この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

若草の頃

  古き良きアメリカの良き家庭を描いたミュージカル。きっと耳に覚えのある歌が・・・。

 

  製作:1943年
  製作国:アメリ
  日本公開:1951年
  監督:ヴィンセント・ミネリ
  出演:ジュディ・ガーランド、マーガレット・オブライエン、レオン・エイムズ、
     メアリー・アスター 他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    スミス家のペット
  名前:なし
  色柄:シルバーのタビー

 

◆冬の便り

 年末が近づくと、毎年数枚、喪中欠礼のはがきが届きます。多くはご親族の方のご不幸のお知らせですが、自分と同年代の方の通知がご遺族から届くと悲しいものです。長年年賀状だけのやり取りになっていた方の妹さんから、通知がありました。猫が大好きな方で、毎年愛猫の写真を年賀状で送ってくださっていました。私がこのブログを始めたと年賀状でお知らせしたら、きっと喜んで読んでくれるだろうと思っていたのに…。
 皆さんには、今年、どんな出会いと別れがありましたか。
 今年最後の映画は、心優しく、温かい気持ちになれる映画です。

◆あらすじ

 1903年の夏のセントルイス。両親と祖父、一男四女のスミス家。三女のアグネス(ジョーン・キャロル)が泳ぎから帰って来て、「セントルイスで会いましょう」と歌う。二女のエスター(ジュディ・ガーランド)は最近引っ越してきた隣家のジョン(トム・ドレイク)の気を惹こうとソワソワ。一方、長女ローズ(ルシル・ブレマー)が電話でプロポーズされるのを期待して、頑固な父アロンゾ(レオン・エイムズ)に内緒で家族が一致団結、と、年頃の娘を抱えたスミス家は賑やかだ。
 長男のロンの大学入学祝いのパーティーに、スミス家は隣家のジョンを招待する。エスターは、今夜は彼にキスさせる、と決心、帰りかけたジョンを呼び止めて、二人きりで家じゅうの明かりを消す手伝いを頼む。いいムードになってきたのに、エスターの握手をジョンが「すごい握力だ」とぶち壊し、エスターの決心は空振りに終わる。
 秋になり、ハロウィンの夜、末っ子の5歳のトゥーティ(マーガレット・オブライエン)とアグネスが仮装して出かけるが、トゥーティが怪我をして帰って来る。トゥーティからジョンに殺されかけたと聞き、エスターはジョンの家に乗り込んでいきなり殴りかかる。実はジョンはイタズラをして咎められそうだったトゥーティをとっさに隠してくれたことがわかり、ジョンに謝りに行ったエスターは、ジョンからキスされる。
 そんなとき、弁護士の父がニューヨーク所長として栄転が決まったと告げる。クリスマスまでここで過ごし、そのあとすぐ引っ越しをする、と一人で決めているが、家族はセントルイスを離れたくない。父はみんなに良かれとした選択だと怒り、母が父をなだめるように賛成したので、みんなもそれに従う。
 冬が訪れ、セントルイスでの最後のクリスマス。3日後に引っ越すスミス家では、庭にいくつもの雪だるまを作って名残を惜しむ。ダンスパーティーで、長男のロン、長女のローズはパートナーを獲得、エスターもジョンからプロポーズされる。エスターが家に戻ると、トゥーティがまだ起きていて庭の雪だるまを見つめていた…。

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◆猫嫌い

 猫の登場場面はほんのちょっと。三女のアグネスが表からキッチンに向かって「わたしの猫は?」とお手伝いさんのケイティ―に聞きます。ケイティーからは「さっき地下室の階段で蹴ったら転がっていった」と恐ろしい回答。アグネスが「死んでたらケイティーを刺し殺して、死体を真っ二つに裂いてやる」と倍返し以上の報復を口にすると、ケイティーは「ほら、あそこ」と猫のいる場所を指さします。丸顔のむっちりした猫が椅子の上にいて、アグネスは抱き上げて自分の髪のリボンとよく似た水色のリボンを首に結んでやります。
 猫が実際に画面に登場するのはこのシーンだけですが、スミス家の近所には、毒を入れた肉を猫に与えて殺している、という噂のブローコフさんという人が住んでいます。アグネスとトゥーティは、ハロウィンの夜、そのブローコフさんをやっつけに出かけます。小さいトゥーティはみそっかす扱いされていたのに、一人でブローコフさん宅に行き「大っ嫌い」と言って手に持った小麦粉をぶつけてきます。舞台となった町ではこの頃、ハロウィンの夜、子どもたちが嫌な大人に小麦粉をぶつけて懲らしめる風習があったのでしょうか(なまはげの逆バージョンのような…)。
 ニューヨークに引っ越す話が出たとき、三女のアグネスは猫を連れて行く、と言うのですが、あちらではアパート暮らしで猫は飼えない、と聞かされ、がっかり。そう話したのはお手伝いさんのケイティーです。ケイティーはどうやら猫嫌いのようですね。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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セントルイスで会いましょう

