物語の始まり。左の隅の方には大通りに通じる狭い通路があり、このブロックの表通りに面してロの字型に建ち並んでいるアパートの、それぞれの裏庭が合わさって、中庭のようになっています。その階段をキジトラの猫が小走りにニャーンと鳴きながら昇っていきます。狭い通路の脇のアパートの1階のひさしの下には椅子が置いてあり、大きな茶トラの猫がくつろいでいて、人の声やラジオの音などが飛び交い、日本の下町のような庶民的な雰囲気です。
 茶トラ猫の飼い主は彫刻家らしい太った中年女性で、猫の椅子のそばで前衛的な作品を創作中。茶トラの猫がそのお気に入りの椅子で寝ているところが、ときどきマスコット的に映ります。
 猫より小犬の方が大役を担っているのがこの映画。ソーワルドの上階の夫婦はヨークシャーテリアらしい小犬をかごに入れ、ベランダからロープで裏庭に降ろして勝手に遊ばせるのが習慣です。飼い主が口笛を吹くと、自分でかごに乗って部屋に戻るのがなんともかわいい。散歩の代わりのその習慣があだとなって、小犬は殺されてしまうのですが・・・。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

    

◆ロの字の中

 風景を大きくとらえてドラマの舞台を押さえ、やがてミクロの視点に転換し、事件や人物を描き出すという数分間の導入部、ヒッチコックはうまいなぁと唸ってしまいます。周囲のアパートをなめたあと、ジェフの汗をかいた額、温度計、ギプスをはめた左脚、壊れたカメラ、彼が撮影した事故の瞬間の写真、それら無言の映像がジェフの現状と背景を物語ります。建物の屋根にハトがとまっていたり、大通りにトラックが走っていたりしますが、これはみなセット。これだけのタッパの高さのスタジオ、さすがはハリウッドです。カメラはジェフの部屋からほとんど外に出ません。このロの字の空間の中で物語が始まり、終わるのです。暑さのせいで住人たちは窓を開け放ち、プライバシーが丸見えです。
 世界中を飛び回るカメラマンのジェフにとって、けがをして何週間も自室にとどまるというのはまさかのアクシデント。以前から付き合っている美しい恋人のリザとの結婚という、普段なら考えもしないことが頭にちらつき、平常の精神状態ではないと自分でも思っています。リザはファッションビジネスに従事し、豪華なドレスや食事に惜しみなくお金を使う女性。撮影のため世界の果てで怪しい食べ物で命をつなぐこともある自分とは住む世界が違う、結婚は無理だ、と、ジェフは考えています。一方、リザはジェフと結婚したくてたまりません。
 看護師のステラはリザとの結婚をジェフに勧めますが、かつて1929年の大恐慌を予言した彼女の言った通り、ジェフは隣人たちの生活を窓から覗き見したために、とんでもないトラブルに巻き込まれてしまいます。

◆ふくらむ想像

 普段から仲の悪い向かいの部屋のソーワルド夫妻。妻は病気でほぼベッドを離れず、夫が食事を運び、そんな夫に対していつもガミガミ文句を言っています。ある日、いつもは開いているブラインドが下がった窓の奥から悲鳴が聞こえ、その後、妻の姿が見えなくなるという状況に。妻が病気でなければ喧嘩して出て行ったと考えられますが、これは事件の匂い。ジェフが職業柄、双眼鏡や望遠レンズを持っていたのが想像を裏打ちします。
 ソーワルドが肉切包丁や小型ののこぎりを紙に包んだり、浴室の壁を掃除したり、人が入れそうな大きなトランクを運送業者に渡したりを目撃。さらに、置いてあった妻のハンドバッグから夫が宝石類を取り出していたと聞いて、リザは「女性だったら愛用のバッグを置いて行かない」「宝石を無造作にバッグに入れない」「化粧品、香水、宝石は必ず持って行く」と主張(現在の平均的日本女性はいかがでしょう?)。妻が自分の意志で家を出たとは考えられない、と言うのです。
 友人のドイル刑事が、ソーワルドが運送屋に頼んだトランクは夫人が受け取ったと報告に来て、リザの主張するような「女の勘」には捜査上しょっちゅう迷惑していると困り顔。そのとき、リザがジェフの部屋に泊まろうとして持ち込んでいた、色っぽいお泊りセットが置いてあるのをしっかり見られてしまいます。

◆最後に笑う者

 小犬が何者かに殺されるという悲劇が起きたのはそのすぐあと。花壇の下に何かが埋まっていて、小犬が掘り起こしそうになって殺されたのでは? ジェフが手紙と電話でソーワルドをおびき出し、その間にリザとステラがシャベルを持って花壇の発掘に。リザは大胆にも外梯子からソーワルドの部屋に忍び込みますが・・・。リザが、この場面では白地に花柄のフワフワのワンピースで梯子を上り、柵を乗り越えて窓に飛び移ります(「女性だったらあんなきれいな服であんなことはしない」と、私は主張しますけど)。

 リザが何かを見つけることができたのかは映画を見ていただくことにして、ここで映画の初めからある伏線が張られていたことに気が付きます。
 ジェフにとってリザは世界中を駆け巡る自分の冒険的な職業についていけるはずのない女性。結婚は無理だと決め付けていました。ところが、リザは、身動きできないジェフの代わりに、ドレスが汚れるのもかまわず自分ひとりの判断でこのような大冒険をやってのけます。リザとの結婚についてジェフが抱いていた懸念はこのとき否定されるのです。
 ジェフが覗き見していたアパートの隣人たち、当時で言う「オールドミス」のミス・ロンリ―ハートや、男をとっかえひっかえしていたミス・グラマー、売れない作曲家なども、いつの間にかそれぞれの身近な幸せをつかまえてそこに収まっていきます。ジェフが否定していた平凡な日常がそこにあります。ジェフにはただ滑稽に見えたアパートの住人たちが、人生の幸福とは何だというサブテーマとしてジェフの傍らを伴走していたのです。
 どうやら二人はハッピーエンド? ヒッチコックは「リザ~♪ リザ~♪」と、リザを称える歌を挿入してご満悦です。とは言え、この方向がジェフにとって喜ぶべきものだったのかどうかは、見た人それぞれにジェフの顔から読み解いていただきましょう。

◆落ち

 グレース・ケリーが出演するヒッチコック作品として、以前『泥棒成金』(1955年)を紹介しましたが、『裏窓』はその前年の作品。その間に『ダイヤルMを廻せ!』(1954年)があり、3本連続でグレース・ケリーが主演しています。『裏窓』で、居眠りしているジェフの目の前にグレース・ケリーのリザがアップで映るところは、大輪のダリアの花びらが開いたよう(私にとってグレース・ケリーは真っ赤なダリアのイメージです)。本人が美しいことはもちろんですが、ヒッチコック監督は女性の美しさを引き出す天才です。
 アメリカを代表する男優のジェームズ・スチュアートはこのとき40代半ば。グレース・ケリーとは21も年齢が離れています。彼も、『知りすぎていた男』(1956年)、『めまい』(1958年)などのヒッチコック作品に出演しています。真面目で裏表のない印象の男性。そんな人物がのっぴきならない状況に追い込まれるという、サスペンスらしい不条理を盛り上げるにはぴったりの存在です。
 それにしても、ヒッチコック映画では、追い詰められて高い所からぶら下がり、いまにも落ちそうになる(落ちる)という演出がなぜかくも多いのでしょう。

 映画の中に必ずちらっと登場するヒッチコック監督。『裏窓』では、作曲家の部屋で置時計をいじっています。

 

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