物にも人にも過去がある。古道具屋の「時代屋」に転がり込んだ真弓とあるじの安さんの、奇妙で切ないラブストーリー。
製作:1983年
製作国:日本
日本公開:1983年
監督:森﨑 東(あずま)
出演:渡瀬恒彦、夏目雅子、津川雅彦、大坂志郎、沖田浩之、他
レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)
◆◆ この映画の猫 ◆◆
役:☆☆(脇役級)
時代屋の猫
名前:アブサン
色柄:長毛の三毛
◆怒劇の非怒劇
猫が出る映画を見たら教えてほしいと人に声をかけていると、よく挙げてもらえるのがこの『時代屋の女房』です。銀色の日傘をくるくる回しながら、夏目雅子演じる真弓が猫を抱いて現れるショット、この2年後に27歳で病気で亡くなったことがウソのような笑顔です。
監督の森﨑東は山田洋次と共同脚本を多く手掛け、映画『男はつらいよ』シリーズの第1作は二人の脚本。シリーズ第3作『男はつらいよ フーテンの寅』(1970年)は、森﨑東が監督しています。TVシリーズだった『男はつらいよ』は森﨑東や山田洋次らが脚本を書いていて、そろそろ終わりにしようと、寅さんがハブに噛まれて死ぬ最期にしたら抗議が殺到、映画化することになったのだそうです。
森﨑東の監督デビュー作は『喜劇 女は度胸』(1969年)。山田洋次が原案を出し、森﨑監督自ら脚本を書いた・・・と言うより、松竹の脚本部にいた森﨑東は会長から山田洋次と一緒に呼び出され、喜劇の脚本を書けと言われてこれを書いたら、映画にするから監督をやれということになったのだとか(注1)。
貧しい家庭の真面目な青年(河原崎健三)と、いいかげんな兄(渥美清)が、同じ女性と付き合っているのではないかと父まで巻き込み大騒動、真面目な弟は家族を恨んで激しく怒りをぶちまけます。
そんな自分の映画を怒劇と称した森﨑東監督。人間の怒りが頂点に達し、プツンと切れたとき、それは滑稽さに転換、怒劇とは怒喜劇と言い換えることができるでしょう。森﨑監督は、喜劇こそ真実を悲劇より力強く伝達できるジャンルだと言っています(注2)。
けれども『時代屋の女房』の主役の安さんは、ちっとも感情を表さない男です。
◆あらすじ
東京の大井町、三ツ又交差点の歩道橋のたもとの古道具屋・時代屋の主人は、安さん(渡瀬恒彦)という35歳の独身男だった。ある夏の日、銀色の日傘をさした若い女(夏目雅子)が歩道橋から降りて来て、抱いていた三毛猫を「預かって」と安さんに差し出す。女は店内を珍しそうに見回し、2階の安さんの物置兼寝室まで上がって行った。様子を見に行った安さんと女はそのまま男女の仲になる。女は真弓といい、そのまま猫と一緒に時代屋に住みついてしまった。二人は踏み込まないのが都会の流儀と、過去や身の上について互いに何も知らずにいた。
それから半年、真弓は時々、ちょっと出て来ると留守電に録音を残して数日間家出することがあった。近くの居酒屋で安さんの飲み仲間の、喫茶店サンライズのマスター(津川雅彦)やクリーニング屋の今井さん(大坂志郎)と、いまも家出中の真弓が帰って来るだの来ないだの人妻じゃないかだのと話していると、カーリーヘアの女(夏目雅子)が店に入って来る。「女が蒸発するときは必ず男が一緒」と彼女が言うので、安さんはすこぶる不安になる。安さんはその夜、美郷(みさと)というその女を家に泊め、彼女を抱いた。
美郷は郷里の盛岡で結婚すると言って、翌朝大井町の駅で安さんと別れる。
その盛岡で、のぞきからくりの屋台の売り物があると真弓からサンライズのマスターのところに電話が入ったのは、美郷が泊まった夜だった。安さんはマスターと屋台のある盛岡の旅館に車を走らせる。旅館の主人の老母が、昨日真弓らしき女が男と一緒に泊まったと言うので、安さんはすっかり落ち込んでしまう。そこへ男(平田満)が「時代屋のご主人ですね」と乗り込んで来たので、安さんとマスターは、この男は真弓の夫だと首をすくめる。だが、彼は美郷の婚約者だった。盛岡に帰ったはずの美郷は、安さんが好きになって東京にとんぼ返りしてしまったのだという。結局真弓の行方はつかめなかった。
東京に戻って来た安さんは、ときどき時代屋を覗いていた若者(沖田浩之)に真弓が体を抱かせていたことを知り、彼の口から真弓は近くの団地の主婦売春をしている人だと思っていたと聞く。安さんは団地周辺をあてどなく車でさまよう。
