この映画、猫が出てます

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アンネの日記(1959年)

ナチスの迫害から逃れ、隠れ家生活を送った少女アンネが日記に遺した2年の多感な日々。

 

  製作:1959年
  製作国:アメリ
  日本公開:1959年
  監督:ジョージ・スティーヴンス
  出演:ミリー・パーキンス、リチャード・ベイマ―、シェリー・ウィンタース
     ジョセフ・シルドクラウト 他

  レイティング:一般(どの年齢の方でもご覧いただけます)

  ◆◆ この映画の猫 ◆◆
  役:☆☆(脇役級)
    ペーターのペット
  名前:ムッシー
  色柄:茶トラ(モノクロのため推定)


◆記憶と記録

 辛かったことや悔しかったことを思い出したくなくて、わたしは日記のたぐいを残していないのですが、映画を見ていて昔のいやな記憶がよみがえり、映画の内容が全く頭に入らなくなってしまうことも時々あります。記録は残さなくても、記憶は消せません。
 日本では昨年『アンネ・フランクと旅する日記』(2021年製作/監督:アリ・フォルマン)というアニメ映画も公開されました。友だちとはしゃぎまわりたい年頃の2年を親友にも黙って身を隠したアンネにとって、日記は話し相手のような心のよりどころだったはずです。
 アンネの日記は収容所での本当の悲惨さを体験する前に終わっています。アンネがベルゲン・ベルゼン強制収容所で病死したのは、連合軍によって収容所が解放される1945年4月15日のほんの少し前、2月終わりから3月頃と推定されているそうです。

◆あらすじ

 1942年7月、オランダのアムステルダムに住むユダヤ人の13歳の少女アンネ・フランク(ミリー・パーキンス)は、ナチスドイツのオランダ占領後、ユダヤ人迫害から逃れるため、父オットー(ジョセフ・シルドクラウト)の知人のクラーレル(ダグラス・スペンサー)とミープ(ドディ・ヒース)の計らいで、彼らの働く香辛料工場の屋根裏に隠れ住むことになった。父の知人のファン・ダーン夫妻(ルー・ジャコビ、シェリー・ウィンタース)とその息子のペーター(リチャード・ベイマー)も隠れ家に同居、アンネの父母とアンネの3つ年上の姉のマルゴット(ダイアン・ベイカー)と合わせ7人での共同生活がスタートする。
 アンネたちの部屋のすぐ下の事務室にはクラーレルらが、その下には工場の従業員たちが働き、気づかれるのを防ぐため朝の8時から夕方6時まで音をたてたりカーテンを開けたりできなかった。そんな生活の始まりに、アンネは父から日記帳をプレゼントされ、親友に語りかけるように日記をつけ始める。
 アンネは活発で大人にも物をはっきり言う性格、ペーターからうるさがられてムッとする一方、優等生の姉のマルゴットに劣等感を抱き、そんな姉を可愛がる母に反抗した。隠れ家にはやがて歯科医のデュッセル氏(エド・ウィン)も加わり、アンネは彼から親友のサンネが収容所に連れて行かれたと聞く。
 アンネは、ペーターと次第に心を寄せ合うようになる。食料の入手なども不十分になり隠れ家の中にはとげとげしい雰囲気が漂う。ファン・ダーン氏が夜中にパンを盗んだのをアンネの母が見つけ、隠れ家から出て行けとファン・ダーン夫妻に詰め寄る重苦しい空気の中、連合軍がノルマンディーに上陸したという吉報が入り、喜んでみな仲直りをするのだった。
 1944年8月、いつも食料や情報を届けたりしてくれるミープが3日も姿を見せず、みんなの不安が極限に達する。アンネはペーターと隠れ家を出てからのことを語り合うが・・・。

◆猫の幸福

 ファン・ダーン家の一人息子でアンネより3つ年上のペーターは、猫なしでは生きられないと隠れ家に茶トラのオス猫のムッシーを連れて来ます。ペーターは引っ込み思案で一人でムッシーと過ごすのが好き。「猫が大好き」と騒ぐアンネより、静かに猫をかわいがるマルゴットの方を初めは好ましく思ったようです。ムッシーの出番はインターミッション(休憩)の前まで。隠れ家のあちこちで映ります。
 室内を縦横無尽に動き回る猫。隠れ家のあるビルの事務室に泥棒が入り、みんなが息をひそめている最中に、ムッシーはバケツに首を突っ込んだり、ぴょんと跳び降りる音を立てたり。あせったペーターが捕まえようとしてうっかり物にぶつかり、大きな音を立ててしまいます。泥棒は入り口のドアを開けたまま逃げ、夜警とドイツ兵がビルの中を調べに入ってきます。またもやムッシーは台所の食べ残しなどを食べて音を立て、絶体絶命! 
 息詰まる緊迫の展開。迷惑猫ぶりはあの『エイリアン』(1979年/監督:リドリー・スコット)の茶トラのジョーンズと互角の勝負。
 後から隠れ家に加わったデュッセルさんには猫喘息でうとまれ、食料が乏しくなると猫に分け前を取られると目の敵にされ、ムッシーは肩身が狭かったのか、1944年になる少し前に家出してしまいます。けれども、ずっと隠れていなければならなかった人間たちに比べ、外に逃げ出す自由のあった猫は幸せだったと言えるでしょう。

 ◆◆(猫の話だけでいい人はここまで・・・)◆◆

    

