孤独な殺し屋レオンが、一人の少女の復讐を手助けする。二人の間には微妙な心の交流が・・・。
製作:1994年
製作国:フランス、アメリカ
日本公開:1994年
監督:リュック・ベッソン
出演:ジャン・レノ、ナタリー・ポートマン、ゲイリー・オールドマン、
ダニー・アイエロ 他
レイティング:PG12(12歳未満の年少者には保護者の助言・指導が必要です)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆(ほんのチョイ役)
トニーの店の猫
名前:なし
色柄:グレー
◆二つの『レオン』
『レオン』には、最初に公開されたオリジナル版と、後日約22分にわたるシーンを追加して発表された『レオン 完全版』とがあります。ここでは、『レオン 完全版』についてお話しします。ただし、表記は『レオン』と省略させていただきます。
◆あらすじ
ニューヨークのアパートに住む一家を、麻薬を横取りした、と謎の集団が襲撃する。その家の娘・12歳のマチルダ(ナタリー・ポートマン)はちょうど買い物に出かけていて、帰って来てその異様な様子に気づいた。マチルダは自宅の前を通り過ぎ、同じフロアに住むレオン(ジャン・レノ)の部屋のベルを鳴らす。マチルダの家には両親と姉と幼い弟がいたが、マチルダを残して皆殺しになってしまう。マチルダは、レオンの部屋に身を寄せることになる。
イタリア系移民の殺し屋のレオンは、レストランの経営者である顔役のトニー(ダニー・アイエロ)の指示に従ってターゲットを始末し、報酬を得ていた。マチルダはレオンの稼業を知り、弟の仇を討ちたい、とレオンに訴える。レオンはトニーからライフルを調達してもらい、マチルダを訓練する。マチルダはその代わり、英語ができないレオンに読み書きを教える。マチルダは次第にレオンに対し恋愛感情のようなものを抱き始め、レオンは戸惑う。
ある日、マチルダは、自分の一家が襲われる前日と、一家襲撃後の実況見分に家を訪れていた男を偶然見かけ、麻薬取締局のスタンスフィールド(ゲイリー・オールドマン)だということを知る。彼が一家襲撃に関わっていたと悟ったマチルダは、レオンと一緒に、スタンスフィールドの手下たちを次々に消していくが、二人とも命の危険にさらされ、レオンはマチルダを置いて出かける。マチルダはその間に一人でスタンスフィールドを殺そうと彼に接近し、捕まってしまうが、レオンが麻薬取締局に乗り込み、マチルダを救出する。スタンスフィールドは、警察の特殊部隊を動員して、レオンを始末しようとマチルダを尾行して彼のいる部屋に踏み込んだ。レオンはマチルダを逃がし、一人で彼らと対決する・・・。
◆猫はどこ?
この映画、自分の猫が出てくる映画リストを見てあらためて見直したのですが、猫に気づかないまま見終わってしまいました。見終わってエッと驚き、「この私が猫が出る映画だとわかっているのに全然気づかなかったとは!」としばし呆然。しかも出るシーンまでメモしてあったのに・・・。再度見直してみて、見つけられなかった理由がわかりました。
猫が出てくるのは、ちょうど真ん中へん、トニーのレストランにレオンが訪問する場面です。レオンの座っているテーブルの奥、壁側の隅に一人のおじいさんが座っています。この老人に目が吸い寄せられてしまうのです。ロングで引いた画面の床にグレーの猫が横たわっているのですが、老人は食事をするでもなく、飲み物を飲むでもなく、ただじっと座っているだけ。それが何か意味ありげに見えて、注意がそこに行ってしまうのです。人間の視覚は、網膜に映っているものを等しく捉えているのではなく、脳によって重要な情報を得るべく処理されているのですね。このおじいさんが普通に食事をしてたり新聞を読んだりしていれば、猫もおじいさんも意味の上では等しい存在、きっとすぐ見つかったと思うのですが。こうなると、ほかにも猫が出ているのに気づかなかった映画があるのかもしれない…ああ…。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆『グロリア』が土台に?