そんなとき、安さんの父親が死んだ。女を作って家を出て行った父親と安さんは絶縁状態だったが、安さんの身寄りはこれで誰もいなくなった。真弓が連れて来た猫のアブサンも家出してしまっていた・・・。
◆ハスキーボイス
公園で真弓が拾って、たまたま近くにあった時代屋に連れて来られた三毛猫。真弓はこの猫に、捨てられて鳴きすぎたせいか声がかすれていて、外国映画に出て来る喉が酒焼けした女のようだと「アブサン」と命名します。強いお酒の代名詞のアブサン。アルコール度数は平均で70%前後だそうです。
物言わぬ古い器物に囲まれて、日がな一日隠居のような商売をしていた安さんの懐に飛び込んだアブサンと真弓。真弓という女は、いつの間にか居ついてしまった野良猫そっくり。時々フラッと出て行って、何日かして帰ってくるところも、そして別宅があって違う名前で呼ばれていて、二重生活をしているのではないかと疑われるところも猫と同じです。
「猫がどんなとき幸せそうな顔をするかっていって、お日様の光に当たっているときくらい幸せそうな顔はないわね・・・」
原作小説にも映画にも出て来る、真弓の名言。
アブサンは映画の初めから終わりまで、時代屋の古い品々にまじって頻繁に登場します。出過ぎず、媚びず、いい猫です。
◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆
◆他人の空似
「猫がかわいかった」「夏目雅子が見たくて見た」と話してくれる人の多いこの映画ですが、少々観客を混乱させる作りになっています。
ストーリーの幹は、古道具屋を営んでいる安さんと事実上の女房・真弓との恋。家出してしまった飼い猫の帰りを待つ飼い主の切なさを、そのまま人間の女と男に置き換えたような物語です。その幹に、サンライズのマスターの女癖や、クリーニング屋の今井さんの若かりし頃の駆け落ちの思い出、安さんの父の愛人(朝丘雪路)の安さんへの母子相姦的な愛、真弓が体を与えて慰めた若者などの、サブとなるエピソードがつながっています。
最も混乱をもたらすのは美郷の存在です。美郷と真弓は別人なのですが、夏目雅子が二役を演じていることも相まって、同一人物なのではないかという憶測を生んでしまうのです。
「出かけてきます」という真弓の録音を聞いて安さんが時代屋を飛び出すと、そばのベンチに若い女が座っています。夏目雅子で、大げさなカーリーヘアにメガネと、いかにも変装臭いいでたち。そこに来たサンライズのマスターと安さんが話しているのを女がちらちら盗み見し、アブサンを抱いているので、これは真弓が家出したふりをして安さんの様子を探っているのだと思ってしまうのです。けれども、居酒屋にやって来た美郷のことを誰も真弓ではないかと怪しむ気配はないし、もし美郷が真弓なら彼女を抱いた安さんが気づかないはずはないし、どうやらこれは夏目雅子の一人二役だと、一旦、美郷≠真弓に落ち着きます。
けれども、盛岡にのぞきからくりの屋台を買い付けに行ったとき、盛岡に帰ったはずの美郷が安さんが忘れられずに東京に舞い戻ってしまったというのと、盛岡で真弓に会えなかったのとで、やっぱり美郷は真弓で、婚約者と安さんと自分が顔を合わせるのはまずいと、姿を消してしまったのではないかという想像がまたも頭を持ち上げてしまうのです。
なぜ夏目雅子を真弓と美郷の二役にしたのか、二役にするにしても、あのいかにも変装臭い美郷の外見をもっとさりげなくできなかったのか。『喜劇 女は度胸』のような「複数の男が同じ女を相手にしていると思い込んでドタバタが起きる」というモチーフをここでも取り入れようとして、途中でやめたのでしょうか。
◆涙壺
いくら真弓が風変わりな女でも、母を亡くして打ちひしがれていた若者を慰めるために体を与えていたというのも唐突です。沖田浩之演じる若者が安さんにそれを告白するのは、ぼんやり聞いていると何のことを言っているのかわからないような遠回しなセリフ。真弓の家出の謎を埋めるためのようなエピソードですが、真弓に対する観客のロマンを打ち砕く話です。
猥雑な風俗を描くことが得意な森﨑監督の意図か、育ちのよさそうな夏目雅子が下品なセリフを口にしたり、のぞきからくりの「不如帰(ほととぎす)」の卑猥な替え歌(注3)に合わせて踊ったりするのも、無理している感が漂います。
