この映画、猫が出てます

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写楽

江戸時代の絵師・東洲斎写楽とは何者か? 篠田正浩監督が謎に挑む。主演はいま最も熱い真田広之

 

  製作:1995年
  製作国:日本
  日本公開:1995年
  監督:篠田正浩
  出演:真田広之フランキー堺佐野史郎岩下志麻、葉月里緒奈、片岡鶴太郎、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    花里から預かった子猫
  名前:なし 
  色柄:黒
  その他の猫:屋根の上のおとな猫
  色柄:黒

 

◆ハリウッドの将軍

 今年2024年に放映・配信が始まったアメリカ発ドラマ『SHOGUN 将軍』が、9月17日、エミー賞史上初の18部門を受賞。プロデュースならびに主演を務めた真田広之が作品賞・主演男優賞を授与され、話題をさらいました。
 早速反応したのが、このブログのお抱え絵師・東洲斎茜丸。少し後に記事公開の予定だったこの『写楽』が真田広之主演なものですから、繰り上げるよう「早く早く」とせかすこと。茜丸は江戸時代の絵師・東洲斎写楽の子孫を冗談で自称しておりますが、写楽は謎の絵師。活動期間はごくわずかで、実在していたのか、一人の人物ではなかったのではないかと、解明されていない部分が多いのです。ましてや子孫の存在などわかろうはずもなく・・・。
 写楽の代表作は予告編のイラストにも描かれた「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」など。『写楽』は、そんな写楽の正体を自由な推理で描き出したフィクションです。
 1963年に急死した映画監督の川島雄三が、次の作品の主人公として取り上げようとしていたのがこの写楽。川島作品の常連で、写楽を演じるはずだったフランキー堺がその志を受け継ぎ、30年以上を経て企画総指揮、本名の堺正俊で脚色しています。真田広之の主人公写楽のみならず、同時期に活躍した絵師や戯作者などの江戸の文化を彩る実在の人物たち、1835年にできた現存する日本最古の芝居小屋「旧金毘羅大芝居(金丸座)」を使用しての歌舞伎などにも興味の尽きない一本です。

 一般映画ではありますが、喜多川歌麿が描いたとされる春画が出てきます。ぼかしは入っていますが、役者が演じる映像以上になまめかしいので(これぞ絵師の力!)、お子さんとご覧になる場合は注意してください。

◆あらすじ

 寛政3年(1791年)の江戸。
 その日、歌舞伎の舞台で端役を務めていた若者(真田広之)の足が役者が乗った梯子の脚の下敷きになり、骨が砕けてしまう。客席でそれを見ていた大道芸人のおかん(岩下志麻)は、役者ができなくなった若者を大道芸の一座に誘い込む。おかんは若者が舞台でトンボを切っていたので、とんぼという通り名を付ける。
 おかんの一座は、浮世絵や洒落本の版元で大もうけをしている蔦屋重三郎フランキー堺)の店の前で嫌がらせの芸をしたり、蔦屋のお抱え絵師の喜多川歌麿佐野史郎)や、戯作者の山東京伝(さんとう・きょうでん/河原崎長一郎)を連れて蔦屋が遊んでいる吉原に繰り出したりして、騒ぎを起こしていた。吉原での騒ぎのとき、とんぼは花魁に付き従う花里(はなざと/葉月里緒奈)の抱いていた猫を拾って預かる。
 時は寛政の改革の折。贅沢や風紀の乱れへの取締りは厳しく、蔦屋と山東京伝は洒落本をめぐり手鎖と店の規模半減のおとがめを受ける。歌麿はとばっちりを恐れ、別の版元に乗り換える。
 歌麿が逃げ、山東京伝の本も出せなくなり、蔦屋は役者の大首絵(おおくびえ)で起死回生を図ろうと絵師を探し回る。
 ある日蔦屋が声をかけた絵師の一人・鉄蔵(のちの葛飾北斎永澤俊矢)が、隣に住むとんぼの描いたさらし首の絵を蔦屋に持ってくる。その絵の個性にほれ込んだ蔦屋は、とんぼを呼びつけて役者絵を描くよう説得、東洲斎写楽という雅号を与える。蔦屋が許すまで写楽の正体は口外しないことを約束させ、花魁に上り詰めた花里のもとでとんぼを遊ばせる。
 謎の絵師写楽のユニークな役者絵は話題をさらったが、悪評も多かった。当代随一の絵師として花里のもとに入りびたっていた歌麿は、写楽の評判と自分にない個性を不快に思い、手下を使って写楽の正体を突き止めさせる。
 歌麿のもとに連れて来られたとんぼは、花里と一緒に手下の着物を着て廓(くるわ)抜けするよう迫られる。捕まれば激しいリンチに遭うのは必定だが、花里は写楽と逃げることを選ぶ。
 手下に化け、吉原の大門を出る二人。そのとき花里が櫛を落とし、門番に気づかれてしまう・・・。

