この映画、猫が出てます

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バベル

一丁のライフルが別々の空間にいた人々の人生に波紋を広げる。分断の21世紀、悪夢の連鎖は止まらない。

  製作:2006年
  製作国:アメリ
  日本公開:2007年
  監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
  出演:ブラッド・ピットケイト・ブランシェット菊地凛子役所広司
     エル・ファニング 他

  レイティング:PG12(12歳未満には成人保護者の助言・指導が必要)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    チエコの家の飼い猫
  名前:不明
  色柄:白
  その他の猫:モロッコのキジトラ子猫


◆2023年話題の人

 世界中で猛暑や自然災害に明け暮れた2023年も、そろそろ終盤に近付きつつあります。
 日本の映画界に目を向けると、役所広司が第76回カンヌ国際映画祭において、ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』(2023年)で最優秀男優賞を受賞しました。日本での公開はこの12月22日(金)からとのことで、いまから楽しみです。
 2006年の第59回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した『バベル』では、モロッコアメリカ、メキシコ、日本を舞台に物語が展開しますが、そのキャストとして、役所広司が日本編主人公のチエコの父・靖次郎を演じています。この名前・ヤスジローは小津安二郎監督から取っているのでしょうか。
 チエコを演じるのは菊地凛子(きくちりんこ)。この映画で2006年のナショナル・ボード・オブ・レビューほかで新人女優賞を獲得、2007年ゴールデングローブ賞アカデミー賞それぞれ助演女優賞にノミネートされるなど、一躍脚光を浴びました。そして彼女も今年2023年に『658km 陽子の旅』(2022年/監督:熊切和嘉)で、上海国際映画祭TAMA映画賞最優秀女優賞を受賞しています。さらに10月に始まったNHKの朝ドラ「ブギウギ」に、ブルースの女王と言われた歌手の淡谷のり子がモデルの役で11月からついに登場。あの堂々とした貫禄が出せるかが見ものです。
 『バベル』に関係する日本人として今年話題になったもう一人の人は、3月に亡くなった作曲家の坂本龍一です。チエコと父が暮らすマンションでのラストシーンに、彼の切なくもの哀しい「Bibo No Aozora(美貌の青空)」が流れます。沁み入るようなその音色は、晩秋の夜長によく似合うのではないでしょうか。

◆あらすじ

 モロッコ中部の山岳地帯。ヤギを放牧する一家の父親がジャッカルによる被害を防ぐため、一人の男から中古のライフルと弾を買った。銃は中学生くらいの息子二人に任され、弟のユセフが射程距離を試そうと丘の下の道路を走る観光バスを狙い撃つ。弾は乗客の一人のアメリカ人観光客のスーザン(ケイト・ブランシェット)の肩に命中してしまう。
 医師のところまで何時間もかかるため、観光ガイドの男が自分の村にバスをつけ、夫のリチャード(ブラッド・ピット)がガイドと共に老婆の住む家に妻のスーザンを運び込んで、救急車の到着を待つ。
 同じ頃、日本の東京では、ろうあの高校生のチエコ(菊地凛子)が、遊びに行った先で同年代の男の子を性的に挑発したり、歯科の治療中に男性医師に体を触らせて誘ったりしていた。チエコは母が自殺して以来感情が不安定で、父(役所広司)にも心を閉ざしていた。帰宅した超高層マンションのエントランスで、チエコは二人連れの刑事に「お父さんと話がしたい」と呼び止められ、父は不在で名刺を預かる。また母の自殺の件か、とチエコは思う。
 モロッコにいるリチャードはサンディエゴの自宅に電話して、メキシコ人家政婦のアメリア(アドリアナ・バラーサ)に、妻の負傷で帰れないため、メキシコでのアメリアの息子の結婚式には行かずに幼い二人の子どもたちを見ていてほしいと頼む。アメリアは、代わりに子どもたちを見てくれる人を探したが見つからず、甥に車で迎えに来てもらって子どもたちを連れて結婚式に出かけてしまう。
 モロッコのスーザンの負傷はテロリストによる銃撃の可能性があるとしてアメリカ政府が介入し、モロッコの救急車を使うことができなくなった。足止めを食ったバスの他のツアー客がしびれを切らしてリチャードに食ってかかる。
 日本のチエコは、マンションのエントランスで会った若い刑事の真宮(二階堂智)に惹かれ、「父のことで話がしたい」と深夜に部屋に呼び出し、全裸になって抱かれようとし、拒絶される。
 モロッコでは、アメリカ人を撃ったのは弟のユセフだと兄弟が父に明かし、三人でライフルを持って身を隠そうとするが、警察に見つかって銃撃され、兄が死んでしまう。
 メキシコでは、深夜、アメリアが甥の車でサンディエゴに戻ろうと国境に差し掛かったとき、係官に不審感を抱かれ、飲酒運転していた甥が強行突破してしまう。真っ暗な砂漠で甥はアメリアと子どもたちを車から降ろして逃げ、日が昇るとともに三人は灼熱の中を助けを求めてさまよう。
 モロッコのスーザンは、アメリカ政府の手配でやっとヘリで病院に運ばれる。
 日本で、チエコを傷つけないように部屋を後にした真宮は、マンションのエントランスでチエコの父と出会う・・・。

