この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

恐怖の報酬(1977)

賞金を目当てに命がけの爆薬運搬業務に集まった無頼の男たち。ウィリアム・フリードキン監督によるオリジナル完全版を軸に、クルーゾー版にも言及。

 

  製作:1977年
  製作国:アメリ
  日本公開:1978年(オリジナル完全版は2018年)
  監督:ウィリアム・フリードキン
  出演:ロイ・シャイダーブリュノ・クレメール、フランシスコ・ラバル、アミドゥ、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    偽造パスポートを手配する男の家の猫
  名前:不明
  色柄:白に黒(キジ)ブチ?


◆切り取られた過去

 フランスの小説家ジョルジュ・アルノーによる原作小説の二度目の映画化。今年2024年4月からはNetflixで同名のオリジナル映画が配信されているそうですが、今回この作品を選んだのはそれとは関係なく偶然です。このブログのおかかえ絵師の茜丸が、イラストの準備の都合上これから取り上げる映画を早く教えてくれと、先へ先へとせかすものですから、何ヶ月も前から予定は決まっているのです。猫美人は絵師に尻を叩かれて映画を選び文章を書いているのです(涙)。
 今回取り上げるウィリアム・フリードキン監督によるオリジナル完全版とは、初公開当時北米以外では無断で30分ほどカットされて上映されていたものを監督自らの尽力で元のように復活させたもので、日本では2018年に公開されたということです。
 1975年の『ジョーズ』(監督:スティーヴン・スピルバーグ)でサメと対決する警察署長を演じたロイ・シャイダーが主役を演じ、『恐怖の報酬』を挟んで1978年に『ジョーズ2』(監督:ヤノット・シュワルツ)でも主役を務めていますので、彼の旬の時期の映画と言えるでしょう。
 1953年の最初の映画化は、フランスのアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督、俳優で歌手のイヴ・モンタン主演で、日本での一般公開は今から70年前の1954年。私は子ども時代にテレビで放映されたこの映画を見て、数々の場面がトラウマになって残るほど強烈な印象を受けました。
 クルーゾー監督の版には猫が出ていないので、フリードキン監督版を軸に両方の作品を比べてみたいと思います。なお、以下では両作品をクルーゾー版、フリードキン版と表記させていただきます。クルーゾー版も一部をカットされて上映された歴史があり、このブログで参考にしたのは148分のディレクターズ・カット版です。

◆あらすじ

 時は映画製作当時の現代。
 メキシコのベラクルスでサングラスにスーツの男(フランシスコ・ラバル)が消音ピストルで男を殺害して逃げる。
 エルサレムではゲリラが爆弾テロを起こし、若いメンバーの一人(アミドゥ)が人ごみに紛れて行方をくらます。
 パリで裕福な暮らしをしている金融関係の男(ブリュノ・クレメール)は、融資にまつわる詐欺に関わって逃亡する。
 アメリカで賭博の元締めの金を奪い車で逃げたギャング集団の男(ロイ・シャイダー)は、交通事故を起こし一人だけ逃げ出す。彼らが銃で撃った元締めの一人はマフィアの親分の弟だった。
 彼ら4人の男たちは南米のとある国の辺境の村ポルベニールにたどり着く。彼らは、ここからさらに逃亡したいと考えていたが、それには多額の金と身分証が必要だった。
 その頃、数百マイル離れたアメリカ資本の石油採掘場で反米ゲリラによると思われる激しい火災が起きる。消火のためにニトログリセリンの爆発力を利用したいのだが、わずかな刺激で爆発するニトロを現場に運搬する手段はトラック輸送しかない。石油会社は多額の賞金でトラックの運転手を募集し、4人を選ぶ。みな偽名で、アメリカのギャングだったドミンゲス(ロイ・シャイダー)、パリから流れ着いたセラーノ(ブリュノ・クレメール)、エルサレムから逃げて来たマルティネス(アミドゥ)。選ばれたもう一人はスーツの男ニーロ(フランシスコ・ラバル)に殺され、ニーロが運転手の座に収まる。
 想像を絶する悪路、障害物、二人ずつ乗り込んだ2台のトラックはやっとの思いでジャングルを進む。だが、セラーノとマルティネスの乗ったトラックはパンクのはずみで爆発、やがてドミンゲスと同乗していたニーロも途中でゲリラに襲われたときの負傷がもとで死んでしまう。
 トラックの燃料も尽き、ドミンゲスはボロボロになりながら火災現場に歩いてニトロを届ける。多額の賞金を独り占めしたドミンゲスだが、その喜びも束の間だった・・・。

