この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

シャイン

父にピアノの手ほどきを受けた天才少年はピアニストとしての門出で精神を病んでしまう。実話に基づく奇跡の愛と復活の物語。


  製作:1995年
  製作国:オーストラリア
  日本公開:1997年
  監督:スコット・ヒックス
  出演:ジェフリー・ラッシュノア・テイラーアーミン・ミューラー=スタール
     ジョン・ギールグッド、他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    王立音楽大学在学中の主人公のペット
  名前:不明
  色柄:体の下側が白い長毛の黒白
  その他の猫:父の膝上のシルバーのトラ縞
        退院後に下宿で飼っていたシルバーのトラ縞


◆父と息子

 今回から次回にかけて、父が息子に自分の夢を託し、厳しくしごく映画をお届けします。
 日本でこのような父子関係を描いたものとして思い浮かぶのが漫画の『巨人の星』(原作:梶原一騎、作画:川崎のぼる)。プロ野球巨人軍の三塁手だった星一徹が、戦争で傷めた肩を補うため編み出した魔送球を邪道と指摘されて球界を去り、巨人軍の星として輝く夢を息子の飛雄馬に託す。テレビアニメ化もされ、今でも飛雄馬と父の特訓、それを涙を流しながら電信柱の陰で見守る明子姉ちゃんなどがギャグの元ネタやパロディとなっています(50年以上も前の漫画なのに)。
 いわゆるスポ根路線の父-息子=師-弟子関係ではなく、お届けする2作ともジャンルは芸術。文化系の父子関係もまた強烈です。何ゆえ父は息子に破れた夢を託すのか。

◆あらすじ

 雷雨の夜、デイヴィッド(ジェフリー・ラッシュ)はずぶ濡れでとあるワインバーの窓を叩く。意味の分からないことを口走る彼を、店のシルビア(ソニア・トッド)たちは下宿まで送っていく。
 オーストラリアで育った少年時代、デイヴィッドは父(アーミン・ミューラー=スタール)にピアノの手ほどきを受け、資質を見抜いた音楽教師の指導を受けるようになる。青年期(ノア・テイラー)に差し掛かり、実力を認められた彼はアメリカから留学の誘いを受けるが、家が貧しいうえ父が頑として受け入れない。支配的な父の下から避難するかのようにキャサリン(グーギー・ウイザース)という初老の女性作家のところにピアノを弾きに通うデイヴィッドは、彼女の支えで父の呪縛から逃れようとし始める。ロンドンの王立音楽大学からの奨学生としての招待には、父を捨てて旅立った。
 デイヴィッドを天才と評価するパーカー教授(ジョン・ギールグッド)の下、数々の賞を獲得し脚光を浴びた彼が協奏曲コンクールで演奏する曲として選んだのは、子どもの頃から父に目標として掲げられていた世界一の難曲・ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番だった。師の指導、超人的な練習、本番で演奏を終えたときデイヴィッドは昏倒してしまう。
 彼はそのまま精神を病み、20代の多くを精神病院で過ごす。ある日病院の音楽療法のピアニストが有名なデイヴィッド(ジェフリー・ラッシュ)だと気づき、身元引受人になって退院させるが、面倒を見きれず知人にバトンタッチ。デイヴィッドが道に迷ってシルビアのワインバーにやって来たのはその頃だった。
 デイヴィッドがバーに置いてあるピアノに目をつけ、演奏すると客が大喝采、店のピアニストになって過去を含め彼のことが新聞をにぎわせる。それを見た父が彼のもとを訪れるが、二人の溝は埋まらなかった。
 そんなある日、デイヴィッドはシルビアの家に遊びに来た占星術家の女性・ギリアン(リン・レッドグレーヴ)と知り合う。ギリアンと打ち解けたデイヴィッドは彼女に意外なことを申し出る…。

◆僕は猫

 この映画で猫が出る場面は多くありません。前半、デイヴィッドが王立音楽大学に行く決意を父に告げる場面で、父が膝に抱いているところと、ロンドンで勉強中のデイヴィッドが下宿で練習をしている場面、退院後に下宿で弾いているピアノの上に猫がいる場面の3ヵ所です。大学在学中のシーンでは、イワシの缶詰を膝の上の猫と分け合ったりと、デイヴィッドが猫好きな様子がうかがえます。
 猫そのものの登場する場面はこのように少ないのですが、猫についての印象的なセリフが出てきます。
 映画が始まってすぐ、真っ暗な画面にデイヴィッドの「僕は猫だと思っていた」というモノローグがかぶさります。スクリーンの左側からデイヴィッド役のジェフリー・ラッシュの横顔が現れ、モノローグが「いつ撫でられるかわからない不幸な猫」と続きます。「僕はどの猫にもキスする」「猫を見ればいつもいつも」…同じ単語を何度も繰り返したり、上滑りで意味のわからない話によって、彼の精神が病的であることを示す導入部。
 そして、王立音楽大学から奨学生としての招待を受けたとき、デイヴィッドが作家のキャサリンに「父が許さない」「ライオンみたいに怒る」と訴えると、キャサリンが「彼は猫ちゃんよ」と答えるところ。

 どちらの場面でも、猫は弱い者の象徴として語られています。そしてセリフのとおり、デイヴィッドはそんな猫と自分を同一視し、父をライオンにたとえています。
 キャサリンに励まされてデイヴィッドが帰宅したとき、父は膝に猫を抱いています。それまで全く出て来なかった猫がここで急に登場したのは、父のイメージがライオンから「猫ちゃん」に変化したことを物語っているのではないでしょうか。父に殴りつけられてもデイヴィッドは自分の意思を初めて押し通し、ロンドンに行くのです。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆歪んだ愛