◆脱皮の季節

 多くの方がご存知だと思いますが、『アンネの日記』は、ドイツ兵に隠れ家が見つかり、全員収容所に連行されたときにアンネが隠れ家に置いて行ったものが、戦後、唯一の生き残りのアンネの父のオットーに手渡され、オットーが1947年に出版したことにより世界中に知られることとなったということです。戦争と民族差別という極限状況に輪をかけて、大人5人とティーンエイジャーの男女3人による隠れ家生活という異常な環境の中で書かれたこの日記は、心理学上の特異な実験の記録と呼んでもいいかもしれません。
 そんな中で、アンネは普通の思春期の女の子のように、本を読み、親や大人たちに反抗し、将来ジャーナリストになる夢を抱き、恋もするのです。この時期の人間の、子どもから大人へ脱皮しようとする力を何者も止めることができないことを、この日記は証明しています。

 映画『アンネの日記』は170分という長尺。引き締まったモノクロの画面が暗い時代を再現します。映画の初め、父・オットーが戦後隠れ家でクラーレルとミープと会い、アンネの残した日記を渡されてページを開くと、みんなでここに移って来た日の描写が始まります。
 前半は、不自由な隠れ家生活と、反抗期の入り口のアンネが大人たちとぶつかる中で、父に絶対の信頼と愛着を寄せる様子が描かれ、泥棒の侵入がクライマックスとなります。
 後半に入るとアンネはぐっと大人っぽくなり、大人たちにぶつけていたイライラを父ではなくペーターを相手に語るようになって、二人の間に生まれた恋が美しく描かれます。
 アンネがペーターの一人部屋に話しに行く、それだけのことが正式のデートになります。二人とも精いっぱいのおめかしをして、全員がかたずをのんで見守る中、突き刺さる視線を背負いながらアンネがペーターの部屋を訪問します。アンネは外の世界からも、隠れ家の中でも自由を奪われているわけです。
 時計塔の鐘が鳴るまでという約束のもと、アンネがペーターの部屋を出て行こうとしたとき、ペーターはアンネに初めてのキスをします。暗がりの中で二人のシルエットがおずおずと近づくこのラブシーンは、極限まで静かで、そして美しい。

◆若者の叫び

 この映画の中で、アンネの主張にはっとする部分がありました。
 自分たちが隠れていることが外部に気づかれたとうかがわせる情報を聞いて、皆が不安に突き落とされたとき「こんな所、もういや」と口走ったマルゴットに、母親が「私たちは幸運よ。外で戦死する人や収容所の人のことを考えなさい」と言ったことに対し、アンネは「大人と違って私たちはこれからだ、悲惨な時に悲惨なことを考えていてはおかしくなってしまう」「希望も持てない世の中でも理想を追いたい」「こんな世界になったのはわたしたちのせいじゃない」と言うのです。
 置かれた条件は比べ物にならないものの、新型コロナ禍の3年間、学校生活や社会人生活を様々な制約の中で耐えてきたいまの若い人たちと、アンネやペーター、マルゴットの苦悩には共通するものがあるように思います。
 大人は、この間に起きたことは、長い人生という目で見れば小さなことと思ってしまいがちですが、たとえば50年のうちの3年と、18年のうちの3年は重みが違います。そしてその年頃でなければ経験できないことが人生の中には多々あります。
 コロナ禍以外でも、戦争や紛争の中で子ども時代から青年期を過ごす人たち、地球環境への危機感を訴える人たちなど、若者たちが「取り返しがつかない」と言い、未来を憂えていることを、彼らが感じているほどには重く受け止めていないのではないか、大人は逃げ得だ、とアンネに叱られたような気がします。

◆その日が来た

 ナチスが乗った車が隠れ家の建物の前で止まり、破れた天窓から空を飛ぶカモメを見ていたアンネとペーターは、すべてを悟って抱き合います。アンネが硬い表情でその腕をほどく姿に、先ほどのキスの場面の甘さと対照的な現実の過酷さがむき出しになります。

 アンネは、この日記をもとに戦後、手記を発表しようと思っていたようですが、もしそれが実現していたら、収容所で苦しんでいた人がいたのに、と誹謗中傷にさらされることはなかったでしょうか。外国に亡命したユダヤ人もたくさんいましたし、ほかにも隠れていた人はいたと思いますが、そのような人たちへのユダヤ人社会での反応については、耳に入ってこないように思います。生き延びたあとの生活再建のため、他人のことなどかまっていられなかったのかもしれません。
 近年はユダヤ人虐殺に協力させられたユダヤ人の存在も知られ、またナチス戦争犯罪の追及もいまだ行われています。アンネたちが隠れていることを密告した人を特定したという本も数年前に出版されましたが、内容に疑義ありとされたそうです。
 アンネが戦後も生き続けていたら、収容所の体験をつづったことでしょう。そして「人間の本質は善だ」と日記に書き残した彼女は、収容所の中でもその思いを持ち続けていたのか、それを聞いてみたかったと思います。

 監督のジョージ・スティーヴンスは、1951年の『陽のあたる場所』1953年の『シェーン』1956年の『ジャイアンツ』などの名作を監督、プロデュースした巨匠。
 主演のお人形のようにかわいいミリー・パーキンスはこの映画でデビュー後、特にこれといった作品には恵まれなかったようです。ペーター役のリチャード・ベイマ―は、1961年の『ウエスト・サイド物語』(監督/ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス)の主役のトニーで、永遠に人々の心に刻まれ続けることでしょう。二人とも1938年生まれで、現在80代半ばです。

 

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