この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

河内山宗俊(こうちやまそうしゅん)

お数寄屋坊主の河内山宗俊とやくざの用心棒が、純真な乙女を命がけで守る。娯楽とシリアスドラマを自在に融合させた山中貞雄監督極上の時代劇。

 

  製作:1936年
  製作国:日本
  日本公開:1936年
  監督:山中貞雄
  出演:河原崎長十郎中村翫右衛門原節子、山岸しづ江、
     市川莚司(のちの加東大介)、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    やくざの森田屋の猫
  名前:不明
  色柄:黒

◆ルーツは歌舞伎

 1930年代の映画と言えば、無声映画からトーキーに切り替わった時期であり、また世界的にも多くの傑作映画が生まれた時代でもあります。
 日本では歌舞伎を撮影することから映画が始まり、初期の俳優には歌舞伎役者が多く、女性の役を女形が演じていたというのは『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1929年/監督:F・W・ムルナウ)のときに書いた通りです。
 『河内山宗俊』は、7幕から成る歌舞伎の演目『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』の登場人物やエピソードを自由に書き換えつなぎ合わせて作ったストーリーで、何時間にもわたる芝居のエッセンスを80数分の映画にまとめたもの。歌舞伎・時代劇というより現代劇風です。
 歌舞伎の河内山宗俊は大名のことを「でえみょう」と言うべらんめえ調、強きをくじき弱きを助ける鉄火肌で、映画の方はそれよりソフトな印象。ストーリーや他の登場人物の役どころも歌舞伎とはだいぶ異なっているので、公開当時、歌舞伎の映画化のつもりで見に行った人は面食らったのではないでしょうか。
 原作者はあの有馬の化け猫騒動を題材にした『有松染相撲浴衣(ありまつぞめすもうのゆかた)』の河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)です。

◆あらすじ

 ところは江戸。やくざの森田屋の用心棒・金子市之丞(中村翫右衛門/なかむらがんえもん)は、寺社界隈の夜店から場所代を取り立てていた。金子はいつも甘酒屋のうら若いお浪(原節子)からは場所代を取らなかった。お浪は広太郎(ひろたろう/市川扇升)という弟と二人暮らしで、最近広太郎が遊びを覚えて家に寄り付かないので困っていた。
 森田屋の子分と夜店の賭け将棋をしていた河内山宗俊河原崎長十郎)がイカサマに引っかかりそうになったのを、通りすがりに広太郎が助け、河内山が大儲けする。
 河内山が愛人のお静(山岸しづ江)の飲み屋に帰ると、若い娘が店の中をのぞいている。それは弟の広太郎が来ていないかと迎えに来たお浪だった。2階は賭場になっていて広太郎は毎日のように通い詰めていたのだが、姉が迎えに来たとわかると偽名を使ってとぼける。
 翌日、金子市之丞が森田屋の用事でお浪の家に行くと、松江家の家老の北村大膳が来ており、先君が将軍家から拝領し、北村に賜った刀の小柄(こづか。小刀のこと)を広太郎が盗んだ、返さなければ訴えると言って帰る。
 広太郎はすでに小柄を競り市に売りさばいていて、松江家の家臣の間抜けな二人組が北村の物と知らずに競り落としていた。北村は偶然その小柄を目にして自分の物とそっくりだと驚き、なくしたことをごまかすため「偽物」と承知でそれを買い取る。
 夜店の甘酒屋で河内山はお浪に再会、そこへ先日のイカサマ将棋の相手の森田屋の子分が、金を損した仕返しに用心棒の金子を連れてくるが、河内山と金子は意気投合する。
 やくざの森田屋の親分は、吉原の花魁の三千歳(みちとせ)を身請けするため300両を払っていたが、三千歳は広太郎と幼馴染で、身請けされることを嫌がって広太郎を誘って心中する。広太郎だけ生き残り、お浪のいる家に逃げ帰ると、森田屋の親分が来て、広太郎のせいで三千歳が死んだ、300両を工面しろと脅す。さもなければお浪を売り飛ばす気だ。お浪は自分から女衒(ぜげん。女を売りさばく仲介屋)の手先の健太(市川莚司)に身売りを頼み、森田屋に渡す金をこしらえる。
 姉の身売りを知った広太郎は、森田屋を恨んで殺してしまう。一方、河内山と金子はお浪が身売りしたことを知り、金を作ってお浪を救い出そうと、小柄を盗まれた北村大膳が家老を務める松江家を相手に大芝居を打つ・・・。

