この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

死刑台のエレベーター(1957年)

不倫の末、夫殺害の完全犯罪を狙った女と男が小さなミスから行き違う。クールでスタイリッシュな美男美女のサスペンス。

  製作:1957年
  製作国:フランス
  日本公開:1958年
  監督:ルイ・マル
  出演:ジャンヌ・モローモーリス・ロネジョルジュ・プージュリー
     リノ・ヴァンチュラ 他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    窓の外の猫
  名前:なし
  色柄:黒


◆タイトルの妙

 以前このブログでご紹介した『地下鉄のザジ』(1960年)のルイ・マル監督の、25歳のときの劇映画デビュー作。
 こまっしゃくれた女の子・ザジがハチャメチャなドタバタをパリの街で繰り広げる『地下鉄のザジ』とは対照的に、バックにジャズが流れるモノクロの画面が、大人のパリをけだるく描き出します。
 前回の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』に続いて、今回も完全犯罪を狙った夫殺しの映画。どちらも映画史上指折りと言えるインパクトを誇るタイトルです。

◆あらすじ

 カララ商事の社長の妻・フロランス(ジャンヌ・モロー)は、不倫相手の夫の部下のジュリアン(モーリス・ロネ)に夫殺害を依頼する。
 ジュリアンと、アリバイ工作のため残業を頼んだ電話交換手の女性と社長が残る土曜の夕方のオフィス。ジュリアンがバルコニーに出て上階の手すりにかけたロープを使って社長室のフロアに登り、ピストルで社長を殺害。自殺を装い外から施錠して、密室殺人は成功したかに思えた。
 交換手の女性と共にビルを出て、フロランスの待つカフェに車で向かおうとしたとき、窓の手すりに置き忘れたロープがジュリアンの目に入る。ジュリアンは慌ててロープを取りにビルに入ってエレベーターに乗るが、そのとき守衛がビルから全員退出したと思って電源を落とし、ジュリアンはエレベーターに閉じ込められてしまう。
 外では、放置されたジュリアンの車に、ビル近くの花屋の店員のべロニク(ヨリ・ベルタン)の恋人のルイ(ジョルジュ・プージュリー)がイタズラに乗り込み、べロニクを乗せて走り出してしまう。
 待ち合わせのカフェでジュリアンを待つフロランスの目に飛び込んできたのは、助手席にベロニクを乗せて走り去っていくジュリアンの車だった。フロランスは、ジュリアンが夫を殺すことができず、ベロニクを連れて逃げたと思い込む。
 ジュリアンの車に乗ったルイとベロニクは、旅行中のドイツ人中年夫婦の車と高速道路で競走し、彼らと親しくなる。モテルの隣の部屋にジュリアン・タベルニエ夫妻と名乗って泊まり、夫婦からお酒をごちそうになったり、一緒に写真を撮ったりした翌朝、ルイはドイツ人夫婦の車を奪って逃げようとするところを見つかり、ジュリアンの車にあった銃で夫婦を殺してベロニクと逃げる。
 ジュリアンの行方を捜して一晩中街を歩き回っていたフロランスは警察に引っ張って行かれ、そこで殺人課の警部(リノ・ヴァンチュラ)に、「ジュリアン・タベルニエ」が若い女性とモテルに泊まり、ドイツ人夫婦を殺害したと聞かされる。
 一方、ずっとエレベーターに閉じ込められていたジュリアンは、ドイツ人夫婦殺害容疑で警察が彼のオフィスを捜索に来たときにエレベーターが動き、脱出する。そのとき、守衛が社長が死んでいるのを発見する。新聞にデカデカと報道されたジュリアンは警察に通報され、尋問されるが、社長殺害を隠すため昨夜どこにいたかを答えることができなかった。
 ジュリアン逮捕の新聞記事を見て、フロランスはベロニクが何か知っているはずだと彼女の部屋を訪ねる。睡眠薬自殺を企てて失敗したルイとベロニクは、フロランスが持ってきた新聞を見て、ジュリアンに濡れ衣を着せたまま逃げられると思いかけたが、ドイツ人夫婦と撮った写真をモテルに残していたことを思い出す・・・。