◆猫にごはん 

 南米のとある国(独裁国家?)のポルベニールという村、空港と1軒のホテルがある、流れ者の吹き溜まりのような土地です。ロイ・シャイダー扮するドミンゲスは空港の荷役で働き、パリから来た通称セラーノと、イスラエルから逃げて来たゲリラ・この土地ではマルティネスは、石油会社のパイプライン建設の労働者として働いています。それぞれ金を貯めて高飛びしようとしているのですが、安い賃金で一向にお金は貯まりません。
 パリから逃げて来たセラーノは、結婚10年記念に妻から贈られた腕時計を売れば旅券や航空券代にはなるだろうと、それらをあっせんしている男の家を訪ねます。その男の家に猫がいます。
 セラーノを案内した少年とセラーノが男の家の入口から入っていくと、お皿でごはんを食べていた猫が二人に対してフギャーッと威嚇します。けれどもそれも一瞬で、すぐまたせっかちにお皿に顔を突っ込みます。室内には、家族らしい人たちのスナップ写真がピンクの壁にベタベタ貼られ、3匹の子猫とインコを描いた子ども向けの額絵が飾ってあります。その下には子どもが作った猫と見える動物の工作があり、一目で一般家庭のもぐり商売ということがわかります。セラーノは腕時計とは別に男から多額の現金を要求され、手も足も出ません。
 ポルベニールは、人間以外にも、ブタ、犬、ニワトリ、鳩、カニまで右往左往する、潜伏にはもってこいの混沌とした環境ですが、頭上を飛び交う飛行機にドミンゲスらの脱出の念は募るばかり。金、金、金が欲しい・・・。
 猫が登場するのは始まってから33分過ぎ頃です。

◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

◆謎多き男

 クルーゾー版とフリードキン版を改めて見直してみると、どちらも上映時間の前半約1時間が、トラック出発までの経緯の描き込みにたっぷり用いられています。そこまで時間をかけていながら運転手に選ばれた4人の背景は今一つぼやけている、というところも共通しています。フリードキン版はそこを頑張って説明しようと、社会背景も描こうとしているのですが、かえって半端な情報を増やし話をごちゃごちゃさせているように思います。映画としての醍醐味は、わずかな刺激でも爆発してしまうニトログリセリンの運搬のサスペンスにあり、後半に入ると4人の過去は時々影のように差し込む程度です。

 ここで、フリードキン版とクルーゾー版の比較のため、登場人物を対照させておきます(フリードキン版は(フ)、クルーゾー版は(ク)と表記)。

◆主人公
(フ)ドミンゲス(ロイ・シャイダー
(ク)マリオ(イヴ・モンタン
◆スーツ姿で空港に降り立つ50がらみの男
(フ)ニーロ(フランシスコ・ラバル)
(ク)ジョー(シャルル・ヴァネル
◆パリに住んでいた男または白い髪の男
(フ)セラーノ(ブリュノ・クレメール
(ク)ビンバ(ペーター・ファン・アイク
◆パリに住んでいた男または白い髪の男と組む男
(フ)マルティネス(アミドゥ)
(ク)ルイージ(ファルコ・ルリ)

 このうち、どちらの版でも謎なのがスーツ姿の50がらみの男です。
 フリードキン版では映画の冒頭で人を殺害しますが、プロとおぼしき行動で、何食わぬ顔でその場を立ち去ります。次に登場するのはポルベニールの空港に降り立つところですが、クルーゾー版では空港(ラス・ピエドラス)がこの男の初登場シーン。係官に金を握らせて空港の外に出るところは同じです。
 トラックの運転手に選ばれていた一人を殺して自分がおさまるという冷酷な行動を起こすのはフリードキン版のニーロ。人殺しをしたニーロのことをマルティネスが「シオニスト!」と罵ります。シオニストは、パレスチナを神との約束の地とし、この地にユダヤ人の祖国を築くシオニズムを立場とする人。ざっくり言うと主にユダヤ系の人々です。かたやマルティネスは、エルサレムで爆弾テロを行っていた、反ユダヤ主義パレスチナ・ゲリラ。二人はいまも対立の続く民族紛争の当事者同士です。ニーロをナチス残党狩りの男としている映画サイトもありますが、映画を普通に見た限りではそこまで読み取るのは難しいと思います。
 クルーゾー版では、ニーロに当たる男・ジョーは主人公のマリオと同じフランス人で、二人はすぐ打ち解けます。ジョーは喧嘩でピストルを持ち出し、かつて密輸もやっていた、どうやらその筋の人らしい。運転手に選ばれた男の一人が集合時間に遅れたとき、代わりにジョーがやって来ます。彼が何かしたのではと、みな怪訝に顔を見合わせますが、不問のままトラックは出発します。

