この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

グロリア

子ども嫌いの中年女・グロリアが命を懸けて拳銃を放つ。6歳の男の子を守るために。

 

 製作:1980年
  製作国:アメリ
  日本公開:1981年
  監督:ジョン・カサヴェテス
  出演:ジーナ・ローランズ、ジョン・アダムス、ジュリー・カーメン 他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    グロリアの飼い猫
  名前:なし
  色柄:茶白のブチ

◆走る凶器

 昭和の頃は「走る凶器」と言えば自動車を指しました。「交通戦争」と言うくらい、自動車による交通事故がいまよりはるかに多かったのです。いまは列車などの交通機関の中で、乗客に切りつけたり放火したりなどの凶悪な犯罪がたびたび起こり、逃げ場のない乗り物はそれ自体が内部から凶器となる危険をはらんでいると思い知らされます。
 この『グロリア』には、主人公のグロリアが、地下鉄の車内で待ち伏せをしていた二人のギャングと殴り合いになる、という場面があります(先に殴ったのはグロリアです)。そのとき、周りにいた乗客たちがギャングの男たちを取り押さえ、なかなか市民たちの対応がしっかりしているなと思っていると、今度はグロリアがピストルを出してギャングに狙いを定めます。このときの乗客の反応は? 日本だったら阿鼻叫喚、取り押さえたギャングなど放ったらかして、グロリアの半径2メートルくらいから人がいなくなると思うのですが、わりと周囲が落ち着いているのは、銃に慣れたアメリカだからなのでしょうか?

◆あらすじ

 ニューヨークのブロンクスのアパートに住むプエルトリコ人の一家を、ギャングが襲撃する。父親はギャングの組織の会計で、横領したうえ、その資金の情報をFBIとCIAに洩らしていたのだ。襲撃される直前、父親は6歳の息子のフィル(ジョン・アダムス)にギャングの情報を記した手帳を渡し、妻(ジュリー・カーメン)の親友で同じアパートにいるグロリア(ジーナ・ローランズ)にフィルを託す。父親に追い払われるようにしてフィルがグロリアの部屋に隠れている間に、一家はギャングに惨殺された。グロリアは停止線の張られたアパートからフィルを連れて逃げ出すが、フィルを誘拐した容疑をかけられてしまう。
 フィルの手帳を奪おうとギャングは二人を追うが、実はグロリアはギャングたちと知り合いだった。以前、ギャングのボス・タンジーニの女だったのだ。グロリアはフィルを連れてニューヨークを転々とする。子ども嫌いなグロリアとフィルは初めは互いに反発していたが、ギャングを相手にフィルを守り抜こうとするうちに、グロリアにフィルへの愛情が芽生え、フィルもグロリアに信頼を寄せていく。
 執拗に追手に行く手を阻まれ、ついにグロリアは、かつての愛人だったタンジーニのところに乗り込んで、フィルの身の安全を守るため取引を決意する。グロリアは「3時間半待って私が戻らなかったら、ピッツバーグ駅で待っている」とフィルに言い残し、泊まっていたホテルを後にする・・・。

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◆もっと出番を

 グロリアは、フィルたちと同じアパートの同じフロアに住んでいます。一家が襲撃される直前、彼女はフィルたち一家の部屋を訪れます。行きがかり上フィルを引き受けたものの、ギャングの報復の怖さを知っていたグロリアは、手早く荷造りをしてフィルを連れて部屋を後にします。グロリアに心を開かないフィルがグロリアの猫にだけは笑顔を見せたので、猫を連れて逃げるつもりだったのか、大柄で重そうな茶白の猫を胸に抱いています。けれども、フィルがパパたちを心配して家族の部屋に駆け込もうとするのを止めようと猫を手離し、背後の廊下を歩いている姿を最後に、それっきりになってしまいます。その後も猫を思い出したり、どこに行ったのか探すそぶりもないので、ずいぶん薄情に思いますが、フィルとの逃避行を見ていると、とても猫など連れて歩ける状況ではなく、ここでのお別れはやむを得なかったかと・・・。
 主人公が探偵や警察官だったり、危険な仕事などに出かけたりというときに飼い猫を置いていく(預けていく)、という場面が描かれる映画はけっこう多いです。猫の出番はたいてい置いていかれるところまでのちょろっとで、主人公が帰ってきた後どうなったのかまで描いているものはあまりありません。私はそれがとても気になってしまいます。主人公はそのストレスの多い生活を、普段、猫に慰められているはず。だからこそ帰って来て猫のことに無関心のはずはないのですが、映画の都合上、そこは省略。残念と言うか、猫に「役不足で申し訳ありません」と謝るべきか・・・。

  ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

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◆シンプルさの中に

 この映画、ストーリーはシンプルです。①悪の組織の情報を握った者がその悪事の証拠を誰かに託して殺され、②その託された誰かも悪の追手に命を狙われるが、③その誰かを助ける第三者が現れ、④協力しながら逃亡する、というもの。大昔から背景や登場人物を変え、繰り返し芝居や映画になっている筋書きですね。日本の時代劇やヤクザ映画などでも多く見られるパターンだと思います。そのストーリーの中を、中年女性グロリアと男の子フィルが、ほとんど二人芝居のように駆け抜けていきます。
 いまさらながらのストーリーなのに、最後まで目を離すことができないのは、ジョン・カサヴェテス監督の歯切れのよい演出と、監督の妻であるジーナ・ローランズの独特の個性、「自分は一人前の男だ」と強がるフィルのいじらしさにあるでしょう。
 映画が始まると、夜景のロングショットでニューヨークのビル群と、ヤンキースタジアムが映ります。そして、次第に夜が明け、1台のバスがこちらに向かって走ってきます。その乗客のヒスパニック系と見える女性が降りようと立ち上がると、バスが揺れて転倒、降りたときにも買い物袋を道にひっくり返してしまう。ようやくアパートの入り口に入ると、不審な男が立っている・・・そういう短いカットをつなぎながら、この女性が何かただならぬ状況にあるという想像がかきたてられていきます。
 女性はフィルの母親で、一歩家に入るとギャングに狙われている夫と家族の間で、今すぐ逃げなければという激しい口論が始まり、そこにパジャマの上にコートを羽織ったグロリアが「コーヒー飲ませて」とゆるい感じで登場します。あまりきちんとした感じのしない、かと言ってくずれたと言うほどでもない中年女性・・・。

ジーナとカサヴェテス

 グロリア役のジーナ・ローランズは、普通の人なのか、アブない人なのか、その境界線上にいるような、独特の存在感のある女優さんです。画面に登場すると、その場のすべてを引っ張っていくような磁力を放ちます。美しい髪の色も、きれいな脚のラインも印象的です。
 このグロリアはまた性格が悪い。フィルをグロリアに託そうとすると、「私は子どもは嫌いなの」。ここまではわかりますが、フィルの母親と親友だというのに「特にあんたの子どもはね」とはあんまりな。
 グロリアを誘拐犯ではないかとテレビが報じたとき「女の名はグロリア・スウェンソン、グロリア・スワンソンをもじった名前でしょう」と言いますが、グロリア・スワンソン1920年代に活躍した実在の大女優。ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(1950年)で、自身を地で行く往年の大女優として主演しています。主人公のグロリアを、わざわざ自身の脚本で、そのグロリア・スワンソンと紐づけるように名付けたジョン・カサヴェテス監督の意図は何か、と引っ掛かります。『サンセット大通り』では、かつての往年の大女優の屋敷の執事(映画監督のエリッヒ・フォン・シュトロハイム)が、実は彼女の黄金期に彼女を起用していた映画監督で、自分はいまも大女優であるという妄想に取り付かれている彼女を支えています。ジョン・カサヴェテスは、ジーナ・ローランズをミューズ(詩や音楽の神。転じて、男性芸術家の創造の源となる女性)とする映画監督である自分をその執事になぞらえ、主人公をグロリア・スワンソンを連想させるような名前にしたのでは、と私は想像しています。
 ジョン・カサヴェテスジーナ・ローランズは共演も多く、1983年の愛を巡る映画『ラヴ・ストリームス』で最後に共演しています(カサヴェテス自身が監督)。また、カサヴェテスは映画『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年/監督:ロマン・ポランスキー)に、ローズマリーの夫役、TVの『刑事コロンボ』の「黒のエチュード」というエピソード(日本では1973年に初放送)に、犯人役で出演しています。いい男で、さぞかし女性にモテモテだったと思います。カサヴェテス監督は1989年に59歳という若さで亡くなりました。老境に至った二人が新しい映画を作っていたら、またどんな味わいのものを生み出していただろう、と思います。