◆猫は見ていた

 ジュリアンの社長殺害の手段、先に鉤の付いたロープを会社のビルのバルコニーの手すりに引っ掛けて登るなどという危険なことをやってのけられたのは、彼が軍隊で落下傘部隊に所属していたから。訓練を受けた屈強な体で高い所も怖くない、とは言え、真下から真上の階の手すりに鉤を投げ上げて引っ掛けるなど、一発で成功すればよいですが、へたすると自分の顔に落ちてきて大けがをしそうです。そこは映画らしく、一発でがっちり食い込んだ鉤を頼りにジュリアンはロープをよじ登りますが、それはそれで背広に革靴の男がビルの外壁でそんなことをしている姿を目撃されれば、不審極まりない。
 色々な点で雑な計画と言えますが、ジュリアン役のモーリス・ロネのような二枚目が大真面目にそれをやっていると納得させられてしまいます。

 そうやって社長室に入ったジュリアンが社長を殺したあと、机に突っ伏して死んでいる社長の背後の窓ガラスの外に黒猫が現れます。黒猫が手すりを右方向に歩き、顔の左半分が窓枠に隠れると、画面は社長室の中に切り替わり、金縛りにあったかのように体をこわばらせて後ずさりするジュリアンの背中をとらえます。黒猫の、くっきりとこちらを見据えて光る片方の目。社長殺害の瞬間を見られたかと、猫にすらおびえるジュリアン。不吉のしるしの黒猫は、映画の開始から10分ほどのところで姿を現します。
 猫は自分の足が乗っかるくらいの幅があれば、高い所でもスイスイ歩けるようです。ただ、ジュリアンが社長を殺したあと、帰るときのフロアは10階。そんな高さまで猫がビルの外壁を登るとはちょっと考えにくい。緊張のあまりジュリアンは黒猫の幻覚を見たのか、カラスを見間違えたのか・・・。

 ところでそのフロア、ジュリアンの執務室のすぐ前に交換手の席があり、ジュリアンは社長を殺してから執務室に戻って交換手と一緒に10階からエレベーターに乗って帰ります。ということは社長室は11階以上になければならないはずですが、その後何度も映るエレベーター内部の操作盤を見ると、フロアは10階までしかありません。これはおかしい。
 こういうつじつまの合わないことが起きないよう記録し、チェックするのがスクリプターの仕事です。この映画を作る過程では最後まで誰も気が付かなかったのか、気が付いたけれど、どうせ誰もわからないと流してしまったのか。いや、深読みすれば社長室のあるフロアにはセキュリティ上エレベーターが通じていなかったとか? 社長室に行くには全員ロープでよじ登らなければならなかったとしたらすごい会社ですが・・・。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆省略の妙

 『死刑台のエレベーター』の良さは、無駄をそぎ落とした簡潔な運び。1時間半にも満たない上映時間で、必要十分に物語を堪能させます。
 フロランスとジュリアンが愛し合うまでの経緯も、夫を殺そうとする理由も描かず、殺害を実行するところから始まり、それが破綻するまでの凝縮した運び。ジュリアンがエレベーターに閉じ込められるというアクシデントと、若いカップルがジュリアンを装って行動したことによる誤認が招く思いがけない展開。お金をかけないで作られたシンプルさ。微に入り細を穿つようにして上映時間が長くなる傾向の最近のデジタル映画とは対照的な、映画的省略の優れた見本と思います。このまんま味わうのが一番でしょう。昔の映画らしく、最後にダラダラとエンドクレジットが流れず「FIN」でバッサリ終わるのもいい。

 映画の冒頭、フロランスのジャンヌ・モローの目の部分のみにライトが当たり、すぐに画面いっぱいの顔のアップに切り替わります。フロランスは愛人のジュリアンと公衆電話で今夜の夫の殺害とその後の待ち合わせの段取りを話しています。「愛してるわ」「愛が臆病にさせる」などという歯の浮くようなセリフも、フランスの美男美女が語り合うと少しもキザに感じません。夫の殺害を指示して「30分後にカフェで待ってるわ」とはずいぶん厳しめのミッションです。
 けれども、二人が言葉を交わすのは映画の中でこれが最初で最後。二人が一緒にいる映像は皆無です。厳密に言うと、二人で一緒に写した写真がラストに登場するのですが、映画の製作過程でジャンヌ・モローモーリス・ロネが直接顔を合わせたのはその写真を撮るときだけで、あとは全く二人別々に撮影したのではないでしょうか。