◆預かった猫

 写楽こととんぼと花里の出会いを取り持ったのは黒猫。花魁のおつきの新造というまだ見習いだった花里は、黒い子猫を抱いて吉原の仲の町を練り歩く花魁道中に加わり、美貌も手伝って人目を引きます。
 その最中におかんたち大道芸人がなだれ込んで、追い出そうとする人々と乱闘になり、花里の手から逃げた子猫が踏みつぶされそうになるのをとんぼが守ります。引き上げていく花里に向かって「預かっておくから心配するな」と叫ぶとんぼ。とんぼと花里には、その短い間にお互い忘れられない想いが生まれます。
 おかんの一座に身を寄せても歌舞伎を諦めきれず、舞台がかかるたびに楽屋裏に通って書き割りの絵を描いたり、役者の絵を描き散らしたりしていたとんぼですが、子猫を花里の分身であるかのように肌身離さず大事にします。
 花里が花魁になりお披露目の当日、とんぼは花魁道中に乱入して歌麿の前に進み出た花里に猫を渡します。お披露目を邪魔され激怒する歌麿。おつきの年配の女が猫をひったくると、力任せにどこかに放り投げてしまいます。
 猫の行方がどうなったのかはわかりませんが、ラスト近く、場末の女郎屋の女郎に落ちぶれた花里を、この世の者かどうかわからないとんぼが見つめ、それをおとなの黒猫が屋根の上からじっと眺めています。とんぼの生死があいまいなラストは、写楽の存在の不確かさを表していると言えるでしょう。
 黒い子猫は18分30秒頃から62分15秒くらいまでの間に何度も登場します。とんぼが書き割りを描く間、邪魔されないよう猫を手桶に入れておくところがほほえましい。おとなの黒猫が出てくるのは134分30秒くらいです。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆世界を熱くする

 『SHOGUN 将軍』のような刀や戦の武士の時代劇とはまた違う、町人文化の時代劇ですが、この映画にかける考証、衣装、道具方など、スタッフの情熱とエネルギーは決して『SHOGUN 将軍』に引けを取らないと思います。エミー賞受賞時の真田広之の日本語のスピーチに、これまで時代劇を継承し支えてくれた人々への感謝やお礼とともに「あなた方から受け継いだ情熱と夢は海を渡り国境を越えました」という一節がありますが、ここにグッと来た時代劇関係者は多かったことでしょう。まさかハリウッドに本物の時代劇を作らせてしまうとは。
 真田広之は、アクション俳優として時代劇映画の出演が多いのですが『たそがれ清兵衛』(2002年/監督:山田洋次)では小太刀の名手の貧乏侍を演じ、室内での抑制された立ち回りと、古武士のような風格がとても印象に残りました。
 このブログで紹介した『怖がる人々』(1994年/監督:和田誠)の第一話「箱の中」での若いサラリーマンや『麻雀放浪記』(1984年/監督:和田誠)など、現代劇では爽やかさを発揮。エミー賞受賞を報じるテレビのバラエティ番組(番組名は失念しました)で、真田広之が教え子の女子高生と道ならぬ恋に引き込まれる教師を演じた『高校教師』(1993年放映)のビデオの一部が流れたとき、その頃を知らない若いタレントがキャーキャー言っていましたっけ。カッコいいですもん、無理もありませんよね。

◆寛政人物往来

 この映画は写楽の周辺の実在の人物がたくさん登場し、彼らのことを予備知識として仕入れておいた方が楽しめると思いますので、簡単に人物紹介をさせていただきます。

【版元】
蔦屋重三郎(1750~1797)演:フランキー堺
 浮世絵や洒落本などを出版・販売する耕書堂のプロデューサー・社長。
【蔦屋に関係する絵師、作家】
喜多川歌麿(1753~1806)演:佐野史郎
 蔦屋のプロデュースで名を成し、美人画の浮世絵で一世を風靡した絵師。
・幾五郎=十返舎一九(1765~1831)演:片岡鶴太郎
 『東海道中膝栗毛』の作者。この映画では上方から江戸に出てくる道中での面白い話をまとめて出版しようとしており、蔦屋の手足となって働く。途中から画風が変わったとされる写楽の絵は、映画では幾五郎が代わって描いたとしている。
・鉄蔵=葛飾北斎(1760~1840)演:永澤俊矢
 ご存知「神奈川沖浪裏」を含む『富嶽三十六景』の作者。映画では歌麿の後釜として絵を描くよう蔦屋から指示されるが、出来上がった絵を見て却下される。
・倉蔵=曲亭(滝沢)馬琴(1767~1848)演:高場隆義
 『南総里見八犬伝』の作者。武家の出で作家を志しているが、映画では硬いものしか書けずに幾五郎や鉄蔵からなめられている。
・俵蔵=鶴屋南北(1755~1829)演:六平直政
 『東海道四谷怪談』などの歌舞伎の台本となる狂言作者(いまの脚本家)。この映画では歌舞伎の裏方を務めていたが、一念発起して上方へ作家修業に向かう。
山東京伝(1761~1816)演:河原崎長一郎
 戯作と呼ばれる通俗小説の作者。映画で描かれているように手鎖の罰を受けるが、曲亭馬琴がその間、手伝いをしたという。
【時代背景に関係する人物】
松平定信(1759~1829)演:坂東八十助
 質素倹約を旨とする寛政の改革を実施した老中。このため、歌舞伎役者に高額の出演料を払ったり、豪華な着物を着るなどといった贅沢は慎まなければならなくなった。
・太田南畝(おおたなんぽ/1749~1823)演:竹中直人
 随筆などを書いた文人狂歌師で御家人寛政の改革で一旦狂歌の筆を置く。写楽の絵が生まれたのは改革の締め付けで民衆の心が冷え切っているからではないかという松平定信の弁に、返す言葉がない。
 