◆守りたいもの

 フィルを預かったとき、グロリアはぶつぶつ言いながら荷造りをします。「貯金もある、住むところもある、猫もいる・・・」気楽な独身生活、50代くらいで、歳をとる前に好きなことをしてのんびり、というときにとんでもない運命に巻き込まれてしまったわけで、フィルを置き去りにしようとすらします。ところが、グロリアには犯罪歴があり、ギャングの愛人だったという過去もあり、と、次第に訳ありの女だということがわかってきます。けれども、それが逃避行の間の彼女の冷静な判断の原動力となっています。「先にやらなきゃやられる」と言い放ち、いざという時ピストルで相手を威圧することを躊躇しません。これはまた、日本の女性任侠映画の主人公のような・・・。
 白人女性のグロリアが、ヒスパニック系の男の子を守るということは、白人の男の子を守ることとは違った意味を持つと思います。フィルは英語が話せない、ということになっており(実際は英語のセリフですが)、フィル自身が「あんたはスペイン系じゃない」と自分とグロリアの違いを意識しています。フィルが、父に言い聞かされたとおり、自分は家長である、強い男である、という自覚を守っているのも、また、ギャングに襲撃されたとき父がフィルと姉という二人の子どものうち、男の子のフィルをグロリアに託すのも、男子が家を継ぐという父権的な伝統ゆえだと思います。
 グロリアとフィルが汚い安ホテルに泊まって心を通わせる夜のベッドシーン(!)がとてもいい。
 ずっと思いつめたような表情のフィルを演じたジョン・アダムスの映画出演は、この1本だけのようです。『グロリア』には、全編、悲哀にむせび泣くようなスペイン風の音楽が流れています。

◆必死の愛

 グロリアは、追いかけて来たギャングの車に向って拳銃を放ち、車をひっくり返したのを皮切りに、何度も拳銃を構え、撃ち、ギャングも応戦し、激しく戦いますが、どの場面でも血はほとんど流れません。残虐な遺体の描写もありません。そして、警察から誘拐犯と目されているのに、追いつ追われつする相手はギャングのみで、警察とギャングとに挟み撃ち、などのようなサスペンスを盛り上げる派手な演出もありません。カサヴェテス監督はこの映画で、スリルとサスペンスにところを借りて、「愛」を描いているのです。正直言えば、おばちゃんがアクションをやってもキレは甘いし野暮ったい。けれどもその野暮ったさをむき出しにした「必死の心」が痛いほど伝わってくる、それが『グロリア』です。
 車社会のニューヨークに、サスペンス物と言えば付き物のカーチェイスもありません。グロリアとフィルが逃げ回る時に利用するのは、もっぱらタクシー。10回も乗り換え、バスや地下鉄、列車などの公共交通機関も使います。この、タクシー、バス、列車、駅など、ニューヨークの街の動脈と鼓動、ニューヨークの貧しい裏側を伝えるロケ映像が、この映画のもう一つの魅力となっています。
 3時間半後、グロリアとフィルが会えたのかは、あなたの目で確かめてください。


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