この映画、猫が出てます

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郵便配達は二度ベルを鳴らす

愛に飢えた人妻が放浪の男とむさぼるような関係にはまり、夫を殺す。1946年版を軸に、1942年版、1981年版を比較。

 

◆1946年版
  製作国:アメリ
  日本公開:未公開
  監督:テイ・ガーネット
  出演:ジョン・ガーフィールド、ラナ・ターナ―、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    店周辺をうろつく猫
  名前:不明
  色柄:茶トラ?(モノクロのため推定)

◆1942年版
  製作国:イタリア
  日本公開:1979年
  監督:ルキノ・ヴィスコンティ
  出演:マッシモ・ジロッティクララ・カラマイ、他
  レイティング:PG-12(12歳以下には保護者等の助言・指導が必要)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    声の出演のみ

◆1981年版
  製作国:アメリ
  日本公開:1981年
  監督:ボブ・ラフェルソン
  出演:ジャック・ニコルソンジェシカ・ラング、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    ダイナーの飼い猫
  名前:不明
  色柄:茶トラ


◆四度の映画化

 『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の原作は、1934年に発表されたジェームズ・M・ケインの小説(The Postman Always Rings  Twice)。いままでに4度映画化されているということです。
 最初の映画化は1939年にフランスで『Le Dernier Tournant(最後の曲がり角)』という題名で、ピエール・シュナールが監督。これは評判がよくなく、存在自体ほとんど知られていないようです。
 この記事ではそれを除く3本を取り上げます。3本一度にとは無謀な挑戦かもしれませんが、それぞれを比べて見た方が面白いと思うのと、特に1946年のテイ・ガーネット監督版はこの頃のアメリカ映画らしさがよく出ていると思うので、この版を軸にほかの作品を見てみたいと思います。
 1946年版のコーラを演じたラナ・ターナーを、原作者のケインがコーラ役として完璧だと評したというので(注)、3本のどれから見ようかと迷われた方は、1946年版を最初に見るのがいいのではないでしょうか。

 ところで、郵便配達が出て来ないにもかかわらず、この印象的なタイトルの意味、1946年版の最後の方で主人公によって文学的に語られますが、あまりすっきりした説明にはなっていません。私は「同じことが二度あれば誰でも気付く」という意味に受け取っています。

◆あらすじ(1946年版)

 1930年代のアメリカ、ロスの外れのダイナー(安価な食堂)兼ガソリンスタンドに、風来坊のフランク(ジョン・ガーフィールド)がヒッチハイクの途中で立ち寄った。食事を待つ間、奥から肌を露わにした服で現れた女にフランクは目を奪われる。それは店主の妻のコーラ(ラナ・ターナー)だった。
 二人はお互いの欲望を嗅ぎ当てた。フランクは折から求人中のこの店で働くことに決める。店主(セシル・ケラウェイ)が留守の間にフランクはコーラと強引に関係を結ぶ。
 コーラは年の離れた夫と、金に惹かれて結婚したが、愛は芽生えなかったと打ち明ける。店主の留守中二人は駆け落ちするが、ヒッチハイクがうまくいかず、コーラの気が変わって店に舞い戻る。
 やがてコーラは夫を殺そうとフランクにもちかける。コーラが入浴中の夫を襲ったが、そのとき突然停電が起き失敗、店主は一命をとりとめる。コーラとフランクは店主の入院中、二人きりで夢のような日々を過ごす。
 フランクは店主が戻るのを潮に店を出て行ったが、偶然見つかって連れ戻される。店主は店を売り、故郷に帰ってコーラを寝たきりの姉の介護に当たらせ、フランクを店長にすると話し、フランクもコーラも追い詰められる。二人は自動車事故に見せかけて今度こそ店主を殺害、フランクも重傷を負ってしまう。
 店主の死に疑問を持った地方検事が入院中のフランクを訪れ、コーラが店主と一緒にフランクも殺そうとしたというストーリーをでっちあげ、フランクにコーラを告訴させてしまう。怒ったコーラは、フランクも自分と共犯だと自白。だが、裁判でその件は追及されず、コーラは執行猶予のついた過失致死罪となり、夫の多額の生命保険がおりる。
 コーラは店を生き生きと切り盛り、フランクはコーラが保険金目当てで自分を店主殺害にまきこんだと考え、前のようにコーラと接することができなかった。フランクはコーラが母の見舞いに行っている間に行きずりの女性と関係を持つ。
 コーラが帰ってきてから、コーラの自白をタイプした男が訪ねてくる。男はコーラの弁護士の元助手で、裁判の際に伏せたコーラの自白を検事に渡すと言って、金をゆすり取ろうとした。二人で彼を追い払ったあと、行きずりの女との関係を知ってコーラはフランクに激しく怒りをぶつけるが、フランクの子どもができたと打ち明ける。
 二人はよく泳ぎに行った思い出の海岸に行き、愛を取り戻して幸福感に浸るが・・・。

