愛猫トントを連れた老人ハリーが、アメリカを横断しながら、家族との葛藤、人々との出会いと別れを経験するロードムービー。
製作:1974年
製作国:アメリカ
日本公開:1975年
監督:ポール・マザースキー
出演:アート・カーニー、エレン・バースティン、
ラリー・ハグマン、ジェラルディン・フィッツジェラルド 他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆☆(主役級)
ハリーの飼い猫
名前:トント
色柄:茶トラ
その他の猫:食料品店のサバ白、猫おばさんがエサやりする猫6、7匹
◆三つの老い
連続してお届けしている、高齢者が主人公の映画の第三弾。第一弾『ねことじいちゃん』(2018年/監督:岩合光昭)の楽園と、第二弾『ウンベルトD』(1952年/監督:ヴィットリオ・デ・シーカ)の非情な現実の、激しすぎる落差に動揺された皆様、今回は人生を深く噛み締める、70年代を代表する名画です。トントの可愛さもたっぷり味わってください。
◆あらすじ
ニューヨークのアパートに猫のトントと住む70代のハリー(アート・カーニー)。住み慣れたアパートの取り壊しが決まり、頑固に抵抗したが、無理やり退去させられる。
長男(フィル・ブランズ)一家の住むニューヨーク郊外の家にトントを連れて同居するが、長男の妻とギクシャクし始め、シカゴの長女(エレン・バースティン)のもとに身を寄せることに。けれども空港でトントを入れたバスケットの手荷物検査を拒否、長距離バスでシカゴに向かうことにする。途中、トントに外でおしっこをさせるために無理やりバスを止めさせるとトントが逃げ出し、ハリーは置いて行かれてしまう。急遽中古車を買って、戻ってきたトントとともにシカゴに向かう。途中ヒッチハイクで乗せたジンジャー(メラニー・メイロン)という女の子を連れて長女のもとに向かい、長女の経営する本屋で働く長男の息子のノーマン(ジョシュ・モステル)と再会する。長女とは昔から会うと喧嘩で、やはりお互い気が合わないのがわかる。
ノーマンとジンジャ―が仲良くなったのを見て、ハリーは二人に車を譲り渡し、ヒッチハイクでラスベガスを経由し、ロスアンジェルスの二男(ラリー・ハグマン)の高級住宅へ。しかし、二男は仕事に失敗し、経済的に困窮していた。ハリーは二男のもとを去り、再び一人暮らしに戻る。そんな折、トントが病気で急死。ハリーはついに一人になってしまう・・・。
◆トントはトント
猫映画の名作と言えば・・・と、真っ先に名前が挙がる1本のはずですが、すでにもう48年前の映画なので、聞いたことはあるけれど見たことがないという若い人も多いかもしれませんね。トントを演じた猫はその名もトント。鼻筋が通って口の周りが少し白い、茶トラのおとなの猫。エンドクレジットのキャストの最後にちゃんと名前が出ています。この映画の場合も、トント役の猫は2匹態勢だったそうですが、本役のトントの方が賢く、代役の出番はほとんどなかったそうです。
監督のポール・マザースキーのDVD版の音声解説によると、彼の母親が実際にハリーのように飼い猫にリードを付けて散歩していたため、老人と猫の映画を作れないかと考えていて、友人で脚本家志望のジョシュ・グリーンフェルドに話を持ち掛け、共同で脚本を書いたそうです。映画の撮影終了後、動物トレーナーからトントを譲り受けるという話も出たそうですが、奥さんが猫アレルギーで断念したとのこと。
マザースキー監督によれば、この映画が東京で公開されたとき、いつも古い歌を歌っては「誰の歌だ?」とトントに聞いていたハリーが、最期の時を迎えたトントに歌を聴かせる場面で観客が号泣、何も聞こえなかったとか。この映画は日本で愛されたそうで、「移住しようかな」などとマザースキー監督は冗談を言っています。この場面のトントは薬でおとなしくさせられているそうで、本当に病気になったわけではないとのこと。
ニューヨークのアパートの廊下で、ハリーの方に向かってトントが歩いてくる猫の目の高さの岩合さん張りのローアングルのショットは、カメラマンを毛布の上に寝かせて、毛布ごと引っ張って撮影したそうです。トントも「そこまでするか」と驚いたのではないでしょうか。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆人も名演技
猫のトントばかりでなく、この映画はすばらしい俳優ぞろいです。主演のアート・カーニーはこのとき50代。補聴器と髪の薄いのと足の悪いのは自前だそうですが、70代の老人にしか見えない見事な演技でアカデミー主演男優賞を受賞。元教師で、自分をリア王になぞらえている主人公の少し権威的で気難しい性格を、的確かつユーモラスに表現しています。
ロードムービーのため、主人公以外の俳優の出演時間は短いにもかかわらず、それぞれ濃密な印象を刻み付けます。しかも、それらの俳優たちが出しゃばりません。主役のアート・カーニーに敬意を表して、三尺下がってその影を踏まないようにしているかのようです。その中でも、老人の俳優たちが光ります。