◆超高層の猫

 チエコと父が住むのは30階以上あるタワーマンション。ベランダから見る眺めは遮るものもなく、東京の夜景がキラキラとどこまでも続いています。
 チエコの家で飼っているのは真っ白の猫。尻尾の先が曲がったかぎしっぽの、普通の雑種の日本猫です。
 バレーボールの試合で、判定に不服を示して退場になったとき、友だちに、チエコがいつもイライラしているのはまだ誰ともヤッてないからとからかわれたり、男の子が声をかけてきたときチエコがろうあだとわかると離れて行ったり、自尊感情が傷つけられてしまうチエコ。部屋でひっくり返ってテレビを見ているとき、そのおなかのあたりに猫が寄り添っています。気分が沈んでいるとき、こんな風に黙ってそばで静かにしている猫、ありがたいですよね。猫のぬくもりを感じ、柔らかい体に触れていると、だんだんと心が癒されていきます。
 猫は五感の中で聴覚がもっとも発達しているそうです。聴覚に障がいのあるチエコは、物音がしたときなどに猫が耳を立ててそちらを見たりする様子で、何かあったことを知ることができるはずです。刑事の真宮がチエコに呼び出されて部屋を訪ねたときは、寝ているこの猫の顔のアップが映り、呼び鈴で目覚めるショットが挿入されています(ピンクの鼻がかわいい)。
 チエコが自分を抱いてもらおうと真宮を呼び出し、真宮が室内や窓の外を眺めていると、猫は少し離れたところを歩いています。その様子は定番の不吉の印の黒猫とはちょっと違って、チエコの不穏なたくらみを察知して落ち着きをなくしているように見えます(ちなみに、ろうあのチエコが真宮を電話で呼び出せたのは、超高級マンションの、大企業のロビーのようなエントランスに常駐する管理人に代わりにかけてもらったからです)。
 もう1匹、この映画に登場するのはモロッコのノラ猫です。スーザンが担ぎ込まれた村のガリガリにやせ細ったキジトラ。この村がチエコのいる東京とは比べ物にならないくらい貧しい所だということが、猫の姿からも伝わってきます。
 チエコの白猫の初登場は開始から49分頃、モロッコのキジトラの登場は61分頃です。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆世界の分断

 『バベル』は、一丁のライフルの存在が、直接・間接に世界のバラバラの地域にいる人々の運命を思わぬ方向に導き、連鎖していく様を並行して見せるドラマです。最初はそれぞれの地点で起きる出来事がどのように関連しているかがわかりませんが、進行するにつれ、糸をたぐり寄せるようにその結びつきが判明してきます。難解ではありませんが、人により見終わったあとの結論や感情が異なるでしょう。
 題名の『バベル』は、旧約聖書の「バベルの塔」の物語に由来するもの。かつて人間は一つの言語を話し、一つにまとまって強大な力をつけ、天にも届く巨大な塔を建設しようとした。神は自分の領域を侵そうとする人間の力を抑えるため、別々の言語を話す民族としてバラバラにし、言葉が通じなくなった人間は世界に散らばった、という。
 この映画は、そのようにして世界中に広がった人間が、現代において社会レベルでの分断と孤立、個人レベルでの対立と孤独にさらされているさまを描いたものです。そこで暮らす人々の生活を感じさせるロケの風景が、そうした状況を生々しく浮かび上がらせます。