村松友視の原作小説を紐解いてみると、家出した真弓が盛岡でのぞきからくりの屋台を見つけたり、若者に体を与えたり、安さんと美郷が一夜を共にすることもありません。原作は、安さんとサンライズのマスター、クリーニング屋の今井さんたちの、男というものは女に翻弄されて生きるのが宿命なのだなぁ、とでもいうような与太話のような短編。それをふくらませようとしたときに脚本化がうまくいかなかったのではないでしょうか。実際、脚本をめぐってトラブルがあったらしいのです(注4)。
真弓が初めて時代屋に来た日に見つけた、夫が戦場に行った妻が夫のいない間に泣いた涙をためておくという、ペルシャかトルコあたりの古美術品の涙壺。今度こそ真弓は帰ってこないのではと、安さんが自分の目に涙壺をそっと当てる――そんな断片が胸に残ります。作り手側が見せたいのはもっとあけすけな男と女の話だったのかもしれませんが、真弓像がぐにゃぐにゃしていてムードだけの映画になってしまったのは残念です。
◆終焉
再び森﨑監督のデビュー作『喜劇 女は度胸』に話を戻すと、主人公の天敵は渥美清が演じる兄。寅さんの毒舌や気ままさはそのままに、エッチがトッピングされたキャラクター。渥美清がこの役をやらなければこの映画の監督を引き受けないと、森﨑監督は別の映画の海外ロケ出発直前の渥美清に頼み込んで、大急ぎで撮影したそうです(注5)。完成した映画を見れば森﨑監督がどうしても渥美清をと望んだ気持ちがわかるほど。けれどもその後『男はつらいよ』がシリーズ化し、国民的アイドルとなった渥美清は、寅さんのイメージを崩す映画・TVなどの出演を断り続けたと聞きます。森﨑東が監督した『男はつらいよ』第3作にも「これは『寅ちゃん』じゃない」と言ったそうです(注6)。もし寅さんがシリーズ化しなかったら(もしトラ?)、渥美清は森﨑監督の怒劇で大暴れを続けていたのかもしれません。
映画界の不況や時代の変化と共に社会に怒りや問題をぶつける怒劇映画は求められず、作れなくなっていったようです。6年間の映画監督業ブランクのあと、森﨑監督がメガホンを取ったのがこの『時代屋の女房』。
その後再び怒劇『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985年)などの社会性の強い映画や、『釣りバカ日誌S(スペシャル)』(1994年)などの軽いコメディを撮ったりしたあと、最後の作品、キネマ旬報日本映画第1位に輝いた2013年の『ペコロスの母に会いに行く』は、認知症で介護施設に入った母と息子の、優しく愛おしい物語。そこには怒りをぶちまける男の姿はなく、その映画が初めて第1位に選ばれた・・・80代半ばの老いたる監督の胸にはどのような思いが去来したのでしょう。森﨑監督はその後体調を崩し、2020年に92歳で没。
『時代屋の女房』は夏目雅子と、アブサンと、渡瀬恒彦と、1999年に36歳で自ら命を絶った沖田浩之の記憶を留めておく映画。ほかの主な出演者の多くも今は亡く・・・。
真弓が時代屋の商売をめぐって、静かに死のうとしている物を無理やりに生き返らせて、あたしたち残酷なのかしら、といみじくも言ったように、この映画のことを今さらあれこれ言うのは酷なのかもしれません。
TVドラマ(2006年)では大塚寧々、続編の『時代屋の女房2』(1985年/監督:長尾啓司)では名取裕子が演じている真弓。十分とは言えないにしても、どこか消えてしまいそうなところのある夏目雅子が、やはり一番似合っている気がします。
(注1、2、5、6)
「新・監督は語る『森﨑東』」映画評論家・キネマ旬報元編集長植草信和氏の1997年のインタビュー映像より(2022年/衛星劇場)
(注3)
のぞきからくりの「不如帰」のまじめな口上は『長屋紳士録』(1947年/監督:小津安二郎)の中で、笠智衆が巧みに演じています。
『時代屋の女房』に出てくるもう一つの演目は「八百屋お七」です。
(注4)
Wikipedia「荒井晴彦」
(参考)
「森﨑東監督との大衆映画についての論争」(『監督の椅子』白井佳夫/話の特集(株)/1981年)より
森﨑監督と白井佳夫師匠とは親しい友人で、夜を徹して議論をした仲だったそうです。
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