◆死を招く猫 

 3本の映画それぞれ猫の登場の仕方にも違いがありますが、まずは1946年のテイ・ガーネット版から。
 店の看板をネオンサインに変えてしばらくした日、バイクの警官が灯りに導かれるように駐車場に入ってきます。ちょうどその夜は店主殺害の計画当日。鍵をかけた2階の浴室で、コーラがベアリングの球を袋に詰めたブラックジャックで入浴中の夫を殴って殺し、転倒事故で死んだように偽装、梯子を使って脱出するシナリオでした。アリバイを作るため駐車場で車を手入れしていたフランクに警官が話しかけます。そのとき脱出用に用意してあった梯子をノラ猫が登っていくのに気づいた警官は、楽しそうに猫の話をして、俺は猫好きなんだと帰っていきます。屋根に登った猫が電線に触れて感電し、停電したのはコーラが夫を殴った直後。夫にまだ息があったのと、警官に梯子を見られたのとで、事故を装い病院に連絡するコーラとフランク。翌日、現場検証で訪れた猫好き警官は、梯子の下に猫の死骸を見つけて憐れみます。
 1981年のボブ・ラフェルソン版でもこの場面はほぼ同様の展開。翌日の昼間、警官が屋根に登って停電の原因を調査、感電死した猫の死体を下にいるフランク(ジャック・ニコルソン)に投げ落とします(死体は作り物)。猫は店で飼っていて、厨房に入ろうとしてコーラ(ジェシカ・ラング)に外に出されたり、コーラが夜中にミルクをやったりする場面があります。飼い猫が事故で死んだりしたら、飼い主は激しく悲しむはずですが、そういう描写はありません。1981年版にはなんと山猫も登場します(ネコ科はみんなかわいいですね)。
 1942年製作のヴィスコンティ版では、猫は夫殺害には関係せず、風の強い夜、店主と妻のジョヴァンナ(クララ・カラマイ)と放浪の男ジーノ(マッシモ・ジロッティ)の3人で過ごしているときに表で鳴きわめき、ジョヴァンナが気味が悪いと訴えて夫が銃で殺してしまいます。猫の姿は画面には登場しません。
 いずれの映画でも猫が担っている役割は、停電の原因と言うより凶事の前触れです。特にアメリカの2作では、最初の殺害計画が猫によって失敗したことが、二人をより罪深い二度目の犯行に導いてしまうのです。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆出会い

 1946年版は、前半と後半がきれいに分かれます。コーラとフランクが自動車事故を装って店主を殺すまでが前半、後半は二人を疑った検事と弁護士のトリッキーな法廷戦術と、二人だけの幸福を願ったはずのコーラとフランクがすれ違っていくさま。
 偶然出会ったコーラとフランクが邪魔な店主を殺すという、誰にもわかる三文小説的な前半に比べて、後半の裁判部分が急に理詰めになるので、素早く頭を切り替えないと置いていかれる感があるのですが、真実と正義がどうやって明かされるかという法廷劇や、探偵・刑事ものはアメリカの得意ジャンル。訴訟大国と言われるアメリカですが、白黒を明確にしたいというのが国民性なのかもしれません。
 また、1946年版には道徳的抑制とも言うべき表現が散見されます。「あらすじ」を書いているときに、「コーラとフランクが肉体関係を結んで・・・」と書きかけて、ふと映画を見なおすと、実は二人の行為として描かれているのは濃厚なキスまで。ベッドに入ったかどうかを暗示する映像すらありません。
 それに対し、1981年版では、ジャック・ニコルソンジェシカ・ラングの、テーブル上での暴力的な性描写が話題を集めました。1942年のヴィスコンティ版では、二人が出会うなり視線に火花が散り、女が男の肉体に欲望をかきたてられていくさまがストレートに描かれます。