 モロッコを舞台にしたエピソードでは、豊かさの恩恵に浴しているアメリカの観光客たちと、伝統的な貧しい生活に縛りつけられたモロッコの山岳地帯の人々の対比が描かれます。
 撃たれたアメリカ人の妻と夫は、生まれたばかりの子どもを死なせてしまって以来、緊張関係にあります。妻にとってこの旅先は不衛生で耐えがたく、夫が計画した水入らずの旅もストレスに感じています。撃たれた後、担ぎ込まれた家に診察に来たのは獣医で、傷口を縫おうと針をライターの火で消毒しているのを見て妻は激しく抵抗します。
 彼ら夫婦に雇われたメキシコ人の家政婦のアメリアにとって、息子の結婚式に出ずに家にいてくれというのは、彼女の民族的価値観とは相容れないこと。子どもたちを連れて帰ってくれば家で子守りをしていたのと同じ、と、こっそり連れて出る気持ちは人としてよくわかります。
 日本のチエコは、母の自殺を巡って父との間に溝ができています。そして自分の障がいによる他人との意思疎通のもどかしさと、思春期の衝動性から、肉体による直接行動で他人とのコミュニケーションをはかろうとします。同じ日本人でも、障がい者と健常者との間で分断が生まれています。

◆止まらぬ連鎖

 人と人との思惑はすれ違い、意図せぬ結果が生じてしまいます。
 モロッコの兄弟の銃の試し撃ちは、テロリストの仕業と疑われ、アメリカとモロッコ政府間の緊張を生むという不測の事態を招いてしまいます。
 メキシコ人のアメリアが人間的な感情から起こした行動は、不法入国や誘拐といった、法の問題にまで発展してしまいます。彼女のエピソードはあまりにも悲しく、その泣き顔をまっすぐ見ることができません。
 不可解なのはチエコの行動です。母の自殺、精神的な不安定さ、障がい、思春期、というデリケートな要素が重なり合って、衝動的なことをしでかすというのはわからないでもありませんが、その日ちらっと会っただけの刑事を自宅に呼び出して裸で迫るというのはあまりに唐突です。
 チエコは真宮刑事に迫る前に、母がベランダから飛び降りたとき父は寝ていた、私は母が飛び降りるところを見た、と筆談で伝えます。けれども、帰りがけ、チエコの父と出会った真宮は、それがチエコのウソだったことを知るのです。
 チエコはなぜウソをついたのか。虚言によって人の関心を引くということもあるでしょう。けれどもこのことは、言葉というものが表面的で、いくらでもごまかしたり飾ったり、人を欺いたりできる不確実なものだということを示しています。言葉は対立を生む道具にもなりうるのです。

 一丁のライフルが引き起こした事件と波紋。そのライフルはチエコと父が暮らす、天に届くほど高い塔=タワーマンションに、かつてあったものでした・・・。

◆慰めと警告

 この映画で慰めのようなものがあるとしたら、担ぎ込まれた家で撃たれたスーザンの興奮がおさまらなかったとき、見守っていた無口な老婆が麻薬らしきものをパイプに詰めて、黙ってスーザンに吸わせ、頭を静かになでられたスーザンが落ち着きを取り戻す場面です。また、何もない村で不安なリチャードの話し相手になり、出来ることは手を尽くしてくれた観光ガイドが、ヘリが到着したときリチャードの差し出したお礼のお札を受け取らなかった素朴な善性です。どちらのシーンも無言。人と人は言葉というものを介さず、本質的な部分でつながり合えることを示しています。
 スーザンたち夫婦を救ったのがモロッコの人々の伝統的な知恵や思いやりだったことは、合理的な方法では解決できない部分を、人と人の心が埋めるということを物語っています。
 一方で、豊かな国の人々が比較的明るさの見えるエンディングを迎えるのに対し、貧しい生活の人々がアンハッピーな運命に陥るという結末は、そんなエピソードからセンチメンタルなカタルシスを得て、よしとしようとする私たちを押しとどめる警告のように思えます。

 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥは、2014年の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』や、2015年の『レヴェナント 蘇えりし者』など、運命に抗う人々の作品を送り出しているメキシコ出身の監督。今年60歳です。
 まだ小さいエル・ファニングが、ケイト・ブランシェットブラッド・ピットの娘役で出演しています


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