『レオン』は、前回の記事でご紹介した『グロリア』をベースにしていると言われていますが、私の調べた範囲では、その根拠を見つけることができませんでした。リュック・ベッソン監督の前作『ニキータ』(1990年)には、レオンを思わせるジャン・レノの「掃除人」が登場しますが、『レオン』は『ニキータ』より『グロリア』を思い起こさせます。
この『レオン』=『グロリア』ベース説はいつ頃からどのように広まったのかはわかりませんが、著名人の有名なエピソードなども、単なる伝説だったり、誤って伝えられていることがよくあります。前回の『グロリア』で言ったように、このような筋立ては過去から繰り返し芝居や映画になっているということ、『グロリア』も『レオン』も、そのパターンを踏まえているということから、類似作品と言えるとは思います。が、たしかにこの二つ、それだけでは説明がつかないくらいよく似ています。『レオン』が『グロリア』からヒントを得ているということは否定できないように思えます。そこを追究してしまうと著作権の問題に触れるので、あえてあいまいにされているのでしょうか。
◆クロスの関係
試しにちょっと比較してみましょう。
グロリア
中年の白人独身女性。元ギャングのボスの情婦
子ども
6歳の男の子。家族はギャングに皆殺しに遭う。
ヒスパニック系で、英語ができない。
グロリアと子どもの関係
はじめは反発。次第に心が近づき、母と子のようになる。
敵とその狙い
ギャングの側からの子どもの父親の裏切りへの報復。
子どもの命と、彼が持っている手帳の奪還。
レオン
中年の独身男性。移民の元締めに雇われる殺し屋。
イタリア系で、英語の読み書きができない。
子ども
12歳の白人の女の子。家族は謎の集団に皆殺しに遭う。
レオンと子どもの関係
協力的。次第に女の子が恋愛に似た感情を抱く。
敵とその狙い
家族を殺された子どもの側からの、相手への報復。
このように、それぞれの背景や立場がクロスした関係になっていることがわかると思います。そして、両方とも見たことがある方でしたら、ラストもクロスした関係にあることをご存じでしょう。
ほかにもよく似ているところがある二つの映画ですが、『グロリア』には殺しのテクニックや血や遺体がほとんど描かれないのに対し、『レオン』には、それらが多く登場します。
◆二人の接近
レオンとマチルダの交流は、ある日レオンがアパートに帰ってきて、廊下でふてくされてタバコを吸っているマチルダに声をかけられたところから始まります。レオンは、マチルダの顔に殴られたようなあざがあるのを見つけます。マチルダは、父と継母、腹違いの姉と折り合いが悪く、虐待を受けていて、4歳の弟とだけは心を通わせていました。
マチルダを保護したものの、レオンはその稼業からマチルダをかくまい続けることはできないと追い出そうとすらします。が、弟の仇を討ちたい、とマチルダが決心をするあたりから、二人は対等に近い力関係になってきます。さらに、アパートを引き払い、親子を装ってホテルに逗留する手続きをレオンに代わって済ませ、ライフルを調達させ、訓練に付き合わせ、次第にマチルダが二人の関係をリードしていくかのようになります。レオンは、引きずられるように洗濯や家事をするマチルダを受け入れ、読み書きを習い、それが二人の日常となっていきます。
◆物真似合戦
そんな日常に飽きたマチルダが、気分転換に物真似を始めます。マドンナやマリリン・モンローの真似をしても全くピンと来ないレオン。性的魅力を売り物にする女性に興味がないのでしょうか。が、チャップリンの物真似で、なんか見たことがあるぞ、という反応を見せ、『雨に唄えば』(1952年/監督:ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン)の物真似で、「ジーン・ケリー」と当てます。交代して、レオンが『リバティ・バランスを射った男』(1962年/監督:ジョン・フォード)のジョン・ウェインの真似をすると、今度はマチルダがピンと来ないで「クリント・イーストウッド?」と言います。