◆自主規制

 以前『ルームメイト』(1992年/監督:バーベット・シュローダー)のときにも書きましたが、1930年代から60年代までのアメリカでは、通称ヘイズ・コードと呼ばれる映画業界の自主規制がありました。ヌードや同性愛は禁止、殺人や犯罪の手口を細かく描写するのや、男女がベッドを共にする場面は、要注意事項だったということ。残酷さを感じさせる死体も、レイプも、コードに引っかかる要素。1946年版ではフランクが自動車の中で夫を殺す具体的な映像がないのに対し、1981年版ではその瞬間がはっきり描かれ、血を流した夫の遺体も登場します。
 フランクが初めてコーラと出会ったときの1946年版のコーラの服装は、セパレーツのトップスとショートパンツという奇妙なもの。この服はコードに対する配慮で、原作では下着か裸に近い姿だったのではないかと思いましたが、「いい体」というだけで、服装についての記述はありませんでした。3つの映画それぞれの女性主人公の登場のしかたも、必ず見比べたいポイントです。
 1946年版に夫殺害の映像はなかった一方、猫が感電する瞬間は花火か何かを使って映像化されています。翌日見つかった黒焦げの猫の死骸は、なんだか本物のように見えていやな気持ちです。

最後の審判

 ほかの2作に比べて1946年版で目立つのは、コーラの高慢で野心的な性格です。フランクには命令口調で支配的、近づこうとする彼を無視し、店を自分好みに変えたがり、夫が亡くなるとテラス席を設置してお酒も置き、彼女に対する好奇の目で客が集まるのを苦にせず働いて儲けます。
 亡くなる直前に夫がなぜ生命保険に加入したのかは謎。コーラはそのことは知らなかったと言いますが、その点はあいまいなままストーリーは進むので、彼女のこうした性格から、やはり保険金殺人にフランクを利用したのでは、という想像がふくらんできます。コーラに悪意があったのか、なかったのか・・・。1946年版は、サスペンスフルな犯罪映画です。

 そうした重層的な含みを持つ1946年版に対し、1981年版は、性的な部分が強調され過ぎたような感があります。店主を亡き者にしてまで欲望を味わいつくそうとする性の奴隷のような二人の姿に圧倒されますが、見終わってしばらくするとその部分ばかりが頭に残って、ほかの部分を消してしまうのです。フランクとコーラの関係も、一方的にフランクが悪者。コーラは、フランクを保険金殺人の罠にはめようとした悪女というより、年取って脂ぎった夫を忌避し溜まっていた性的欲求不満をフランクによって爆発させた若妻、という風情です。

 1942年版は舞台をイタリアに置き換え、ヴィスコンティが小説の映画化権を取得せずに作ってしまったため、長く公開されなかったそうです(これが監督第1作)。主人公の男はジーノ(マッシモ・ジロッティ)、女はジョヴァンナ(クララ・カラマイ)。物語には主人公ジーノと同道する香具師(やし)や、店主の死後、店で雇った幼女などのオリジナルな脇役が登場し、法廷劇の部分は存在しません。レイティングがPG-12なのは、ジーノが出会う旅巡業のバレリーナが生活のために売春をしているという描写ゆえかと思います。
 ジーノのマッシモ・ジロッティはこの3つの映画の主人公の中で最も強烈なエロスを放ち、破れた靴からのぞく指先にさえゾクゾクします。情念という点から選ぶとしたら、ヴィスコンティ版が一番です。

 物語の結末として、3本とも天罰と呼ぶべき運命が二人に降りかかります。最後に人を裁くのは、法ではなく神だ、と言うように。けれども1946年版では、さらに法による裁きがフランクに待っているのです。


(注)IMdB
(参考)『郵便配達は二度ベルを鳴らす』ジェームズ・M・ケイン/田口俊樹訳/新潮文庫
    2014年

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