 一度も直接相まみえない愛人役の男を思い描いて、夜のパリの街を捜し歩く演技をするジャンヌ・モロー。夫はまだ生きているのかもしれない、ジュリアンは若い女と逃げてしまった、私の殺意は夫に知られたのか、私はジュリアンに裏切られたのか、会って確かめたい、ジュリアンはどこ・・・? そして彼女は政界に幅を利かせる企業の社長夫人。彼女自身の存在が、歩きが、そんな雰囲気を醸し出すことができるか、何でもないようでいて難しい演技です。バックにはマイルス・デイヴィスらのスローなジャズが響きます。
 一方、エレベーターに閉じ込められたという想定のモーリス・ロネ。狭い空間でポケットの中のライターやナイフなどを使って何とか脱出できないかと工夫する演技。無言で、何をやっているのかがわかるよう、クリアな動作で、かつ、戦争の英雄だった人物らしく冷静に演じなければなりません。カメラやスタッフがずらりと並ぶ中で要求される、あまり面白くなさそうな細かい作業の一人芝居。「ジャンヌ・モローとのラブシーンはないのか!」などと内心怒っていたかもしれません。

◆パワーゲーム

 ノエル・カレフの原作を紐解くことも、うがった見方や裏を読む努力も無用、見たそのままを味わうべきこの映画。
 強いて掘り下げれば、主人公のフロランスは、自分より年を取った夫にはお金や地位があっても女として満たされなかった、この点では『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の女性主人公と同じです。また、夫の会社は戦争用の武器を扱う商社。第二次大戦後もインドシナアルジェリアで戦争を続けていたフランスの武器商人に対して、戦争の英雄とまつり上げられていたジュリアンは嫌悪を示します。
 女としてこのまま朽ちていくことに恐れと焦りを感じたフロランスが、夫の仕事を通じて知り合ったジュリアンにしがみつき、戦場で地獄を見たジュリアンは武器を売る会社を憎み、二人の憎しみは社長という人物の上で重なります。社長夫人の愛人として従属的な立場のジュリアンは、気が付いたときにはフロランスに殺人の実行を命じられてしまったのではないでしょうか。彼はエレベーターに閉じ込められるより前に、フロランスにがんじがらめになっていたと言えるでしょう。

◆役者の妙

 1950年代のヌーヴェル・ヴァ―グの時代から、2010年代まで、フランスを代表する女性俳優として活躍したジャンヌ・モロー。年を取っても変わらぬ小悪魔的な生意気さと可愛らしさ、意志の強そうな瞳で、さっそうと輝いていました。1990年代だったか、来日し、記者会見の席上で、フランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』(1962年)の中で歌った「つむじ風」という歌を披露してくれた記憶があります。歌い終わったときの笑顔が実にチャーミングだったなあ!
 モーリス・ロネと言えば、『太陽がいっぱい』(1960年/監督:ルネ・クレマン)の、アラン・ドロンに殺される金持ちのドラ息子役。上流が似合う正統派美男俳優です。
 対照的に、殺人課の警部役の一癖も二癖もある顔立ちのリノ・ヴァンチュラは、元レスラーだそうです。彼も男の友情が心打つ名作『冒険者たち』(1967年/監督:ロベール・アンリコ)でアラン・ドロンと共演していますが、私に最も強烈な印象を残したのは『モンパルナスの灯』(1958年/監督:ジャック・ベッケル)の画商役。主人公の画家のモジリアーニ(ジェラール・フィリップ)の絵が死ねば高く売れると、死期が近づいたモジリアーニの後をつけ回し、絶命したのを見届けると彼の家に行って、死んだということはおくびにも出さず絵を片端から買い取る、そういういや~な感じが似合う俳優です。
 そして、ジュリアンをかたってドイツ人夫婦を撃った不良青年ルイ役のジョルジュ・プージュリー。先に『ラ・ブーム』(1972年/監督:クロード・ピノトー)の記事で、お母さん役のブリジット・フォッセーが『禁じられた遊び』(1952年/監督:ルネ・クレマン)の戦災孤児のポーレット役だった、とお話ししましたが、何を隠そう、その相手役の男の子が、このジョルジュ・プージュリーなのです。
 これはやはり近々、『禁じられた遊び』を取り上げないといけないかな・・・。

 

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