◆ムダ飯食い

 金子市之丞は浪人者で、森田屋の用心棒稼業は仕官が決まるまで食いつなぐため。もとより本気でやる気はありません。お浪の甘酒屋の場所代をごまかして森田屋に渡し、1軒分足りないと言う親分にしらばっくれています。ただ、何かの理由で片足が短く、河内山相手に刀を抜いたときもヨロヨロするとあっては、この先よい仕官の口も望み薄というもの。所詮自分はこの先もやくざの用心棒、という投げやりな気持ちが見て取れます。
 そんな金子を森田屋の親分は気に入らず、「うちには大勢の人間を飼っているが、一人だってムダ飯を食う奴はありゃしねえ」とあてこすると「ムダ飯をね…」とつぶやいた金子の視線の先に縁側でエサを前にした黒猫の姿。「あそこにムダ飯食ってる奴がいるじゃないか」と言いたげな金子に、抗議するかのようにミャウ~~ンと鳴く猫。
 この猫、登場場面はここだけです。いわゆるコメディリリーフとか、ギャグとしての役割。先ほどのミャウ~~ンは翻訳すれば「余計なお世話ニャ!」。
 猫が出てくるのは映画の真ん中より少し後のあたりです。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆見返りなし

 「あらすじ」を読んだだけでは、すんなりと頭に入らなかったかと思うのですが、先ほども言ったように長い歌舞伎の色々な場面を換骨奪胎、アレンジしたものですから、ストーリーがあちこち飛ぶような気がしても無理はありません。
 歌舞伎では、質屋の上州屋の娘が松江家に腰元として上がっていたところ、殿様に見染められて幽閉され、河内山宗俊が上州屋から金をもらってそれを助けに行く、というストーリー。
 映画でも歌舞伎でも、河内山が上野寛永寺法親王(ほっしんのう)の使いの僧・北谷道海(きただにのどうかい)に化けて一世一代の詐欺を働くところが見せ場です。歌舞伎では河内山が金目当てで動くのに対し、映画では身売りされるお浪を救うという、びた一文にもならないことのために河内山は動きます。
 河内山と組んだ金子市之丞も、何の見返りもない姉弟の救出のために身を投げ出します。彼は北村大膳が拝領の小柄を盗まれたことを隠そうと工作するだろうと読み、河内山を北谷道海と偽って松江家をゆするシナリオを考えました。
 まんまとお金をせしめた河内山と金子が松江家から帰ると、広太郎に親分を殺された森田屋の子分たちが広太郎を追って河内山の愛人の飲み屋を襲います。河内山と金子は身を張って広太郎を逃がし、女郎宿に向かうお浪に金を届けさせようとします。
 森田屋の子分との、ドブ川を伝っての壮絶な戦い。水しぶきと共にほとばしる悲壮感。なぜこの二人は自分を犠牲にしてまでお浪たちを助けるのか。

◆運命の糸車

 冒頭で書いた河内山宗俊の「お数寄屋坊主」とは、江戸城茶の湯に係わる作法や接待などを担当した役職で、職務柄、偉い人に直接接する直参(じきさん)の身分。僧ではなく武士で、その中でもエリートです。
 それに対し、お先真っ暗の浪人の金子。やくざの用心棒というしがない稼業で顔見知りになった汚れない乙女・お浪が唯一の心の慰め。プラトニックな愛を感じています。お浪を助け出そうと決意したとき「わしはこれで人間になったような気がする」と金子は言います。まともな仕官も望めず、やくざの無駄飯食いに甘んじていた自分が、やっと人のために役に立てる時が来た、と。

