この映画、猫が出てます

猫が出てくる映画の紹介と批評のページです

夫婦善哉(めおとぜんざい)

ダメ男としっかり女の腐れ縁。大阪を舞台にした大人の恋の浮き沈み。

  製作:1955年
  製作国:日本
  日本公開:1955年
  監督:豊田四郎
  出演:森繫久彌、淡島千景司葉子山茶花究浪花千栄子、他
  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆(ほんのチョイ役)
    主人公の住む貸間の近くの猫
  名前:不明
  色柄:茶白?(モノクロのため推定)
  その他の猫:喧嘩中の猫たち


◆さまざまな夫婦善哉

 「夫婦善哉」という四文字を前にして「全く初耳」と言う人もいれば、「そういうテレビ番組があった」と言う人、「織田作之助の小説」「(この)映画でしょ」そして「大阪の有名なぜんざい屋さん」と言う人があると思います。私が初めてこの四文字に接したのは、関西の芸人ミヤコ蝶々南都雄二が司会を務めていた1960~70年代の視聴者参加型のテレビ番組「蝶々・雄二の夫婦善哉」です。現在の「新婚さんいらっしゃい」のような、視聴者のゲストに夫婦ならではの泣き笑いを語ってもらう番組ですが、見たことがあるようなないような程度の記憶しかありません。ただ「夫婦」はわかるけれど「善哉」ってなんだろう? と引っかかっておりました。
 「夫婦善哉」は、この映画のラストに登場する法善寺横丁に現存するぜんざい屋さん。織田作之助の同名の小説と、それを原作としたこの映画で有名になったそうです。ホームページを見るとなんと明治16年(1883年)にルーツがあるそうで、一人前で二椀出るこのぜんざいを食べるとカップル円満になれるという縁起物。ためしにオンラインショップでお取り寄せしてみました。レトルトで豆の粒が大きく、甘さもちょうどよくてとてもおいしかったのですが、温める場合の時間のめやすが書いていなかったので☆一つマイナスです。

◆あらすじ

  昭和7(1932)年。大阪・船場の化粧品類の卸問屋・維康(これやす)商店の跡取り息子の柳吉(りゅうきち/森繁久彌)は、妻が病気で2年も里に帰っている間、芸妓の蝶子(淡島千景)に入れあげ、店の事には一向に身が入らなかった。病で寝付いた店主である父(小堀誠)は、そんな柳吉を勘当する。
 柳吉は蝶子にくっついて暮らし始めるが、たちまち金に困り、蝶子が芸妓をやめてヤトナの勤めに出て生活を支える。妻が亡くなっても柳吉は家から知らせてもらえず、番頭から耳打ちされ、二人で蝶子が稼いだお金を全部遊んで使ってしまった。蝶子はそんな柳吉に怒りながらも、いつか柳吉を一人前の男にして維康商店を見返してみせるつもりだった。
 柳吉は父が死ねば店は自分の物になると高をくくっていたが、父は柳吉の妹の筆子(司葉子)に婿養子(山茶花究)を取らせて店を任せ、柳吉は完全に跡継ぎの座を失う。
 貯金などを元手に柳吉と蝶子は関東煮(かんとだき=おでん)屋を開いたものの、柳吉は腎臓の病気で倒れてしまう。蝶子は手術代を都合してもらおうと維康商店を訪れるが、婿養子に門前払い同然の対応をされる。
 けれども、妹の筆子が柳吉の一人娘のみつ子(森川佳子)を連れて見舞いに来て、父が蝶子の存在を認めるような話をしたと聞き、蝶子は柳吉の後妻になる望みを抱く。
 柳吉の退院後、父の容態が悪くなる。蝶子は柳吉に、お父さんに二人が晴れて夫婦になれるよう頼んでくれと送り出すが、柳吉はその話を切り出さず、父は亡くなってしまう。ショックを受けた蝶子はガス自殺を図るが・・・。