 『シャイン』は実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴットをモデルとしています。1947年にメルボルンに生まれたユダヤ系の彼は、この映画に描かれたように神童と言われ、20代で開花するも精神の病でそのキャリアを中断させてしまったということ。映画を見ていると病の原因は父親との葛藤にあるように思えます。
 父親のピーターは、かつてポーランドに住んでいてナチスの収容所を経験。音楽を愛したものの、子どもの頃買ったバイオリンを父親に叩き壊された悔しさを引きずり、その音楽への熱情を息子のデイヴィッドや、その姉や妹を通じて実現しようとしています。自分に比べたら音楽をやれるデイヴィッドは幸せ者だ、と洗脳するように言う父。コンクールにデイヴィッドを出し、優勝させることと、将来は父が最も難しい曲とするラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をデイヴィッドに聴かせてもらうことを夢としています。
 けれども、デイヴィッドに本格的な音楽教育を受けるチャンスが訪れると、父は彼の将来を妨害し始めます。アメリカ留学の招待状を火にくべ、デイヴィッドが武者修行に行くことを「家族を壊す気か」と怒り狂うのです。この時点で父はデイヴィッドを威圧しているかのようでいて、実は自分の分身である息子が自分の手を離れることを恐れ、彼に依存していることに気づいていません。
 親きょうだい、子どもなどの家族に依存している人はたくさんいます。家族だからこそもたれ合うこともできるという面は否定できませんが、依存する側は自分と相手が別の人間だということを見失っています。過干渉になったり、家族の学歴や職業を自慢したり、依存される側が拒否的な態度を示すと「あなたのためを思って」と自分が相手にしがみついている現実をすり替えます。
 デイヴィッドの父は、自分のためにデイヴィッドを必要としていたのです。自分の手の届かないところにデイヴィッドが行ってしまう苦しみを理不尽な怒りとしてデイヴィッドにぶつけてしまいます。

◆愛ゆえに

 けれども、父との葛藤がディヴィッドの精神の変調の原因となったかと言うと、それだけではないと思えます。ディヴィッドはアメリカ留学の話を父が妨害したとき、腹いせにバスタブで脱糞します。ロンドン留学中には下半身裸でアパートの郵便受けに行き、住民の女性に会っても隠そうともしません。もともと何らかの性格的な偏りがあったところに、父との軋轢、コンクールの練習などの過度の緊張が悪い影響を与えたのだと思いますが、最大のダメージは作家のキャサリンの死だったのでしょう。
 彼女は彼を応援し、デイヴィッド留学基金の設立を働きかけ、自宅の使わないピアノを弾きに来てもらいつつ彼とゆったり話をします。デイヴィッドが素直に自分を出せ甘えられる唯一の相手がキャサリンでした。デイヴィッドが自分の写真を渡すと、一生宝物にすると言っていたキャサリンの訃報が届いたのがロンドン。遺族から送られた遺品の中にその写真が入っていました。家族を捨てるのか、と父にすごまれて旅立ったデイヴィッド。その後押しをしたキャサリン。もともと脆弱な彼の精神が支えを失ってしまいました。
 けれども、父はその彼の生まれ持った精神の危うさを知っていたがゆえに自分の庇護の下を出ることを恐れていたのかもしれません。自分がこの息子を守ってやらなければどうなるか、そんな思いが父をデイヴィッドに対する行き過ぎた干渉に駆り立てていたのかもしれないと思うと、ただの毒親とも見えなくなってきます。
 彼がロンドンに発ってから初めて父と会ったのは、バーでの演奏の新聞記事を見た父が訪ねて来たときです。暮らし向きは今も楽でないのか、メガネのレンズが割れているのをテープで補修している父。和解できず帰っていくわびしい姿にラフマニノフの3番の第2楽章が重なります。

◆運命の人

 デイヴィッドは、心を病んでから子どもに戻ってしまったかのように興味や感情のおもむくままふるまうようになってしまいます。シルビアの家にギリアンが来たとき、彼はギリアンに本能的になつき、彼女が帰るのをイヤイヤして「結婚しよう」と言うのです。資産家と婚約もしていたギリアン、普通なら聞き流すところですが、帰宅した彼女はデイヴィッドの星占いをし、その結果に驚きます。
 デイヴィッド・ヘルフゴットとギリアンは実際に結婚し、彼女がデイヴィッドのコンサート活動復帰を企画。昨年はヨーロッパでのコンサートがコロナの影響などでキャンセルになったようですが、演奏家としてデイヴィッドはギリアンと二人三脚で活動を続けています。
 題名の『シャイン』は、デイヴィッドがバーでピアノを弾いていることを記事にした新聞の見出し「David Shines.」から。現実に起きたこのような奇跡。時間や場所の関係、デイヴィッドの療養費は誰が などわからないところもありますが、見るたびに違った発見がある映画なので、何度か見ることをお勧めします。
 主演のジェフリー・ラッシュはこの映画でアカデミー賞ゴールデングローブ賞英国アカデミー賞各主演男優賞を受賞。『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズではヘクター・バルボッサとして出演。2010年の『英国王のスピーチ』(監督:トム・フーパ―)では国王のスピーチ矯正者ライオネルの役でゴールデングローブ賞アカデミー賞助演男優賞にノミネートされています。

参考:デイヴィッド・ヘルフゴット公式ウェブサイト David Helfgott

 

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