◆生死を分けるもの

 クルーゾー版では、4人の男たちが集まった町はアメリカ資本の石油会社がのさばり、ほかにまともな仕事もない場所。外で働こうにも金のかかる飛行機しか交通手段がなく、男たちは今の暮らしを脱却したくて、危険な仕事に応募するのです。
 スーツの男・ジョーは初老にさしかかっていて、気力の衰えが隠せません。ストレスで熱を出したり、崖っぷちすれすれの木の足場を曲がろうと荒っぽい運転をするマリオから逃げ、置き去りにされそうになったりします。運転だけ俺に任せて金だけもらおうとする卑怯者、とマリオはジョーに言い放ちますが、ジョーは、報酬は運転代と恐怖に対する代金だ、俺とお前は役割を分担している、と開き直ります。
 これが『恐怖の報酬』の題のもとですが、フリードキンのオリジナル完全版では、題は『SORCERER』に改められています。
 SORCERER(ソーサラー)とは魔物・魔法使いなどを意味するそうですが、フリードキン版では男たちが乗る2台のトラックにそれぞれSORCERERとLAZAROというニックネームが付けられています。パリのセラーノとゲリラのマルティネスが乗ったトラックがSORCERER、ロイ・シャイダーのドミンゲスとニーロが乗ったのはLAZARO。LAZAROとはキリストの友人の名前で、死んだあとにキリストが訪ねていくと生き返ったそうです。
 SORCERER号のフロントのデザインは顔に見えると思っていたら、走るSORCERER号の傍らの岩壁に南米の古代文明風の魔物のような彫刻があり、その牙をむいた顔がSORCERER号にそっくりです。魔物と結び付いていたためかSORCERER号は爆発し、二人のドライバーも吹き飛んでしまいます。
 一方、LAZARO号は生を運命づけられていたと言えるでしょう。ニーロが死に、賽の河原のような場所を走り抜け、ガス欠であと一歩で動かなくなりますが、ドミンゲスは徒歩で目的を達成します。

◆どんでん返し

 パレスチナユダヤや、SORCERERとLAZAROのような、対立と緊張の構図をこの映画に持ち込んだところがフリードキン版の特徴。ドミンゲスが運転するトラックの前に裸の現地の男が飛び出してあおるのは、文明と非文明の対立を描いていると言えるでしょう。トラックが巡り合うトラブルは、いまにも落ちそうな吊橋、倒木、途中の山道で積み荷を奪おうとした武装ゲリラにニーロが撃たれるなど、外的な因子によるものです。
 一方、クルーゾー版では、4人のドライバーが内面的に分裂する様子が描かれます。マリオとルイージは、ジョーが町に来てマリオとつるんだことで仲たがいをし、そのマリオとジョーもトラックに乗ると険悪になります。もう1台のトラックの爆発によって破れたパイプラインから噴出した原油が溜まった中を進もうとして誘導していたジョーを、マリオが知っていながら轢いてしまうむごたらしさ。目的のために犠牲を顧みない人間の狂気。脚の折れたジョーを脇に乗せて励ますマリオにジョーからの返事が返ってこなくなり、たった一人になってしまったマリオは、そのとき初めてジョーの存在によって自分が恐怖から目をそらすことができていたことを知るのです。
 なおも待っているのはラストのどんでん返し。フリードキン版はドミンゲスに何かが訪れるという外的な理由で、クルーゾー版はマリオ自身の内的要因によって、結末がもたらされます。
 クルーゾー版のラスト、マリオが帰って来ると喜んだ彼の情婦が酒場でダンスを踊り出し、カーラジオで同じ曲を同時に聴きながら、二人分の報酬を手にして有頂天のマリオは・・・。

 フリードキン版は社会構造と人間の相克というテーマまで描こうとして力及ばなかった感があり、クルーゾー版は人間という実存に迫ることに徹したと言えるのではないでしょうか。『フレンチ・コネクション』(1971年)や『エクソシスト』(1973年)で大ヒットを飛ばしたフリードキン監督も、この作品では不発だったとか。フリードキン版の最後には、クルーゾー監督への献辞が捧げられています。


◆余談
クルーゾー版では、マリオの宝物として、パリの地下鉄の切符が出てきます。『リラの門』(1957年/監督:ルネ・クレール)のときに紹介したシャンソン「地下鉄の切符切り」の歌詞の、切符の「小さい穴」はこの映画でご覧いただけますよ。


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