◆屋根の上の猫一匹

  映画の冒頭、柳吉と蝶子は東京に駆け落ち、熱海で大地震に遭い、大阪に戻ってきます。黙って1週間も出て行ったので勘当されても、芸妓の館(置屋?)に顔を出せなくなっても身から出た錆、そうして人の家の二階を借りて住み始めます。蝶子の両親だけは二人を認めてくれて、娘をよろしくお願いします、と柳吉に頭を下げます。蝶子の父(田村楽太)は自分で惣菜の天ぷらを揚げて1個いくらで売る商売。母親役は独特の個性の三好栄子。まあ、あまり似てない親子です。
 映画が始まって20数分過ぎ、その母親が二人の借りている部屋に来て「父さんにもっといい材料を仕入れさせてやりたい」と蝶子に金の無心をします。二階借りのため炊事場がなく、蝶子は腰掛窓の前に七輪を置いて煮炊き中。その向かいの家の屋根の上に茶白らしい猫がいて、食べ物の匂いにつられてかニャアニャア大きな声でずっと鳴いています。蝶子はお金を出し渋り、母は柳吉さんにはお小遣いをやるくせに、とむくれて帰ってしまいます。
 もう1箇所、猫が登場するのは30分過ぎの、柳吉が妻が死んだことを知らされ3日も遊郭で遊んで蝶子の元に戻ってきた場面。早朝、柳吉がよろよろと歩いて路地に入ってくると、また屋根の上で猫が鳴いています。今度はオス同士の喧嘩の声。けれども猫は1匹しか見当たらず喧嘩は声だけ。さっきと同じ猫かどうかは映像が不鮮明でよくわかりませんが、猫は柳吉に「やかましい!」と怒られます。商売の街・船場のええ家に住んでいた坊ちゃんの柳吉が、猫がニャーギャー騒ぐ安っぽいとこに落ちぶれて住んでます、というわけでしょうか。
 猫の登場場面ではありませんが、柳吉が腎臓を痛がっているときに、蝶子が「猫のフンとミョウバン煎じて飲むか?」と聞くセリフがあって驚きました。これはもうおまじないのたぐいだと思いますが、猫好きのそこのあなた、飲めますか?

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

      

◆惚れた弱み

 苦労知らずのぼんぼん育ちの男と、気のいいしっかり者の女。二人は正式の夫婦になることはありません。けれどもまあ、この男と夫婦になるのはやめといたら、と蝶子には言ってやりたいです。お金の面でも精神面でも、苦労をしょい込むのは一方的に蝶子。なのに維康商店にとって蝶子は柳吉をたぶらかした悪者、日陰の身の屈辱に耐える日々です。そんな蝶子を柳吉は「おばはん」と呼び(蝶子はまだ20代)、それを親しさの印のように受け入れる蝶子です。良く言えば「割れ鍋に綴じ蓋」、はっきり言うと共依存の関係です。
 よくアルコールやギャンブルに依存したりDVをしたりする男性に、無意識にその行動を助長させるような働きをしてしまう女性がついていると聞きますが、この二人はそういうカップルでしょう。女性は男性にそういう行動をやめてほしいのですが、男性からの激しい怒りに遭い、お酒を買ってきたりお金を渡したりする、そのときの男性の打って変わった優しさにほだされ、ずるずるとそんな関係を続けてしまうといいます。「この人は私がいなければだめになってしまう」という思い込みと、激しい感情のアップダウンが彼女の生きているという実感を生み、相手なしでは空っぽになる、と本で読んだことがあります。
 けれども、この映画の柳吉が極悪人かと言うと、まあなんとも憎めない男。生活力のない甘ったれなのですが、こういう頼りなさがしっかり者の女のレセプターにがっちりはまってしまうのでしょう。
 育ちの良さがアダとなって大人になりそこねたような柳吉を演じる森繫久彌が、とにかくうまい。ブラブラと暇を持て余して、通りすがりの子どもたちのおままごとに混ぜてもらおうとすると、紙芝居の拍子木に子どもたちが走って行ってしまい、一人ぽつんと取り残されます。そこに通りかかった蝶子に「動物園行ってきてん」と言い「ぶぶあげまひょか」と口をとんがらせておままごとの急須でお茶をつぐ。男の子どもっぽさに弱い女は多いんですよ。こういう男に甘えられたら抵抗は難しいんだろうなあ…。