 この映画の原題は『Meet Me in St.Louis』。1904年のセントルイス万博のテーマ曲の題名でもあり、映画の冒頭のタイトルバックにオーケストラバージョンで流れ、始まってすぐにアグネスが歌います。この曲が万博のテーマ曲だとは知りませんでした。セントルイスでは同じ年にオリンピックも開催されたというので、さぞかし賑わったでしょうね。
 1970年に大阪で開催された日本万博のテーマ曲は、三波春夫の歌声でご存じの「世界の国からこんにちは」。各地の盆踊りや、学校の運動会でこの歌に合わせて踊る(筆者の経験)、など、津々浦々に浸透していました。実は三波春夫だけではなく、坂本九吉永小百合山本リンダなどもレコーディングしていたというので驚きです。
 『Meet Me in St.Louis』がなぜ『若草の頃』という邦題になったかですが、1949年のマーヴィン・ルロイ監督の『若草物語』が同年日本で公開され、『若草の頃』の両親が同じく両親役、トゥーティを演じたマーガレット・オブライエンが三女のベス役を演じ、評判になったことから、『若草物語』より前に製作され、まだ日本では公開されていなかったこの映画を『若草の頃』と命名し、二匹目のドジョウを狙おうとしたのではないか、というのが私の推測です。古き良き時代のアメリカの温かい家庭を描いた『若草の頃』は第二次大戦中のアメリカで大ヒット、国民的な不朽の名作のひとつだそうです(けれども、黒人は一人も出てこない…)。

◆婚活=就活

 そのわりに『若草の頃』は、日本ではあまりポピュラーではありません。『若草物語』は、南北戦争の従軍牧師の父の留守宅の、母と四人姉妹のピューリタン的なつつましい暮らしが舞台になっており、祈りや戦地の父からの手紙など、終戦から4年目の日本人にとって共感できる部分があったと思います。けれども『若草の頃』は、何不自由ない裕福な家庭、ハロウィンなどの当時なじみのなかった年中行事など、日本人にはまぶしすぎたのではないでしょうか。『若草の頃』は、アメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のための映画、と言えるかもしれません。意外なことに、ジュディ・ガーランドの代表作『オズの魔法使』(1939年/監督:ヴィクター・フレミング)は日本ではまだ公開されていませんでした(日本公開は1954年)。

 この映画では、エスターや姉のローズなど、高校生(当時)の女性たちが結婚、結婚と血眼になっていて、今の私たちからは異様なほどに映るのですが、1903年は日本で言えば明治36年、女性は十代でお嫁に行き、結婚せず自立することなど世界中でまず考えられなかった時代です。おまけにアメリカではお見合いという習慣もないので、年頃の男女は自分で相手を探さなければなりません。お父さんも二十歳で結婚した、と話に出てきますし、成人即結婚が普通だったのではないでしょうか。
 太平洋戦争後の占領下、小津安二郎の『晩春』(1949年)は、GHQによって「お見合い」が封建制度を温存しようとしていると見なされ、検閲に引っかかりそうになったそうです(注1)。自分のことは自分で決めるのが当たり前のアメリカ社会、エスターとローズのこの姿は婚活というより就活、生存を賭けた戦いなのです。この頃の女性にはこうした選択肢しかなかったと見るべきでしょう。自分で相手を選ぶことができただけマシだったと思います。

◆クリスマスの名曲

 「セントルイスで会いましょう」のほかにもアメリカ民謡をアレンジしたダンス曲や、「The Boy Next Door」など、この映画のために作られた名曲が楽しい『若草の頃』。中でもクリスマスソングの定番「Have Yourself a Merry Little Christmas」が最も有名だと思います。映画の中では、クリスマスのダンスパーティーのあと、ジョンにプロポーズされて夢見心地で帰ってきたエスターが、窓の外の雪だるまをまだ寝ないで見ているトゥーティを見つけたときに歌われます。「年が明ければ悩みは消える」という歌詞は、戦争中の人々の心を揺さぶったはず。
 トゥーティは、「サンタさんがまだ来ない、ニューヨークに行ったらサンタさんに見つけてもらえない」とエスターに言います。エスターは、ニューヨークにもサンタさんは来るからと、トゥーティをなだめ、「何一つ残さず荷造りして持って行きましょう。雪だるまだけは残してね」と、この歌を歌い始めます。歌を聴きながらだんだんべそをかき始めたトゥーティは、部屋を飛び出し、「連れて行けないなら殺した方がマシ」と言って、泣きながら次々と雪だるまを壊してしまいます。トゥーティ役のマーガレット・オブライエンが、鼻を真っ赤にして本当に泣きじゃくっているこのシーンを見ると、つられてこちらも涙があふれてしまいます。トゥーティを庭まで追いかけて行ったエスター。それを見ていたお父さんは…。
 これから毎年、クリスマスが近づいてこの曲を耳にすると、自然と目がうるうるしてしまうかもしれませんよ。

◆虹の彼方に

 ジュディ・ガーランドは少女のときから商品として働きづめで、薬物による体重や疲労のコントロール、5回の結婚・離婚などで心身がむしばまれていきます。『若草の頃』のときには遅刻をしたり、楽屋から出てこなかったり、再三撮影を遅らせ、母親役のメアリー・アスターに注意されていたそうです。この映画をきっかけに監督のヴィンセント・ミネリと結婚し、のちに女優になったライザ・ミネリをもうけますが、1950年には離婚。1969年に47歳で、滞在先のロンドンでトイレに座ったまま死んでいるところを発見されます。「彼女の短い生涯は常に『行け、行け、ジュディ!』だった」と、メアリー・アスターは語っています(注2)。晩年のジュディの痛々しい様子は、映画『ジュディ 虹の彼方に』(2019年/監督:ルパート・グールド)に描かれています。
 虹の彼方に、彼女は何を見ていたのでしょうか。温かい映画をありがとう。ジュディの魂に幸あれ。


(注1) 『天皇と接吻』(平野共余子著/2021年/草思社
(注2) 『ジュディ・ガーランド』(デイヴィッド・シップマン著/袴塚紀子訳/1996年/キネマ旬報社


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