 歌舞伎役者の欠点に近い特徴を極端にデフォルメした写楽の絵は、世に受け入れられず、やがて消えていきます。そんな写楽歌麿といった脚光を浴びる存在に、いつかは俺もと鉄蔵が唇を噛む先に、のち彼のモチーフとなる富士山のシルエットが浮かび上がります。18世紀終盤の江戸で、これらの人々が実際に交流し、刺激し合っていたというのが、写楽という人物の謎解きに終わらないこの映画の面白さです。

 写楽は、現在、能役者の斎藤十郎兵衛(1763~1820)とする説が有力です。この映画では、斎藤十郎兵衛が歌舞伎の舞台の袖でスケッチをしていて、とんぼ・写楽とは別人として描かれています。斎藤十郎兵衛の役をイラストレーターの日比野克彦が務めているのも一興です。

◆絵師の一言

 さて、ドラゴンシリーズに続き、今回も自分の得意ジャンルとして当ブログのお抱え絵師の東洲斎茜丸がこの映画について一筆書いてみたいと申しましたので、以下に掲載させていただきます。茜丸の文章にて、この記事は一巻の終わり~。

 イラストを描かせていただいている東洲斎茜丸です。何を隠そうこの映画の主人公写楽は、私のご先祖さま・・・いえいえ、これは冗談です。
 東洲斎写楽の活躍期間は約10か月あまり。生没年不詳の謎の絵師とされています。阿波徳島藩蜂須賀家お抱えの能役者 斎藤十郎兵衛とする説が、現在では有力とされているようです。一切の余分な物を取り除き本質に迫る、あの大首絵は能という芸に通じるような気がします。
 あんな絵を描いちまった写楽が凄いのはもちろんですが、版元の蔦屋重三郎も凄いお人ですね。時代を超えた目利きなのか、それとも身上半減の罰を食らった後の、ヤケのやんパチなのか(その時の手鎖50日は山東京伝のようですが、映画では蔦重も同様の刑を受けたように描かれていますね)。
 実際の写楽はほとんど謎の人物なので、この映画でも彼の生活は曖昧で掴みどころがありません。同時代の人として、歌麿北斎十返舎一九山東京伝、太田南畝、曲亭(滝沢)馬琴、鶴屋南北、そして蔦屋重三郎などが顔を揃えているけれど、蔦重以外はあまり見せ場のないのが少々物足りないところです。彼らが写楽の登場に、いかに反応したのか、それをもっと見せてほしかったと思います。
 写楽と役者絵を結びつけるためか、彼が稲荷町と呼ばれる歌舞伎の下っ端役者であったようにも描かれていて、歌舞伎界の過酷な上下関係も垣間見せてくれます。当時人気絶頂の五代目団十郎の荒事を、まだ健在だった中村富十郎が気持ちよさそうに演じていて、歌舞伎ファンにも大サービス、といったところでしょうか。
 また、田沼意次の失脚から、権力が老中松平定信に移り、「寛政の改革」とやらが断行されます。生活も豊かで文化華やかな田沼時代から、江戸庶民にとって息がつまるような空気に変わりつつある、そんな時代背景もちゃんと押さえてあります。
 劇中、松平定信がつぶやきますね。「巷ではざれ歌が流行っているとか・・・」と。映画では示されませんでしたが、「白河の 清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋ひしき」というアレです。この頃の狂歌は洒落っ気がありますね。もっとも、この狂歌は6年間の改革のずっと後期じゃないでしょうか。江戸の町が灯の消えたようになって、団十郎が舞台から大見えを切っていられた時期じゃありません。
 映画『写楽』は、ストーリーが広がり過ぎてまとまりが悪いような感じもありますが、細かく見てゆくと、枝葉にたくさん見どころがありそうです。個々の登場人物より、あの時代の雰囲気に浸りたい人にはイチオシの映画! と言っておきましょうか。

 

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