◆ラブコメ大阪発

  ちなみに「ヤトナ」というのは、宴会や婚礼などのときの臨時雇いの仲居で、三味線や踊りなどの芸もできる人。芸者を呼ぶと高くつくので、宴会を安くあげようとする客たちに重宝がられたようです。蝶子は根っから接客業が好きだったよう。ヤトナになったその晩から出たお座敷のあと、日本髪で衣裳を着た姿を柳吉に見てもらいたくてウフンと柳吉にしなだれかかる淡島千景の蝶子がかわいい。
 この映画は、ズルズルの男女関係を描いていますが、いわゆる濡れ場は一度も出てきません。けれども、柳吉が久しぶりに帰って来ると、それではと蝶子がカーテンを閉め・・・などの大人だけにわかる遠回しの表現がいくつかちりばめられていてクスリとさせられます。こうしたことが、この腐れ縁のカップルをじめじめさせず、明るくコミカルに見せているのだと思います。
 同じ豊田四郎監督による『新・夫婦善哉』(1963年)というこの映画の続編があるのですが(シルエットで猫が出てます)、ここでは柳吉が商売をしようと東京に一人で出てきて淡路恵子が演じる食わせ者の女につかまります。東京のドライで現代的な女性を表現しようとしているのか、淡路恵子が森繫久彌の首を足で挟んだりするのがうるさく、力がちょっと抜けたような関西の言い回しや風土がどれだけ『夫婦善哉』の魅力に関わっているかと、あらためて気付かされました。
 その象徴ともいえる法善寺横丁。蝶子は度々法善寺境内にお参りに訪れます。「柳吉はんの奥さんが死んでその後釜に座ろうとは思っていない」と言う蝶子ですが、奥さんが亡くなったあとお参りに来たときには「おおきに」と深々と頭を下げるというブラックな笑いも・・・。

◆雪の法善寺横丁

 柳吉は父の死に際に蝶子との夫婦約束を許してもらうどころか、蝶子の存在を隠して財産を分けてもらおうとして失敗、傷ついた蝶子の自殺は未遂に終わります。これが蝶子にとっては腐れ縁を切る最大のチャンス。さすがに蝶子も目が覚めたかと思ったら、抜け殻のような蝶子の前にほとぼりの冷めた頃柳吉が現れ「夫婦善哉」に蝶子を連れて行きます。店の中での二人のやり取りは映画を見ていただくこととして、帰り道、雪の降る中しっぽりと二人で歩くうちに柳吉の殺し文句が。
「頼りにしてまっせ、おばはん」。

 豊田四郎監督は川端康成原作の『雪國』(1957年)など、文芸作品を多く手掛けています。森繫久彌主演の喜劇『駅前』シリーズなどでもメガホンを取っており、彼とは相性がよかったようです。
 主役の森繁久彌・さっぱりとした女っぽさの淡島千景のボケとツッコミのようなコンビネーションに加え、癖のある脇役がそろい踏み。ヤトナの周旋屋・浪花千栄子、婿養子の山茶花究、番頭の田中春男、酔客の上田吉二郎、易者の沢村いき雄・・・中でも好きなのは、よく女中役などを演じる出雲八恵子が、ヤトナの三味線の稽古で間違えて変な音を出すシーンです。「ボケてまんねん、近頃」と自分で自分を笑いのネタにする絶妙の間。関西のお笑いの神髄、ここにあり。

 

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