ハリーの友人、ポーランド出身のジェイコブ(演技指導者のハーバート・バーゴフ)とは、町のベンチで男同士の気さくな会話を楽しむ仲。アメリカに身寄りのない彼が死んだとき、その遺体をハリーが役所で確認します。
ハリーが結婚したいと思っていた女性・ジェシー(大御所ジェラルディン・フィッツジェラルド)は介護施設にいて、認知症でハリーがわからないまま、彼の胸に頬をあずけてダンスを踊ります。
ハリーの肩の痛みをまじないで治療してくれたアメリカ先住民の「2本の羽根のサム」役のチーフ・ダン・ジョージは、私服で出演。「いい顔」というのはこういう顔を言うのでしょう。
物乞い、アパートの家主、健康食品のセールスマン(いつの間にかハリーと帽子を交換)など、ほかの老俳優たちも、そのへんを歩いている本物を連れて来たかのよう。
一方で、タイトルバックには街中の一般の老人を望遠で撮影した映像が流れます。彼らの頼りなげでしみじみとした姿は、そうした俳優たちすら超える真の重みを一瞬で私たちに伝えてくるのです。
◆ヒッピーとウーマンリブ
1960年代後半から70年代にかけて、特にアメリカで顕著だったヒッピーイズムとウーマンリブが映画の中で登場するのも、この時代らしさです。
ハリーが長男の家に身を寄せたとき、孫にあたる二男のノーマンが、筆談で家族と会話しています。ヒッピーは、既成の社会秩序を否定し、愛と平和と自然を尊重し、東洋思想の実践などによって独自の新しい文化を築こうとしていました。その文化に傾倒しているノーマンは、沈黙の行のためしゃべらないのです。また、シカゴに向かう途中で拾ったジンジャーという女の子は、家出してヒッピーたちが独自の秩序を形成しているコミューンという共同体に行こうとしています。ドラッグやフリーセックスの横行するコミューンに向かうことをハリーの長女は反対しますが、ハリーはノーマンとジンジャーの価値観を尊重し、二人を送り出してやります。アパートの取り壊しのように人の心を置き去りにする社会、ハリーは精神性を求めようとする二人に、自分と通じるものを感じたのでしょう。
また、ハリーは、かつての思い人ジェシーがウーマンリブのはしりで、結婚を否定し、イサドラ・ダンカンとともにパリに渡ってしまったと、ジンジャーに語ります。アメリカ生まれのイサドラ・ダンカンはモダンダンスの祖と言われる女性で、体系化されたメソッドのバレエなどの既成の舞踊を否定し、古代ギリシャ風の薄いチュニックをまとい、自然で即興的な裸足の踊りによってヨーロッパで絶賛を浴びます。
私は、ごく短期間、何人かのイサドラ・ダンカンのダンスの継承者からそれを教わる機会があったのですが、その際、厚い伝記を一冊渡され、その生涯を知ることができました。正式な結婚をしない父親の違う子どもを次々と産み、その何ものにも縛られない生き方がウーマンリブの象徴のように当時のアメリカで評価されたのでしょう。ジンジャーが「ヴァネッサ・レッドグレイヴの映画を見た」と言うのは1969年の『裸足のイサドラ』(監督:カレル・ライス)です(私は見たことがありません)。
イサドラは既成の価値観を覆すパイオニアだったのです。彼女の踊りは女性讃歌であり、生命讃歌であると私は感じました。
◆荷物の重さ
年老いた親が子どもたちを訪ね歩き、子どもたちとしっくりこないという展開で、小津安二郎の『東京物語』(1953年)を思い浮かべた方もいらっしゃると思います。『ねことじいちゃん』『ウンベルトD』も含め、それぞれの主人公の背景は異なりますが、どれを見ても「老いる」ということにつきまとう現実を考えないわけにいきません。前にも言いましたが、人間は生きて来た時間の分だけ心の荷物を背負っています。物を断捨離しても、住まいを変えても、心の荷物は減りません。
ハリーは長年の思い出と共にトントと住み慣れたアパートで過ごしたいという望みを絶たれ、子どもたちのもとを転々とします。そして相棒のトントの存在によって、アパートの契約を断られたり、公共交通機関から締め出されたり、という憂き目に遭います。思い通りに行かないのが人生とわかっていても、自分が愛する生活をあきらめなければならない寂しさとくやしさ。けれども、自分だけでなく子どもたちもそれぞれの抱えている荷物にもがいていることを知るのです。
映画はハリーの人生が次のステージに差し掛かったことを暗示して幕を閉じます。日の昇る東から日の沈む西へたどった旅。人生の勝利でも敗北でもなく、流れを受け入れる、東洋的なものを私は感じます。
ラスベガスまで、娼婦がハリーを車に乗せてくれ、人気のない丘の上まで連れて行ってしまいますが、ハリーは例の健康食品の効果を試すことができたのか・・・。「2本の羽根のサム」が「妻が喜ぶから」と、その健康食品を買っていたというのも、よく考えると笑えるところ。高齢者にとっても性はかけがえのないものだということも、この映画は主張しています。
(参考)『踊るヴィーナス イサドラ・ダンカンの生涯』
フレドリカ・ブレア著/メアリー・佐野監修/鈴木万里子訳/1990年/PARCO出版)
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