この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

巴里の空の下セーヌは流れる

様々な人々の人生がもつれ合い、響き合う。そこはかとないユーモアに彩られた、とある一日のパリの鼓動。


  製作:1951年
  製作国:フランス
  日本公開:1952年
  監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ
  出演:ブリジット・オーベール、レイモン・エルマンティエ、ジャン・ブロシャール、
     クリスティアーヌ・レニエ 他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    ペリエさんの飼い猫
  名前:不明
  色柄:白、キジ白など、おとな・こども合わせ10匹以上
  その他の猫:ペリエさんの窓に来るキジトラのノラ猫(モノクロのため推定)


シャンソンは流れる

 「花の都パリ」という常套句と共に、定番のBGMとして流れる「パリの空の下」は、この映画の挿入歌としてポピュラーになったシャンソン。主役の一人のジュールの銀婚式のごちそうを家族そろってセーヌ河畔で食べるシーンで辻音楽師が披露するほか、彫刻家のマティアスのアトリエの隣の部屋から、つっかえつっかえのこの曲のピアノの音が聞こえて来て、マティアスをいらつかせます。
 当然、映画のタイトルバックに使われているかと思いきや、そこで流れるシャンソンは「パリの心」(歌はアンドレ・クラヴォー)。ゆったりと美しい魅惑の調べ。この歌と映画との関りについてはあとでお話ししたいと思います。

◆あらすじ

 日の出、パリの人々の運命が動き出す。ペリエおばあさん(シルヴィー)は猫のミルク代をめぐんでもらいに街へ。工場労働者のジュール(ジャン・ブロシャール)は、銀婚式当日なのにスト中で工場を一歩も出られない。不気味な彫刻を作る彫刻家のマティアス(レイモン・エルマンティエ)は連続女性殺人事件の犯人だった。
 そんなパリの駅へ20歳の田舎娘ドゥニーズ(ブリジット・オーベール)が降り立つ。彼女はパリに住む裕福な男性との結婚を決意して家を飛び出してきたのだ。ドゥニーズは占い師に愛と富と名声を手にする、芸術家には注意しろ、と告げられる。
 ドゥニーズが身を寄せた友人のファッションモデルの卵のマリー=テレーズ(クリスティアーヌ・レニエ)は、アメリカから仕事のオファーを受けるが、医師見習いの恋人ジョルジュ(ダニエル・イヴェルネル)と暮らすことを夢見ていた。ジョルジュはこの日医師になるための口頭試験を受ける予定だが、極度のあがり症でいままでに3度も失敗していた。
 ペリエさんの近くの青果店の娘・小学生のコレット(マリー・フランス)はひどい成績を取り、叱られると思って学校の帰りに友だちの男の子と舟でセーヌ河に繰り出してしまう。コレットペリエさんに同情したお母さんから、帰りにミルクを買ってくるよう言われていたのをすっかり忘れていた。コレットは男の子と喧嘩して知らない町で舟をおろされ、偶然迷い込んだ酒蔵で、女性を襲って隠れていたマティアスと一緒になる。
 ドゥニーズはお目当ての男性と会うが、彼は事故で下半身不随になってしまっていて、ドゥニーズの前から去る。
 ジョルジュはまたも試験に失敗した。夕食を一緒にとる予定だったマリー=テレーズのアパートに現れず、ドゥニーズが探しに行こうと夜道を出かけるが…。

◆多頭飼育崩壊

 冒頭、眠っていたパリが夜明けとともに始動するとき、最初に登場するのがノラ猫です。逆光のシルエットの猫がしなやかにバランスを取りながら、煙突や屋根瓦を通り抜け、ペリエさんの屋根裏の窓の向こうの猫たちとおはようの挨拶をします。
 ペリエさんは71歳。字幕によると「老嬢」とのことなので、独身を通してきたのでしょう。身寄りのない屋根裏の一人暮らしの部屋には大小色柄もさまざまな猫がいっぱい。朝が来るとお腹がすいたとギャーギャー大合唱ですが、ペリエさん自身もお金がなくて食事を我慢しているありさま。年金の支給日まであと2週間もあるので、ペリエさんは出かけてゴミをあさったり、裕福そうな人に猫のミルク代をめぐんでくれと声をかけたり、無料の食事提供をしてくれる養老院に出掛けて猫の食事を所望したりしますが、「猫にはダメ」と断られてしまいます。
 猫好きの人の中では、初めは自分の家の飼い猫だけだったのに、たまに通って来るノラちゃんにエサをやっているうちに家にいつくようになり、置きエサ目当てでほかの猫も次第に集まり始め、そんな様子からあの家は猫好きだから、と猫を捨てていく人が現れたりしていつの間にか手に負えないほど扶養猫が増え、集まった猫同士で繁殖し、不衛生になり、さらに感染症で病気の猫だらけに…という多頭飼育崩壊が少なくないようです。高齢者に多く、認知機能に問題があるケースも見られると聞きます。
 ペリエさんの猫もいつの間にか増えてしまったのでしょう。幸い、終盤にコレットとお母さんがミルクと肉を持ってきてくれ、ペリエさんは涙を流して喜びますが、根本的な問題解決はまだ先。
 自分よりも猫を優先する優しいペリエさんも空腹でした。彼女の食事の方はどうなったのか。コレットのお母さんの「人は冷たいから猫と暮らすのね」という言葉が胸に刺さります。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆パリが語る

 「パリの心」の歌と共に俯瞰のパリの夜景が広がり、夜明けから再び夜の眠りにつくまでのとあるパリの一日の出来事を、主役となる複数の登場人物のエピソードでつづり、最後は互いに見えない何かで結びついていたかのように終わる物語です。それぞれの人物にとっては特別な一日だったように見えるものの、パリという街では当たり前の日常の一コマだ、と言わんばかりの画面外からのナレーション。このナレーションの語り手は「パリ」なのだと思います。
 エピソードは、芸術、恋、ファッション、労働者のストライキなど、パリやフランスらしさとして私たちがイメージするもの。そして心をむしばまれた隣人が潜在する都会の闇も描かれます。車の運転をめぐり罵り合う場面はわざと音が消されていますが、こうした騒動も当時のパリでは日常茶飯事だったのでしょう。
 華やかで都会的な美を添えるのが、エッフェル塔周辺で行われるファッションモデルの写真撮影の場面。豪華なロングドレスはクリスチャン・ディオールによるもの。まばゆい太陽光の中、噴水をバックに美しいポーズをきめるモデルたちには何の映画かも忘れて見とれてしまいます。これぞパリ!
 屋外ロケは場所選定のセンスも良く美しいのですが、俳優の背景に風景を投影するスクリーンプロセスを使ったスタジオ撮影も多く、ガクッと質が落ちるのが残念。
 それぞれのエピソードの開始のあたりでときどき流れるジーッという耳障りな音は運命のルーレットが回る音。こういうわかりやすい直喩的な演出に、クラシックな味を感じます。

◆ドゥニーズ et 泥棒猫

 さて、この日、運命のルーレットの上を激しく動く球になったのは、貧しいペリエさん、銀婚式を迎えた工場労働者のジュール、彫刻家にして殺人鬼のマティアス、恋に賭けるドゥニーズ、小学生のコレット(素朴でとてもかわいい!)、医師見習のジョルジュです。
 ペリエさんは猫のミルク代の工面ができず、コレットは知らない町でマティアスと仲良しに。行方のわからないジョルジュを探しに出かけたドゥニーズと家での銀婚式のパーティーに急ぐジュールの運命はマティアスと交錯し、ジュールとジョルジュの出会いに結びつきます。占い師が占ったドゥニーズの運命は、富と名声については当たるのですが…。

 ドゥニーズを演じたブリジット・オーベールについては『泥棒成金』(1955年/監督:アルフレッド・ヒッチコック)のときに少し触れました。『泥棒成金』ではグレース・ケリーの引き立て役のようでかわいそう、『巴里の空の下セーヌは流れる』ではとてもチャーミング、と書きましたが、どうでしょう?
 田舎から出てきた若い娘で、美貌で香水のポスターのモデルになって、パリでも有名、という役です。田舎のホテルで働いていたときお客さんからモテモテで、そのうちの一人から熱烈なラブレターをもらい家を出てきた、という設定。モデルの友だちに比べると、うぶな感じも無理なく出ています(白い下着が乙女チック)。若いときの映画で日本で公開されたのはこの2本だけのようで、もう少し見てみたいと思います。

◆銀幕の思い出

 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は、1930年代から活躍し、特に日本のオールドファンから熱く支持されている、という印象です。この映画と同じように複数の登場人物の運命のいたずら・皮肉を描く作品としては1937年の『舞踏会の手帖』や、第二次大戦時アメリカ亡命中に作った『運命の饗宴(きょうえん)』(1942年)などが。
 『舞踏会の手帖』は、社交界にデビューしたときのダンスの相手を20年ぶりに訪ね歩く美女の物語。いまでも交流の途切れた昔の知り合いに連絡することを「舞踏会の手帖」とたとえる年配の方も。
 『運命の饗宴』は、1着の夜会服をめぐる物語。リタ・ヘイワースなどハリウッドの大スターたちが出演する5話からなるオムニバス。第3話の作曲家と第4話の同窓会の人情話がいい。
 けれども、きっと、オールドファンの心を揺さぶる永遠の名作は『望郷』(ペペ・ル・モコ)(1937年)でしょう。フランスの名優ジャン・ギャバンが、船に乗って去る愛しい人に「ギャビー!!!」と叫ぶ声が汽笛にかき消されて届かない、という名場面。戦争のとき、愛しい人と別れ別れになった経験をこの映画に重ねた人もあったと聞きました。

◆パリの心臓

 さて、この映画にはジョルジュが行う心臓手術の映像が出てきます。切り開いた術窓から心臓が打つさまが見えたり、止まってしまった心臓に直接手でマッサージを行ったりするところなど、モノクロですからそこまで生々しくは感じませんが、テレビの普及していない当時、このような映像を初めて見る人も多かったのでは。なぜここでこのような映像を使ったのかについては、観客の知的好奇心を誘う面もあったと思いますが、タイトルバックで歌われた「パリの心」と関連があると思います。
 心というフランス語は、心臓の意味も。そして、「パリの心」は「パリの心臓は誰のために打つのか」という歌詞で始まります。心臓の映像はこの歌詞への答えなのではないでしょうか。パリの心臓・鼓動はパリの人々のために打つ、彼らの心臓と共に脈打ち、彼らと一体なのだと。――手術中の心臓は再び元気よく動き出します。パリの鼓動が宿ったかのように。
 ただ、一つ気になることが。あの止まった心臓、どうやって撮ったのでしょうか?

 

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