 この映画が製作された1936年は、二・二六事件が起きた年です。世界恐慌による不況、特に凶作で農村の困窮は激しく、娘の身売りが相次ぎ、戦争に突き進んだ時代。陸軍の青年将校が国のリーダー層に抗議して起こしたのが二・二六事件です。
 民衆が苦しみ、エリートに非ざる者や農家の二男三男が真っ先に兵隊に行っていた当時の、多くの若い日本人男性を投影したキャラクターが金子だったのではないでしょうか。身売りされる娘を助け、戦いの中に自ら乗り込んでいく金子は、自分の命を捧げるに足る理由を求め、兵となり戦場に赴いた無名の兵士たちの姿に思えるのです。

 監督の山中貞雄は、日中戦争に従軍して1938年に28歳で戦病死しています。1932年から1937年に26本の映画を残していますが、映画として見られる形で残っている作品はこの『河内山宗俊』とその前年の『丹下左膳余話 百萬両の壺』(1935年)、『人情紙風船』(1937年)の3本だけ。『人情紙風船』が完成した直後に召集令状が届いたそうです。
 この中で一番古い『丹下左膳余話 百萬両の壺』はコメディタッチの明るい作品ですが、『河内山宗俊』は前半の少しコミカルな人情話が最後には悲壮な戦いになり、次の『人情紙風船』になると絶望的な暗さが全体を覆います。戦争に突き進む世相が影響したと思うものの、自分の命が運命の糸車に引き寄せられていることを予感していたかのようなこの変化に、何とも言いようのないものを感じてしまいます。

◆名監督と俳優たち

 天才と呼ばれる山中監督の3本の映画には、時代劇を一歩突き抜けた、社会批判を秘めた眼差しが見えます。支配階級である武士は泰平の世をむさぼるへっぽこか、地位にあぐらをかく冷淡な人物として描かれます。その中で山中貞雄は歌舞伎の河内山宗俊を、民衆と苦楽を分かち合う、あるべきエリートの姿としてリメイクしたのではないでしょうか。

 広太郎が心中しそこねて家に戻り、森田屋の親分から金を都合しろと言われ、お浪が身売りしようと家を出るまでの、世に抗えぬ弱者の悲しみをしっとりとまとめ上げた情感。
 そのお浪の16歳の原節子は、世をすねた浪人者の男を、彼女のためならたとえ火の中水の中と突き動かすに十分な清純さと可憐さ。未熟な演技も初々しい。
 河原崎長十郎中村翫右衛門は『人情紙風船』でもコンビを組み、今井正監督の『どっこい生きてる』(1951年)では戦後の厳しい世相を反映した胸の痛くなるようなドラマを演じています。
 そのいずれの作品でも河原崎長十郎の実際の妻である山岸しづ江(河原崎しづ江)が女房役で見せるいじけた演技が、ワサビや山椒のように利いている。『河内山宗俊』では、お静のお浪への嫉妬が事をややこしくします。
 そして「アノネのおっさん」の愛称で親しまれた高勢實乗(たかせみのる)。北村大膳の小柄を競り落とす二人組の細い方の茂十郎兵衛役です。『丹下左膳余話 百萬両の壺』のくず屋など、楽しんで変な役を演じていたとおぼしき怪(快?)優です。山中監督作品の常連だったためこの人の出た映画もあまり残っていないというわけで、二重に惜しい・・・。敗戦直後のコメディ、斎藤寅次郎監督の『東京五人男』(1945年)の農家のおやじは必見です。

 身売りしたお浪が売り飛ばされた先は『幕末太陽傳』(1957年/監督:川島雄三)の舞台になった品川の相模屋。ぐれた弟とその清純な姉を助けて二人組が強盗を働く小津安二郎監督の『非常線の女』(1933年)も比べて見てください。小津監督と山中監督は親交が深かったそうです。

 

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