この前に、レオンが、一人で映画館でジーン・ケリーが出る『いつも上天気』(1955年/監督:ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン)を見るシーンがあります。これもミュージカル映画で、ローラースケートを履いたジーン・ケリーが、街中を滑りながら歌い踊ります。レオンがとても楽しそうで、ニコニコ笑って見ているのですが、ほかのお客さんも楽しんでるかな、という感じで後ろを振り返ると、客席はガラガラ。レオンのように楽しんでいる人は見当たりません。私も似たような経験があって、『雨に唄えば』をどこかの名画座で見たときに、マチルダも真似をしたあの有名な雨の中で踊るシーンで、私は軽く拍子をとったりするほどノッていたのですが、お客さんはけっこう入っていたのに静まり返っている。私のように興奮している人はいなさそうで、ちょっとがっかりしたのです。
英語の読み書きができないレオンにとって、ミュージカル映画は歌や踊りで気楽に楽しめる息抜きだったのでしょう。実際、移民社会アメリカでは、字幕やセリフがいらないドタバタ喜劇映画が、多種多様な国々から集まった人々に受け入れられた、という歴史があるのです。
◆男と女、大人と子ども
町の男の子と話していたマチルダを男の子から引き離し、上品な言葉遣いをしろ、タバコはやめろ、と、レオンもマチルダに支配的な言動をするようになっていきます。そして、ある日、女らしいピンクのレースのワンピースをプレゼントします。それに全く関心を示さなかったマチルダは、レオンが麻薬取締局から自分を救い出してくれた夜、それを着てレオンの前に現れます。そして「女の子の初体験は大事」と、レオンに身をまかせようとします。けれども、レオンは、若い頃の悲恋の話をマチルダに聞かせ、マチルダと距離を置きます。マチルダはレオンをベッドに横たわらせ、その腕枕で眠ります。
このくだりは人によって受け止め方が違う部分でしょう。
純粋に二人の間に、対等な恋愛感情があったのか、
マチルダは、レオンに父や兄のように甘えられる男性として愛着の念を抱いていたが、その感情と恋愛の区別がつかなかったのか
レオンは、マチルダを妹のようにかわいく思っていただけなのか、恋愛感情を抱き始めていて、それを自制したのか
過去の悲恋の経験がマチルダを抱かない理由となり得るのか
レオンが、レースのワンピースをマチルダに贈ったのは、自分のものにしたいという所有欲の表れか、保護者のようなつもりでマチルダのおしゃれした姿を見たかったからか・・・。
少女と大人の男の恋愛をにおわせる部分はぼかされ、どのようにでも解釈できる『レオン』。クールな殺し屋ですが、レオンはどこか精神的に未熟な感じがします。彼が大量に飲むミルクは体づくりのためですが、彼の幼児性を象徴しているようにも思えます。マチルダは、そんな彼にとって結果的にファム・ファタール(男を破滅させる宿命の女性)だったのでしょうか…。
◆死ぬために生きている
さて、私は、こういうアクション映画とか、現実の戦争とか、働き方などを見ていて、男という生き物は、どうやって死のうかということをテーマに生きているのではないか、と常々思っています。自分が死ぬときはこういうふうにして死にたい、という理想の死に方、ないしは大義を思い描いて、そのシナリオを進んでいるように思えてなりません。男女というくくりで物を言うといまは叱られたりしますが、哺乳類のメスは、自分が死んでしまうと子どもも死んでしまうし子孫も増えないし、で、まず自分が生存することを最優先にするように遺伝子的にインプットされていると思います。死のうとする生き物と生きようとする生き物、そんな違いが、『レオン』と『グロリア』の間にもあるような気がします。
ジャン・レノと、これがスクリーンデビューのナタリー・ポートマン、今となってはこの二人以外に考えられない配役。麻薬取締局のスタンスフィールド役のゲイリー・オールドマンの偏執的な怪演も、抜きにして考えることはできません。ダニー・アイエロが演じた、いい人そうに見えて怪しいトニー。彼の二面性にレオンは気づいていないのか。彼がマチルダにどのように関わっていくのかが、映画を見終わった後も気がかりです。
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